出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話931 北村寿夫『笛吹童子』と宝文館「ラジオ少年少女名作選」

 フランス社会学などの話が続いてしまったので、ここで箸休めの一編を挿入しておきたい。それは前回宝文館にふれたことに加え、浜松の典昭堂で、戦後に宝文館から刊行された北村寿夫『笛吹童子』全三巻を入手したことによっている。

 これは昭和二十九年に刊行された宝文館の「ラジオ少年少女名作選」のうちの一作で、その巻末広告には『笛吹童子』の他に、同じく北村『白鳥の騎士』、青木茂原作・筒井敬介脚色『三太物語』、菊田一夫『鐘の鳴る丘』『さくらんぼ大将』が並んでいる。

 私は昭和二十六年生まれなので、これらのラジオ放送をリアルタイムで経験していないけれど、『笛吹童子』の巻頭に置かれた主題歌の「ヒャラリ ヒャラリコ ヒャラリ ヒャラリコ だれが吹くのか 不思議な笛だ」と始まるメロディと歌詞は記憶にある。これは北村作詞、福田蘭堂作曲である。そのことを考えるために、その時代に戻ってみる。

 私たち戦後世代にとって、テレビが家で見られるようになったのは昭和三十年代半ばを過ぎてからで、それまではラジオを聞いていたのである。ちなみに当時はテレビ、冷蔵庫、洗濯機などの電化製品はまだ普及しておらず、それはガスや水道にしても同様だった。自動車に関してはいうまでもないだろう。昭和三十一年の『経済白書』は「もはや戦後ではない」と宣言していたが、現実の日常的生活はまだ戦前と地続きで、そのようなものだった。それゆえに現在からは想像もつかないほど、メディアとしてのラジオは大きな役割を占めていた。

 日本放送協会編『放送五十年史』(昭和五十二年)は昭和二十二年から二十五年まで、ほぼ週五日、十五分連続放送された菊田の『鐘の鳴る丘』が戦災浮浪児救済をテーマとしていたこともあって、ラジオを通じての新しいドラマを提供し、そうした物語が戦後の日常生活に組み入れられていったと指摘している。

 つまり先述した「ラジオ少年少女名作選」シリーズはその書籍化であり、前回ふれたように宝文館は戦前から放送物を手がけていたので、やはり一世を風靡した菊田の『君の名は』とともに、これらの出版権を得たことになろう。北村の場合、「NHK放送新諸国物語」として、『白鳥の騎士』や『紅孔雀』まで含まれているので、『紅孔雀』も宝文館から「ラジオ少年少女名作選」シリーズとして刊行されたはずで、放送劇台本の小説化を代表するものとされる。そしてこの北村の「新諸国物語」三部作が東映で映画化されたことによって、ラジオでは聞いていなかったけれども、『笛吹童子』を観ることを通じ、主題歌のメロディと歌詞を覚えたのかもしれない。ただそれらの細切れの記憶は残っていないが、映画『紅孔雀』は数部仕立てだったことは確かだ。
笛吹童子 紅孔雀

 そうしたビジュアルアーカイブとしての平凡社の『子どもの昭和史 昭和二十年―三十五年』(「別冊太陽」)には、北村の三部作の書影や東映映画『紅孔雀』のポスターも収録され、私たちがふれてきた戦後の文化のクロニクルを形成している。また日本児童文学学会編『児童文学事典』(東京書籍)の北村の立項によれば、「『新諸国物語』は連続放送劇としてヒットし、主題歌の『笛吹童子』のメロディとともに一〇年間にわたって茶の間の人気を博した」とある。ということは映画だけでなく、長きにわたって『笛吹童子』の歌が様々に流れていたことになるのだろうか。

子どもの昭和史 昭和二十年―三十五年 児童文学事典

 しかし当然のことながら、『笛吹童子』のほうはまったく思い出せず、宝文館版で初めて読んでいくと、この物語が室町時代、しかも応仁の乱が背景となっているのである。その社会状況は次のようなものだ。

 花の都はやけ野と化し、天下また麻のごとくみだれ、野盗は横行し、人は家を失い、世の秩序はうしなわれてしまった。強い者は斬りとり強盗勝手しだい、いやはやお話にもならない暗黒時代である。
 がんらいが、応仁の乱というのは、足利幕府の権臣、執事職の細川家と侍所の大将である山名氏との勢力あらそいから起ったもので、この大乱は前後十数年もつづいた。そのために天下の大名もそれぞれの勢力にわかれて、いたるところ平和の里なく、ために世はかりごもと乱れ切ったのだ。

 まさに意外な時代設定であり、近年のベストセラー『応仁の乱』(中公新書)の呉座勇一にしても、この時代小説でもある『笛吹童子』が応仁の乱を背景としていることを知らないだろう。だがそれは応仁の乱を浮かび上がらせるというよりも、敗戦と占領下の戦後社会のメタファーを意味しているのかもしれない。
 応仁の乱

 それはともかく、応仁の乱における丹羽の満月城は一団の野武士によって包囲され、襲撃を受けていた。城主の丹羽は幕府に助けを求めたが、何の支援もなく、城を屈服せずに守っていたが、老臣の上月右門とその息子の左源太を始めとする籠城の将士たちは食にも窮するところまで追いこまれていた。そうした中で、右門が姿を消し、左源太も父を探すために城を出て、援兵を頼むために丹後の三本松城へと向かう。すると吹雪の中で、何者かに襲われ、格闘となるが、それは思いがけずに父だった。父は城主の密命を受け、城を脱け出していたのである。父と別れ、左源太は三本松城に向かうが、そこはすでに野武士の手に落ち、それは満月城も同様の運命にあった。

