出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1115 石原俊明、国際情報社、大正通信社『国際画報』

 前回、小川菊松が証言する「外交販売専門で、大正期に早くも大成功した」石原信明の名前を挙げておいたが、石原は『出版人物事典』にも立項が見出せるので、まずそれを引いてみる。

出版人物事典―明治-平成物故出版人 

 [石原俊明 いしはら・としあき]一八八八~一九七三(明治二一~昭和四八)国際情報社、大法法輪閣創業者。一九二二年(大正一一)有限会社国際情報社を東京・銀座山下町に創業、大型グラフ雑誌の月刊『国際写真情報』を中心に、『世界画報』『映画情報』『婦人グラフ』などの写真グラフ雑誌を出版。また、三三年(昭和八)大法輪閣を併設、仏教専門雑誌『大法輪』を創刊、仏教関係書を出版した。『国際写真情報』などは直販形式をとり、その販売形式はその後の直販業界の基礎ともなった。敗戦の四五年(昭和二〇)一時休業したが、五一年(昭和二六)株式会社国際情報社として再出発、大法輪閣も独立した。

 この立項によって、前回の村上の「宗教書ルート」と外交販売がリンクするし、これも小川のいう石原が「終戦後再起を躊躇」との事情が伝わってくる。ただこうした直販形式のグラフ雑誌に群がった「この畑育ちの連中」は、石原氏以外には『出版人物事典』『日本出版百年史年表』にも見出せないので、戦後を迎え、一世を風靡したと思われる、この出版分野の詳細はもはやたどることは難しいだろう。

 そのように認識していたし、また古本屋でそれらのグラフ雑誌に出会うこともなかったので、気になりながらも詳細に言及する機会は得られないだろうと考えていた。

 ところが数ヵ月前に骨董市で、それらの戦前戦後のグラフ雑誌が束になって売られていたのである。戦前版は大正通信社の『国際画報』、戦後版は国際写真通信社の『国際写真通信』、国際情報社の『映画情報』だった。いずれも菊倍判、もしくはB4判といっていいのか、かつての新聞社系の『アサヒグラフ』や『毎日クラブ』を一回り大きくした雑誌と目されたい。

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 戦後の『国際写真通信』は編集人を佐介賢、発行人を高田俊郎とするもので、昭和三十、三一年の号が十一冊、それに対し『映画情報』はまさに編集兼印刷人を石原俊郎としているけれども、残念ながら一冊しかない。そうしたこともあって、ここでは戦後版と比べて洗練されておらず、編集や印刷もぎこちないが、グラフ雑誌の原型の面影をとどめている『国際画報』にふれてみたい。

f:id:OdaMitsuo:20210112175610j:plain(『国際画報』)

 これは昭和三年三月号から七月号までの五冊が専門のバインダーに収められたもので、そこには『国際画報』のタイトルの下にTHE INTERNATIONL PICTORIALが謳われ、これが英訳で、そのようなコンセプトによることを発信しているのだろう。裏表紙の編輯兼発行人、印刷者は久保秀雄、その住所は東京市麹町区土手三番町、発行所の大正通信社も同様である。表紙には東京と並んで大阪も記載されていることからすれば、営業のための支店も設けられているとわかる。これらの昭和三年の号は第七巻、第三種郵便許可は大正十一年とされているので、大正十一年創刊だと推定できる。

 石原の国際情報社の『国際写真情報』の創刊も同年で、朝日新聞社の『アサヒグラフ』は同十二年だからグラフ雑誌は関東大震災後の大正末期に続々と創刊されたと考えられる。 今橋映子の『フォト・リテラシー』(中公新書)が示しているように、欧米のグラフ誌の創刊が活発だったのは一九二〇年代から三〇年代にかけてで、それらとパラレルに日本のグラフ誌も発刊されていったことになる。

フォト・リテラシー―報道写真と読む倫理 (中公新書) 

 そのひとつが『国際画報』であるが、全五冊に言及できないので、ここでは三月号を見てみたい。まず表紙を繰ると、目次の下に現在でいうところの「編集後記」が「斜陽倒影」としてコラム的に並べて置かれ、その二番目には「血と肉とで苦闘、漸く我々大衆の手に獲得した参政権! 最も有意義に行使してこそ、普通選挙は光、世は明るく、清くなる」との言葉が見え、あらためて昭和三年二月に最初の普通選挙が行なわれたことを想起するのである。 それにモノクロの皇后の写真、沼津の浮世絵、ボッチチェルリの「讒訴者」、磯田湖龍斎の「雛形若葉初模様」の各一ページが掲載されている。

 それから一ページ毎にモノクロ写真がそれぞれにレイアウトされた、時代を浮かび上がらせる「普選案通過史の回顧」「栄冠は何れに? 本邦初めての普通選挙による衆議院そうせんきょ」が並んでいる。その後に「英国ラグビー軍わが軍を子供扱にして帰る」というスポーツページ、「芽を出した椰子の実」「欧州各国美術工芸品誌上展覧会」、さらに脈絡なく、「労農露西亜で活躍する片山潜氏」「南欧に咲き誇る名花リカーネ・ハイド嬢」「米国潜水艦84号沈む」「ロスアンゼルス市を風靡する巫山戯た新流行の建物」「暹羅の古典的白象の儀式」「リンドバーン大佐の墨国訪問」「大宰府都府楼の址」が続いていく。

