出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1297 大庭柯公『露国及び露人研究』

 本探索1288の荻野正博『弔詩なき終焉』を読むことで、田口運蔵が大庭柯公問題に深く関わっていたことを教えられた。これは大庭と田口の大正十、十一年のモスクワ滞在が重なっている事実からすれば、意外ではないけれど、荻野による田口の評伝の刊行によって明らかになったと見なすべきだろう。

 弔詩なき終焉―インターナショナリスト田口運蔵 (1983年)  

 大庭は『露国及び露人研究』が昭和五十年代に中公文庫化されたことで、その存在と著作がかろうじて残されたが、これは彼の没後の大正十四年に柯公全集刊行会から出版され、入手困難な一冊となっていたのである。なお文庫に付された長谷川如是閑の「序」は『柯公全集』のものを転載している。同書はほとんどが大正時代に書かれた「露国」と「露人」に関する研究というよりも、エッセイ、もしくはこまやかな愛情のこもったレポートといった色彩に覆われ、それらの百編が収録されている。いくつかの例を挙げれば、「夜の魔都、魔の女」「露国婦人の貞操問題」「革命前夜の露国婦人」「いわゆる露国の新しい女」などの女性や風俗問題にもふれられ、「黄禍」にあるドイツや、ジャップと侮蔑するアメリカとは異なり、日本人に対しても分け隔てないロシアの親密さにも及んでいる。

 

  そうした文章の集積が『露国及び露人研究』の一冊を形成していて、柯公が日露戦争後の第一次世界大戦とロシア革命を経たインターナショナルな社会状況下における卓抜なジャーナリストだったことが伝わっている。それならば、柯公とはどのような人物なのか。『日本近代文学大事典』における立項を要約し、他のデータも補足してみる。

 大庭柯公=景秋は明治五年山口県長府町生まれ、県士族の父に従い、東京に移住し、太政官の給仕をしながら英語とロシア語を学び、二葉亭四迷との機縁を得た。参謀本部通訳官などを経て、明治三十九年に大阪毎日新聞社に入り、海外特派員、国際ジャーナリストとなった。大正九年に大阪朝日新聞社に移るが、本探索1275で既述しておいた筆禍事件に伴い、長谷川如是閑、吉野作造、大山郁夫たちに同調して退社し、大正デモクラシーの先駆となった黎明会に加わり、『我等』の寄稿者となっていく。また社会主義同盟にも加入していた。そして十年には五月革命後のロシアへと赴き、消息不明となる。「露国及び露人研究」所収の『読売新聞』に送った「チタを発するに臨みて」が最後の記事とされる。

 【複刻日本の雑誌】E 創刊号 我等 1982年 講談社 [雑誌] (複刻版)

 当時のロシアの国境周辺は「日本人の冒険的入露者」も少なくなく、その中でも大物はロシア通のジャーナリストとして知られた柯公であり、それが『弔詩なき終焉』でも「大庭柯公」や「大庭柯公問題」として小見出しを付し、言及されている。コミンテルン極東支部の日本人責任者だった田口のもとにはそれらの問題も持ちこまれていた。柯公はハルピンやチタを経て、モスクワをめざし、イルクーツクに入ったが、チタで一緒になった富永宗四郎、久保田栄吉ともに、ソ連当局に拘留された。久保田は後の『近代出版史探索』111の『驚異の怪文書ユダヤ議定書』の訳者であり、柯公の先の著書にも「露国の油虫猶太人」が含まれているように、そのことで意気投合したのかもしれない。コミンテルンの日本人メンバーだけでなく、当時の「冒険的入露者」の魑魅魍魎とした錯綜ぶりをうかがわせていよう。

 田口はイルクーツクに赴き、コミンテルン幹部と交渉し、柯公はモスクワへ向かうことを許可され、到着したとされる。イルクーツク拘留のみならず、それに続く「大庭柯公問題」も入り組んでいるので、荻野の記述に従い、簡略にトレースしてみる。

