出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1040 戸川秋骨『自然・気まぐれ・紀行』、郊外社、薔薇閑『煙草礼讃』

 本連載1037の戸川秋骨の随筆集『文鳥』『近代出版史探索』99で取り上げているが、もう一冊手元にあって、それはまさに昭和六年に第一書房から刊行された『自然・気まぐれ・紀行』である。フランス装アンカット版で、「序のつもり」である「遜辞傲語」を含めると、ちょうど六十編、五八四ページからなる随筆集ということになる。そこで秋骨は書いている。
近代出版史探索   f:id:OdaMitsuo:20200608162927j:plain:h100(『自然・気まぐれ・紀行』)

 この幾年かの間、折のある度に書きすてたものを集めたら、こんな大量になつてしまつた。塵も積れば山と云つたわけであるが、質では行けないから量で行くといつたところで、塵の山では困る。塵芥会社にでも頼んで、処分して貰はなければならないところであるが、幸いにして第一書房の長谷川さんに拾はれて、恁うして一巻にまとめられた事は、何ぼう冥加もなき事であらう。筆者はこれでもエッセイの真似と心得て居るのであるから。

 エッセイストとしての秋骨の面目躍如たる「序のつもり」といえるし、そこで「エッセイの真似」と称しているのは、エッセイストの条件として、小説も詩も可でなければならないのに、自分にはそれらの能力がないとの断わりを付しているからだ。さらに謙遜して「長谷川さんの好意」で集められた「似而非文学」で、「世間に公にするのは、少し躊躇される」が、「校正をしながら、再び読んでみると、いや、さう棄てたものばかりでもないやうな気がした」とも書きつけている。なるほど、それで「遜辞傲語」とあるのかと了解することになる。何とも見事な「序のつもり」で、長谷川の造本や編集ぶりとコレスポンダンスしていることがうかがわれる。

 これらの中からどのエッセイにふれようかと迷ったのであるが、すでに秋骨の芸の一端は紹介してしまったので、メインではない「自分の郊外生活」に言及してみる。それはまた私が『郊外の果てへの旅/郊外社会論』などの著者で、昭和初期の郊外にも注視したいし、さらにまたその次代の郊外にまつわる雑誌や出版に関しても書いておきたいからだ。
郊外の果てへの旅

 秋骨は親父が江戸っ児だったが、「不肖の子」で、「結局都ともつかず、田舎ともつかぬ、郊外なる所に住むわけである。文化住宅、郊外生活、それはお麁末な、間に合わせといふ意である」とし、その「間に合わせは、当代の流行」だし、「自分もその流行に後れない一人である」と書いている。そして決まりきった都への電車通勤の苦痛、それに対して自然には恵まれていることで、「自分は郊外の生活なるものを呪つて良いか、祝して良いか、甚だ迷ふ」とも告白している。

 実は秋骨のいうところの郊外の流行は出版社の命名にも反映されていて、大正後期だと思われるが、郊外という出版社が創業している。浜松の時代舎で、その郊外社の一冊を入手したばかりで、それは大正十四年刊行の薔薇閑著『煙草礼賛』である。四六判上製、函入のシックな一冊といっていい。内容はタイトルどおり、煙草の歴史、喫煙の流行、煙草と天才、葉巻やパイプなどの変遷を通じてのまさに礼讃に他ならず、著者にしても現在のような嫌煙時代が訪れるとは夢にも思っていなかったにちがいない。

 この著者の薔薇閑は奥付によれば、東京府下日暮里町の下田将美とあり、発行者は同じく府下浦野川町西ヶ原の大島貞吉、発行所の郊外社の住所も同様である。巻末広告には岡野知十『湯島法楽』『蕪村その他』、木川恵二郎『破れ暦』が掲載されているので、郊外社は俳人にして、俳書収集家として知られた岡野と関係が深かったと思われる。