 そして次にはまたカラーで富田温一郎の「緑明」、間郁時雄の「窓」という絵、山中宏の「春日遅々」と題した芸術的写真、「美術工芸品としての更紗と敷瓦」、それから再び「国際連盟軍縮快事」「米国議会開院式」「珍妙なフイリツピン人の風俗」「ニカラガへ送らるゝ兵士と弾薬」などの国際写真が続き、ようやく大型グラフ雑誌を閉じることができる。そして表3広告で、大正通信社が『国際情報』の他に、月刊誌『映画』『写真通信』『演芸写真』を刊行していたことを知るのである。

 こうした直販形式の大型グラフ雑誌の紹介は初めてで、ラフスケッチに終わってしまったが、出版社や編集者、読者のことを再考したいと思う。


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古本夜話1114 村上信明『出版流通図鑑』と外交販売の系譜

 続けて二編ほど「外交販売」に関して書いてみる。

 昭和六十三年に出版業界紙『新文化』の記者だった村上信明による『出版流通図鑑』(新文化通信社)が出された。これは出版社・取次・書店という「正常ルート」以外の十四のルートを取材し、上梓した一冊で、同じく村上の「正常ルート」を対象とした『出版流通とシステム』(同前、昭和五十九年)とともに、まさにアクチュアルに出版物の流通販売に肉薄した、彼しかなしえなかった労作である。

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 両書がいずれも昭和末期に刊行されたことは象徴的で、図らずも書店も郊外店、及び雑誌販売もコンビニの全盛を迎えつつあり、これまで出版物の流通販売を支えていた街の中小書店が危機に追いやられる時代に入っていた。またそのような状況の中で、再版委託制に基づく出版社・取次・書店という近代出版流通システムが問われなければならない時期を迎えていたし、村上の問題意識もそこにあったはずだ。

 それらはともかく、『出版流通図鑑』に戻ると、サブタイトルに「50万アイテムの販売システム」とあるように、ここでは大分類としてのキヨスク、即売、新聞販売店、政府刊行物、専門店、職域直販、図書教材、生協、農協、宗教書、流派家元、通販、宅配便、輸出ルートが挙げられている。つまりこれらの各ルートの中にも多様なアイテムの存在が認められるのである。村上はこれらのルートの始まりについても取材と分析を重ねた上で、「出版流通チャート」を示しながら、次のように述べている。

 要するに、出版社、出版販売業者、異業種企業のそれぞれの事情と必要性が出版流通ルートを多様化させた。いわば関係者寄り集って「多様化」を合作したのであって、決して誰かが一人歩きしたわけではない。出版物自体の個性と多様性を考えれば、流通ルートはむしろ多様化するのが自然の姿といえるであろう。

 このように「正常ルート」以外の多様化した出版物流通販売システムの始まりのひとつが、大正時代に盛んになった「外交販売」だと思われる。取次出身で流通販売にも通じていた小川菊松は『出版興亡五十年』で書いている。

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 外交販売専門で、大正期に早くも大成功したのは、石原俊郎氏の「国際写真情報」で、全国的に外交員が活躍、三、四十万部を発行したが、紙の統制で制約を受け、ついに廃刊の憂き目を見た。終戦後再起を躊躇している中に、もと同社にいた大沢氏が逸早く国際文化情報社を起し、「国際文化画報」と題して、石原氏と同様のものを発行し、ついで「画報近代百年史」を刊行し、共に外交販売の一手で、百年史は現に十八万部以上刷つている。石原氏も「国際写真情報」を再興、昔同様の豪華なものを発行しているが、聊か強敵に立遅れた感がある。この成績優良に刺激され、この畑育ちの連中は、国際情報、世界画報、映画情報、世界文化何々、時事何々と乱立して外交販売で鎬を削つているが、書店販売しないので返品皆無ため何れも成功している。

 この小川「外交販売」に関する記述は昭和二十年代で、『出版流通図鑑』の刊行はその四十年後であり、もはや村上の著書に「外交販売」という言葉は使われていない。そこでもう少し小川の説明を聞いてみる。外交販売の系譜は隆文館の草村北星が大隈侯を総裁として大日本文明協会を組織し、「大日本文明協会叢書」五十巻の翻訳書、隆文館の名前で豪華本『大日本美術略史』、建築工芸会で『建築工芸資料』、龍吟社、及び財政経済会として『明治大正財政史』『日蓮全集』『白隠全集』などを出したとされる。これらに関しては私も「市島春城と出版事業」(『古本探究』所収)、『近代出版史探索』149から159などでふれている。

古本探究 近代出版史探索

 その草村に続くのは玄黄社の鶴田久作が組織した国民文庫刊行会、これも「鶴田久作と国民文庫刊行会」(同前)、やはり『近代出版史探索』104などで論じているので、必要とあれば、そちらを参照してほしい。それは本探索1107で記したように、吉川弘文館の『古事類苑』なども同様であった。

 つまり元来は「正常ルート」の出版者だった草村、鶴田、吉川たちが、それとは異なる「外交販売」に取り組んでいたことになる。そのような明治末期から大正にかけての「外交販売」があって、それに携わっていた人々、小川の言葉を借りれば、「この畑育ち連中」が「外交販売専門」として、石原の『国際写真情報』を始めとするグラフ誌を発行するようになったのではないだろうか。