 そして『笛吹童子』のタイトルの由来が明かされる。丹羽城主には双生児の萩丸、菊丸という息子があり、貿易船を有し、明国や朝鮮との交易を行なっていたことから、萩丸は貿易船の宰領として海外に、菊丸は明国で面作りを学んでいた。菊丸は小さい頃から笛がうまく、師から名笛をもらい受け、笛吹童子と呼ばれるようになっていた。そしてここから実質的に『笛吹童子』の物語が始まっていくことになる。

 このイントロダクションは昭和三十四年から始まる白土三平の『忍者武芸帳』を彷彿とさせるし、また角田喜久雄、柴田錬三郎などの伝奇時代小説のイメージと重なってくる。おそらくこのような物語コードはラジオを通じ放送劇として広く伝播し、それから映画、貸本マンガ、紙芝居などだけでなく、テレビドラマへとも継承されていったのではないだろうか。

忍者武芸帳  


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出版状況クロニクル135(2019年7月1日~7月31日)

 19年6月の書籍雑誌推定販売金額は902億円で、前年比12.3%減。
 書籍は447億円で、同15.5%減。
 雑誌は454億円で、同8.9%減。その内訳は月刊誌が374億円で、同8.0%減、週刊誌は80億円で、同12.9%減。
 返品率は書籍が43.4%、雑誌は44.7%で、月刊誌は44.8%、週刊誌は44.4%。
 5月に続いて、6月も大幅なマイナスで、2ヵ月連続の最悪の出版流通販売市場となっていることが歴然である。
 まさに7月からの出版状況はどうなっていくのだろうか。



1.出版科学研究所による19年上半期の出版物推定販売金額を示す。
 まず最初に出版科学研究所による1~5月期のデータに誤りがあり、書籍雑誌推定金額と雑誌推定販売金額が修正されていることを断わっておく。
 2019年上半期の書籍雑誌推定販売金額は6371億円で、前年比4.9%減。
 書籍は3626億円で、同4.8%減。
 雑誌は2745億円で、同5.1%減。その内訳は月刊誌が2241億円で、同4.3%減。週刊誌は504億円で、同8.4%減。
 返品率は書籍34.9%、雑誌が44.2%で、月刊誌は44.7%、週刊誌は41.9%。


■2019年上半期 推定販売金額
推定総販売金額書籍雑誌
(百万円)前年比(%)(百万円)前年比(%)(百万円)前年比(%)
2019年
1〜6月計
637,083▲4.9362,583▲4.8274,500▲5.1
1月87,120▲6.349,269▲4.837,850▲8.2
2月121,133▲3.273,772▲4.647,360▲0.9
3月152,170▲6.495,583▲6.056,587▲7.0
4月110,7948.860,32012.150,4745.1
5月75,576▲10.738,843▲10.336,733▲11.1
6月90,290▲12.344,795▲15.545,495▲8.9

 上半期トータルで見ると、書籍雑誌のマイナス幅は少し改善されているように見える。だがこれはひとえに5月連休前の大幅な送品の増加に伴う、4月の8.8%増というデータによって支えられているからだ。
 これから問題なのは5、6月のような最悪の出版流通販売市場が続いていけば、書店市場そのものが恒常的な赤字に陥ってしまうであろう。
 一部ではそれが続けてふれる2、3、4のように現実化し、徐々に全体へと波及していく。それは19年下半期にさらに加速していくであろう。



2.文教堂GHDと子会社の文教堂は6月28日、事業再生実務家協会に「産業競争力強化法に基づく特定認証紛争解決手続」(事業再生ADR手続き)を申請し、受理された。
 それに伴い、2社と事業再生実務家協会は金融機関に、借入金元本の返済などの「一時停止の通知書」を送付した。
 7月12日に「事業再生ADR手続き」に基づく第1回債権者会議が開かれ、出席金融機関のすべてが2社の借入金元本返済の「一時停止」に同意した。
 この「一時停止」の期間は9月27日の事業再生計画案を決議する債権者会議終了時までで、今後はすべての金融機関と協議しながら、事業再生計画案を策定し、その成立をめざす。

 文教堂GHDの債務超過や大量閉店、上場廃止問題に関して、本クロニクル129や132などでずっとトレースしてきたが、ついにこのような事態となった。「事業再生ADR手続き」とは会社更生法や民事再生などの法的手続きによらず、債権者と債務者の合意に基づき、債務を猶予、または減免するための手続きとされる。
 結局のところ、8月までの債務超過解消は困難で、上場廃止も避けられないことから、「事業再生ADR手続き」がとられたと判断できよう。
 それに対して、金融機関は借入金元本返済の「一時停止」に同意し、日販も「これまで通りの取引を行い、営業面で支援していく」ということだが、書店市場が最悪の中で、本業の回復は不可能に近い。そのような状況において、上場書店、大手取次、金融機関のトライアングルはどのような展開を示していくのであろうか。
 なお6月の文教堂閉店は6店である。
odamitsuo.hatenablog.com
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3.『FACTA』(8月号)が「粉飾歴40年『フタバ図書』に溜まった膿」という記事を発信している。それを要約してみる。

