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古本夜話971 三国書房、「女性叢書」、江馬三枝子『飛騨の女たち』

 前回の六人社の「民俗選書」として刊行されなかったが、江馬三枝子の『白川村の大家族』が挙げられていたことを既述しておいた。

 本連載489などで、江馬修が『山の民』を飛騨の郷土研究誌『ひだびと』に連載し、その編集や執筆を支えたのは妻の三枝子だったことにもふれた。そして彼女は『ひだびと』と『民間伝承』の関係から、江馬によって柳田国男のもとに送り込まれたと推測され、柳田の『木綿以前の事』(『柳田国男全集』17所収、ちくま文庫)の中に、「江馬夫人」として姿を見せている。
(冬芽書房版)木綿以前の事

 また『柳田国男伝』おいても、戦後を迎え、柳田が女性民俗学研究者の養成に力を傾け、それが女性民俗学研究会(通称「女の会」)で、その写真が掲載されているけれど、不鮮明なこともあり、江馬三枝子がいるのか確認できない。この女性民俗学研究会の前身は、昭和十六、七年頃に瀬川清子たちが始めていた柳田の著作をテキストとする読書会だった。その時代に「民俗選書」で、瀬川|『きもの』も出されていたことになる。

 やはり同時代に、こちらは三国書房から江馬三枝子の『飛騨の女たち』も刊行され、戦時下の母性問題に関して多くの論議を呼んだと、『柳田国男伝』でも書名が挙げられている。実は本連載489で、江馬の『飛騨の女たち』『白川村の大家族』の版元が三国書房であることを記しておいたが、実物は未見であった。ところがその後、『飛騨の女たち』と山川菊栄『武家の女性』を入手し、それらが「女性叢書」としての刊行であることを知った。

f:id:OdaMitsuo:20191123104839j:plain:h110(『白川村の大家族』)武家の女性

 この叢書は四六判上製、二五〇ページ前後のシリーズで、装幀は今純三、双方の巻末広告から、次のようなラインナップだとわかる。それらを挙げてみる。

1 柳田国男 『小さき者の声』
2 瀬川清子 『海女記』
3 江馬三枝子 『飛騨の女たち』
4 能田多代子 『村の女性』
5 今和次郎 『暮らしと住居』
6 西角井正慶 『村の遊び』
7 篠遠よし枝 『暮らしと衣服』
8 山川菊栄 『武家の女性』

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 またさらに10冊ほど続刊されているようだが、ここでは江馬の『飛騨の女たち』を取り上げておくべきだろうし、「著者に贈る言葉」を寄せているのは、まさに柳田でもあるからだ。彼は「この御本を拝見して」、明治四十年の飛騨の白川の旅を回想し、「それはそれは寂しい旅でありました。(中略)村の人たちは皆山畑に登つて働いて居たのか、どの家も森閑として居りました。細い街道の曲り目の端まで、誰もあるいて居ないといふ処が何度もありました。さうして雨が折々降つて来たのであります」と書いている。
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 しかし大正時代になると、木曜会同人の橋浦泰雄や瀬川清子たちもこの山村を訪れるようになった。さらに「あなたのさまざまな理解ある批評者が、親しく白川の女たちと、何度でも心を語りかはす機会」を持つことができたことにより、「あなたの日和下駄の音が、この深い谷底に響くやう」だとまで、柳田はオマージュを贈っている。それはこの時代にあって、民俗学の視座から飛騨の山村が新たに見出され、その家や家族や生活が注目され始めたことと通底しているのだろう。

 それを物語るように、江馬もその「自序」で、「私も幾分のお手つだひをした」奥飛騨の山村の冬の生活を描いた文化映画『ひだびと』が公開され、「皆さんの中には御覧になつた方も少くない」と書いている。またこの映画を見せられ、飛騨出身の都会生活者は、他国の人々に、飛騨人が「あんな山奥の暮らし」をしているとの不平が伝わってくるということも。それらも飛騨の山村が全国的な注視の的になっていることを示していよう。

 その懸念も含めて、江馬は「飛騨山村の女たちの生活」を提出するが、それは飛騨高山に住み、『ひだびと』を編輯し、民俗を十年近く研究してきた「民俗学の一学徒として」だという断わりを述べている。そして白川村の大家族制における女たちの特異な位置と生活がレポートされていくのである。

 そうした時代の飛騨に対する注目を証明するかのように、昭和十七年十二月の初版は五千部、翌年二月再版五千部はそれらの事実を告げている。発行者を花本秀夫とする三国書房は東京市小石川区指ヶ谷町にある。花本のプロフィルは判明していないけれど、著者の江馬、瀬川、能田が六人社の「民俗選書」と共通していることからすれば、六人社に関係の深い人物だったと考えられる。またこの三人に山川や篠藤を加えて、「女性叢書」というシリーズを企画した事実から推測すると、瀬川たちが戦時下で始めていた柳田の著作の読書会、後に女性民俗学研究会へと展開していった系譜に連なっていた人物なのかもしれない。私見としては、大東亜戦争下において、「女性叢書」を立ち上げているわけだから、後者のほうがふさわしいように思える。


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