 先に引用したように、それらの会社や雑誌タイトルは「国際」が点く場合が多い。そういえば、吉川弘文館の発売所に国際美術社なる一社があったが、それが「外交販売」出版人脈の起源だったのではないかと思われるので、さらに一編を続けてみる。

 なお小川の証言によって、拙稿「白倉敬彦とエディション・エパーヴ」(『古本屋散策』所収)、及び『近代出版史探索Ⅳ』603で、国際情報社と国際文化情報社を混同していたことに気づかされた。重版の際に訂正するつもりだが、ここに付記しておく。

古本屋散策 近代出版史探索IV


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古本夜話1113 書籍専門取次と外交販売

 前回の岩波書店『国書総目録』は戦後の出版だし、その流通販売が岩波出版神話に基づく取次や書店、とりわけ全国各地の老舗書店の学校、図書館、職域などを中心とする外商を通じてのものであったと考えられる。それを抜きにして『国書総目録』全八巻の五千部販売、続いての第二次募集は成立しなかったであろう。

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 それならば、『国書総目録』の範となった明治三十年代の六合館の、これも前回の佐村八郎『国書解題』、本探索1077の吉川弘文館の大槻文彦『言海』、同1075の同じく吉川弘文館の『日本随筆大成』、同1076の日本随筆大成刊行会の『日本図会全集』、同1103「増訂故実叢書」はどうだったのだろうか。それは『古事類苑』や『群書類従』に関しても同様である。これらのうちで、吉川弘文館関連の発売所として、日本橋の六合館、名古屋の川瀬書店、大阪の柳原書店、京橋の日用書店、牛込区の国際美術社を挙げ、六合館、川瀬書店、柳原書店が書籍、及び地方取次であることも既述しておいた。

f:id:OdaMitsuo:20210109103005j:plain:h105(日本図書センター復刻)f:id:OdaMitsuo:20201003111855j:plain:h108(『日本随筆大成』)

 それ以前の販売事情は拙稿「明治二十年代の出版流通」(『古本屋散策』所収)でふれている。だが明治三十年代に入ると、清水文吉の「出版流通機構の成立史」である『本は流れる』(日本エディタースクール出版部)がたどっているように、大取次が台頭してくる。それらは東京堂、北隆館、東海堂、良明堂、上田屋、至誠堂で六大取次時代を迎えていた。

 古本屋散策  

 ただここで留意すべきは、これらの東京の六大取次が雑誌を主体していたことである。それは全国的な鉄道網の伸長と雑誌全国均一運賃制度によって支えられていた。明治三十年代において、近代取次の象徴もいえる東京堂も雑誌中心だったけれど、博文館の出版物の取次兼書店として立ち上がっていたので、当然ことながら、書籍も扱っていた。それゆえに吉川弘文館も東京堂を始めとする六大取次に取引口座があったはずなのに、発売所兼取次がそれらではなく、六合館や地方の川瀬書店、柳原書店だったのはどうしてなのか。

 それはやはり取次といっても、これらの六大取次は雑誌をコアとしていて、先に挙げた古典籍類シリーズの売捌システムは確立されておらず、本探索1078の博文館「帝国文庫」などが限界だったと思われる。そのために吉川弘文館は六大取次に書店からの注文口座を設けていても、大学、高校、図書館などに強い六合館、地方を代表する川瀬書店や柳原書店とタイアップし、流通販売網を広げていったのであろう。その際に導入されたのは正味を安くする買切入銀制で、それが戦後の全集や辞書類などの書店に対するバックマージンの代わりを務めていたことになろう。

 それならば、吉川弘文館絡みでしか目にしていない日用書房や国際美術社とは何なのか。最初はこのふたつを、取次も兼ねた古典籍類を扱う専門書店ではないかと考えていた。そこで至誠堂出身で流通販売にも詳しい小川菊松の『出版興亡五十年』の「人名・会社名索引」を繰ってみた。だが見当らないので、この際だから吉川弘文館と吉川半七を引いてみた。すると次のような言及があった。

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 吉川弘文館は吉川半七の名で聞えた、明治初期からの存在の老舗であるが、これも大叢書ものを刊行して一面に外交販売策をとり、現に継続中の「国史大系」は学界に重きをなす出版物で、文部省の補助もあり、外交販売が主で、同館では今も全国に外交員を配置している。

出版状況クロニクル153(2021年1月1日~1月31日)

 20年12月の書籍雑誌推定販売金額は1148億円で、前年比8.3%増。
 書籍は552億円で、同8.3%増。
 雑誌は596億円で、同8.3%増。
 かつてないトリプルの8.3%増である。
 雑誌の内訳は月刊誌が523億円で、同11.2%増、週刊誌は73億円で、同8.7%減。
 返品率は書籍が29.9%、雑誌は35.7%で、月刊誌は34.2%、週刊誌は44.8%。
 書籍は前年同月が13.1%減という大幅マイナス、及び返品の大きな改善によりプラスとなり、雑誌はひとえに『鬼滅の刃』最終巻の初版395万部、そのスピンオフ作品『鬼滅の刃 外伝』初版100万部の爆発的売れ行きに負っている。
 このかつてないトリプルの8.3%増は21年の幸先となるか、それとも仇花なのか、それが問われていくことになろう。

