出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1195 森田草平訳『デカメロン』と『補遺デカメロン』

 浜松の時代舎で、新潮社の森田草平訳『補遺デカメロン』を入手してきた。これは第一期『世界文学全集』2の別冊で、『日本近代文学大事典』の「叢書・文学全集・合著集総覧」において、「『補遺デカメロン』あり」と付記されていたけれど、実物は初めて目にするものだった。『世界文学全集』と同じ四六判だが、函はなく、並製一六〇ページである。奥付に森田の検印も押されていないことから判断すれば、『世界文学全集』予約者には付録のようなかたちで、無料配布されたと思われる。しかしこれにも若干の説明が必要であろう。

 ボッカチオ『デカメロン』は『世界文学全集』2として、昭和五年二月に刊行されている。だがこの翻訳は「第三日」の七話を始めとして、「略」されたものが、「補遺」の一冊となり、その半年後の八月に刊行されたのである。ただそのような全集付録の体裁だったことから、これまで見かける機会を得なかったのだろう。

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 『近代出版史探索』17、18で、梅原北明たちの朝香屋書店『全訳デカメロン』刊行の経緯と出版イベントにふれているけれど、新潮社の『デカメロン』にも翻訳に伴う事情があり、それが「略」を生じさせ、半年後の「補遺」の出版となったと思われる。森田は「訳者の序」で書いている。

 この翻訳は亡友益田国基君が先づ独逸語訳から日本語に移して、その下訳を傍らに置きつゝ、私が又同じ独逸語訳から訳し直したものである。だから、日本語に移された文章は一字剰さず悉く私の責任であるけれども、そこには益田君の加はつてゐることを否定し得ない。そして独逸語の読解力は私よりも益田君のほうに遙かに優つてゐる。しかし、私の独逸語読書力と雖も、後から読む際には、前に益田君が犯した不用意の誤訳を発見し訂正する位には十分なものがあると信じてゐる。つまり二人は相補ひ相扶けて共同作業をした。この意味に於て、私どもの「デカメロン」訳は所謂綜合翻訳なるものを一文の懸値なしに、正直に実用したものであることを公言して憚らない。若し綜合翻訳に意味があるとすれば、それは必ずかうして二重の手間と時間を懸けたものでなければならないからである

 円本時代の多くの翻訳全集はこの「綜合翻訳」が導入されていたはずだが、このように具体的に記述されているものは少ない。しかしこの益田は昭和二年春からの翻訳中に病魔に侵され、出版の日を待たずに、五年一月に鬼籍に入ってしまった。益田は『日本近代文学大事典』の索引に名前だけは見えている。彼は大正十年代に表現主義の紹介と導入に関係した人物のようで、それもあってドイツ語に通じていたのだろう。その益田の病気だけでなく、森田も三度順天堂大学に入院したことも加わり、訳了も遅延してしまったことから、定期配本を宿命づけられた全集ゆえに、「略」のままでの出版になったと推測される。

 だがこのようなプロセスもあり、森田にとっても「実に想出の深い全訳である」し、新潮社にしても、完訳が望ましいのはいうまでもない。そのためにイレギュラーなかたちの『補遺デカメロン』が刊行されたのではないだろうか。

 このような森田の翻訳への持続する配慮は、彼がそれ以前に本探索1053などの国民文庫刊行会の訳者兼編集者だったことに起因しているにちがいない。私もかつて彼の『千一夜物語』の翻訳にふれているけれど、森田は夏目漱石の弟子で、『煤煙』の作者だとばかり思っていた。ところが『煤煙』所収の『寺田寅彦・森田草平・鈴木三重吉集』の「年譜」の大正三年のところに、「この後十数年間に亙りて常に翻訳の筆を絶たず」とあるのを見出した。本探索1191のダンヌンツィオばかりでなく、国民文庫刊行会のゲーテ『ウイルヘルム・マイステル』二冊、セルヴァテス『ドン・キホーテ』二冊、デュマ・フィス、アナトール・フランス『椿姫・タイス』一冊の翻訳者でもあったのだ。

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 これらは『千一夜物語』四冊も含め、国民文庫刊行会の「世界名作大観」全五十巻に収録されている。かつて拙稿「鶴田久作と国民文庫刊行会」(『古本探究』所収)を書いた際に、その明細リストを巻末に示しておいたが、その後入手していないこともあって、失念していたことになる。

 また森田の「年譜」は昭和六年に、「法政大学の人々数人にてジェームズ・ジョイスの翻訳の企てあり、諸氏の共訳に眼を通すため仲間入りさせられる」の記述を見て、どう考えてもふさわしくない森田が訳者として名前を連ねていた事情を了解したのである。彼は大正九年に法政大学教授になっていた。他の訳者は名原広三郎、竜口直太郎、小野健人、安藤一郎、村山英太郎で、本探索1015などの第一書房と異なる岩波文庫版『ユリシーズ』は法政大学の英語教師たちによって担われていたことになり、それはそれでもうひとつの翻訳物語を生じさせていよう。

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古本夜話1194 ツルゲーネフ『文学的回想』と「トロップマンの死刑」