 その岡野は『郊外』という雑誌を主宰していて、それも郊外社が発行していた。だがこの『郊外』は未見で、かろうじて紅野敏郎の『雑誌探索』(朝日書林)で、その表紙、及び改題と目次紹介を見ているだけである。その号は大正十三年六月号で、表紙には「政治と文芸」なる言葉が置かれているが、特集「タバコ号」が組まれ、「タバコ随筆」として十二人が寄稿し、その中には薔薇閑「パイプ考」も見えている。
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 その他に岡野「タバコにつきての古書籍」、馬場孤蝶「筆とパイプ」などもあり、「タバコ随筆」以外には中山太郎「後の治郎左衛門(考証)」などの文芸随筆が七本掲載され、「タバコ号」以外の『郊外』の編集内容を垣間見せている。そこには岡野かおるが「夢」を寄せているが、彼は岡野の息子で、フランス文学者である。紅野によれば、その弟が先の『破れ暦』の木川恵二郎で、これは彼の小説、俳句、戯曲などを収録した遺稿集だという。それらの事実は郊外社と『郊外』が岡野だけではなく、そのファミリーも含んで出版活動を営んできたとわかる。

 紅野の言によれば、「この『郊外』は東京人、いや江戸の名残への敬愛を持った人の古風さと、パイプに代表されるハイカラさが混住」しているとされる。いずれこの「タバコ号」以外の『郊外』を見てみたいと思う。

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古本夜話1039 外語研究社「英文訳註叢書」と『宝島』

 これは本連載1013「『英文世界名著全集』とスティーヴンソン」に続いて書くつもりだったのだが、本が出てこなくて、見送ってしまったのである。しかし二回にわたって英文学者の戸川秋骨や田部隆次、重治兄弟を取り上げてきたので、ここにその一編を挿入しておきたい。

 それは外語研究社発行の「英文訳註叢書」で、やはり同1013で研究社の同じシリーズ名の「英文訳註叢書」にふれているけれど、こちらとはまったく異なるものだ。後者の「英文訳註叢書」は『研究社八十五年の歩み』を確認してみると、その口絵写真の書影、及び「出版物年譜」からしても、並製新書版、二百ページ前後、定価五十銭で、昭和四年から刊行され始め、同十三年に全四十巻で完結している。またそれらのうちのオスカー・ワイルド、佐伯有三訳註『漁夫とその魂』、ルイス・キャロル、岩崎民平訳註『不思議国のアリス』などは戦後になって、これも口絵写真などに見えているように、補註が加えられ、「新英文訳註叢書」として再刊に至っている。

 しかし『研究社八十五年の歩み』では多くの寄稿者もふれておらず、ただ「昭和4年にはまた2種類の叢書が発刊された。一つは『研究社小英文学叢書』、もう一つは『研究社英文訳註叢書』で、ともに研究者の学習用テキストとしてロングセラーとなっていく」とあるだけだ。それでもこの記述はその体裁や定価ともに、研究社版がサブリーダー的テキストとして販売されていたことを伝えていよう。

 この研究社の「英文訳註叢書」に対して、外語研究社の「英文訳註叢書」も、やはり昭和初年から競合するようなかたちで出され始めたのではないだろうか。私が入手しているのはその58に当たるスチヴンスン『宝島』である。何の表記も見られない機械函から取り出すと、いきなり赤、白、黒による表紙が目に入る。赤地に白抜きで、大きくTREASURE ISLANDというタイトルが入り、その下に黒でBY R.L.STEVENSON と著者名が記されている。続けて黒地に赤で小さく「WITH THE JAPANESE VERSIONS AND NOTES BY TAKAOKI KATTA」とあり、同じくしたに『宝島』の船を想起させる赤のイラストが「SEIICHI」名で付され、さらに下の白い帯状のところに「CELEBRATED WORKS IN ENGLISH 」が置かれている。

