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古本夜話988 中島悦次『神話と神話学』

 拙稿「青蛙房と『シリーズ大正っ子』」(『古本探究Ⅱ』所収)や本連載429で、大東出版社の「大東名著選」にふれ、これが戦後に青蛙房を興す岡本経一の編集によるものであることを既述しておいた。その「大東名著選」37として、昭和十七年に中島悦次の『神話と神話学』が刊行されているが、「はしがき」によれば、これは昭和二年に同973の共立社から『神話』として出版された一冊で、中島は次のように続けている。

古本探究2   大東名著選 (「大東名著選」44、『東洋的一』)

 当時はまだ神話の概説書としては、明治三十七年に初版の刊行された高木敏雄の名著「比較神話学」一緒だけといふ有様で、神話に対する一般人の関心は極めて薄いものであつたが、昭和二年といふ年は神話研究にとつては恵まれた年で、恩師松村武雄博士の「神話伝説大系」十八巻の大出版が発表され、次いで西村真次氏の力著「神話学概論」が公にされた。爾来神話に関する特殊な研究書は相次いで世に現れ、最近は又、高坂正顕氏の好著「神話(解釈学的考察)」や松村博士の大著「神話学原論」二巻が公にされるという盛観を呈するに至つた。

 ここにラフスケッチとして、近代日本における神話研究チャートが示されているといえよう。それは他ならぬ本連載985の高木敏雄の『比較神話学』から始まり、昭和に入っての松村武雄編『神話伝説大系』へと結実していく。そして中島の『神話』、西村真次『神話学概論』、松村の『神話学原論』なども出され、中島が松村の弟子筋に当たり、そのような神話研究の環境下で、自らの著作も刊行されたとわかる。

f:id:OdaMitsuo:20191219111342j:plain:h115(『比較神話学』、ゆまに書房復刻) f:id:OdaMitsuo:20200109212513j:plain:h120(『神話伝説大系』)f:id:OdaMitsuo:20200109224406j:plain:h120 

 それでは中島の語る神話とはどのようなものなのか。彼は上篇「神話学の叙説」において、神話はギリシア語のミトスで、これは「神によって語られたもの」の意味だったようだが、後に「神に関して語られるもの」という意味に転じたと述べている。そして日本の古くからの言葉を用いれば、「神語(かみがた)り」が適切ではないかとも記している。

 人間が「神霊」=超自然的存在を認めた場合、そこには畏敬の念を基調とする宗教的態度、もしくは親愛の情からなる芸術的な態度が生じる。前者は「祈祷・祭祀」、後者は「記述・説明」となって表われ、両者の混合によって神話が生まれる。原始時代にあっては「神霊」が物象で、火や岩や蛇などが神と信じられ、この信仰の段階が「アニマチズムの階層」である。しかし人間はこのような素朴な信仰を長く持ち続けることができず、「神霊」は別にのその物相や現象の内在するという段階に進む。これが山の主とか川の主とかいった「ヌシの信仰」で、この段階を「アニミズムの階層」と呼ぶ。

 この「ヌシの信仰」に進むと、神を信じる主体が人間であることから、「神霊」も人間の形態を有することが多くなり、ひとりの人格のように扱われ、日や月や風などの神もすべてが人間の形態を有し、人間的にふるまうのである。このような信仰の段階を「神人同格説(アンスロポモーフイズム)の階層」と呼ぶ。しかしいかに人間的といっても、やはり神は人と異なり、自由に変形しうる能力が賦与されているのである。

 そのようにして、神々の世界にも人間界の生活が色濃く反映され、神は自然的色彩を少しずつ脱却し、人文的色彩を帯びてくる。そしてついには神と人との区別がつかなくなり、人間的神格が神霊的人間へと変ってしまう。これが英雄神話に表われる「英雄(ヒーロー)」、もしくは「女英雄(ヒロイン)」ということになる。

 こうした例をたどりながら、「神話の定義」が次のように示される。「神話は、未開階段(ママ)に在る民族心神話詩的の気分から、神の自叙的発想として生み出され、社会的秩序の発生的所徳として伝誦せられた所の、神格に関する人格的物語的記述の説話である」。そして神話は記述によって、説明的神話と推原的神話のふたつに大別され、前者は神の状態動作、性質を説明的に途述するもの、後者は神の起原、由来などを遡行し推説するものである。

 これらの神話の解釈をめぐって、まず引かれているのが、前回、前々回と続けて言及してきたアンドリウ・ラングで、とりわけ中島への影響が大きいとわかる。ラングを筆頭として神話解釈法が挙げられ、中篇「神話の形態」へと進んでいく。それは具体的に神話の様々な形態に及び、下篇「神話学の意義」において、日本神話が論じられることになる。それが『神話と神話学』において、中島が展開してきた論述に寄り添い、「我が古代民の神話は、古代ギリシアの神話と同様に様々な系統の神話から成立してゐる」と語っている。その後にバーンの『民俗学綱要』=本連載936のバーン『民俗学概論』も挙げられているので、それを応用していることもわかる。

 だが結論として、『古事記』や『日本書紀』における神話伝説は「私どもの懐かしむべき祖先の心を恵んで呉れた神話」、「幼少を育くんで呉れた神話」、「愛すべき子孫の心を養つて呉れようとする神話」であり、「この神話こそは実に科学・芸術・宗教・哲学・道徳の揺籃であり、親祖・愛国の子守所ではないだらうか」と結ばれている。

 やはり昭和十七年に中島は『大東亜神話』(統正社)を刊行し、『古事記』や『日本書記』などが大東亜共栄圏内の諸民族の神話の集約に他ならず、高天原は太平洋に見出されるという言説を提出している。それが『神話と神話学』の延長線上に成立したことはいうまでもあるまい。

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