 本探索1173のドーデ『巴里の三十年』において、ツルゲーネフの『思い出』が届いたことを記し、同書を閉じていることを既述しておいた。

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 そこで角川文庫にツルゲーネフ『文学的回想』(中村融訳、昭和二十六年)があったことを思い出し、読んでみた。これは一八六八年にドイツの温泉地バーデン・バーデンで書かれ始め、七四年にモスクワで初版が刊行されたものなので、八三年のツルゲーネフの死後、ドーデの手元に届いた『思い出』とは内容が異なっているのかもしれない。なぜならば、ツルゲーネフがドーデの悪口をいっているに該当する部分はないし、ドーデは登場していないからだ。

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 ツルゲーネフはこの『文学的回想』で、プーシキン、ベリンスキイ、ゴーゴリ、レールモントフなどを自らの小説の登場人物のように細やかに描き、そこに彼らがそれぞれ忘れえぬ人たちであることのイメージとその余韻を漂わせている。当初はそのうちのレールモントフと『現代の英雄』に言及するつもりだったのだが、「トロップマンの死刑」という章があり、そこには思いがけずにマクシム・デュ・カン(『文学的回想』の表記はデュカン)が登場しているので、こちらにふれることにする。
 
現代の英雄 (岩波文庫 赤 607-1)

 デュ・カンの同じ邦訳タイトルの『文学的回想』(戸田吉信訳、冨山房)には四分の一の抄訳のためか、ツルゲーネフは姿を見せていないけれど、フローベールとの関係からすれば、それなりに長い交際だと推測される。蓮實重彦はそのマクシム・デュ・カン論『凡庸な芸術家の肖像』(青土社)において、「五六年の夏という時期にパリに到達してしばらくフランス暮しを計画したロシア人作家にとって、知り合って損のない人物の一人としてマクシムが存在していた」と述べている。それはデュ・カンが『パリ評論』の編集者で、ツルゲーネフの戯曲を掲載したことにもよっている。
 
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 ある一家を皆殺しにした「トロップマンの死刑」は一八七〇年のこととされるので、その立ち会いにデュ・カンがツルゲーネフを誘ったのは、当時の二人の関係の親しさを伝えているのかもしれない。ツルゲーネフが語っているように、それは「少数の特権者」だけに許されるもので、しかもそこにロシア人も加わることになるわけだからだ。それにギロチンによる死刑はミシェル・フーコー『監獄の誕生』(田村俶訳、新潮社)が指摘するごとく、「芝居がかった大規模な祭りの姿をおび」、「見世物にされ」ていたのである。ツルゲーネフも書いている。「ロケット監獄の付近には、断頭台(ギロチン)がそろゝゝ持ち込まれるのではないかとそれをあてこんで、もう幾晩も続けて数千という労働者がつめかけて来て、夜半すぎにならないと散らないという有様だつた」と。

監獄の誕生<新装版> : 監視と処罰

 アルフレッド・フィエロ『パリ歴史事典』(鹿島茂監訳、白水社)を参照すると、一八三七年にロケット監獄は死刑囚用に創設されていたが、死刑執行人のサンソン一族は四九年に停職となり、その第一助手ジャン=フランソワ・エダンレッシュが七二年まで後を継いでいるので、トロップマンは彼によって処刑されたことになる。私が勝手にフランス版『子連れ狼』と称んでいるサンソン一族をモデルとする坂本眞一のコミック『イノサン』(集英社)を引用できなくて残念だけれど、この時代にすでにサンソン一族は終わっていたのである。

パリ歴史事典 子連れ狼 1 イノサン 1 (ヤングジャンプコミックス)

 ツルゲーネフはデュ・カンの提案に「度膽を抜かれた」が、「ろくに思案もせずに賛成し」てしまった。それもあって「自分自身への罰としても、また他人への戒めとしても」、「トロップマンの死刑」を書くことにしたと述べている。パリの郊外にあるロケット監獄にはギロチンが運びこまれ、群衆も集まり出し、暁方の三時には二万五千人を超えていた。

 ツルゲーネフたちは監獄の中に入り、トロップマンに会い、死刑の時がきたことを知らせる。彼は脱衣し、着替えるのだが、その行為はスマートなまでに単純だった。それもあって、「トロップマンの監房にいた間ぢうは、なんだか一八七〇年ではなく一七九四年(フランス革命末期にジャコバン派が多数の王侯貴族をギロチンに送っていた年をさす―引用者)の頃のやうな気持で、我々もたゞの市民ではなく、ジャコバン党かなにかで、そこらの殺人犯などではなく王政主義の侯爵でも処刑してゐるやうな気がした」とされる。

 トロップマンが死刑囚の常として、泣いたり喚いたりもせずに、冷静な単純さを常に保っていた真情は「彼が墓場まで持ち去つてしまつた秘密である」とし、ツルゲーネフは小説において風景や人物を招くようにして、淡々とトロップマンの死刑に至るプロセスとディテールを追い、最後の瞬間を迎える。