 カバー表紙を外すと、天金、四六判の青と紺のクロス装の洋書仕立ての本体造本が姿を見せる。表裏見返しには「英文訳註叢書」の「全百巻中既刊書目」が示され、1のThe Vicar of Wakefield(Goldsmith)から66のThe Private Papers of Henry Ryecroft(Gissing)までが並び、チェーホフ、ユゴー、イプセン、ダンテなどの英訳も含まれているけれど、壮観といっていい。そういえば、私もかつて拙著『ヨーロッパ本と書店の物語』(平凡社新書)において、ギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの手記』に言及していることを思い出した次第である。またその中にはスチヴンスンの巻として、2のTravels with Donkey、26のYoshida-Torajiro ,Two Japanese Romances ; Health and Moutains が挙がり、前者は本連載1013の『驢馬紀行』、後者は不明だが、異例の三冊に及び、彼が英文界で昭和戦前に人気、知名度がともに高かったことを物語っていよう。
f:id:OdaMitsuo:20200605134632j:plain:h120 (「英文訳註叢書」、Travels with Donkeyヨーロッパ本と書店の物語

 TREASURE ISLAND を開くと、スチヴンスンの口絵写真に続いて、原書の挿絵も収録され、そして本扉に至り、『宝島』/勝田孝興訳註と初めて表記される。次に「CONTENTS」として、十七ページに及ぶ「Introduction」と『宝島』英語目次が示され、前者はスチヴンスンの伝記などに加え、これも英語表記の「BIBLIOGRAPHY」が添えられている。それから左ページが『宝島』原文、右ページが日本語、両ページ下が訳註となり、対訳本形式の六百六十ページが続いていく。

 これまで示してきたように、研究社版「英文訳註叢書」が並製新書版、二百ページ前後、定価五十銭に対し、外語研究社のほうは四六判クロス装の上製、天金、ページ数は定価二円五十銭の『宝島』ほどではないにしても、大半が三百ページを超えているはずだ。定価にしても一円以上で、研究社版の倍の価格となっている。しかも巻数は昭和十一年の時点で上回っていたことになる。

 奥付にある発行所の外語研究社の住所は東京市下谷区上野桜木町で、刊行者は藤本謹也、印刷者は本所区厩橋、井口信一とされている。だがこれらの三つはここで初めて目にするものである。発行と刊行者の住所からして、譲受出版の上野畑の関係版元とも考えられたが、検印紙には著者印税が発生する勝田の押印があるので、そうではないとわかる。

 だが全百巻予定で、66までは既刊であることが確認できるのに、『全集叢書総覧新訂版』には見当たらない。しかも研究社版はあっても、それ以上に本格的な外語研究社版は収録されていないのである。百巻の完結を見たかどうかは不明であるけれど、これほどの長尺の「叢書」が見えないのはどうしてなのだろうか。何らかの事情が潜んでいるのではないかと考えるしかない。


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古本夜話1038 田部重治『峠と高原』、黒百合社、山上雷鳥『アルプス伝説集』

 前回、『小泉八雲全集』刊行会代表兼訳者の英文学者田部隆次に、初めてふれたけれど、私が以前から知っていたのはその弟で、やはり英文学者の田部重治のほうだった。それは隆次と異なり、重治は『日本近代文学大事典』に立項があるように「山に親しみ全国各地の山と谿を一生の友とした」での、研究書や翻訳だけでなく、山岳書も多いことによっている。浜松の時代舎でそれらの一冊を購入してきたばかりだ。

  『近代出版史探索Ⅱ』225や251で既述しておいたように、明治三十八年の小島烏水たちの山岳会の創立と併走して、山岳書、登山書、紀行書の出版が盛んになり、大正、昭和を通じて、出版物の確固たる一分野を占めるに至ったのである。しかし私にしても、それらの山岳書を意識して集めてきたわけではない。ただ目についたら気紛れに買い求めてきたに過ぎず、それらの出版に通じていない。けれど、その裾野はかなり広がっていたように思われる。
近代出版史探索Ⅱ

