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古本夜話1015『ユリシーズ』の翻訳とシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店

 ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』の初訳は断るまでもないが、近代日本翻訳史における事件であった。これは本連載1006などでふれているように、昭和六年十二月に伊藤整、永松定、辻野久憲を共訳者として、第一書房から刊行された『ユリシイズ』前編は、奥付にあるように初版二千部だったが、たちまち売り切れ、再版、三版がそれぞれ五百部ずつ重版の運びとなった。そして昭和七年の森田草平立を訳者とする岩波文庫版が続いていくのである。
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 これは和田桂子の「『ユリシーズ』を求めて」というサブタイトルが付された『二〇世紀のイリュージョン』(白地社)で知ったのだが、同書には昭和六年十二月二十三日の『読売新聞』の『ユリシイズ』広告が掲載されていたのである。それは「世界文学の脅威 全世界の二十世紀文学の様態を一変せしめた最大なる問題の傑作!!」との惹句に続き、これもまた挑発的な内容紹介がなされていた。その紹介は当時の『ユリシイズ』の日本における翻訳と出版の位相、また読者の受容の地平を告げていると思われるので、省略せずに引いてみる。
二十世紀のイリュージョン

 古今東西の殆んどあらゆる文明を自家薬籠中のものとし、テクニクとして新たにフロイドの無意識心理学の暗示によつて、人間内部の機構を描くに最も最適なる「意識の流れ」と名づけられた真にダイナミツクにして流動的なる一のスタイルを創造した。この故に、それはこれ以前の凡ての文学の痛烈なる批判であり一大集成であると共に、これ以後の文学の発足地あるところの一大宝庫である。今「ユリシイズ」を見るに、新聞社、産科病院、博物館、飲食店、墓場、漁港、魔窟、ステイブン等の住む荒涼たるマアテロ・タワア、ブルウム氏の家庭、風呂屋、ダブリン市民の行列、街の喧嘩、真に下水溝の石の数さへものがさぬ程の微細さで描き出されてゐるこの都市の生活の一大縮図。
 今やこれを読まずして新しき文学を語ることの不可能な所以である。殊に訳者たちの全く打算的観念を離れた真実に対する憧憬の不撓不屈な努力と涙ぐましきまでに美しい共同精神との賜物は此の難解と称された大文学を斯くまでに読み心地よき名訳として徹頭徹尾読者を熱情的興奮に導いて行く事は出版社の最も驚喜する所、之に拠つて本年出版界掉尾の美を飾らうを思ふのである。

 おそらくこの宣伝文は第一書房の長谷川巳之吉によって書かれたものであろう。ここには翻訳出版史から見られた『ユリシイズ』の位置づけが、「フロイドの無意識心理学の暗示」から「意識の流れ」という「テクニク」の導入によって、「新しき文学」が生まれたとの構図で示されている。具体的にいえば、『近代出版史探索』82で言及した『フロイド精神分析学全集』(春陽堂)、『フロイト精神分析大系』(アルス)は両者とも昭和四年末から刊行され始めていて、伊藤整が愛読者であったことからわかるように、「新しき文学」は「フロイドの無意識心理学」と結びつけられ、それが伊藤の処女評論集『新心理主義文学』へと結実したと思われる。同書は春山行夫を編輯者とする厚生閣書店の「現代の芸術と批判叢書」21として、昭和七年に刊行されている。
近代出版史探索

 それゆえに『ユリシイズ』前編、『新心理主義文学』、『ユリシイズ』後編の翻訳と昭和九年の出版は、まぎれもなくリンクしていたことになる。だが、後編はただちに発禁処分となったために、訳者たちはジョイスへの印税支払いもあって、「全く打算的観念を離れた真実」にぶつかってしまい、実質的に翻訳料を得られなかったようだ。