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* フタバ図書は1913年創業で、広島県を中心に60店舗移譲を展開する大型書店であり、年商は373億円。
* 発端は6月初旬のシステム障害で、商品の入荷が遅れ、予約や注文ができない異例の事態に陥り、混乱を招いた。それと同時に5月末の取引先への支払いも遅延していたことが判明し、「単なるシステム障害」ではないとの不安が広がった。
* 緊急招集したバンクミーティングで、「40年前から粉飾決算をおこなってきた」と告白し、取次の日販の支援と銀行団からの返済の一時棚上げは認められたが、経営再建できるのかは未知数。
* 昨年10月、世良與志雄社長が急死し、財務などの経営管理担当の実弟世良茂雄専務が後継したが、すぐに手をつけたのが資金調達で、既存借入金だけで100億円を超えているにもかかわらず、60億円という巨額だった。
* それによって、従来の決算内容に疑惑が生じ始めた。表面上は毎期10億円規模の営業利益を出していたが、在庫が100億円強と多すぎるので、利益率も不自然に高かった。
* そのことに対して、フタバ図書は飲食店、コンビニ、コインランドリー、VRゲームとカフェバーの複合店、24時間営業のジム「ハイパーフィット24」のFC店などの多角経営による高収益と説明してきた。だが今回のシステム障害で、長年の不足会計が露呈してしまった。
*今後、数ヵ月かけて、専門家によるデューデリジェンスが行われるが、20億から30億の簿外債務が指摘され、在庫などの資産評価の洗い直しが必至である。  


 本クロニクル128で、同じく広島の老舗書店広文館の破綻とトーハン主導の第二会社設立を伝えたが、フタバ図書と日販はどのような道筋をたどることになるのか。
 前回のクロニクルで、フタバ図書TERAワンダーシティ店1100坪の閉店を伝えているが、それは象徴的な始まりに他ならず、いずれにしてもリストラと大量閉店は避けられないだろう。
odamitsuo.hatenablog.com



4.札幌市のなにわ書房が破産申請。
 なにわ書房は1954年設立で、ピーク時の2000年には売上高13億円を計上していたが、それ以後は販売不振が続き、17年には大垣書店とFC契約を締結していた。
 しかし売上高は18年には4億8000万円となり、業績回復は困難で、今回の処置となった。負債は2億9000万円。

 なにわ書房といえば、かつてはリーブルなにわというよく知られた店を有していたけれど、今世紀に入ってからは出店と閉店の繰り返しの中で、後退を続けていたようだ。
 6月の閉店状況を見ると、なにわ書房が4店あり、いずれも東光ストアや西友のテナントとしてで、おそらくそのようなトーハンとのコラボによって延命していたと思われる。それに相次ぐ閉店は自己破産とリンクしている。
 トーハンの代理のようなかたちで、大垣書店はなにわ書房のFC化、2でふれた広島の広文館の受け皿的役割を果たしているが、双方とも清算を迫られているのかもしれない。



5.『日経MJ』(7/10)の「第47回日本の専門店調査」が出された。
 そのうちの「書籍・文具売上ランキング」を示す。


■ 書籍・文具売上高ランキング
順位会社名売上高
(百万円)
伸び率
(%)
経常利益
(百万円)
店舗数
1カルチュア・コンビニエンス・クラブ
(TSUTAYA、蔦谷書店)
360,65730.419,651
2紀伊國屋書店103,144▲0.21,35670
3ブックオフコーポレーション80,7962,120795
4丸善ジュンク堂書店74,390▲2.2
5未来屋書店52,531▲6.3▲118272
6有隣堂51,7382.030345
7くまざわ書店41,9851.2241
8フタバ図書38,9854.41,07270
9ヴィレッジヴァンガード33,466▲3.5392358
10トップカルチャー(蔦屋書店、TSUTAYA)31,4823.6▲1,20178
11三省堂書店25,400▲0.435
12文教堂24,337▲9.6▲593162
13三洋堂書店20,300▲4.4▲7781
14精文館書店19,6640.348350
15リラィアブル(コーチャンフォー、リラブ)13,8630.447310
16キクヤ図書販売11,200▲3.536
17大垣書店10,4060.99737
18オー・エンターテイメント(WAY)10,391▲6.014261
19ブックエース9,783▲4.53230
20京王書籍販売(啓文堂書店)6,447▲2.56826
21戸田書店6,010▲6.2▲6430
ゲオホールディングス
(ゲオ、ジャンブルストア、セカンドストリート)
292,560▲2.217,6321,878

 この出版危機下にあって、ほとんどが前年マイナス、もしくは微増であるのに、CCCの売上高は3606億円、前年比30.4%増、それに加え196億円という1ケタちがう経常利益率は尋常ではない。経常利益はブックオフの約10倍、紀伊國屋の15倍に及んでいるのだ。
 しかもこの「書籍・文具」全体の売上高は前回調査よりも8.8%増と大きく伸び、それはCCCによるもので、徳間書店や主婦の友社の買収効果に加え、大型店も好調ゆえだとの調査コメントも付されている。
 それだけでなく、この売上高と経常利益は連結数字によるものとされるが、どのようにして出されたものなのか、Tポイント事業はともかく、物販、図書館事業などでは多くが赤字と見られるし、釈然としない。本クロニクル132で、TSUTAYAの書籍雑誌販売額は1330億円であることを既述しておいたけれど、それに2000億円以上が上乗せされている。
 前回の本クロニクルで、CCC= TSUTAYAとコラボしてきた日販の赤字やMPDの後退も見てきたし、CCCの売上高の10%近くを占める上場会社で、10位のトップカルチャーも赤字になっている。それに今回ので、フタバ図書の長年の粉飾決算、及び文教堂の「事業再生ADR」申請にもふれたばかりだ。
 またこれも本クロニクル130などで、文教堂以上にTSUTAYAの大量閉店が18年から続いていることにも言及してきたし、CCCの2011年からの連結決算の推移についても、『出版状況クロニクルⅤ』などでトレースしてきている。