 実は時代舎で購入したのは二冊で、一冊は田部重治『峠と高原』である。これは 『近代出版史探索Ⅱ』433の大村書店から出され、昭和六年四版となっている。大村書店は広島で質屋を営む素封家出身の大村郡次郎によって、大正末に創業され、哲学書や翻訳書、日本で初めての 『ゲーテ全集』を手がけていたとされる。『峠と高原』の奥付裏には角田吉夫『上越国境』、木暮理太郎『東京から見える山』、田部重治『スキーの山旅』の三冊が並び、昭和に入って、大村書店がこの分野にも進出していたことを示している。
f:id:OdaMitsuo:20200601112015j:plain:h120(『峠と高原』)f:id:OdaMitsuo:20200601114809j:plain:h120(『上越国境』)f:id:OdaMitsuo:20200601115226j:plain:h110(『スキーの山旅』)

 『峠と高原』は「自序」によれば、『山と渓谷』(第一書房)に続く、峠や高原を中心とする紀行、山に関する随筆を集めたもので、十二枚の「何れも親しき山友の手になれる」峠や高原や山の写真が掲載され、そのうちの二枚は「木暮理太郎写」とあるので、『東京から見える山』の著者が田部の「山友」だとわかる。
f:id:OdaMitsuo:20200601135215j:plain:h118(『山と渓谷》)

 奥付の発行者は東京市小石川区武島町の大村郡次郎の名前が記されているので、円本時代をくぐり抜け、サバイバルしてきたことを伝えている。このように大村書店と『峠と高原』の関係は、『ゲーテ全集』などの翻訳書などを通じて、英文学者にして山岳家の田部重治へとリンクしていったと類推できる。

 だがもう一冊の山上雷鳥『アルプス伝説集』の手がかりは、出版社にしても著者にしても、ほとんどつかめない。昭和七年に大阪市南区鰻谷仲之町の黒百合社から、刊行者を中江喬三として出版されているけれど、いずれも初めて目にする版元であり、出版者である。
f:id:OdaMitsuo:20200601141008j:plain:h105(『アルプス伝説集』)

 それでいて、『アルプス伝説集』は四六変型判のとてもシックな一冊なのだ。シンプルな機械函からは想像できないけれど、本体の表裏はアルプス地方の若い男女と登山道具らしき深紅のカット群に彩られ、背は青墨色のクロス装丁である。そしてフランス装アンカットの本文は十六行で組まれ、見開き両ページの端に広く余白を取るというもので、造本にしても本文組にしても、書籍製作に一家言ある編集者が介在していると考えるしかない仕上がりとなっている。まさに奥付を見なければ、大阪の出版社の一冊とは思わないだろう。

 山上の「序」には次のように記されている。

 この書に蒐集した伝説は、多くヨーロツパ・アルプスを中心とする山村僻陬に、今なほ語り伝へられてゐるものである。山と人生の関連において、それらの物語が如何なる役割を演じ、また演じつゝあるかは、読者の推察に委すとして、山が――アルプスが――いはゆる物質文化に傷つけられる事を悲しむ山人にとつて、プリミテイヴ・ライフへの帰趨と思慕の心情に対し、幾分でも山の芳香を齎らし得るとすれば幸である。

 こうした語り口のニュアンスの中に、本連載991などの伝説の時代の木霊を聞き取れるように思う。同書には「北方の龍」を始めとする六編が収録されているのだが、これらは主としてHenderson and Calvert. WONDER TALES OF OLD TYROLから編著し、翻訳したものとの断わりが見える。それに加え、氷河とドラゴン伝説にまつわる「北方の龍」は、これも本連載986、987のアンドリュー・ラングの英訳から選んだとの付記がある。

