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古本夜話977『民間伝承』、堀一郎、和歌森太郎

 前回は『民間伝承』の戦時下における流通販売の六人社と生活社への委託、及び戦後の六人社との再びのコラボレーションをたどってきたが、編集兼発行人に関しては守随一と橋浦泰雄にふれただけだった。
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 守随も木曜会同人で、東大新人会のメンバーだった。しかも亡父は柳田の一高時代の同級生で、エスペラント語に通じ、そのことでも柳田と結びついていた。また『山村生活の研究』でも四項目を担当し、『民間伝承』創刊に当たって、橋浦とともに編集をまかされることになったのである。しかしその守随も昭和十三年には満鉄調査部に職を得て渡満し、新京支社で経済調査に従事する。そして十八年に学者や研究者を弾圧する満鉄事件に巻きこまれ、十九年に四十一歳の若さで、獄中でかかったチフスにより死去している。

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 そのために昭和十三年から橋浦が引き継ぎ、戦後の二十三年まで編集兼発行人を担ってきたわけだが、『民間伝承』の昭和二十三年七月号に「緊急会告」が出された。それは「本会の編集並に一般事務を担当してゐた橋浦泰雄より健康不勝の理由により、右担当の辞任の申出がありました」というものである。そして柳田国男自らがそれらを総括し、新たに堀一郎を始めとする四人の編集部委員が発表され、民間伝承の会の出版物の「刊行配布及びその経営の責務は一切戸田謙介これを担当」との一節も同様だった。

 そして同号から奥付には編集兼発行者として堀一郎の名前が記載されることになる。私が最初に堀を知ったのは半世紀近く前で、ミルチャ・エリアーデの『永遠回帰の神話』(未来社)や『生と再生』(東大出版会)や『シャーマニズム』(冬樹社)の訳者としてであり、それからしばらくして、彼が柳田の女婿だとわかった。彼は柳田の次女三千と結婚している。あらためて確認すると、堀は昭和四十九年に亡くなっているので、私がそれらを読んでから数年後に没したことになる。

永遠回帰の神話 - 祖型と反復  f:id:OdaMitsuo:20191207112626j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20191207113218j:plain:h120

 それでも堀は木曜会や『民間伝承』に関する回想を残し、それは「紆余曲折―私の学問遍歴」と題され、『聖と俗の葛藤』(平凡社ライブラリー)で読むことができる。そこで彼は語っている。

聖と俗の葛藤

 私たちが結婚したのは昭和一二年でしたけれど、柳田さんの書斎で、「木曜会」が隔週の日曜の午後に催されていた、これはアカデミック・サロンともいうべきものでした。つまり、大学の講義とか講座というものじゃなくて、ひじょうに自然の形で出来上がった、アカデミズムというか、独特のものでした。発端は『民間伝承論』の口述のために木曜日とごとに後藤興善さんをはじめ多くの人々が集まってきて出来たもので、それが第二と第四の日曜の午後の集まりになっても木曜会といっていました。柳田民俗学の大先輩の人たち―橋浦泰雄、大藤時彦、大間知篤三、瀬川清子、関敬吾、最上孝敬、桜田勝徳、倉田一郎、守随一さんといった人々が柳田さんを囲んで並んでいる。私なんかは隅のほうへいって、そこでいろんな人たちの調査報告や研究発表を聞いてたわけです。その頃はのちに『海村生活の研究』という本にまとめられました海村の調査が行なわれていて、この会のメンバーが調べてきた報告を順番にしているわけですね。それを先生が聞いていて、批評や質問がある。そこはまだ調べ足りない、とか、そこはどうなっているか、とか、こういう問題があるといわれる。集まった人からも意見や質問が出る。

 長い引用になってしまったが、実際に木曜会なるもののイメージが浮かび上がってくるし、『海村生活の研究』だけでなく、柳田と『民間伝承』のあり方の関係をも伝えているからだ。このようなディテールを重ねることで、柳田民俗学は構築され、展開されていったのである。また『海村生活の研究』が挙げられているのも、堀自身が発行者として刊行されたことへの感慨も含まれているように思われる。

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 それから堀は当時、本連載124の国民精神文化研究所の助手を務めていたと述べ、そこで神社の祭の調査を始め、文理科大学の助手だった和歌森太郎にも加わってもらい、これが和歌森とのつき合い始めだったと語っている。実は堀が『民間伝承』の編輯兼発行者になってから、和歌森の「神島の村落構成と神事」や「社会生活の理解と民族学」(昭和二十三年十一・十二月号)などの寄稿が始まり、二十四年一月号には編集部委員としての名前も挙がっている。そして二十六年十一月号からは和歌森が編輯兼発行者となり、それを二十七年十二月号の終刊まで務めている。

 『柳田国男伝』でも国民精神文化研究所における堀と和歌森の関係にふれられ、和歌森が昭和十六年頃から木曜会に出席するようになったとあるが、それは堀を通じてであろう。そして橋浦泰雄の引退を受け、堀が編集のアシストを依頼したことから、最後には『民間伝承』の編輯兼発行者を引き受けざるを得なかったと推測される。そうした意味では橋浦がそうあったように、堀も和歌森も柳田の出版代行者だったことになろう。


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