鬼滅の刃 23 (ジャンプコミックス) 鬼滅の刃 外伝 (ジャンプコミックス)


1.出版科学研究所による1996年から2020年にかけての出版物推定販売金額を示す。

■出版物推定販売金額(億円)
書籍雑誌合計
金額前年比(%)金額前年比(%)金額前年比(%)
199610,9314.415,6331.326,5642.6
199710,730▲1.815,6440.126,374▲0.7
199810,100▲5.915,315▲2.125,415▲3.6
1999 9,936▲1.614,672▲4.224,607▲3.2
2000 9,706▲2.314,261▲2.823,966▲2.6
2001 9,456▲2.613,794▲3.323,250▲3.0
2002 9,4900.413,616▲1.323,105▲0.6
2003 9,056▲4.613,222▲2.922,278▲3.6
2004 9,4294.112,998▲1.722,4280.7
2005 9,197▲2.512,767▲1.821,964▲2.1
2006 9,3261.412,200▲4.421,525▲2.0
2007 9,026▲3.211,827▲3.120,853▲3.1
2008 8,878▲1.611,299▲4.520,177▲3.2
2009 8,492▲4.410,864▲3.919,356▲4.1
2010 8,213▲3.310,536▲3.018,748▲3.1
20118,199▲0.29,844▲6.618,042▲3.8
20128,013▲2.39,385▲4.717,398▲3.6
20137,851▲2.08,972▲4.416,823▲3.3
20147,544▲4.08,520▲5.016,065▲4.5
20157,419▲1.77,801▲8.415,220▲5.3
20167,370▲0.77,339▲5.914,709▲3.4
20177,152▲3.06,548▲10.813,701▲6.9
20186,991▲2.35,930▲9.412,921▲5.7
20196,723▲3.85,637▲4.912,360▲4.3
20206,661▲0.95,576▲1.112,237▲1.0

 20年の出版物推定販売金額はコロナ禍の中にあっても『鬼滅の刃』のような神風にも似た超ベストセラーによって、1兆2237億円、前年比1.0%減で、かろうじて1兆2000億円台をキープできたことになる。
 電子書籍も同じく電子コミックが好調で、3931億円、同28.0%増、紙と合算すると1兆6168億円、同4.8%増となっている。
 しかし紙の現実を見れば、書籍は1996年に比べ6割、雑誌に至っては3分の1にまで落ちこんでしまっている。しかも雑誌はコミックスを含んでいるので、実際に『鬼滅の刃』がなければ、5000億円を割りこんでいたかもしれない。
 20年は予期しないコロナ禍、またこちらも同様の『鬼滅の刃』の神風の下で過ぎていったが、21年はどのような出版状況を迎えることになるのだろうか。
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2.『Pen』が かつて「2020年の世界と東京」(2016.9/1)という特集を組んでいた。
 そこでの一章は「2020年の世界はこうなっている」で、次のような10の各分野専門家による「大胆予測」が提出されていた。

 1 目標は年間4000万人。日本は観光立国になっている?
 2 中国の民主化は進んでいるか、それとも退化しているか?
 3 朝鮮半島は、統一への道を歩んでいる?
 4 東京五輪は、イスラム過激派の標的になるのか?
 5 ヒラリーとトランプの争う米政界の、4年後の風景は?
 6 ブレグジットに揺れるEUは、共同体を保てる?
 7 貧富の差は解消される? 拡大する?
 8 LGBTは、権利平等を勝ち取れるか?
 9 目まぐるしく変化するSNSは、どんなカタチに?
 10 人工知能は、近未来の世界をどう変える?

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 これらの「大胆予測」をもう少しシンプルにして、二者択一の場合、前者とすると、1から8にしても、9や10にしても、「こうなっている」とはいえないし、未来予測の難しさを教えてくれる。まして全項目において、誰もが新型コロナウイルスの出現などはまったくの想定外であった。
 日本の観光立国、朝鮮半島統一、東京オリンピック、ヒラリーとトランプの政局、貧富の差の解消などの「予測」は見事に外れてまった。朝鮮半島の統一に関しては、思いがけない『愛の不時着』というドラマがもたらされたけれど。
 それは同じく『Pen』(2018・9/1)の「いま最も知りたい『中国』最新案内」も同様で、そこに示された現代中国のハイテクな風景からは新型コロナウイルスの発生は想像すらできないし、まして都市のロックダウンも同様である。 
 で20年の雑誌販売金額を見たように、雑誌の時代は終わりつつあり、もはや誰も雑誌のバックナンバーのことなど語らない。
 『Pen』(1/1.・15)が「昭和レトロに癒されて。」だったので、かつての『Pen』の未来特集を思い出し、しかもそれが20年の予測だったので、ここで戯れにそれを試みてみた。
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3.年末年始(12/29~1/3)の書店売上はトーハンの1470店のposデータによれば、前年比94.7%、日販の1667店は97.8%。
 いずれもコミックだけは前年を上回っているが、書籍、雑誌、開発商品はすべてマイナスとなっている。