 このような一冊だけでは黒百合社の出版実体はうかがえないけれど、奥付裏には「同社刊行山岳図書」として、次の著者と書名が挙がっている。藤木九三『屋上登攀者』『詩集雲表』、三木高岺『山岳征服』、パウル・バウアー、伊藤愿訳『ヒマラヤに挑戦して』、水野祥太郎『山野スキー術教本』、『スイス氷河写真』『立山山頂の周観写真』。これらの著者のうちの藤木は『日本近代文学大事典』に立項されて、小島烏水の紀行文によって山に魅せられ、大正四年に東京朝日に入社し、登山専門記者として活躍し、昭和九年には京大の白頭山遠征にも参加とあり、著書として先述の『屋上登攀者』が挙がっていた。
f:id:OdaMitsuo:20200601143707j:plain:h115(『 山岳征服』)f:id:OdaMitsuo:20200601144003j:plain:h115(『屋上登攀者』)

 したがって、これらの事実から考えると、山上の『アルプス伝説集』は、やはり「伝説」というよりも、山岳図書として出版されたと見なすべきだろう。同書の卓越した装丁と造本に言及しておいたけれど、残念なことに印刷所の記載はない。黒百合社の他の本も見てみたいと思うが、めぐり会えるだろうか。


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古本夜話1037 田部隆次、『小泉八雲全集』、戸川明三訳『神国日本』

 これは前回ふれなかったが、福田清人は東京帝大国文科を卒業後、昭和四年から六年にかけて、第一書房に勤め、戦後になって、それを「長谷川さんと第一書房の思い出」(『第一書房長谷川巳之吉』所収)で回想している。
第一書房長谷川巳之吉

 それによれば、当時は「宵闇せまれば悩みは果てなし」という歌がはやり出した頃で、不景気な暗い世相の中にあった。文筆の道を志していたので都落ちは考えたくなく、本郷の同級で学習院講師だった入江相政に相談したところ、その同僚の国文学の先輩山岸徳平を通じて、第一書房を紹介され、長谷川巳之吉に面会し、入社が決まったのである。少し遅れて入ったのは本連載1034の三浦逸雄だった。

 福田の第一書房での仕事は『近代劇全集』 の手伝いと、その前に出ていた『小泉八雲全集』 の学生版の校正であった。それから昭和六年五月に創刊された『セルパン』の編集に携わった。この雑誌は第一書房のPR誌というべき『伴侶』を引き継ぐものだった。前回の福田の「文学仲間」で、田口=福田の前身が雑誌記者とあるのはそれによっているのだろう。

 さらに福田の回想は『セルパン』の編集と内容、長谷川との関係、第一書房からの最初の長編『若草』の刊行とその映画化、第一書房の廃業と戦後の長谷川の動向と死などにも及んでいる。だがそれらのことよりも、福田が入社して校正を担当した『小泉八雲全集』学生版にふれてみたい。同じ『近代劇全集』のほうは拙稿「第一書房『近代劇全集』のパトロン」(『古本屋散策』 所収)、本連載889などでもすでに取り上げているからだ。
古本屋散策

 第一書房の『小泉八雲全集』 は大正十五年から全十八巻が出され、昭和五年からは同巻数で「学生版」、十一年からは「家庭版」として全十二巻と三回にわたって刊行されている。「家庭版」の明細は」(『第一書房長谷川巳之吉』に見ることができるけれど、参考するふたつの版は内容が若干異なっているはずだが、それは確認できていない。これらの三次にわたる『小泉八雲全集』は、「学生版」別冊の田部隆次の評伝『小泉八雲』の奥付表記からわかるように、田部自身が「小泉八雲全集刊行会代表」及び、『東の国から」や『心』などの訳者も兼ねることで実現したと思われる。またその「月報」に無署名の「田部氏の小泉八雲伝を讃ふ」という寄稿があり、次のような記述がなされている。
f:id:OdaMitsuo:20200529100958j:plain:h110 (『小泉八雲全集』、「家庭版」)f:id:OdaMitsuo:20200529133723j:plain:h110(「学生版」)