 遂に木で叩くやるな軽いコツンといふ音が聞えた—それは受刑者の首を押へてその頭を動かないやうに支えてゐて、刃が通るための縦の溝のついた首輪の上半月が落ちたのだつた・・・・・・。つゞいて、なにかが急にかすかに唸り、転げ落ちて―どさりと倒れた。まるで動物の巨体でもが斃れたやうだつた・・・・・・私にはほかにこれ以上適切な比喩を求めることは出来ない。気も心も遠くなつて・・・・・・。  

 ヴィクトル・ユゴーは一八六二年の 『レ・ミゼラブル』(豊島与志雄訳、岩波文庫)の第一部第一編四のギロチンのシーンにおいて、「それを見るものは最も神秘な戦慄を感ずる。あらゆる社会の問題はその疑問点をこの首切り刃のまわりに置く」と書いている。ツルゲーネフはこのシーンを想起したのかもしれないし、死刑シーンに続く彼の表白はそのことを暗示しているようにも思われる。

レ・ミゼラブル〈1〉 (岩波文庫)

 なおジョルジュ・バタイユは殺人鬼トロップマンの名前を用い、破棄された最初の文学作品『W・C』を書いた。またトロップマンは『青空』(天沢退二郎、晶文社)の主人公、語り手の名前として再び使われることになる。

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古本夜話1193 桜井鷗村訳『蛮人境』とその原作

 前回、長田秋涛に再登場してもらったので、やはり旧幕臣の翻訳家で、同じように晩年は実業界に転身した、『近代出版史探索Ⅲ』531などの桜井鷗村にも再び言及してみる。それは友人から『蛮人境』という翻訳書を恵送されたこと、また本探索1189のイギリスの出版社シャトー・アンド・ウィンダス社とも関連していると思えるからだ。

 同書は明治四十二年四月に同532の丁未出版社から刊行されている。鷗村はその序に、十年以上前に十数冊の冒険小説を刊行したが、その後は筆をとらなかった。だが昨年ヨーロッパを回遊し、ロンドンに四ヶ月滞在した際に、日本で「御伽噺、昔物語」に加えて、「殊更に怪奇を好んで、少年の軟柔なる心を挑発すること無き冒険小説」が隆盛になりつつあると感じたとして続けている。

 帰朝せねば我も昔へ還りて、此種のものに旨と筆を執らばやと思ひ、且つは又た我子等の追々年まさり行くにつれ、噺聞かまほしと常に責むるやうにもなりたれば、一時の寝物語よりは、しかず、さやうなものを文に書き与へんにはと、即ちここに其著手として述ぶるは、前にいへる類の第三種に属するもので此の『蛮人境』である。

 鷗村のいう十数冊の冒険小説とは、『近代出版史探索Ⅲ』533で既述しておいたように、明治三十三年から四年にかけて、文武堂から刊行された『初航海』『孤島の家庭』、それに続く「世界冒険譚」シリーズ十二冊をさしている。そのうちの『初航海』は『明治少年文学集』(『明治文学全集』95、筑摩書房)、『孤島の家庭』と「世界冒険譚」の『航海少年』は 『若松賤子・森田思軒・桜井鷗村集』(『日本児童文学大系』2、ほるぷ出版)に収録され、その鷗村が自負する当時の冒険小説の位相にふれることができる。

 明治文學全集 95 明治少年文學集

 ほるぷ出版の同巻所収の岡保生編「桜井鷗村年譜」によれば、鷗村は明治四十一年六月に大隈重信の依頼を受け、大隈編『開国五十年史』(英文)をイギリスで出版するためにロンドンに赴いている。そして翌年の十二月にやはり丁未出版社から帰朝土産としての『欧州見物』を上梓しているけれど、『蛮人境』のほうが早い。

f:id:OdaMitsuo:20210820111757j:plain:h120(『欧州見物』)

 『蛮人境』は「父の船に乗りて蛮地に赴いた一人の少年が、思ひもかけぬ災難がもとで、獰猛なる土人の国に深入りして、多年の苦しき月日を送るが中、野蛮の民も同じく情知る人間で、鬼のやうな国にも、鬼ばかりは棲はず、屢ば義あり涙ある者の助を受け遂に再び本国へ帰る、其間の勇壮惨憺たる経歴」を有する。それは「英国の海軍少佐カメロン氏の名高き著書」に基づき、編述したとされる。また補足すれば、その表紙絵は『近代出版史探索Ⅲ』592の鷗村の弟の桜井忠温の手になるもので、先の『日本児童文学大系』掲載の口絵画家は不詳とされていたが、その画風の共通性からして、忠温だと思われる。

 さてこの『蛮人境』=「カメロン氏の名高き著書」のことになるのだが、そこでのZola , His Excellency 巻末のChatto & Windus 出版目録を繰ってみたところ、何とそれらしき一冊が見出されたのである。それを示す。Cameron (Commander V. Lovett), The Cruise of the “Black Prince” Privateer. 鷗村はCommander を「海軍少佐」としたと思われる。

 『蛮人境』の主人公の少年フランクは十七歳で、学校の寄宿舎に入っていたが、父はペトレル号の船長で、アフリカへの航海に同伴することになった。「人を食ふ蛮人や、椰子や象、鰐魚や河馬の巣とも云ふべき阿弗利加」は怖いけれど一度はいってみたいと思っていたのだ。しかし船は乗っ取られ、フランクは酋長の養子となって三人の花嫁を持つことになって、アフリカでの波乱万丈の体験を重ねていくことになる。邦訳タイトルを、『私掠船の黒い王子』とすれば、それらの内容と重なってくるはずだ。だが鷗村の翻案の実情は不明なので、類推でしかないのだが。