 だが柯公はその前歴と軍部との関係、ブルジョワ新聞記者であったことからスパイの嫌疑がかけられ、モスクワで逮捕されてしまう。柯公はモスクワ東洋語学校で日本語を教えたりしていたが、ソ連からの出国を望み、自ら各方面に出国を働きかけ、ドイツ経由での帰国を許可する旅券がソ連外務省から降り、ベルリンに向けてモスクワ駅を発った。ところがその車中で逮捕、逆送され、モスクワのプチルスカヤ監獄へ投じられたのである。田口は柯公の入獄を知らされ、片山潜と相談し、ゲ・ペ・ウ長官トレリッチーに問い合わせたが、田口や片山はコミンテルンの日本人としてはアメリカグループであり、正式に日本グループからの要請であれば、保釈も考慮するとの返答であった。ここでいうアメリカグループと日本グループの対立も、柯公問題に屈折した影響を及ぼしていたようだ。

 それもあって、柯公のほうは堺利彦と山川均に対し電報を打ち、ソ連当局への身元保証を頼んだが、返事はなかった。そこで片山は日本からやってきた高尾平兵衛とともに、柯公の釈放運動に取り組み、日本からの正式抗議書を作成し、田口が高尾と再びトレリッチーを訪れると、柯公の保釈は約束されるに至った。しかしその夜、高尾はモスクワを去り、さらに翌日には田口が帰国のためにベルリンに向かい、田口は片山の指示に従い、本探索1287のベルリンの森戸辰男に柯公の件のフォローを依頼し、森戸もそれを了承している。

 片山や田口による柯公の保釈運動も功を奏したかにみえが、森戸への依頼も実を結ぶものではなかった。田口には帰国後、大庭夫人を訪ねたが、保釈されてからも三ヵ月にわたって通信がなく、再び入獄したのではないかという不安を聞かされた。実際に柯公はその後シベリアからイルクーツクに送られ、そこで消息不明となっていた。田口はモスクワ外務省などに問い合わせたが、柯公のその後は不明で、風説として獄中死や銃殺が伝わってくるだけだった。「大庭柯公問題」の真相は現在に至るまで明らかになっていないと思われる。


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古本夜話1296 日本評論社『日本歴史学大系』と清水三男『日本中世の村落』

 出版は前々回の「社会科学叢書」から十年以上後になるが、続けて同じく日本評論社の『日本歴史学大系』を取り上げておきたい。この『大系』のことは清水三男の『日本中世の村落』を入手したことで知ったのである。本体の裸本は背のタイトルも読めないほどだが、欠落ページはないので、まずは奥付裏に挙げられたラインナップを示す。なお番号は便宜的に付している。

 (戦後版)
 

1  山内清男 『日本文化の黎明』
2  肥後和男 『日本古代史に於ける神話と現実』
3  川崎庸之 『日本上代史に於ける思想と仏教』
4  北山茂夫 『律令体制の構造』
5  竹内理三 『律令体制衰亡期の諸問題』
6  小林良正 『日本中世商業史』
7  清水三男 『日本中世の村落』
8  鈴木良一 『日本中世に於ける政治と経済』
9  中村吉治 『徳政論』
10  船越康壽 『崩壊期荘園の研究』
12  児玉幸多 『近世農村社会史』
13  石井孝 『幕末外交史』
14  信夫清三郎 『近代日本産業史序説』
15  大久保利謙 『現代日本史』
16  羽原又吉 『日本漁業史』


 もう一人の著者として寶月圭吾が挙がっているが、「題未定」となっている。既刊書は7の他に14の信夫清三郎『近代日本産業史序説』の二冊だけで、その後何冊刊行されたのかは確かめていない。ただ7の『日本中世の村落』は菊判上製、索引も含めて四五六ページ、昭和十七年十月第一刷、同十八年六月第二刷とあることからすれば、続刊が出たとしても数冊だと見なせよう。