 本篇の筆者田部隆次氏には、蓋し我国に於ける最も適当なる小泉の評伝記者として自他共に許す人である。
 氏は当時東京帝国大学の学生として親しく小泉先生に接し得たる一人であつて、今日尚ほ斯道の権威として英学界に重きをなして居る人である。その筆になるところの小泉八雲の評伝は、その初発の刊行当時に於てもすでにユニツクの位置を占めてゐたが、小泉八雲全集の世に出るに際して、旧稿に大斧鉞を加えて更に面目を一新し得たのである。田部氏が日頃小泉先生を最敬するその情念の発願がかくも情理を尽くし、かくも整然たる内容を備へた一巻となつて八雲先生の珠玉の大全集と共に我等に与へられたことは、我が読書界にとり一大欣快事であらねばならぬ。

 田部は『日本近代文学大事典』には英文学者、随筆家の田部重治の兄として挙がっているだけだが、昭和六年の神谷敏夫『最新日本著作者辞典』(大同館)において、やはり英文学者で、東京帝大英文科卒、明治末から昭和四年にかけて学習院教授、小泉八雲の研究家として知られているとある。こうした事実はこの時代に学習院と第一書房がリンクし、それゆえに学習院を通じての福田の第一書房への入社が可能になったことを伝えていよう。

 それらはさておき、ここでは「学生版」の第八巻所収の『神国日本』にふれてみたい。最近別のところで、平井呈一訳『小泉八雲作品集』(恒文社)に言及しているが、それは『日本―一つの試論』というタイトルである。しかしその口絵写真には八雲の死後の一九〇四年にロンドンのマクミラン社から刊行された原書Japan:an Attempt at Interpretation の表紙や扉―中扉が使われ、扉などには「神国」なる漢字が用いられている。
小泉八雲作品集 (『小泉八雲作品集』)

 『神国日本』という邦訳名が採用されたのは、そのことに起因しているはずだし、訳者が戸川明三=秋骨であることも作用しているだろう。戸川秋骨は島崎藤村たちと同様に、『文学界』の創刊同人で、そのロマン主義の一面を代表していたし、「小泉先生の旧居にて」(坪内祐三編『戸川秋骨人文肖像集』所収、みすず書房)を残している。それによれば、秋骨は八雲の東京帝大英文科時代の教え子であり、「君達は西洋の書物から只その思想を採れば良いのだ」との言を紹介し、多大の美化を伴っていたけれど、「先生はよく日本の思想を摑まれた」と語っている。秋骨が戸川明三の名前で『神国日本』を翻訳したのは、そこに「先生は普通の人の気のつかない日本の特徴を見抜かれた」と思ったからで、それゆえに教え子だったことを記念すべしごとく、本名で翻訳にのぞんだのではないだろうか。
戸川秋骨人文肖像集

 しかしその一方で、この「神国日本」というタイトルには多様な波紋を生じさせたはずだし、さらに英文学者の柏倉俊三訳注『神国日本』 (平凡社東洋文庫、昭和五十一年)として刊行されたことは、その呪縛力の持続を物語っているのだろう。 
神国日本


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古本夜話1036 協和書院「青年作家叢書」と福田清人「文学仲間」

 前回の永松定の単行本『万有引力』は所持していないけれど、やはり同じ昭和十二年に協和書院から出された大澤衛『日本文化と英文学』が手元にある。大澤は後にトマス・ハーディの翻訳や研究で知られることになる英文学者で、同書はタイトルからも推測できるように、エッセイと研究の中間のような一冊だが、ここでは言及しない。それよりも注目すべきは巻末広告にあるからだ。
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 そこには「青年作家叢書」の四冊が掲載されているので、それらを示す。

1 豊田三郎 『新しき軌道』
2 福田清人 『脱出』
3 荒木巍  『渦の中』
4 永松定  『万有引力』

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 これによって、協和書院が「青年作家叢書」を刊行し、永松の『万有引力』もその一冊だったとわかる。しかもこの「青年作家叢書」は『日本近代文学大事典』にそれらの明細とともに立項され、次のような解題が施されていた。