 またこれも確認のために、『リーダーズ・プラス』を引いてみると、“Verney Lovett Cameron” が見出され、英国の探検家であり、同一人物だとわかる。主著としてAcross AfricaOur Future Highway to India が挙げられているが、この両書は『蛮人境』の原作ではないだろう。

リーダーズ・プラス

 さてこの『蛮人境』をめぐって書いてきた理由は「我子等の追々年まさり行くにつれ、噺聞かまほしと常に責むるやうにもなり」、そこで「さやうなものを文に書き与へん」としたのは誰なのかを明らかにするためである。

 その一人は本探索1186の『売笑婦エリザ』の訳者桜井成夫で、彼は明治四〇年生まれだから、年代的にも一致することになる。そういえば、『売笑婦エリザ』にしても、十九世紀フランスのひとつの『蛮人境』に他ならなかったのだ。

f:id:OdaMitsuo:20210804151217j:plain:h120(『売笑婦エリザ』)

 ところがその後の調べで、残念ながら『蛮人境』の原作はThe Cruise of the “Black Prince” Privateerではなく、In Savage Africaであることが判明したことを付記しておく。

In Savage Africa (Original and Unabridged Content) (Old Version) (ANNOTATED) (English Edition)


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出版状況クロニクル161(2021年9月1日~9月30日)

21年8月の書籍雑誌推定販売金額は811億円で、前年比3.5%減。
書籍は433億円で、同0.1%減。
雑誌は377億円で、同7.2%減。
雑誌の内訳は月刊誌が314億円で、同6.1%減、週刊誌は62億円で、同12.2%減。
返品率は書籍が37.4%、雑誌は43.6%で、月刊誌は43.6%、週刊誌は43.7%。
書店売上も厳しく、書籍、文庫本、新書はいずれも10%減、ビジネス書は15%減、
雑誌も定期誌、ムックが10%減、コミックスも1%減で、『鬼滅の刃』ブームも終息しつつあるのだろう。
秋を迎え、出版業界はどこへ向かっていくのだろうか。


1.『日経MJ』(9/1)の2020年度「卸売業調査」が発表された。
 そのうちの「書籍・CD・ビデオ部門」を示す。


■書籍・CD・ビデオ卸売業調査
順位社名売上高
(百万円)
増減率
(%)
営業利益
(百万円)
増減率
(%)
経常利益
(百万円)
増減率
(%)
税引後
利益
(百万円)
利益率
(%)
主商品
1日版グループ
ホールディングス
521,0101.04,15167.84,42081.12,43913.2書籍
2トーハン424,5064.04,033205.81,68057614.9書籍
3図書館流通
センター
49,7817.62,155▲0.42,332▲1.61,46318.7書籍
4日教販27,6813.950339.335153.329410.9書籍
8春うららかな書房3,075▲19.051▲66.220▲82.51227.3書籍
MPD166,8496.191▲53.393▲54.2103.4CD
楽天BN51,991書籍


 卸売業調査の全14業種合計は減収減益で、売上高と営業利益は02年以来、最大の落ちこみを示している。
 それに対して、「書籍・CD・ビデオ・楽器」は巣ごもり需要によって、前年比2.2%増となったとされる。
 確かに日販GHD,トーハン、TRC、日教販もTRCだけは減益だが、増収増益となっている。
 しかしとりわけ日販とトーハンの数字は、コロナ禍と『鬼滅の刃』の神風的ベストセラーによって生み出されたもので、21年度も同様だとは考えられない。それに『出版状況クロニクルⅥ』で示しておいたように、19年度はトーハンにしても赤字だったのである。
 20年度はランク外のMPDにしても、営業利益、経常利益ともに半減し、実質的に赤字と見ていいだろう。楽天BNに至っては、決算期変更ゆえにしても、160億円近い減少である。
 さらに現在の楽天BNはネット書店専門取次へと転換し、600の帖合書店は日販へと移行するという。21年の「卸売業調査」の「書籍・CD・ビデオ部門」はどうなるだろうか。



2.講談社とアマゾンが取次と経由しない直接取引を開始。
 当面の対象は「現代新書」「ブルーバックス」「学術文庫」の既刊本とされる。
 大手出版社のアマゾンとの直接取引はKADOKAWAに続くものだが、すでに直接取引出版社は3600社に及んでいて、アマゾンの取次兼ネット書店のシェアは高まるばかりだ。