 それらの推移をたどると、CCCは出版危機が進行するほど売上高や経常利益を伸ばしていることになる。売上高における連結決算のメカニズムは不明だが、経常利益に関しては、CCCがFCに対して銀行機能を代行することで、信じられないような利益率と増益を可能にしているのではないだろうか。
 これを具体的に説明すると、CCCのフランチャイズ店は100%支払を原則とし、中取次としてのCCCはそれをベースとして日販とMPDにも100%支払を実行することによって、コラボしてきた。ところがFCの大量閉店に加え、売上の低迷もあり、100%支払が困難となり、そのショート分の金額をCCC本部が銀行金利よりも上乗せするかたちで、FCに貸付金とする。それゆえに、CCCのFCに対する貸付金の増加に伴い、利益も上昇していくことになる。FCの大量閉店はそれ自体で清算を意味していないし、未払い金が積み重ねられていくメカニズムを有しているからでもある。
 もちろんこれは日販やMPDにもダイレクトにリンクしていく取次と出版金融の危ういメカニズムに他ならないが、その資金調達が臨界点を迎えるまでは続いていくだろう。
出版状況クロニクル5
odamitsuo.hatenablog.com



6.『世界』(8月号)が特集「出版の未来構想」を組んでいる。そのリードは次のようなものだ。
 「第一に、このような破滅的な市場縮小は世界各国で同時進行していることなのか。もしそれでなければ、なぜ日本でこうなのだ。第二に、この傾向を反転させる道筋はありうるのか。」
 そしてこの特集は出版ニュース社の清田義昭「出版はどこから議論すればいいのか」から始まり、新文化通信社の星野渉「崩壊と再生の出版産業」で終わっている。


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 出版危機がまさに臨界点を迎えている現在において、これほど不毛な特集「出版の未来構想」が組まれたことに唖然とするしかない。
 そのリードにしても、これらは本クロニクルが10年以上にわたってレポートし、詳細に記録してきたもので、何を今さらというしかない。それに所謂「出版に詳しい」業界誌の二人の公式見解の表明を掲載すること自体が、『世界』の認識を疑わしめている。
 もし本気でこのような特集を組むとすれば、この10年間における『世界』の実売部数の推移、それから岩波新書+岩波文庫の動向も含め、岩波書店の出版物全体の現在をまず提示すべきであろう。そして自らの言葉で、「このような破滅的な市場縮小」を「反転させる道筋」を語り、岩波書店の高正味と買切制の行方も含め、「出版の未来構想」を具体的に提案しなければならない。
 しかしこの期に及んでも、岩波書店にそのような現在的認識すらもないことを、この『世界』の特集は図らずも明らかにしてしまったことになろう。



7.『自遊人』(8月号)がやはり「『本』の未来』」特集を組んでいる。

自遊人

 これもまたリードにあるように、駅前書店の消滅に象徴される出版不況の中にあって、「本の未来」を信じ、期待するという意図によって編まれた特集といっていいだろう。
 そのメインとなっているのは「箱根本箱」の開業物語であり、そのプロジェクトに携わった、他ならぬ『自遊人』編集長と日販の「担当者」が自らプロパガンダすることを目的としている印象を否めない。
 それに続く他の「本の未来」物語にしても、様々な本に関するコンサルタントたちが勢揃いしてのパフォーマンスと見なせよう。 
 このような特集を見ると、『出版状況クロニクルⅣ』で繰り返し批判しておいた丸善の小城武彦と松岡正剛の松丸本舗プロジェクトを想起せざるをえない。これは書店の実情に通じていない二人が「本の未来」に挑んだことになるけれど、失敗に終わったプロジェクトである。それなのに「奇蹟の本屋、3年間の挑戦」と銘打たれ、『松丸本舗主義』(青幻舎)として、あたかも成功したプロジェクトであるかのように喧伝されたことになる。
 その延長線上に、様々な「本の未来」にまつわるプロジェクトと言説が横行するようになったことはいうまでもあるまい。 
 それから取次が試みている不動産プロジェクトのひとつとして、「箱根本箱」は位置づけられよう。だが最も有効な不動産活用は、できるだけ高価で売却することに尽きる。実例は挙げないけれど、そのようにして多くの出版社がかろうじてサバイバルしてきた事実を認識すべきだろう。
出版状況クロニクル4 松丸本舗主義



