三角寛の最初のサンカ小説「山窩お良」は昭和七年に新潮社から刊行された『昭和妖婦伝』に収録され、作品の異同はあるけれど、同タイトルで現代書館の『三角寛サンカ選集』第九巻として復刊されている。
その「序」は菊池寛、加藤武雄、藤沼庄平の三人が書いているので、まずは菊池を見てみる。
僕は「実話」の名付け親であり、最初の提唱者だが、『文芸春秋』でこれを毎号掲載してこのかた、実に多数の読者を得て、全く一時は実話時代の感を深からしめたものであるが、近来は猫も杓子も此の二字を用いて、狗肉を売る類おおく、本来の真実性を完全に失って了っている。
三角寛君の「昭和妖婦伝」は『オール読物号』に引き続いて連載され、その特異な材料と、現実の腹部をみるような怪奇性と、之に加うるに筆者の丹念な調査とも以て、各篇共に新鮮な興味と迫力を持っている。
菊池の「僕は『実話』の名付け親」という証言を確認するために、『文藝春秋七十年史』の「年誌」をたどってみると、昭和三年の『文芸春秋』十月号で、初めて「実話」を募集し、十二月号に掲載し、「以後実話活発となる」とある。そこで『文藝春秋七十年史[資料編]』の同号目次を見ると、確かに「実話」部門が新設され、辻美津「蔵前夜話」などの四編が並び、菊池の証言を裏づけている。
「実話」とはアメリカで出されていた犯罪実話誌などを総称する「Confidential」の訳語と考えられ、昭和初期にエロ・グロ・ナンセンスとともに使われるようになったタームで、現在でも出されている、所謂極道ジャーナリズムを体現する『週刊実話』はその名残りをとどめているのだろう。
またこれはアメリカの一九五〇年代を舞台としてだが、実話誌などで記事を挿入して構成されたジェイムズ・エルロイの『LAコンフィデンシャル』(小林宏明訳、文春文庫)にも「実話」の時代を彷徨させられる。
『昭和妖婦伝』は新潮社から刊行されたのだが、菊池がその「序」を引き受けたのは、それらが文芸春秋社の『オール読物号』に連載されたことに加え、三角の「実話」が「特異な材料」「現実の腹部をみるような怪奇性」「新鮮な興味と迫力」の三位一体を認めたからに他ならない。それは本連載181などの加藤武雄も同様で、「事実のもつ深刻さと複雑さと多彩と怪奇」を備えた「実話文学」と推奨している。
また藤沼は警視総監であり、「大衆的読み物」「探偵小説以上に興味ある人生の裏面史」との言を寄せている。すなわちここで、三角のサンカ小説は、菊池と加藤の文芸ジャーナリズム、及び警察当局からの「実話文学」としての承認を得たことになり、それは三角を特異な流行作家の位置へと押し上げたように思われる。
しかもそうしたベースは昭和円本時代に築かれていたし、その表象が平凡社の『明治大正実話全集』だったのではないだろうか。これは第八巻しか入手していないが、そのラインナップを示す。
1 伊藤痴遊 | 『政界疑獄実話』 |
2 三上於兎吉 | 『悲恋情死実話』 |
3 甲賀三郎 | 『強盗殺人実話』 |
4 村松梢風 | 『名人苦心実話』 |
5 谷孫六 | 『財界興亡実話』 |
6 平山蘆江 | 『妖艶淪落実話』 |
7 田中貢太郎 | 『奇蹟怪談実話』 |
8 永松浅造 | 『詐欺横領実話』 |
9 長谷川伸 | 『義理人情実話』 |
10 白柳秀潮 | 『陰謀騒擾実話』 |
11 直木三十五 | 『変態恋愛実話』 |
12 松崎天民 | 『裏面暗面実話』 |
これは『平凡社六十年史』の「発行書目一覧」から引いているのだが、内容見本掲載の他に、「俗受けをねらって失敗した『明治大正実話全集』と『映画スター全集』」という言及があるだけで、どのような経緯と事情で刊行されたのかは定かではない。だが同じ昭和四年初頭に、本連載387でも取り上げたように、『菊池寛全集』全十二巻が出されていることからすれば、「『実話』の名付け親」の菊池が文芸春秋社からの刊行はためらわれたので、自らの全集に相乗りさせ、企画を持ちこんだのではないだろうか。
そのように考えてみると、『詐欺横領実話』を担当している永松浅造は著者たちの中でプロフィルがわからない人物だが、別名の天草平八郎も含めて、多くの実話的著書があり、菊池の近傍にいたようにうかがわれる。彼は銀座の実話研究所という肩書めいたものを付し、その「序」に「果して実話時代は来た。そして澎湃たる勢をもつてわが読書界を風靡せんとしてゐる」と述べているのも、それを物語っているように思える。
ただその「俗受けをねらって失敗」とは皮肉なことだけど、その「失敗」の後に三角の「サンカ小説」は出現してきたことになろう。
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