 これは本クロニクル156でふれたトーハンのメディアドゥの筆頭株主化、同157の丸紅とのDXを通じてのコラボ化などを契機として進められてきたことであろう。
 それは講談社にしても、大手取次や大手書店に対して、もはや遠慮も忖度もしないという立場を自ずと表明したことになる。いずれ小学館も集英社も続くはずだ。
 日本通信販売協会によれば、2020年の国内通販市場規模は10兆6300億円、前年比20.7%増で、1982年の調査開始以来、初めて2割を超えたという。
 そのうちのアマゾン売上高は2兆1848億円で、同25.2%増となっている。20年の取次経由の出版物推定販売金額は1兆2237億円だから、アマゾン市場のモンスターとしてのポジションがわかる。
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3.『週刊東洋経済』(8/28)が特集「物流頂上決戦」と題して、「アマゾンのヤマト外しで異次元突入」した物流状況をレポートしている。
 そこでまずアマゾンジャパンのジェフ・ハヤシダ社長の退任が伝えられている。彼は2012年から「物流部門を直接統括してきた業界有数の実力者」で、そのナンバー2もすでに退任しているという。
 それに伴い、「ヤマト外し」が進められ、「日本における物流・小売りの勢力図を一変させるきっかけになるかもしれない」として、「アマゾンが火をつけた物流の陣取り合戦」「“自前物流”を進める小売業界」チャートも提出されている。

週刊東洋経済 2021年8/28号[雑誌](物流頂上決戦)

 最も教えられたのはアマゾンによる中小物流企業の囲い込みで、ファイズHD、遠州トラック、丸和運輸機関、ロジネットジャパン、SBS即配サポート、札幌通運、ヒップスタイル、若葉ネットワークなどが挙げられ、ファイズHDはアマゾン依存度が69.9%に及んでいる。
 そうした「物流頂上作戦」をたどり、検証しながら、特集は「エピローグ」として、「アマゾン化」した世界に待っているものを問い、アマゾンは「あまたの競合を退け、圧倒的な支配力を獲得した。ただ、消費者や社員の幸せは保証されていない」と結ばれている。



4.集英社の決算は売上高2010億1400万円、前年比31.5%増の過去最高額を記録。
 売上高のうちコミックスは617億1300万円、同43.1%増。
 デジタル・版権などの事業収入は936億3900万円、同35.6%増。
 書籍は178億円、同72.4%増、雑誌は199億8800万円、同3.8%減。
 返品率はコミックス8.2%、書籍が18.7%、雑誌が38.1%となり、全体で17.7%。

『鬼滅の刃』『呪術廻戦』に象徴される、コロナ禍におけるすさまじいばかりのコミック景気による最高の決算というべきだろう。 
 コミックスの伸びもさることながら、突出しているのはデジタル・版権などの事業収入で、2011年には138億円だったので、10年で6倍になったことになり、全売上の46.6%と過半数に近づいている。
 デジタルは449億円、同42.5%増、版権は367億円、同25.6%増で、電子コミックと映画関連の活況による。
 それに対し、書籍と雑誌は合わせて377億円で、版権収入とほぼ同じ売上高である。これがコロナ禍と『鬼滅の刃』の神風的ベストセラーがもたらした大手出版社の現在の姿ということになろう。
 おそらくそれを範として、講談社も小学館も続いていこうとしているのだろう。

鬼滅の刃 23 (ジャンプコミックス) 呪術廻戦 16 (ジャンプコミックス)



5.文藝春秋のニュースサイト「文春オンライン」の8月の純PV(ページビュー)が月間6億3094万PVに達し、17年のサイト開設以来、最高となった。これまでの最高は21年6月の4億3117万PV だった。
 また外部配信先での閲覧を含めた総PVは10億9187万PV、UV(ユニークユーザー)は月間5553 UVとなり、純PV、総PV、UVとも開設以来、最高の数字を記録した。

 ケタが大きすぎて、ただちにそれらの最高の数字のイメージがわかないけれど、大手出版社の雑誌の世界も、こうしたデジタル分野へと限りなく接近していくであろう。
 しかしアマゾンではないが、そこでは取次も書店も必要とされず、もはや従来の読者もおらず、ユーザーだけになってしまうのかもしれない。
 だが出版業界は否応なく、そうした世界へと向かっていくしかないのだろう。



6.光文社の決算は売上高168億5100万円、前年比8.8%減。経常損失7億1600万円、当期純損失8億700万円。 
 2期連続の赤字決算。
 内訳は雑誌・書籍が84億5100万円、同4.6%減、広告収入が36億1200万円、同36.6%減、電子書籍・版権事業その他が41億9900万円、同25.6%増となっている。

 書籍は巣ごもり需要で文庫が堅調で、33億2500万円、19.6%増だが、雑誌と広告は20年6月のコロナ禍による主要女性誌2誌の発売中止の影響を受け、マイナスを余儀なくされた。
 しかしの集英社と同じく、電子書籍・版権事業は大幅なプラスで、すでに書籍売上を超え、51億2500万円の雑誌にも迫っている。
 おそらく来期は電子書籍・版権事業がトップに躍り出るだろう。
 それでも赤字決算の中で、書籍が前年を上回ったことは慶賀で、まだ光文社新訳文庫も続けられていくだろう。