8.久間十義『限界病院』(新潮社)を読んだ。

限界病院

 これはタイトルに示されているように、北海道の財政危機と人材難に見舞われ、民営化を迫られる市立病院を舞台とする小説にほかならない。
 それゆえに、本クロニクル133でふれたPFI(Private Finance Initiative)や指定管理業者制度が生み出した「行政市場」の中で翻弄される病院と医師の姿を描いて、出色の小説として読める。
 そのような『限界病院』を読みながら想起されたのは、公立図書館の現在の姿であり、やはりこの小説と重なるような「限界図書館」的状況が全国至るところで生じているにちがいない。
 残念ながら「限界図書館」的小説は書かれていないので、『限界病院』を読むことを通じて、それらを想像するしかない。
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9.安田理央『日本エロ本全史』(太田出版)が出された。
 1946年から2018年までの創刊号100冊をカラー図版で紹介し、その帯には「とうとうエロ本の歴史は終わってしまった」とある。


日本エロ本全史

 その面白さをどう伝えればいいのかと考えていたが、著者が中学生の頃からエロ本を買って衝撃を受け、「自分もいつかはエロ本の編集者になりたい」と思うようになり、実際になってしまったという事実に尽きるだろう。
 実は私も中学生の頃から「売れない物書きになりたい」と思い、本当にそうなってしまった。おかしいことは人後に落ちないけれど、まさかエロ本の編集者になりたいと思っていた中学生がいたとは!
 ただ残念なのは、私がインタビューした飯田豊一『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』(「出版人に聞く」シリーズ12)が参考文献として挙がっていないことだ。
 だがそれはともかく、資料的にも優れ、楽しい一冊なので、全国の公共図書館3300館にも必備本として推奨したいが、リクエストしても無理かもしれない。
『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』



10.レオナルド・パデゥーラ『犬を愛した男』(寺尾隆吉訳、水声社)を読了。

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 このキューバ人作家の小説を読むのは初めてだったが、19年上半期ベスト1に挙げたいと思う。670ページに及ぶ長編『犬を愛した男』は、1940年のトロツキー暗殺者が生涯の最後の数年を犬とともにキューバで過ごしたことに触発され、ロシア革命とスターリン体制、スペイン内戦を横断し、暗殺者と犠牲者の生涯が追跡され、小説的物語へと昇華していく。
 ロシア革命やスペイン内戦の翻訳編集に携わっていたこともあり、久し振りにフィクションへの堪能感を味わい、ラテンアメリカ文学の健在さを確認した次第だ。またやはりトロツキー暗殺をテーマとするジョセフ・ロージー監督、アラン・ドロン、リチャード・バートン主演の『暗殺者のメロディ』(1972年)を思い出したりもした。
 この『犬を愛した男』は水声社の「フィクションのエル・ドラード」の一冊でもあるので、この叢書のすべてを読むことにしよう。

 この読了に味をしめ、次のマーロン・ジェイムズの大長編『七つの殺人に関する簡潔な記録』(旦敬介訳、早川書房)にも挑んだのだが、『犬を愛した男』ほどには乗り切れなかった。それでもこの小説のテーマであるボブ・マーレイ殺人未遂事件から、1980年代に読んだコミックの一シーンが浮かび上がってきた。
 それは『出版状況クロニクルⅣ』などで二人の死を追悼してきた狩撫麻礼作、谷口ジロー画『LIVE ! オデッセイ』(双葉社)である。アメリカからかえってきたオデッセイは誰も聴いていないビアガーデンでバンド活動を再開しようとしていう。
「奴らをこっちに向けてみせる。フルボリュームで “ I SHOT THE SHERIFF ” だ。あの世のボブ・マーレイに捧げる」と。そして10ページにわたって描かれる演奏シーンはあたかもレゲエを描いているようで、二人の作品のコラボの秀逸さを見事に伝えるものだった。
 この調子でと、さらにウィリアム・ギャディスのこれも大長編『JR』(木原善彦訳、国書刊行会)も読み出したのだが、まだ読了していない。


暗殺者のメロディ 七つの殺人に関する簡潔な記録 LIVE! オデッセイ JR



11.拙著『古本屋散策』はまったく書評も紹介も出ないので、おそらく「忖度」により、『日本古書通信』(8月号)に樽見編集長との3ページ対談が掲載されます。
古本屋散策

 またこれは18年10月のシンポジウムの記録ですが、好評ということで、最近になって「CINRA.NET「郊外」から日本を考える 磯部涼×小田光雄が語る崩壊と転換の兆し」がネットにアップされました。若い人たちの試みなので、アクセスして頂ければ幸いです。

 なお今月の論創社HP「本を読む」㊷は「紀田順一郎、平井呈一、岡松和夫『断弦』」です。

古本夜話930 デュルケム『自殺論』と宝文館

 デュルケムの『自殺論』はかつて中央公論社の『デュルケーム・ジンメル』(『世界の名著』47)に抄訳が収録されているが、昭和六十年になって、同じ訳者の宮島喬によって新たに全訳が中公文庫として刊行され、宮島自身の論稿『デュルケム 自殺論』(有斐閣新書)が書かれている。

 f:id:OdaMitsuo:20190618114445j:plain:h115(『デュルケーム・ジンメル』) 自殺論 (中公文庫)デュルケム 自殺論

 これらによって、本連載928の『宗教生活の原初形態』、同929の『社会学的方法の規準』よりも明確にフランス十九世紀末における新しい学としての社会学の誕生の息吹きを感じることができる。具体的な要因をたどり、社会のアノミーなどに基づく自殺分析を通じて、その向こう側に提起される同業組合と職業分権化による共同生活の回復は、現在でもそのインパクトを失っていないようにも思える。
宗教生活の原初形態 f:id:OdaMitsuo:20190617222817j:plain:h120(創元社)