 それらの第一書房案『ユリシイズ』をめぐる物語は、和田の前掲書や川口喬一の『昭和初年の「ユリシーズ」』(みすず書房)などに描かれているが、ここでは「訳者の序」にある翻訳の原書「巴里シエクスピイア書房版の英文テキスト」と、参照した「現著者の校閲を経たる仏訳」にふれておきたい。それは川口の著作を労作と認めることにやぶさかではないにしても、翻訳の原書に対して、「英語圏ならぬパリで、貸本屋あがりの個人書店の蛮勇でようやく出版に漕ぎつける」と川口が書いていることに、研究者特有の思い上がりと「蛮勇」を感じてしまうからだ。
昭和初年の「ユリシーズ」

 川口は『ユリシーズ』の出版前史として、それを連載したリトルマガジン『リトル・レビュー』と『エゴイスト』にふれ、これらのジョイスに関係する「いくつかのリトル・マガジンがもしなかったならば、現代文学がかなり違った様相を呈していたことであろうことはまず間違いない」との認識を前提とし、同書を始めているといっていい。

 ジョイスは様々なリトルマガジンの仕掛人エズラ・パウンドを通じて、ハリエット・ウィヴァーの主宰する『エゴイスト』に『若い芸術家の肖像』を連載し、彼女がすべての経費を負担し、この小説を一九一四年に出版した。しかしこの出版と『ユリシーズ』の連載により、『エゴイスト』は廃刊に追いこまれ、そのために『ユリシーズ』は海を越えて、アメリカの『リトル・レビュー』へと連載が移った。だが猥褻のかどで四回も押収され、編集発行人のマーガレット・アンダーソンとジェーン・ヒープは財政的に破綻し、こちらも廃刊になってしまった。

 これらのリトルマガジンとジョイスの『若い芸術家の肖像』や『ユリシーズ』の関係を見ても、三人の女性が彼に対して、大いなる「妹の力」を発揮していたことがわかるだろう。それらのジョイスをめぐる女性たちに『ユリシーズ』を出版することになるシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店のシルヴィア・ビーチ、その仏訳を刊行する本の友書店のアドリエンヌ・モニエがさらに加わることになる。

 このようにジョイスと出版と女性たちのトライアングルによって、『ユリシーズ』は連載され、刊行されるに至ったのだ。一九二二年二月初版千部が送り出された。そのような部数であったにもかかわらず、この出版によって、ジョイスは新しいヨーロッパ文学のスターとしての名声を確立した。そして『ユリシーズ』は重版を繰り返すほどよく売れて、英語の書物を扱ったことのないフランスの書店までが直接仕入れにきた。また注文はヨーロッパだけでなく、インド、中国、日本、東南アジアのイギリス植民地、アフリカからも舞いこんできた。読者の伊藤整たちはどのようなルートでそれを入手したのだろうか。

 そこまでこぎつけるためにはシルヴィアとアドリエンヌの無償の様々な贈与とボランティアの賜物が不可欠だった。パリのオデオン通りに位置するシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店と本の友書店はカレイドスコープのように多彩な人物たちが登場し、特異な現代文学史の軌跡を残し、文学と書店の関係が最も輝いていた時代を映し出し、多くのリトルマガジンと小出版社を誕生させ、現代文学の源泉のような役割を果たしたのである。

 だからこそ「貸本屋あがりの個人書店の蛮勇でようやく出版に漕ぎつける」などという叙述は、そのような文学と出版と書店の物語を否定し、裏切っていることになるのだ。シルヴィアとアドリエンヌの関係と二人の書店が果たした役割、『ユリシーズ』出版に至る経緯、出版後の事情などに関して言及できなかったので、ぜひ、シルヴィアの『シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店』(中山未喜訳)、アドリエンヌの『ヨーロッパ本と書店の物語』(岩崎力訳、いずれも河出書房新社)を読んでほしいと思う。あるいは拙稿「オデオン通りの『本の友書店』」「シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店」(いずれも『ヨーロッパ本と書店の物語』所収、平凡社新書)も参照頂ければ、さらに有難い。

シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店 オデオン通り ヨーロッパ本と書店の物語


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