7.『新文化』(9/2)が「日本文芸社黒字体質転換への軌路」と題し、吉岡芳史社長に取材している。そのストーリーを要約してみる。

 日本文芸社は1959年に夜久勉によって創業され、その死に伴い、1976年にADK(当時は旭通信社)の傘下に入った。2016年にADKは日本文芸社全株式を20億円でRIZAPグループへ売却した。そのためにグループ関連の実用書を刊行する一方で、神保町の自社ビルを売却し、錦糸町へと移転する。社員の反発は強く、退職者も出た。
 そして今年3月RIZAPグループは全株式をメディアドゥに15億円で譲渡するに至り、日本文芸社は同じく子会社となったジャイブとともに、メディアドゥのインプリント事業の強化を担うことになった。
 そのかたわらで、日本文芸社は編集・営業体制の変革によって、昨年は黒字決算、今年もそれを上回る数字で推移している。

 メディアドゥが注目したのは日本文芸社の『週刊漫画ゴラク』を中心として生み出されたコミックコンテンツであろう。長編コミックとして永井豪『バイオレンスジャック』や雁屋哲作/由起賢二画『野望の王国』をただちに思い出す。
 だがコミック関連で最も印象的なのは、1980年代に創刊された『COMIC ばく』、及びそこに連載されたつげ義春『無能の人』『隣りの女』、つげ忠男『ささくれた風景』、近藤ようこ『夕顔』『ラストダンス』、ユズキカズ『枇杷の樹の下で』などである。
 これらも電子コミックとして配信されていくのだろうか。

漫画ゴラクスペシャル 8号 [2021年3月15日配信] [雑誌] 連載再現版 バイオレンスジャック(1) (KCデラックス) 野望の王国 完全版 1 f:id:OdaMitsuo:20210926150545j:plain:h117 無能の人 隣りの女 f:id:OdaMitsuo:20210926152030j:plain:h118 夕顔 ラストダンス f:id:OdaMitsuo:20210926152726j:plain:h114



8.三省堂書店は神保町本店がある本社・本社ビル、及び隣接する第2、3アネックスビルを建て替えると発表。
 総敷地面積は530坪で、神保町本店は22年3月下旬に営業を停止し、4月から解体工事が始まる。神保町本店は仮店舗で営業予定。

 現在の神保町本店は1050坪の店舗面積を持ち、1981年に竣工し、それに合わせ、『三省堂書店百年史』を刊行している。それから40年が経過し、設備などの老朽化が進んだことで建て替えになったと説明されている。
 しかし真意は一等地にある530坪という所有不動産の有効活用であろう。だが1050坪の店舗面積の本店の仮店舗は周辺に見出すことはできないだろうし、相当量の返品が発生することになると、取次や出版社は覚悟すべきかもしれない。
 それに新ビル竣工は25年から26年頃とされているので、4,5年先の出版や書店状況は予想もできない。新ビルが何階建てになるのか、書店坪数はどのくらいになるのか、何も決まっていないことはそうした事柄を象徴している。



9.東京都古書籍商業協同組合の『東京古書組合百年史』が届いた。

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 A5判682ページ+口絵写真16ページの大冊で、1974年の『東京古書組合五十年史』に続くものである。こちらはずっと座右に置き、拳々服膺させてもらってきたが、今後は『同百年史』も加わることになる。
 理事長として、「刊行のことば」を記しているのは、駒場の河野書店の河野高孝で、20年ほど前に、彼と浜松の時代舎の田村和典と共著『古本屋サバイバル』(編書房)を刊行している。ちなみに付記すれば、田村も浜松で古書市を主催し、驚くほどの出来高になっているようだ。
 第一章の鹿島茂による「鹿島流・古本屋はいかにして生き続けてきたか」を始めとして、「右肩上がりの時代」「全国古書籍商組合連合会の設立と活動」「見よ、古本屋の豊穣なる世界」「支部及び交換会の歴史」、それに「資料編」が続いている。
 出版業界において、広く読まれてほしい一冊として推奨する次第だ。
古本屋サバイバル―超激震鼎談・出版に未来はあるか? 3



10.海竜社は事業を停止し、自己破産。
 同社は1976年に設立され、佐藤愛子や曽野綾子などのエッセイを始めとして、実用書や自己啓発書も及び、1600点の書籍を刊行してきた。
 2013年のピーク時は売上高8億1000万円を計上していたが、今期は1億6000万円までに落ちこんでいた。 
 負債は2億2000万円。

 佐藤愛子が200万を携え、支援に駆けつけたと伝えられているが、焼け石に水だったであろう。
 1980年代に友人が海竜社の営業を手がけていて、人生論は本当によく売れると語っていたことを思い出す。
 当時、人生論は大和書房や青春出版社も刊行していたけれど、海竜社は版元も含め、女性による女性のための人生論という趣があり、書店人気も高かった。
 しかし本クロニクル159で既述しておいたように、今世紀にはいって、ビジネス書に至るまで、人生論的色彩が濃くなり、そうした中で、経営者の下村夫妻の80歳代後半という高齢とともに、海竜社のカラーが埋没していったと考えられる。それが今回の事態へと追いやられた一因でもあろう。
odamitsuo.hatenablog.com

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11.看護の科学社が事業継続困難として、法的整理に入ると公表。
 看護の科学社は1976年創業で、雑誌『看護実践の科学』を発行していた。