 だがこの『自殺論』は戦前にも全訳が出され、作田啓一の『デュルケーム』において、入手し難い稀覯本とあったが、このほど幸いにして見つけたので、それをここで取り上げておきたい。これはやはり『自殺論』として、昭和七年に鈴木宗忠、飛澤謙一共訳で、宝文館から刊行されている。入手した一冊は裸本だけれど、菊判五一四ページの上製本で、おそらく函入だったと推測される。

デュルケーム (『人類の知的遺産』57、講談社)

 鈴木宗忠は訳者序文「デュルケム『自殺論』の翻訳に就いて」で、自分は社会学専攻ではないが、多大の興味を有し、東北帝国大学において、大正十四年から昭和四年まで社会学講座を担当し、その間にデュルケムの社会学を演習題目に選び、それが『自殺論』翻訳の遠因になったと述べている。その演習に参加したのが飛澤で、読書会で『自殺論』を紹介し、さらにその詳細に及び、これが『自殺論』共訳の直接の原因となったとされる。そして飛澤が下訳、鈴木がそれを原文と対照して訂正し、共訳定稿が成立した。
 また飛澤も同じく「デュルケム『自殺論』の梗概」を寄せ、同書の簡略なスケッチを示すと同時に、デュルケムの研究モチーフは当時のヨーロッパ社会における自殺の異常な増加によるとする。そしてデュルケムが「個人と国家の中間的集団である職業団体の再興が、集団の健全な統制を回復して、利己的自殺を緩和する上にも、又無統制的自殺を減少する上にも、唯一の有効な方法」だと結論づけていることにも言及している。それに「職業団体に、昔の公権と、家族団体の有した特徴」が備えられなければならないことも。ここで挙げられている「職業団体」が宮島訳の「同業組合」、「無統制的自殺」が同じく「アノミー的自殺」をさしているのはいうまでもあるまい。

 そして次に「原著者序文」が続き、「最近社会学が流行して来た。この語は、十年程前には余り知られてゐなかつた。(中略)が、その使命は、段々重大視されるやうになり、謂はばこの新しい科学に有利な臆測といつたものが、世人の間に、存在するやうになつた」という社会学の成立が謳われたことになる。この鈴木と飛澤のプロフィルは明確ではないけれど、ともに「仙台にて」とあるように、『自殺論』の最初の全訳は東北の地から送り出されたことになる。

 それならば、その版元の宝文館のポジションにもふれておくべきだろう。奥付発行者の大葉久吉は『出版文化人物事典』に次のように立項されている。
出版文化人物事典

 [大葉久吉 おおば・きゅうきち]一八七三~一九三三(明治六~昭和八)宝文館創業者。岐阜県生れ。一九〇一年(明治三四)大阪宝文館東京出版所を譲り受けて独立、中等教科書・書籍を出版、二二年(大正一一)月刊『令女界』を創刊、一時期非常な人気を博した。同誌は戦時中休刊、戦後復刊したが、五〇年(昭和二五)九月休刊。一九三三年(昭和八)NHKのラジオ家庭大学講座の番組で大島正徳の哲学に関する話を聞き『哲学の話』にまとめたのが、放送ものの出版の先駆けともいわれる。二代目社長大葉久治(明治四一~七昭和四三)が戦後五二年(昭和二七)、ラジオ放送の菊田一夫作『君の名は』を出版、大成功を収めたこともその縁につながるものであろう。

 奇しくもここには大葉久吉のみならず、その後の宝文館の戦後の『君の名は』のベストセラー化まで語られていることになる。
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 ちなみに『自殺論』刊行時の宝文館は中等教科書・辞書から始めて、巻末の大学教授の著作出版に見られるように、大学関係の出版にも進出していたと思われる。そこには東北帝大教授の山田孝雄著『国民道徳原論』もあり、ひょっとすると山田を通じて、『自殺論』は宝文館から出されることになったのかもしれない。これも奥付に示されているように関西専売として、大阪宝文館も挙げられていることからすれば、双方が学術書に関しては共同出版のかたちを取っていたとも考えられる。だが、『自殺論』刊行の翌年に大葉久吉は亡くなっているので、その後二代目大葉久治は『令女界』や放送ものへと出版物をシフトさせ、それが戦後の『君の名は』とリンクして行ったとも推測できる。
 それにしてもデュルケム『自殺論』と菊田一夫『君の名は』の結びつきは意外であったと記しておくしかない。
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古本夜話929 デュルケム『社会学的方法の規準』と田辺寿利

 前回デュルケムの『宗教生活の原初形態』の他にも、戦前には彼の著作が翻訳されていたことを既述したが、それらは田辺寿利『社会学研究法』(刀江書院、昭和三年)、鈴木宗忠、飛沢謙一訳『自殺論』(宝文館、昭和七年)である。 
宗教生活の原初形態

 前者の初版は未見だけれど、昭和十七年に『社会学的方法の規準』と本来のタイトルに解題され、創元社の「哲学叢書」の一冊として刊行に至っている。私が所持するのはその昭和二十二年版で、戦後のこの時代特有の並製の粗悪な用紙による一冊だけだが、「訳者前がき」は初版をそのまま継承し、昭和に入っての日本におけるデュルケムとその学派の受容状況を伝え、興味深いので、それを引いてみる。
f:id:OdaMitsuo:20190617222817j:plain:h120(創元社)

