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古本夜話996『白樺』、叢文閣、有島生馬訳『回想のセザンヌ』

 本連載993で、『朝鮮童話集』の中村亮平が「新しき村」を離村後、朝鮮へ赴き、同書を著わしたこと、洛陽堂から自伝小説を刊行し、それから美術雑誌の編集に携わったことなどを既述しておいた。それに補足すると、拙稿「洛陽堂『泰西の絵画及彫刻』と『白樺』」(『古本屋散策』所収)でふれておいたように、前者は主として後者の美術ページを収録して編まれた大正時代の世界美術全集的なシリーズであった。また『白樺』の美術特集はセザンヌやゴッホやロダンなどの同時代の画家たちにも及び、中村もそうした白樺派の美術環境の中から、後に美術雑誌の編集者となり、さらに太平洋画学校へと向かったのであろう。

f:id:OdaMitsuo:20200203154137j:plain:h120 (『朝鮮童話集』) 古本屋散策

 大正時代のみならず、最大最強の同人雑誌と評される『白樺』の文学と美術トレンドに、前回の「画とお話の本」の企画編集を重ね合わせると、この時代に洛陽堂や冨山房だけでなく、多くの出版社が新しい美術書や児童書を刊行していたにちがいない。それらの中でも重要な雑誌が大正四年創刊の『中央美術』で、同誌に関しては拙稿「田口掬汀と中央美術社」(『古本探究Ⅲ』所収)を参照されたい。

古本探究3

 その中央美術社と『白樺』の関係は不明だが、叢文閣は有島武郎のラインから『白樺』とつながったと考えられ、大正九年にエミル・ベルナアル著、有島生馬訳『回想のセザンヌ』を刊行している。これは前回の『大男と一寸法師』とほぼ同じ頃に、浜松の時代舎で購入したもので、判型も四六倍判と同様である。ただこちらは裸本だが、SOUVENIRS SUR PAUL CĒZANNE というタイトル表記に見られるように、著者、訳者、出版社名なども、すべて金色のフランス語で示され、それはセザンヌの顔のスケッチも同じだ。おそらくカバー表紙はあったはずで、それがどのようなものだったのかも気にかかる。

f:id:OdaMitsuo:20200207173655j:plain:h120(『回想のセザンヌ』)f:id:OdaMitsuo:20200206164405j:plain:h120 (『大男と一寸法師』)

 翻訳者の有島生馬の「小序」として、次の言葉が寄せられている。

 原書は当時巴里滞在中の島崎藤村先生が小山内薫氏の帰国に托し、遙かに訳者に寄贈されたもので、番号入り五百部定限書の一冊である。扉には千九百十二年六月二十四日夕、と黒インキの自署が残つて居る。

 この『回想のセザンヌ』は有馬も断わっているように、大正二年十一月から翌年五月にかけて、『白樺』に連載し、そのまま「古雑誌の一隅に埋れてゐた」翻訳が、叢文閣の足助素一たちの好意によって、「八年目で単行本となり世に出る機会を得た」とされる。有馬のセザンヌとの関係は『日本近代文学大事典』の『白樺』解題を繰ってみると、明治末に画期的なセザンヌ紹介「画家ポール・セザンヌ」(『白樺』第二、三号連載)を寄せたことから始まり、それがフランスからの島崎藤村による有馬生馬への『回想のセザンヌ』の原書の寄贈となったのであろう。

 そのベルナアルの原書に加えて、やはりフランスの二冊のセザンヌ画集から四十余の挿画を抽出し、ほぼそれぞれを一ページに複写し、合わせて編まれたのがこの『回想のセザンヌ』に他ならない。これは著者のベルナアルがエクス・アン・プロヴアンスに晩年のセザンヌを訪ね、親交を深め、その死までを愛情をこめて記した回想といっていいだろう。私はゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」の訳者でもあるので、セザンヌがゾラと故郷を同じくし、ともにパリに出て、ゾラがセザンヌをモデルとして、「叢書」の一冊の『制作』(清水正和訳、岩波文庫)を書き、それで二人が不仲になったことを承知している。そのためにどうしてもセザンヌのゾラへの言及が第一の関心となってしまうのである。

制作

 その私の関心にたがわず、やはりゾラはセザンヌの素描の一枚に姿を見せているし、そのアトリエには古い屏風が置かれ、セザンヌの「ゾラと私は毎時も此屏風で遊んで居た」との発言も記されている。ちょうどゾラはドレフュス事件で「問題の人」でもあったからだ。だが次のような辛辣なセザンヌの発言も書きとめられているので、それも引いておこう。

 「奴は極く平凡な頭の男さ、友達としては此上ない嫌な奴だ。自分の事しか考へて居ない。『製作』だつて左うだ。私の事を書いた積りだろうが、飛んでもない曲事と嘘八百で捏ね上げた、自家広告だ。(中略)ゾラとは中学時代の友達で、その頃はよく二人してアルク河畔へ遊びに行つた。(中略)巴里に着くとゾラは『クロオドの懺悔』を私へ捧げて呉れ、(中略)名声が高まるにつけて尊大に構え、自分に逢ふのも義理一遍に見えたから嫌になつて、永く尋ねても行かなかつた。所が突然『製作』を受け取つた、全く自分に取つては大打撃であつた。私はゾラの底意を見抜いた。あれは最悪な著書で、一から十まで偽りだと断言していゝ。」

 ここにセザンヌの、ゾラと『制作』に対する肉声が反響している。確か晩年になっての和解も仄聞しているが、『制作』によって生じたセザンヌの、ゾラと『制作』に関する「曲事」と「偽り」を許すことなく生を終えたことになるのだろうか。最近になって名古屋の古本屋でゾラの ŒUVRES COMPLÈTES (CERCLE DU LIVRE PRÉCIEUX)のうちの全評論集三冊を購入したので、『美術論集』(三浦篤他訳、「ゾラ・セレクション」9、藤原書店)とともに、いずれセザンヌのことも確認してみたいと思う。

美術論集

 なお後に『回想のセザンヌ』岩波文庫化されているし、叢文閣に関しては拙稿「新潮社、叢文閣、『有島武郎全集』」(近刊『近代出版史探索Ⅱ』所収)などを参照されたい。

美術論集


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