 コロナ禍の中で迎えた年末年始の売上だが、20年1月が0.6%減と小さなマイナスだったことに比べれば、やはり厳しい幕開けと見なせよう。 
 コミックだけは好調だけれど、書籍と雑誌のマイナスはいずれも二ケタ減で、回復は難しく、コミック人気もどこまで続くのか、保証の限りではないからだ。
 それから学参シーズンに入っていくが、小中高はともかく、大学は対面授業の問題が解決しておらず、それが大学生協の売上へと影響していくのは間違いない。テキストなどの採用品市場の縮小は必至だし、昨年もそうだったように、出版社の資金繰りに跳ね返っていくかもしれない。



4.日本フランチャイズチェーン協会による大手7社のコンビニの2020年売上高は10兆6608億円で、前年比4.5%減、2005年以来の統計で前年割れは初めてである。
 店舗数は5万5924店で、前年比0.6%増。
 コンビニ店舗数と書籍雑誌実販売額の推移を示す。

 

■CVSの店舗数・売上高の推移
CVS店舗数CVS書籍・雑誌
実販売額(億円)
200543,8565,059
200644,0364,852
200743,7294,044
200845,4133,673
200946,4703,166
201045,3752,886
201147,1902,642
201249,7352,466
201353,4512,262
201456,3672,117
201556,9981,908
201656,1601,859
201756,3441,576
201856,5861,445
201955,6201,285
202055,924

 コンビニ店舗数は19年の初めてのマイナスから、20年は微増に転じたものの、売上高は前年割れとなった。 
 コロナ禍の影響もあるだろうが、売上高にしても、店舗数にしても、それが機となり、減少していくと考えるきだろう。
 だがそれ以上に顕著なのはコンビニにおける出版物販売額で、19年は前年比11%減の1285億円で、13年の約半分になっている。数年後には1000億円を割ることになるだろうし、本クロニクル151でファミリーマートの雑誌売場の縮小を伝えているように、コンビニの雑誌コーナーの存続自体が問われていくことになろう。
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5.『文化通信』(1/11)が一面で、日販の奥村景二社長インタビューしている。
 大見出しは「出版流通改革タイムリミットまで1年余/業界全体で同じ理解のもと、議論したい」とある。それを要約してみる。


昨年4月から社長として出版流通改革に取り組み始め、日販は出版物の物流と仕入と営業だけの組織になったので、社内の意識を統一できるし、取次事業の赤字も浮かび上がったので、どのように立て直すかがはっきりした。
取次事業の黒字化を前提とし、短いスパンで物事を進め、将来のビジョンを示していく。そして出版流通を守り、それをコアとして新たな事業を始めていかないと、企業として成長するビジョンを描くことは難しい。
出版流通の赤字を減らしながら、新たな事業と利益を生み出し、取次でない部分を持つ日販という新しい会社をめざしていく。
出版流通改革、取引や流通の構造を変えるためには、業界全体が一つのゴールに向かって同じ目線で話し合う必要があるので、日販がもっている出版流通や経営状況などを開示していく。
来期の早い段階で、出版流通の現状認識と方向を共有し、改革を進めるための会議体を設け、議論したい。
1年での改革の結論が出るかもしれないが、もっとかかるとタイムリミットを迎え、出版流通が破綻に近づいていくことも考えられる。
同業他社との物流協業などによる流通コストを下げる努力をしているので、出版社にも相応のコスト負担、及び定価値上げをしてほしいし、出版社と書店に対する条件払いやリベートもゼロベースにすることも考える必要があるのではないか。


しかし売上の9割を占める取次事業の赤字を、新たな事業によって補完していくことは不可能であろう。その新しい事業が「文喫」や「箱根本箱」であるとしたら、誰も信じない。
 結局のところ、大手出版社への条件払と正味の変更、書店に対するリベートの廃止、低正味買切制への移行しかないと思われる。
 これらは神田の専門取次の鈴木書店が、日販などによる大学生協や書店の帖合変更で追いこまれる中で、模索していた手段であり、一部は実現したものの、その流通システムの改革にはならず、破産するしかなかったのである。

 それは日販の場合、CCC=TSUTAYAだけでなく、多くの傘下書店、子会社としての書店を抱えているわけだから、リベートを廃止すれば、それらの書店のほうが破綻してしまうだろう。それに加え、文教堂、フタバ図書問題はどうなるのか、それこそこの1年がタイムリミットだ。
 これらとタテマエとホンネの混じったインタビューをトータルに考慮すれば、例によって当然のことながら、出版流通改革は先送りされ、タイムリミットは否応なく近づいてくることになる。

 なお1月28日にフタバ図書の「弊社事業を新会社に承継する旨のお知らせ」が出され、ファンドによる新会社に事業譲渡が発表された。新会社には日販、蔦屋書店も出資し、店舗はのTBNに加盟予定。



6.TSUTAYAはTSUTAYA BOOK NETWORK(TBN)の直営、FC加盟店の2020年書籍雑誌年間販売総額が1427億円で、過去最高を更新と発表。

 こちらも日販と同じく、しかしである。
 TSUTAYAの書籍雑誌年間販売総額は『出版状況クロニクルⅤ』や本クロニクル136などでずっと試算してきたように、1店当たりの出版物売上高は坪数に対して驚くほど少ない。
 20年はTBNの店舗数は779店とされているので、1店当たり年商1億8000万円、月商にして1500万円となる。しかも今期は静岡の谷島屋など34店の新規加入、開店を含めてである。
 19年には835店だったことからすれば、本クロニクルで見てきたように、18年からの大量閉店で100店以上が減少したことになり、それを新規加入、開店で帳尻を合わせていると見なせよう。
 それに今回の発表は例年よりも半年以上も早く、コロナ禍の中にあっても、TSUTAYA=CCCは売上を伸ばしているとのアピール=プレスリリースだと考えるべきであろう。