看護実践の科学2021年8月号 特集:地域包括ケア病棟における看護の取り組み

 『出版状況クロニクルⅥ』で20年の医学書のベクトル・コアの破産を伝え、一般書と異なる流通販売の医学書の世界にも、近年危機がしのびよってきていていると記しておいた。
 それが雑誌の世界に露呈してしまった例であろう。それも皮肉なことに、コロナ禍において、『看護実践の科学』の版元が破綻するわけだから。



12.『新文化』(9/2)に「50年を迎えた工作舎の歩み」が掲載され、「工作舎50周年記念出版」として、『最後に残るのは本』という一冊が出されている。これは工作舎の新刊案内「土星紀」に寄せられた67人の書物エッセイをまとめたものである。

最後に残るのは本

 いずれ工作舎のことも書くつもりでいるが、現在の編集長米澤敬の「土星と標本」によって、工作舎が1971年に雑誌『遊』のために設立され、その社名が谷川雁の『工作者宣言』と「ワークショップ」の和訳に由来することを知った。それに雑誌『室内』と単行本を刊行する山本夏彦の工作社もあって、当時はややこしかったのである。
 また当初の発売元が仮面社だったことも初めて教えられた。どこで仮面社と工作舎が結びついたのかは何となく想像できる。だが私も『遊』に一文を寄せていることは想像できないだろう。そのことも含め、あらためて工作舎のことを書く機会を見つけよう。

objet magazine 遊 No.1 1971年 創刊号 (創刊号) f:id:OdaMitsuo:20210926161348j:plain:h120



13.ワイズ出版の岡田博の72歳の死が伝えられてきた。
 ワイズ出版は1989年に設立され、多くの映画書やコミックなども刊行し、岡田は映画プロデューサーも兼ねていた。

 最初の出版物の石井輝男・福間健二『石井輝男映画魂』を、新潮社を通じて献本されたことはよく覚えている。そのカバー写真は『網走番外地・望郷編』で、高倉健が斬り込みにいくシーンを使っていたのである。
 私は中学時代にいずれも石井監督の『網走番外地』『続網走番外地』『網走番外地・望郷編』を映画館でリアルタイムで観ていたので、そのシーンがすぐに思い出された。相手は「カラスなぜ鳴くの」を口笛で吹く杉浦直樹だった。
 同時代の出版人が次々と亡くなり、ハーベスト社の小林達也も死んだという。ハーベスト社は社会学専門出版社で、同様にアンソニー・ギデンズの『社会学』などを刊行していた而立書房の宮永捷も引退してしまった。
 それに『出版状況クロニクルⅥ』でふれたように、『マルセール・モース著作集』を企画していた平凡社の松井純も亡くなり、それらは社会学の翻訳に関係する編集者たちが不在となってしまった事実を伝えている。
 そのようにして、ひとつの分野の出版が否応なく衰退していくのだろう。

石井輝男映画魂 網走番外地 [DVD] 続・網走番外地 [DVD] 網走番外地 望郷篇 [DVD] 社会学



14.『近代出版史探索外伝』は9月下旬に発売された。
 異色の三本立て構成で、楽しめることは保証するけれど、例によって少部数で高価なために、図書館へリクエストをお願いできたら幸いだ。
近代出版史探索外伝
 論創社HP「本を読む」〈68〉は「アナイス・ニン『近親相姦の家』と太陽社」です。

ronso.co.jp

古本夜話1192 デュマ・フィス『椿姫』とその翻訳史

 続けて、新潮社『世界文学全集』30に収録の『サフオ』『死の勝利』を取り上げたが、もう一作も同様で、それはデュマ・フィス、高橋邦太郎訳『椿姫』である。

f:id:OdaMitsuo:20210816112415j:plain:h120 (『世界文学全集』30)

 たまたまこの巻には「世界文学月報」がそのまま残っていて、『近代出版史探索Ⅳ』623の成島柳北が明治五年にパリで『椿姫』の芝居を見たという書簡の掲載、高橋による『椿姫』の最初の翻案である、明治十八年の天香逸史閲、醒々居士編『新編黄昏日記』の紹介、同二十二年の加藤紫芳訳『椿乃花把』の書影、映画化された『椿姫』の八シーンが一ページに収録されている。

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 現在では『椿姫』はほとんど読まれていないと思われるが、大正から昭和前期にかけては小説、戯曲、映画とメディアミックス化され、ひとつの物語の範となっていたと推測される。『世界文学全集』にしても、その表紙カバーの絵は『椿姫』のヒロイン、マルグリット・ゴオチエで、『椿姫』が巻頭作品であることも、そうした時代を表象しているのだろう。

f:id:OdaMitsuo:20210816113435j:plain:h120(『世界文学全集』30『椿姫』)