 私にしても『近代出版史探索Ⅵ』1116の『校註日本文学大系』を始めとする時代のトレントとしての『大系』シリーズにふれているが、『日本歴史学大系』は知らなかったし、清水と『日本中世の村落』しても、大山喬平・馬田綾子校注の平成八年の岩波文庫の刊行によってである。それを読むことで、清水が日本中世史研究のパイオニアで、同書が中世荘園制のもとでの自然村落の事態を探り、中世農民の豊かな農耕生活と芸能文化を浮かび上がらせた名著であることを教えられた。

日本中世の村落 (岩波文庫)  (『校註日本文学大系』)

 それだけなく、清水が昭和十三年に治安維持法違反で逮捕され、それ以後思想犯として警察の保護観察下にあり、その間に『日本中世の村落』も書かれ、続いて召集され、敗戦でシベリア送りとなり、スーチャン捕虜収容所で戦後の二十二年に死亡したことも。『近代日本社会運動史人物大事典』を引いてみると、確かに立項され、京都帝大史学科出身で、和歌山商業教授で、マルクス主義の洗礼を受け、中井正一たちの『世界文化』同人、寄稿者で検挙されていることがわかった。

近代日本社会運動史人物大事典

 それらのことは驚くに値しないが、次のような「解説」の文言にはいささか途惑ってしまうのである。

 中世という時代は「村落が国家生活の基礎」をなしていた時代であると清水は述べる。清水にとって村落は近年の一部の歴史家によって唱えられているごとき文化的に痩せ細った村落ではない。彼にとって中世の村落とはそこに混有されている都市的要素によって特徴づけられていた。「中世においても文化的政治的中心として都市があり、・・・・・・その都市的要素は近世・現代の如く、少数の都市に集中せず、比較的地方散在的であり、・・・・・・村落自体の中に都市的要素が現代、近世よりもより多く混有されていた」というのである、こうした都市認識は正当なものである。網野善彦に代表されるような近年の研究は非農業民や都市的要素を中世村落から峻別させすぎており、もともと豊かであった中世村落の概念をひどく貧しいものにしてしまった。

 この大山による「解説」は私憤をぶちまけているような印象を与え、清水の著作の岩波文庫化に乗じた中世村落をめぐる東西の中世史学アカデミズムの代理戦争のようにも思える。

 それを裏づけるのは林屋辰三郎の名前が出てくることで、清水は出版に際し、後輩の林屋に一編の論文を託し、林屋は敗戦直後に京都の地に日本史研究会を創設し、機関誌『日本史研究』を創刊する。そしてそこに清水から託された論文を載せ、その帰国を待ったとされる。清水は帰ってこなかったが、日本史研究会は内外に代表するとして、戦後歴史学を担い、東京の歴史学研究会に対置されている。
 
 林屋といえば、京都史学アカデミズムの重鎮で、岩波書店からも『中世芸能史の研究』などの主要な著作を上梓していることから類推すれば、大山の「解説」は林屋の意をくんでのことだったとも見なせよう。そこで『日本歴史学大系』に戻ると、そこに林屋の名前はない。ここでもその企画と人選をめぐって、東西の史学アカデミズムの内紛がすでに起きていたかもしれないし、出版をめぐる遺恨とトラブルは複雑に絡み合い、戦後まで持ちこされたとも考えられるのである。

 なお後の調べによって、『日本歴史学大系』は古島敏雄『 近世日本農業の構造』と石井孝『幕末貿易史の研究』が続けて刊行されたことが判明した。


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古本夜話1295 大鎧閣、北一輝『支那革命外史』、平凡社『世界興亡史論』

 大鎧閣は前回の石川三四郎『改訂増補西洋社会運動史』に先行して、大正六年に北一輝の『支那革命外史』を出版している。

 それを知ったのは、みすず書房の『北一輝著作集』第二巻所収の『支那革命外史』に付された「本巻のテキストについて」によってだった。そこでは四種の版が示され、ひとつは大正五年の私家版『支那革命党及革命之支那』、後の三つは『支那革命外史』としての大正十年の大鎧閣版、昭和六年の平凡社版、『増補支那革命外史』としての大正十年の内海文宏書店版で、定本は大鎧閣だと明記されていた。これらはすべて未見で、古本屋でも目にしていない。

