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古本夜話1007 梶井基次郎、「闇の絵巻」と説教強盗

 あらためて梶井基次郎の『檸檬』を初版で、といっても、近代文学館とほるぷ出版の復刻だが、読むことは文庫や文学全集などの場合と異なる読書体験であると実感してしまう。私はかつて「梶井基次郎と京都丸善」(『書店の近代』所収)を書いているので、とりわけそう思う。
f:id:OdaMitsuo:20200307120311j:plain:h115 書店の近代

 初版の刊行は昭和六年五月で、四六判函入、二七一ページ、定価一円五十銭、函にも本体にも梶井の自筆によるタイトルと作家名が記されているだけである。この素っ気ない装幀の「梶井基次郎第一創作集」がプルーストの『スワン家の方』の巻末に広告掲載されていることを既述したが、そこには次のような内容紹介がしたためられている。ここでしか見られないかもしれないので、全文を引いてみる。

 われわれがこれらの作品に接して抱く感激は著者が驚くべき感受性と特異なる解析力を似つて複雑せる現実事象を剔抉し、人生のリアリテイを余す所なく把握していることである。しかも微細なる陰影が嘗つてかくばかり太々しく洗錬の極点に於ひて表現されたことがあらうか。この鋭き鑑賞の世界を見よ! われわれは断言する、この偉大なる芸術の出現こそはジャーナリズムの貪婪なる毒手に翻弄され見る影もなく醜態を曝しつつある現文壇では稀有の存在であることを。蓋し、「檸檬」一巻は明日の文学の可能を実証するもの、今日の文学に絶望せる人々を救ふ聖典であると云ふも過言ではない。文学に関心をもつ人々は是非とも一本を座右に備へなけれあならぬ。それは文学を愛する人々の義務だ。

 武蔵野書院からの『檸檬』の出版に当たって、淀野隆三と三好達治が尽力したとされるので、この文言も二人のうちのどちらかが書いたと推測することもできよう。かくして梶井の生前の唯一の、十八編の作品を収録した著作集が送り出されたことになる。梶井は印税として七十五円を受け取っているので、十%印税ならば五百部、五%印税ならば千部が初版だったと考えられる。

 だがこの函も含め、シンプル極まりない造本の『檸檬』はどのような流通販売の過程をたどったのだろうか。何ら人目を引きことのない装幀は書店の棚に収められたのか、もしくは京都丸善では平積みとはいわないけれど、何冊かの在庫を持って販売していただろうかと想像してしまう。つまり読むことだけでなく、この初版五百部か千部の新人の創作集の「一本を座右に備へ」るために必要な出版流通販売インフラも、戦前は異なっていたと思えるからだ。

 長い前置きになってしまったけれど、ここでふれておきたいのは、『詩・現実』に発表され、『檸檬』に収録された「闇の絵巻」に関してである。あらためて読み、最後のところに(昭和五年十月)との記載によって、これが昭和五年の作品であることを教えられた。この「闇の絵巻」は次のように書き出されている。

 最近東京を騒がした有名な強盗が捕まつて語つたところによると、彼は何も見えない闇の中でも、一本の棒さへあれば何里でも走ることが出来るといふ。その棒を身体(からだ)の前へ突き出して、畑でもなんでも盲滅法(めくらめっぽう)走るのださうである。

 講談社の『昭和二万日の全記録』第2巻の『大陸にあがる戦火 昭和4年~6年』を繰ってみると、昭和4年2月23日のところに、「説教強盗の妻木松吉逮捕される」とある。そして写真、犯行データと現場地図、懸賞金広告、犯人の指紋なども付され、「説教強盗帝都を揺がす」という大見出しで、見開き二ページがそれに当てられている。
昭和二万日の全記録

 「説教強盗」とは犬を飼いなさいとか外灯を付けなさいなど防犯心得を諄々と説きながら金品を奪う妻木松吉のことをさす。昭和3年から4年にかけて、警察の大捜査網下にあっても、「説教強盗」は六二件にもおよび、さらに折からの第一次世界大戦後の不況と金融恐慌を背景とする犯罪の激増は「帝都不安の時代」とも称されたという。

 先に引いた「闇の絵巻」の「最近東京を騒がした有名な強盗が捕まつて」とはこの「説教強盗」の逮捕を意味し、梶井はそれに触発され、「闇の絵巻」を書いたことになる。だがそれはイントロダクションであって、そこから闇の形而上学へと向かい、「闇を愛することを覚えた」「山間の療養地」の体験、闇の風景について語り出す。そして闇の風景に比べ、どこでも電燈の光が流れている都会の夜が汚なく見えるとまで書いている。

 この「山間の療養地」とは伊豆の湯ヶ島のことで、その山に囲まれた闇の深さはよくわかる。それからこれは本連載でも既述しているが、高度成長期以前の日本の農村の夜はまったくの闇の世界で、その中で星と月だけが明るく、まさに「闇の絵巻」のようでもあった。梶井の「闇の絵巻」はその中に身を投じていき、昼と夜、いうなれば、すべてが逆転してしまうという闇の魅惑を語っていて、それは私のように高度成長期以前の農村で育った人間にとってよく理解できるように思う。

 ところでこの「説教強盗」とは当時『東京朝日新聞』記者だった三浦守の命名によるものである。本連載979などでふれておいたように、それらをきっかけとして、三浦は三角寛として犯罪実話を書くようになり、さらにサンカ小説を手がけ、その分野の第一人者となっていくのである。「説教強盗」は梶井の「闇の絵巻」の触媒ともなったけれど、一方では犯罪実話的なサンカ小説も誕生させてしまったことになろう。


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