7.文教堂GHDは45歳から64歳未満の正社員25人程度の希望退職に25人の応募があったと発表。
 当該社員は所定の退職金に割増加算金を上乗せし、最就職支援サービス会社を通じて再就職を斡旋する。

 希望退職者が退職金+割増加算金を得たことは何よりだが、早急に決まったようで、これもまた正社員の不安と動揺の反映とも思われる。
 本クロニクル139で、文教堂の事業再生手続き(ADR)は「再建策ではなく延命策」との声が挙がっていることを伝えておいたし、また前回の本クロニクルでも文教堂の90円割れの株価低迷にふれておいた。
 「延命策」の果てに待ちかまえている事態はどのようなものになるのか、広島のフタバ図書と同様に、その行方に注視しなければならない。
 それからこれは余計なことかもしれないが、長野の平安堂が正社員を募集していることを付記しておこう。
odamitsuo.hatenablog.com



8.『新文化』(1/14)が「電子取次・メディアドゥの成長戦略」と題し、メディアドゥの藤田社長と新名副社長にインタビューしているので、それらを要約してみる。

メディアドゥは国内電子書籍取次会社として、市場シェア第1位を占め、2020年の連結期決算は売上高658億円で、17年と比較し、4倍以上の成長を遂げている。
電子書籍市場の成長率は18年の「漫画村」の閉鎖と今回の新型コロナによる巣ごもり需要で、幅広世代に読者が増えた。この2つが市場を押し上げる起爆剤となった。
出版業界では電子書籍ビジネスがその一部で、紙と電子は区別しないという方向性が主流になっているが、電子だけで成功すれば安泰だとは思っていないし、業界全体が活性化しないと電子にも未来はない。
電子だけで1兆円規模にし、紙と半々の世界をめざすべきだと考えているし、これからは電子市場は現在の第1期から第2期に突入していく。開発中のブロックチェーンなどによって読者の情報をつかみ、潜在的な読者に本の情報を提供していく。それを書店や出版社と一緒に進めていきたい。
日本はアメリカと異なり、電子書店の数が多いので、本質的に電子取次会社が必要とされる市場であり、電子書店や出版社が文化に根差した展開ができるように情報を提供し、紙と電子市場を拡大していきたい。


メディアドゥに関しては、本クロニクル145などでトレースしてきたが、あらためて「漫画村」の閉鎖とコロナ禍が成長のきっかけだったことを確認した次第だ。
 その仕入れ先というべき出版社はともかく、取引先に当たる電子書店の全貌は定かでないけれど、この10年に多くが生まれたことになろう。
 電子市場第1期は現在で、紙を電子化し、電子書店がネット上で広告を打ち、販売数が伸びていく。それに対し第2期に進むためには読者情報で、ブロックチェーンなどの新しいテクノロジーを通じ、読者をつかみ、本の情報も提供していく。それが第2期、1兆円の電子市場ということになるが、果たして実現するのか、実現すれば紙の世界はどうなるのか、これからも観測していきたいと思う。



9.『創』(2月号)が恒例の特集「出版社の徹底研究」を組んでいる。
創(つくる)2021年2月号

 『創』の恒例特集は最初の座談会からして床屋談議にすぎないので、ほとんど取り上げてこなかった。だが今日はコロナ禍あって、それは掲載されず、「総論」として、『鬼滅の刃』大ヒットとコロナの影響を受けて、「出版界は今、どうなっているのか」に代わっている。
 またそれに続く大手出版社レポート、ほとんどがコミックとデジタル化が中心となり、1の電子コミック、8の電子書籍問題と呼応している。それこそ大手出版社のコミックとデジタル化を俯瞰する特集として読むことをお勧めしよう。



10.東京の古本屋としてよく知られた高円寺の都丸書店と練馬のポラン書房の閉店が伝えられてきた。

 コロナ禍の中にあっての閉店であり、その影響を受けているのだろうが、やはり古本屋もネット販売へと移行せざるをえない状況を象徴している。
 1970年代には中央線高架下の都丸書店によくいったことを思い出す。だが今世紀に入ってからは数回で、ご無沙汰していたことを実感してしまう。
 東京の街角の古本屋という物語ももはや成立しない時代を迎えているのかもしれない。



11.『FACTA』(2月号)が貴船かずま「コロナ禍『映画館がなくなる!』」という記事を発信している。
 この記事によれば、アニメ映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の興行収入が324億円で歴代1位、累計観客動員数は2400万人を超えた。だが全体的な20年の興行収入はコロナ禍の影響を受け、前年の半分にも満たない惨状である。
 映画大国のアメリカも深刻な感染状況で、大都市部の映画館は閉館が続いている。その一方で、動画配信サービスの利用者はうなぎ登りで、「映画館のなくなる日が近づいている」。