 昭和二年(一九二七年)十一月十六日、私の関係してゐる「フランス学会」と「東京社会学研究会」との共同開催のもとに、デュルケムの没後十週(ママ)年祭を行つたそして講演者として、コレージュ・ド・フランス教授で当時東京日仏会館フランス学長であつたシルワ゛ン・レヰ゛氏、宇野円空氏、赤松秀景氏、及び私の四人が、デュルケムの学的活動の諸部面を明らかにした。なほこの集りには、デュルケムの高弟の一人で当時外務省の法律顧問として来朝中のジャン・レイ博士も出席され、集会者も非常に多数で、仲々の盛会であつた。
  十五年を経過した今日から、この十週(ママ)年祭の光景を回想すると、まことに感無量である。その夜レヰ゛博士は、デュルケムの盟友として、デュルケム及びデュルケムの協力者たちについて感激をもつて語られたが、世界の誇りであつたこのサンスクリット学者も、今はこの世の人でない。また赤松氏は、デュルケムの教育学的業績について熱心に述べられたが、氏もまた春秋に富む身をもつて、数年前故人となられた。すなわち今回の私にとつては、デュルケムの十年祭は、レヰ゛博士と赤松氏とを回想するための十年祭でもある。

 田辺訳『社会学的方法の規準』は絶版となって久しいし、これらのデュルケム十年祭にまつわる事柄も、ここでしか述べられていないと思われるので、省略をほどこさず、長い引用になってしまった。田辺にとっても、この十年祭をきっかけとして、『社会分業論』の翻訳にかかっていたが、それを中断し、『社会学的方法の規準』の翻訳に着手し、「何と難解な『規準』よ」と嘆息しながらも、翌年に『社会学研究法』のタイトルで公刊に及んだのである。

 しかしこのデュルケム十年祭とその学派の聖典『社会学研究法』の翻訳刊行が、デュルケムの他の著作の翻訳へとリンクしていったのであろう。岩波文庫版『宗教生活の原初形態』の古野清人による「訳者序」には「田辺寿利氏の熱心な慫慂によって着手」と記されているし、『自殺論』にしても同じような文言が見つかるのではないだろうか。ただ『社会分業論』は田辺が翻訳予定だったので刊行されず、昭和三十七年に亡くなってしまったこともあり、昭和四十六年の田原音和訳『社会分業論』(『現代社会学大系』2、青木書店、ちくま学芸文庫を待たなければならなかった。それは宮島喬の新訳『自殺論』(『世界の名著』47所収、同四十三年)、同じく『社会学的方法の規準』(岩波文庫、同五十三年)にしても、田辺以後の戦後におけるデュルケム受容と紹介ということになろう。

社会分業論 (青木書店) 社会分業論 (ちくま学芸文庫) f:id:OdaMitsuo:20190618114445j:plain:h115(『自殺論』) 社会学的方法の規準 (岩波文庫)
 
 さてそのデュルケム研究の先達としての田辺だが、『[現代日本]朝日人物事典』には北海道生まれの社会学者で、デュルケムを中心とするフランス社会学の導入と研究に努め、大正十年東大社会学科選科中退、戦後は東洋大学、東北大学、金沢大学の各教授を歴任とある。しかし作田啓一の『デュルケーム』(『人類の知的遺産』57、講談社)にはその名前は見られず、もはや忘れられた社会学者とも考えられる。だが私はかつて拙稿「郷土会、地理学、社会学」(『古本探究Ⅲ』所収)において、田辺に言及している。それは柳田国男を幹事役とする郷土会から始まり、その会員に『人生地理学』(文会堂、明治三十六年)を著した牧口常三郎がいた。いうまでもなく、牧口は後の創価学会の創立者である。

[現代日本]朝日人物事典デュルケーム 古本探究3

 柳田は「新興宗教の開祖」となった牧口に「大変な興味」を寄せ、それはその周辺人物だった「北海道出身の社会学者田辺寿利という人」にも及んでいく。牧口の『人生地理学』は地理学をふまえた総合社会学ともいうべき著作で、彼は田辺のデュルケムの社会学と教育論を読み、その影響と教えを受け、『創価教育体系』(聖教新聞社、昭和五年)を集大成として観億する。その序文を書いたのは柳田だった。

人生地理学 (聖教新聞社)創価教育体系 (『創価教育体系』1)

 一方で田辺は、柳田が大正十四年に岡正雄と創刊した『民族』の編集同人の一人となり、先に引用した『社会学的方法の規準』の「訳者前がき」に見える「フランス学会」や「東京社会学研究会」に関係し、「社会学叢書」や「社会学研究叢書」などの翻訳や出版に携わっていたようだが、それらの詳細は判明していない。だが新しい学問が誕生する時、それに寄り添う出版社と編集者が必ず存在していたように、社会学に関しては田辺がその役割の一端を担っていたにちがいない。

 なお未来社から『田辺寿利著作集』全五巻が刊行されていることを付記しておこう。
田辺寿利著作集5


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古本夜話928 デュルケム『宗教生活の原初形態』

 本連載926のレヴィ・ブリュル『未開社会の思惟』がエミール・デュルケムの『宗教生活の原初形態』の影響下に書かれたこと、及び同922のマルセル・モースがデュルケムの甥であることはよく知られた事実であろう。
未開社会の思惟 (『未開社会の思惟』)

