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古本夜話998 細谷清『満蒙伝説集』

 昭和十年年代になっても、「伝説」の時代はまだ続いていたようで、、『神話伝説大系』に含まれていなかった『満蒙伝説集』が刊行されている。これは著作兼発行者が、発行所は満蒙社、発売所を神田神保町の丸井書店として出され、細谷と満蒙社の住所は同じ小石川区小日向台町であることからすれば、自費出版に近いかたちでの上梓であるのかもしれない。しかしそうであっても、六月初版、十一月に三版とあるので、そうした時代ゆえに、それなりに読者もいたとも考えられる。巻末広告にはやはり細谷の『満蒙民族伝説』、近刊として『蒙古貿易の大宗日本磚茶』も掲載されているからだ。

満蒙民族伝説 (慧文社版)

 またその「序」において、「悠遠の過去ある満蒙には、幾十百千、殆んど限り知られぬ口碑があり、伝説がある」との言が最初に置かれている。そして「本書が主として各地の口碑・伝説を蒐集し、満蒙旅行者・満蒙研究者に寄与せんとする主意」に基づくとも述べている。さらに続篇として、「満蒙童話・満蒙歌謡等」もまとめたとあるので、細谷も大正の「伝説」や「童話」の時代の後裔で、前回の藤澤衛彦たちの影響を受けていたとみなしていいだろう。

 ただこの「序」からわかるのは、細谷の専門が十五年に及ぶ「国勢北漸史」で、『満蒙伝説集』はその「先声」としての「大衆向き読物」であり、満鉄本社の「理解ある援助を得た」とされている。とすれば、先の二冊のことも考えると、細谷は満鉄に関係していた満蒙史家、もしくは満蒙絡みの「大衆向け読物」の出版者兼著者の一人だったことになるのだろうか。

 そのことをうかがわせるのは口絵写真に挙げられた中華民国各地の「執照(旅行免状)」、及び「執照(蒙古政庁発給)」のように思われる。それにその他の三十五枚の写真にしても、細谷が満蒙各地を自由に旅行できた事実を伝えているし、そのようにして、ここに七十余の伝説が編まれたことになるのだろう。また巻末には、折り込みの「満洲国略図」も付されている。それらの多くの写真と伝説の中からどれを紹介すべきか、少しばかり迷ったのだが、やはり私の興味に従って、いずれも写真と伝説の双方が取り上げられている「ドルメン」と「娘娘廟祭神」に言及してみたい。
「ドルメン」は「大きな不思議の一つ」とし、次のように紹介されている。

 巨石遺跡の代表的なものはドルメンである。歴史や考古学の上にはハツキリした実在であるが、持主の分らない存在だから、歴史からウツチヤラれた形である。ドルメンDolmen はチルト語で、dol は机、men は石だから机石である。Uncovered Dolmen とも、Stone table ともいはれてゐる。文字の上から大体想像は出来るが、珍奇であるだけに、色々の迷信も生れて来る。巨人の墓場といふことは知られてゐるが、民族によつては、寝床だといつたり、石卓状の墓所だともいわれてゐる。(中略)支那では石硼の文字を充てゝゐるが、石硼が石棚となり、大石棚、小石棚と呼ばれるものもあり、地名となつて現存するものもある。

 写真の「ドルメン」は柝木域で、支えの石壁、石室の上に広く長い石が平に置かれていて、「机石」の典型であるのだろう。「ドルメン」はヨーロッパやアフリカだけでなく、中国、朝鮮半島、日本などにも及ぶ新石器時代の巨石文化のひとつとされている。岡書院が昭和七年に創刊したリトルマガジン『ドルメン』はこれに由来しているのである。

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 「娘娘廟(ニヤンニヤンミヤオ)祭神」は初めて目にするものだが、「満洲には、地方・到るところに娘娘廟がある」という。その中でも大石橋の娘娘廟が代表的なものだとされる。

 全満第一といはれる大石橋の娘娘廟会―祭礼は、旧暦四月十六日から十九日の四日間に亘つて行はれる。それが近くなると汽車の割引広告―満人向きに画かれた色彩豊かなポスターが、停車場といふ停車場、都会・村落・奥地の小字まで、楽土王道の宣伝を兼ねて、万遍なくバラまかれる。そして村々の小娘・新妻・老婆に至るまでが、その日の来るのを待ち詫びてゐる。

この大石橋の娘娘廟には三女神が祀られ、それらは福の神、眼の神、子供を授ける神である。いずれも霊験あらたかとされ、「大祭当日の人出は、それこそ想像の外である。路を埋め、畑を埋め、山を埋め尽す参詣人は、袖を連ねて幕を為し、汗を揮つて雨を為すといふ盛観」である。
 
 その子供を授ける神は「寓氏公主三姑娘娘之神位(授児)」とされる。昔、大石橋の近くの部落に李氏という人妻があり、美人で夫婦仲もよく資産家だったが、惜しいことに子宝に恵まれなかった。それで長い間苦しんでいた李氏は上々吉の日を選び、秘かに娘娘廟に詣で、授児の女神に祈ったのである。その時目に入ったのは女神の右に侍る女官の手許で、「見れば可愛い肥った男の子が、裸体のまゝ抱かれてゐるではないか」。それを一ページの口絵写真で見ることができる。李氏はそれに見とれ、なで回していたが、「強い魅力にひかされて、おチンチンの先を一寸爪の先でつまみとり、そして手早く飲み込んで仕舞つた」。その一年後に李氏は丸く肥つた男の子を生んだ。それは女官が抱いていた男の子にそっくりであった。霊験あらたかな娘娘廟の恵みとなったのである。この男の子を抱いた女官像にめぐり会えるだろうか。
 

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