 これは日本でも同様であろうし、ネットフリックスは国内で有料会員数500万人、世界で2億人を超えたとされる。
 それにアマゾン・プライム、ディズニー+(プラス)を加えれば、動画配信サービス会員数は日本でも「うなぎ登り」状態にあると見なせよう。
 10の古本屋と同じく、都市の映画館も消えていく時代を迎えようとしているのだろうか。
 またネットフリックスが独自のニュース配信も始めるようになれば、日本のテレビ局もまた大きな影響を受けるであろうし、それも将来的には実現するようにも思われる。



12.『日経MJ』(1/25)が「青山、見えぬスーツの次」の大見出しで、青山商事の21年3月の初の営業赤字と大規模なリストラを特集している。
 服装のカジュアル化とコロナ禍の拡大で、スーツ離れは急速に進み、20年のスーツ販売は400万着となり、18年から4割減、ピーク時の1992年の1350万着からは7割減。
 営業損失は128億円の赤字、最終赤字は292億円と予測され、全体の2割にあたる160店の閉店、大型店の売場縮小、社員も400人の希望退職を募り、人件費も削減する。

 本クロニクル144などで、コロナ禍にある衣料品専門店の販売実績を伝えてきたが、それらの中でも紳士服の青山商事のダメージは最も大きかったようだ。
 1990年代において、青山商事はロードサイドビジネスの雄として郊外店出店の範となり、カジュアル衣料のユニクロにしても、青山をモデルとして成長してきたのである。
 それは書店も同様で、1980年代から90年代にかけては、青山商事の時代だったといえよう。しかしそのような青山商事にしても、否応なく危機は訪れてくるのであり、それは郊外消費社会の衰退の前兆ともいえよう。
 1980年から90年代にかけての郊外消費社会の成立に関しては、拙著『〈郊外〉の誕生と死』を参照されたい。
〈郊外〉の誕生と死 odamitsuo.hatenablog.com



13.『フリースタイル』46が恒例の特集「THE BEST MANGA 2021 このマンガを読め!」を組んでいる。
フリースタイル46 THE BEST MANGA 2021 このマンガを読め!

年齢とともにマンガに接する機会が少なくなり、コミック誌にしても、病院に置いてある『ビックコミック』を読むくらいになってしまった。
 そんなわけで、「BEST10」では5の和山やま『女の園の星』(祥伝社)、「BEST20」では『鬼滅の刃』、それも第1巻だけを読んでいるにすぎない。
 草森紳一は死の前年に荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』全63巻を読破し、『ジョジョ伝』を書きたいといっていたそうだ。
 私も今年はかつて書いた『ブルーコミックス論』を上梓する予定なので、あらためてマンガへの精進も心がけるつもりだ。
女の園の星 1 (フィールコミックス)   ジョジョの奇妙な冒険 第1部 モノクロ版 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)



14.菊地史彦の『「象徴」のいる国で』(作品社)が届いた。

「象徴」のいる国で 「幸せ」の戦後史 「若者」の時代

 『「幸せ」の戦後史』『「若者」の時代』(いずれもトランスビュー)に続く、菊地の3冊目の戦後史で、天皇という「象徴」をコアにすえ、戦後の多様な「二重性」を論じた力作にして問題作といえよう。
 菊地と同じく、私も「戦後」を手離せないので、一方的に彼を戦後史における同志だと考えてきた。
 私だけの思い込みかもしれないのだが、戦後生まれ世代は1952年で一区切りされ、しかも51年と52年生まれは後期占領下世代に属するという個人的観測があるからだ。私は51年、菊地は52年である。
 だから同じ戦後生まれの「戦後史」であっても、明らかに団塊の世代と異なる色彩と陰影を伴って提出され、『「象徴」のいる国で』においては、天皇とサブカルチャーに表象される「二重性」をキーワードとして描かれていくことになる。
 拙著『郊外の果てへの旅/混住社会論』も戦後社会論に他ならず、そこではアジア的農耕社会とアメリカ的郊外消費社会の「二重性」が問われている。その「二重性」こそが私たちをリンクさせるのであり、農村で育った私と都市生活者の菊地のコレスポンデンスがあると信じたい。
 菊地の次のテーマは「平成」を予定しているという。
 そういえば、本クロニクルも「平成」と併走して書かれてきたし、意図しない「平成史」であることにあらためて気づかされた。
郊外の果てへの旅/混住社会論 ( 『郊外の果てへの旅/混住社会論』)



15.論創社HP「本を読む」〈60〉は「『ノヴァーリス全集』と戦前の翻訳」です。
 『出版状況クロニクルⅥ』は現在編集中。
 今年は『リブロが本屋であったころ』の中村文孝と共著で、誰もが予想もしないであろう一冊を刊行する予定でいる。
 14の菊地からも望まれているので、ご期待下さい。

リブロが本屋であったころ (出版人に聞く 4)

ronso.co.jp

古本夜話1112 佐村八郎『国書解題』、岩波書店『国書総目録』、梅徳

 本探索1107、1108で続けて『古事類苑』と『群書類従』をたどってきたので、これは戦後の出版ではあるけれど、『国書総目録』にもふれてみたい。実は拙稿「浜松の泰光堂書店の閉店」(『古本屋散策』所収)で既述しているように、二十年ほど前のことになるが、『国書総目録』全八巻を購入しているからだ。

f:id:OdaMitsuo:20210109101339j:plain  古本屋散策

 それに加えて本探索1107で参照した熊田淳美の『三大編纂物 群書類従 古事類苑 国書総目録の出版文化史』のコアは『国書総目録』で、様々に教示されるところが多かった。これらの「三大編纂物」は江戸、明治、昭和を通じて、それぞれが長きにわたる歳月と膨大な製作費をかけた特筆すべき出版プロジェクトに他ならないし、『古事類苑』と『群書類従』に関してはすでに見てきたとおりだ。