 デュルケムはドイツのウェーバーと並んで、フランスの社会学の創始者で、一八五八年にラビの子として生まれた。エコール・ノルマルに学び、八七年にボルドー大学でフランス初の社会学の教授として迎えられ、九八年に『社会学年報』を創刊する。そして一九〇二年にソルボンヌ大学に移り、人種主義、人種決定論などを批判する社会学の旗印の下に、モースを始めとするデュルケム学派の全盛となったが、第一次世界大戦におけるポアンカレ大統領の挙国体制への協力と息子の戦死による打撃の中で、一七年に心臓発作で死亡。主著は『社会分業論』『社会学的方法の規準』『自殺論』『宗教生活の原初形態』で、このうちの『社会分業論』を除く三冊は戦前に翻訳刊行されている。

社会分業論 (ちくま学芸文庫)社会学的方法の規準 (講談社学術文庫)自殺論 (中公文庫)

 ここで取り上げたい『宗教生活の原初形態』は、本連載910などの刀江書院から古野清人訳で昭和五年に上巻、八年に下巻が出され、十五年に岩波文庫化されている。刀江書院版は入手していないので、岩波文庫版によることを先に断っておく。このデュルケムの生前における最後の著作は一九一二年に発表され、彼の宗教社会学の集大成に位置づけられている。同書はオーストラリアの原住民のトーテミズムをめぐる研究であり、デュルケムはその最初のところで、「社会学の本質的な公準は、人類の制度は誤謬と欺瞞とに安住できないというにある」とし、「これらの原始宗教は現実に即しまた実有を表わしているとの確信」に基づくと述べ、そして続けている。
 
宗教生活の原初形態  宗教生活の原初形態 (岩波文庫版)

 もちろん法式に現れた文字だけを考えると、これらの宗教上の信仰や行事は時には蕪雑にも見えるので、これを一種の根強い錯誤に帰したがることがある。しかしわれわれは象徴のもとで、これが描き出しまたこれに真の意味を与えている実在に達しえなければならない。もっとも野蛮または無稽な儀礼も、最も奇異な神話も、人間の何かの欲求、個人的または社会的生活の何かの一面を表現しているのである。(中略)これを発見するのが科学の任務である。

 つまりここで宗教と社会学と科学の論理の間に深淵はなく、宗教はすぐれて社会的なもので、いうなれば、宗教が社会的現象というよりも、社会が宗教的現象として捉えられていることになる。そして原初的宗教の前提問題として、本連載906のタイラーやハーバート・スペンサーのアニミズム、同514などのマックス・ミューラーのナチュリズムという二つの体系が検討され、それらよりも基本的で原始的な礼拝に他ならないトーテムズムに向かう。その過程で、原初的な固有のトーテム的信念とそれらにまつわる信念の諸起源が問われ、さらにそこに見られる主要な儀礼としての礼拝などが分析されていく。

 これらをもう少し具体的に述べれば、デュルケムは宗教の本質的定義として、聖と俗の観念、及び教会という道徳的共同社会の存在を指摘し、この両者を具える未開宗教をトーテミズムに求める。トーテミズムとはオーストラリアの原住民が信じる宗教で、彼らはトーテムと呼ばれる動植物を崇拝し、これをその象徴とし、自分たちもこの動植物から生まれたと信じている。このようなトーテムと原住民が一体化する事実をたどり、デュルケムはそこにマナという力、非物質的で超自然的な感化力を見出すのである。

 そのマナの力は社会の力でもあり、集団生活が生み出した道徳的な力ともされる。それは宗教と社会がその機能において類似していることになり、すなわち社会も宗教的現象に他ならないことを提示している。トーテムを始めとするすべての宗教的対象は畏怖されると同時に信頼され、それは社会も同様で、宗教はすぐれて社会的な機能を有している。それゆえに宗教の祖型とその根源は社会にあり、神は社会から生まれたという推論へとリンクしていく。

 そしてデュルケムは「結論」において、第一次世界大戦前の国際状況をふまえてだろうが、オーストラリアだけでなく、宗教は通商や結婚によってインターナショナル化され、イニシエーションや儀礼を通じて神々が接近し、「特定の部族の彼方に、空間の彼方に赴く、インターナショナルな偉大な神々」が出現しつつあると述べている。それから『宗教生活の原初形態』は次のように結ばれている。

 すべての民族や国家は、他のあらゆる民族、国家を包みこむ多少とも限定されない他の社会と接触し、これと直接、間接に関連している。あらゆる国民生活は、インターナショナルな性質の集合生活に支配されているのである。歴史が進むに伴って、これらのインターナショナルな集団は、さらに、重要性と範囲とを増す。こうして、若干の場合、普遍主義的傾向が、どうして、宗教的体系の最高の観念だけでなく、この体系が依存している原則をそのものを感化するほどに発展するか、が瞥見されるのである。

 これはほぼ一世紀前の言説であるけれど、現在のグローバリゼーションを前にしてのものに置き換えられるだろう。「あらゆる国民生活は、インターナショナルな性質の集合生活に支配されている」という言は、そのまま現代状況へと通じていくからだ。そこにはインターナショナルなトーテミズムも出現しつつあるだろうし、あらためてデュルケムを読むことの重要性を示唆しているようにも思えてくる。


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