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古本夜話973 柳田国男『民間伝承論』、共立社『現代史学大系』、後藤興善

 バーンの『民俗学概論』やジェネップの『民俗学入門』の翻訳出版は、柳田国男にとっても自らの手で概論書をという意欲を駆り立てたにちがいない。それは昭和九年に『民間伝承論』として結実し、日本民俗学の立場を規定し、『柳田国男伝』にしたがえば、「日本民俗学にとって、歴史的な意味をもつ書物」となる。

f:id:OdaMitsuo:20191122175107j:plain:h120 (『民俗学入門』) f:id:OdaMitsuo:20190805140653j:plain:h110 

 それは共立社が『現代史学大系』全十五巻を企画し、その中の一冊を柳田に依頼したことによって実現したのである。この企画は国学院大学教授、東洋史専攻の松井等、東北帝大教授、西洋史専攻の大類伸の編輯によるもので、『民間伝承論』の巻末広告のラインナップを示してみる。

1 大類伸 『史学概論』
2(未定) 『史学史及歴史哲学』
3 大森義太郎 『史的唯物論』
4 瀧川政次郎 『歴史と社会組織』
  石濱知行 『歴史と経済組織』
5 赤松智城 『宗教史方法論』
  尾佐竹猛 『近世日本の国際観念の発達』
6 西田直二郎 『国史の研究と其発達』
7 柳田国男 『民間伝承論』
8 石田幹之助 『欧人の支那研究』
9 村岡典嗣 『神道思想史編』
  谷川徹三 『歴史と芸術』
10 松本信広 『古代文化論』
  古川竹二 『血液型と民族性』
11 松本彦次郎 『日本史精粹』
12 松井等 『東洋史精粹』
13 原随園 『西洋史精粹』
14 時野谷常三郎 『現代の世界史』
15 松本彦次郎、松井等、千代田謙 『史学名著解題』

 ちなみにこの共立社とは現在の共立出版であり、発行者の南條初五郎は『出版人物事典』にも立項されている。

出版人物事典

 [南條初五郎 なんじょうはつごろう]一八九六~一九七四(明治二九~昭和四九)共立出版創業者。東京生れ。一九一九年(大正八)早稲田泰林館を創業、さらに二六年(大正十五)共立社を創業、文学書を中心に出版を行ったが、二八年(昭和三)高木貞治博士をはじめ、日本数学界権威の協力で、『輓近高等数学講座』全一八巻を出版、会社の基礎を固めた。四二年(昭和一七)共立出版株式会社と改称、自然科学・理工学関係書の出版に力を注いだ。(後略)

 この共立社の初期の文学書出版に関しては明らかになっていないし、柳田との関係も不明であるが、『現代史学大系』の著者たちが石田幹之助、赤松智城、松本信広などの『民族』編集委員や寄稿者だったことからすれば、彼らと『同大系』の編輯の松井等や大類伸が企画に携わり、柳田の『民間伝承論』もその中に含まれることになったのかもしれない。

 『柳田国男伝』はその成立過程に関して、講義形式での執筆とし、民間伝承論の会を発足させたと述べている。それは柳田の書斎で、昭和八年九月から十二月まで十二回行われ、出席者は後藤興善、比嘉春潮、大藤時彦、杉浦健一、大間知篤三たちだった。その筆記を担ったのは前年ジェネップ『民俗学入門』を翻訳したばかりの後藤で、構成は別の講演会で柳田が配布したパンフレットを「序」とし、それに「一国民俗学」「殊俗誌学の新使命」「書契以前」「郷土研究の意義」「生活諸相」「文庫作業の用意」「採集と分類」「言語芸術」「伝説と説話」「心意諸現象」の十章仕立てになっている。

 「序」はプロローグにふさわしい28の短い覚書の集積といってよく、「民間伝承論は明日の学問である」から始まり、それに対する柳田のオリジナルな民間伝承論、すなわち「一国民俗学」の確立へのスタート台のような趣がある。またそこでは岡正雄訳のバーン『民俗学概論』への言及も見えるし、各章のタイトルからしても、バーンの民俗学に対して、柳田の「一国民俗学」をめざすアレンジが浮かび上がってくるように思われる。

 後藤は「巻末小記」において、「序」と第一章、第二章の半分は柳田自らが書き、第三章以下は柳田の講義ノートに基づき、その多くの著作を渉猟し、援用し、まとめ上げたものだが、各章タイトルは柳田によると述べている。「従つて厳密な意味の先生の御著述とは言へないもの」だが、「今までかふいふ概論書を持つてゐなかつた日本の民俗学が、今後益々発展するであらうことを望んでやまない」し、「本書は親切な概論書として、又最も手頃な手引書として役立つやうに講述せられてゐる」との言も付記されている。私もそれに同感である。

 しかし柳田はこの初めての概論書が好評だったにもかかわらず、再版を拒否し、筑摩書房の『定本柳田国男集』にも、自らの手になる「序」と第一章の「一国民俗学」しか収録を許さなかった。その理由として、『柳田国男伝』は筆記のさせ方が悪く、誤りが多かったこと、日本民俗学と外国民俗学の相違の違いがはっきりしていないことなどを挙げているが、これも例によって、柳田と出版代行者ならぬ編集、執筆代行たる後藤との確執に起因しているように思われる。

 最初の概論書を後藤にまかせ、それが「厳密な意味の先生の御著述とは言へないもの」にもかかわらず、大きな反響を呼び、好評だったことが柳田には気にいらなかったのではないだろうか。

 それゆえに、その再版は昭和五十五年の伝統と現代社版を待たなければならなかったのである。

f:id:OdaMitsuo:20191202201526j:plain:h110(伝統と現代社版)


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