三大編纂物 群書類従・古事類苑・国書総目録 の出版文化史

 その中でも、とりわけ『国書総目録』は熊田も述べているように、ロジェ・シャルチエの『書物の秩序』(長谷川輝夫訳、筑摩書房)に見えるターム「壁のない図書館」を体現するビブリオテークに相当している。この明治以前の国書五十万点に及ぶ総合国書目録は昭和十五年に始められ、昭和四十七年の全巻完成までに三十二年を要している。その歴史を熊田の前掲書、『国書総目録』第一巻の「編纂の辞」、『岩波書店七十年』などを参照し、たどってみよう。

f:id:OdaMitsuo:20210108171703j:plain:h120(『書物の秩序』)

 昭和十五年に岩波書店の岩波茂雄は『国書解題』刊行計画を公表した。それは明治時代の佐村八郎の『国書解題』を凌駕する国書解題目録編纂をめざすものだった。佐村は古代から慶応三年に至る国書を対象とする解題目録『国書解題』を月刊分冊形式で刊行した後、明治三十三年に合本化し、本探索1077の六合館から上梓する。そして三十七年には増訂第二版を吉川弘文館と六合館の共同出版として刊行するが、国書の選択と考証不足という批判もあり、佐村の死後の昭和時代には絶版になっていたようだ。

f:id:OdaMitsuo:20210109103005j:plain(日本図書センター復刻)

 佐村は山口県に生まれ、明治二十四年に上京し、哲学館、高等師範を経て、本探索1103などの今泉定助が設立した城北中学校の教師となり、そのかたわらで『国書解題』編集の決意を固めたと思われる。その今泉が吉川弘文館と国書刊行会の顧問的立場にあったことは既述しているが、そうした関係もあってか、三十三年に佐村は吉川弘文館に入る。そして編集に携わり、その番頭だった林平次郎の六合館から『国書解題』合本初版を刊行するに至る。

 この『国書解題』刊行を契機として、国書刊行会が発足し、「国書刊行会本」、『古事類苑』や『群書類従』の出版も続いていったのである。そして昭和円本時代を迎えての本探索1073、1074の「有朋堂文庫」や同1060の新潮社の『日本文学大辞典』などの出版、及び国史や国文学研究の進化も伴い、二万五千点を対象とする『国書解題』は多くの欠陥を有するものに位置づけられざるをえなかった。それが岩波による新しい『国書解題』企画発表の背景だった。

 昭和三十八年に「岩波書店創業五十年の記念出版」として刊行された『国書総目録』第一巻の「編纂の辞」において、岩波茂雄の発意で、辻善之助と新村出の主宰のもとに編纂事業が始まったのは昭和十四年のことだとして、次のように続いている。

 当時国書の解題として知られていたのは、佐村八郎氏の『国書解題』であるが、初版が出版されてからすでに数十年を経過し、その間増訂も行なわれたが、決して十分なものとは言い難く、もはや、日進月歩の業界の要望を満足させることはできなくなっていた。そのような情勢のもとに企画された『岩波国書解題』は、当時してはもっとも整った編集部を組織し、(中略)昭和十九年は、ほぼ第一巻の刊行の見通しがつくまでになった。しかし時はすでに日華事変から太平洋戦争に進んで、(中略)この仕事もついに中絶のやむなきに至った。
 (中略)戦後、世情が安定するとともに、(中略)昭和三十二年に至って、従来のような解題に代え、このカードを基礎にして、新たに国書の総目録を刊行するという方針が決定された。編纂を委託されたわれわれは、総目録といっても、単なる国書の目録ではなく、書誌学の成果を十分に取り入れ、(中略)新たに国書研究室を設け、目録類などの資料を整備して、『国書総目録』の編纂に当ることにしたのである。(後略)

 これは国書研究室の森末義彰、市古貞次、堤精二の名前で出され、五十万点収載、全八巻として、その第一歩を踏み出したのである。ただここに付け加えておかなければならないのは、熊田も指摘しているように、実際にこの企画を岩波に提案したのは岩波書店の梅徳(うめめぐみ)だとされている。彼は明治期の法学者梅謙次郎の息子で、東京帝大文学部史学科を中退し、昭和十年頃に岩波書店に入社している。実際に同十三年から始まる『国書解題』編纂作業の事務主任兼編集者となった。戦後を迎えて、梅は渋る岩波書店を説き伏せ、『国書解題』の仕事の再開を働きかけ、その結果設けられたのが国書研究室だったのである。だがその進展をほとんど見ることなく、梅は昭和三十三年に交通事故で急逝している。ここにも知られざる編集者がいたことになる。

 これは近代出版史に顕著だが、岩波書店の場合も、岩波茂雄と小林勇の影に隠れ、社史や出版目録などには現れていない多くの編集者がいる。梅もその一人であったといえよう。


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