 その時代のニュアンスを伝えている『世界文芸大辞典』(中央公論社、昭和十一年)の『椿姫』解題を引いてみる。

 『椿姫』つばきひめ La Dame aux Camélias(1848)デュマ・フィスの小説。娼婦マルグリット・ゴーティエは純潔な青年アルマン・デュヴァルと真剣な恋に陥ちたが、一家の名誉を思ふ青年の父は、女の純情を認めながらも息子と別れることを懇請した。女は、止むなく、己の恋を犠牲にして男を棄てる。その後女は健康衰へ、青年が女の犠牲を知つて駈けつけた時は女は臨終の床にあつた。―作者は、この作に於て、浪漫的な恋愛情熱を描きながらも一方飽くまで現実に即して社会の慣習を無視してゐない。そしてそこに不浄の過去を持つ女の救ひは由緒正しき男性との恋愛にあるといふ作者の社会観が窺へる。女主人公のモデルは、当時艶名を馳せたマリー・デュプレシMarie Duplessis(1824-47)といふ女性である。この作は五幕物に劇化、一八五二年ヴォードヴィル座に上演されて画期的な成功を収めた。即ち劇に於ける写実主義の勝利を意味する。尚、ピアーヴは作詞ヴェルディ作曲の歌劇『ラ・トラヴィアタ』はこの小説を改作せるものである。

 ここには『椿姫』がもたらした社会的波紋と舞台、歌劇化は示されているけれど、『サフオ』と同様に、十九世紀特有の地方出身の青年と高級娼婦の男女間闘争は指摘されていない。アラン・コルバンも『娼婦』 において、「高級娼婦たち」、すなわち「娼婦の世界の頂上」に属するドゥミ=モンデーヌ、ファム・ギャラントなどにふれ、彼女たちを描いた文学作品が多いと述べているが、『椿姫』への言及はない。それはヒロインのマルグリットが自身の言葉を語り、書く存在であり、彼がテーマとする娼婦像のカノンをなりえないからだろう。

 娼婦 〈新版〉 (上)

 それに加えて、この『椿姫』の語り手の「私」は町で家具や骨董の競売広告を見て、その下見に出かけ、その家財道具がすばらしい部屋に娼婦が住んでいたことを知る。だが「私」は競売で骨董などではなく、「書物一冊、製本上等。天金。標題はマノン・レスコオ。第一頁に書入れがあります。十法(フラン)。」に思わずオファーする。それは競売人の「書入れがあある」という言葉に誘われてしまったからだ。そしてまさにこの『マノン・レスコオ』の一冊が『椿姫』の発端であり、語り手の「私」を通じて、マルグリットと主人公のアルマンの物語が始まっていくのである。それは『椿姫』が『マノン・レスコオ』の物語を反映していることを暗示させている。

 そういえば、先の「月報」にアベ・プレブオ、広津和郎訳『マノン・レスコオ』の広告があったことを思い出す。これは未見なので『新潮社四十年』を確認してみると、大正八年の出版である。またやはり新潮社から大正十一年には福永渙訳の『椿姫』も出されているが、これは英語からの重訳だったことから、『世界文学全集』収録にあたって、高橋によるフランス語からの訳にあらためられたのであろう。高橋は先行するすべての訳が「いずれも各々長所を有志、愛読せられた」ゆえに「殆どすべての翻訳を参照した」と述べているので、『近代出版史探索Ⅱ』333、324の長田秋涛訳『椿姫』を収録した木村毅編 『明治翻訳文学集』(『明治文学全集』7)の「明治翻訳文学年表」をたどり、それに大正時代を補足してみると、次のように抽出できる。

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1 天香逸史、醒々居士 『新編黄昏日記』 駸々堂 明治十八年
2 加藤紫芳訳 『椿の花把』 春陽堂 明治二十二年
3長田秋涛訳 『椿姫』 『白百合』 明治二十九年
4   〃    〃  『万朝報』 明治三十五年
5   〃     〃  早稲田大学出版部 明治三十六年
6 三原天風訳 『椿姫』 中村書店 大正二年
7太田三次郎 『椿御前』 春陽堂 大正三年
8福永渙訳 『椿姫』 石渡正文堂 大正四年
9 加藤朝鳥訳 『椿姫』 生方書店 大正十五年

 3の『白百合』連載は不明だが、4の『万朝報』連載は風俗壊乱で発禁処分を受け、連載中止となり、裁判を経て禁が解け、早稲田大学出版部からの刊行の運びとなったのである。大学出版部と娼婦小説の意外な組み合わせは、ひとえにその「序」で長田がいうように、デュマ・フィスは「欧州五大文豪の一人」で、『椿姫』が「純文学の標本」「十九世紀中五指に屈せらるゝ傑作」と見なされたことによっているのだろう。長田訳はマルグリットを後藤露子、アルマンを有馬寿太郎とするものだが、端正にして格調高く、大学出版部の名を裏切るものではない。パリやその演劇界に通暁し、また『世界の魔公園巴里』(文禄堂書店)を著わしている著者ならではの訳で、やはり同年の早稲田大学出版部の尾崎紅葉名義の『鐘楼守』も長田訳とされている。なおこれはユゴーの『ノートルダムの傴僂男』で、この昭和に入ってからの翻訳と戦後の児童文学への継承は、拙稿「講談社版『世界名作全集』について」「松本泰と松本恵子」(『古本探究』所収)を参照されたい。

f:id:OdaMitsuo:20210819143933j:plain(『魔公園巴里』)鐘楼守 ノオトルダム・ド・パリ 下 (国立図書館コレクション)

 またリストに掲載しなかった大正十一年の新潮社版『椿姫』は、8の石渡正文堂版の譲受出版だったことがわかる。新潮社にしても、譲受出版を手がけていたのである。


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