 神田神保町三ノ三にあった協和書院の中心人物は吉村清。この吉村が一面識もなかった豊田三郎の『新しき軌道』を読み、即座にこの叢書を企画したという。つづいて豊田の友人の福田清人、荒木巍などのものも刊行。広告では荒木の次に伊藤整の『転身』が告げられていたが、これが出ずに永松定のものとなった。協和書院は馬場孤蝶の『明治文壇回顧』なども刊行していた。

 実は本連載904、及び「同叢書」2の福田清人に協和書院と吉村、それにこれらの作家たちをモデルとした中編「文学仲間」(冬樹社版『福田清人著作集』第一巻所収)があり、先の解題もそれに基づいているように思われる。

 「文学仲間」は上野発の夜行・スキイ列車が雪にうずもれた高原の麓の臨時駅に到着するところから始まっている。大和書房主の吉川はスキイ書も出していて、この旅行とスキイ道具の手配は彼によるもので、「青年作家叢書」の岩木の出版記念も兼ねていた。それらは富田三吉の『新軌道』、田口一示『飛躍』、岩木毅『渦巻』が既刊、さらに得能五郎『変心』、長杉貞己の『万有流転』が予定されていた。
 
 「神田区神保町のとある裏町の小さなビルディングの一室をかりうけて、室の前に『大和書房』と標札をかかげたのが、吉川の経営する出版社」とあるが、大和書房=協和書院、吉川=吉村清、富田三吉=豊田三郎、田口一示=福田清人、得能五郎=伊藤整、長杉貞己=永松定であることはいうまでもないだろう。旅行に参加したのは吉川、田口、岩木、得能、長杉の五人で、富田は妻の病気のために不参加であった。

 作家たちは「ようやく原稿料で生活できるかできぬかの線」上にあり、岩木は私立中学教師、田口、得能、長杉は同じ私立大学文科の講師を務めていたが、後者の場合、その報酬は車代に過ぎなかった。大和書房の吉川にしても、「眼から鼻へぬける商才」と「なんと思っているのか分らぬ不逞さで、さかんに営業をつづけているように思われ」ていたが、「大和書房も苦しいらしく」、「相当苦しいやりくりをして」いたので、処女出版に近い「同叢書」の印税も支払われていなかった。それもあって、吉川はスキイ書を委託している運動具店からスキイ道具を安く調達し、作家たちはそれを印税代わりに手に入れ、今回の旅行となったのである。

 そこで描かれるスキイシーンは作家たちの性格を浮かび上がらせ、また言及される三人の大学講師の学生との接触も、「文学仲間」のそれぞれ異なる位相を伝えて興味深い。しかしこの作品の後半は田口=福田による長杉=永松論、及ぶもうひとつの「万有引力」として提出されているような思いを生じさせる。それは得能の『変心』に先んじる強引な長杉の『万物流転』の出版であり、それは次のように説明されている。「実際『青年作家叢書』は、かかる理由によって、第五編の『万物流転』が、第四篇の『変心』より早く市場へ出てしまった。そして『変心』はついに大和書房からは出なかった。それを出す前に大和書房はつぶれてしまったからである」と。しかも長杉は『万物流転』によって、文学四季社の文学賞=文芸春秋社の芥川賞を狙っているようなのだ。

 そしてさらに田口は自分の妻と長杉の細君との親しい往来についても言及し、二人とも九州の田舎育ちで、夫たちは結婚前には中学の教師や雑誌社の記者だったが、しばらくして想像さえもしなかった文学のほうに進んだことにより、だまされたような気になっていた。また「二人とも三、四年たっても子どもが生まれなかった。それが一層細君同志を仲良くさせた」とも書かれている。そうしているうちに、長杉の細君は洋裁店に勤め始め、「職業婦人」となり、逆に長杉のほうは意気消沈し、田舎へ帰ろうとし、妻に激まされているのを田口は聞いてしまう。

 この「文学仲間」は昭和十七年の『憧憬』(富士書店)に収録されているのだが、福田は永松の『万有引力』が両者の夫婦をモデルとし、デフォルメして書かれたと見なし、それに対する福田からの『万有引力』を提出したと思われる。

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