 しかし「解説」にあたる野村浩一「『支那革命外史』について」は、北の「並はずれたスケールの大きさ」と中国を素材とする「奔放なヴィジョン」を見ているが、そうした出版事情や書誌的な事象にはふれていない。松本健一の『若き北一輝』『北一輝論』(いずれも現代評論社)などを始めとする多くの研究書のすべてに目を通しているわけではないけれど、それらの研究において、出版経緯などにはほとんど言及されていない印象が残っている。 処女作『国体論及び純正社会主義』が北の二十三歳の時の自費出版で、発禁処分を受けたことは知られているにしても、この明治三十九年の大著が東京堂、同文館、有斐閣を取次兼書店として流通販売されていた事実を知っている読者は少ないと思う。私にしても『北一輝著作集』第一巻の口絵写真に示された奥付によって、それを初めて認識したのであるから。

  北一輝著作集 (第1巻)

 さて『支那革命外史』のほうだが、ここでは大正十年の大鎧閣版と昭和六年の平凡社版との関係にふれてみたい。実は後者の場合、これは拙稿「平凡社と円本時代」(『古本探究』所収」)で挙げておいた昭和五年の『世界興亡史論』の一冊なのである。しかもこの『世界興亡史論』には前史があって、『近代出版史探索』104などの『世界聖典全集』の世界文庫刊行会から、大正七年に出された『興亡史論』全二十四巻を継承している。『近代出版史探索Ⅲ』502で、その一冊のナポレオン三世『羅馬史論』を取り上げているが、ラインナップを示しておかなかったので、その正、続編の二十四冊を上げておこう。

正編

1 『世界史論進講録』 レオポルド・フォン・ランケ 著  村川堅固 訳
2 『ケーザル時代羅馬史論』  ナポレオン三世著  長瀬鳳輔 訳
3  『ペートル大帝時代露西亜史論』  クリュチェフスキ- 著 堀 竹雄 訳
4  『仏蘭西革命史論』  ローレンツ・フォン・スタイン著  綿貫哲雄 訳
5  『英国膨脹史論』  シーレー 著  加藤政司郎 訳
6  『普魯西勃興史』  フォン・トライチケ 著  斎藤茂 訳
7  『君主経国策』  マキャヴェルリ著  吉田弥邦, 松宮春一郎 共訳
8  『英国憲政論』  バジョット著  吉田世民 訳
9  『欧洲思想史』  ヴィンデルバント著  北昤吉, 井上忻治 訳
10  『宋朝史論』  王船山著  松井等、前川三郎 共訳
11  『史論叢録』 上  大類 伸 編
12  『史論叢録』 下   大類 伸 編

続編

1  『近代建国史』  瀬川秀雄編
2  『亜歴山遠征史』  アリアヌス・フラヴィウス 著  坂本健一 訳
3  『印度史観』  エドワルド・ラプソン, ヴインセント・スミス 著  圀下大慧 訳
4  『欧洲民族文化史』  イエーリング 著  井上忻治 訳
5  『海戦史論』 ガブリエ・ダリウ 著 加藤政司郎, 松宮春一郎 共訳
6  『政治哲学』  アリストテレース著  木村鷹太郎 訳
7  『立国教育論』 アルフレッド・フィーエー著  中島半次郎 訳
8  『君主経国策批判』  フレデリック大王 著  長瀬鳳輔 訳
9  『支那近世政治思潮』  黄宗羲 等著  松井 等 訳
10  『書簡集録武家興亡観』  中村 孝也 纂述
11  『史論叢録』 前 大類 伸 編
12  『史論叢録』 後 大類 伸 編

 この世界文庫刊行会『興亡史論』に対して、平凡社『世界興亡史論』は全二十巻で、四冊が省かれていることになる。それを『平凡社六十年史』の「発行書目一覧」の明細と照らし合わせていると、次のような異同が判明する。正編の9『欧洲思想史』、続編の6『政治哲学』、7『立国教育論』、8『君主経国策批判』、正続共通の11、12『史論叢録』の八冊が『世界興亡史論』のラインナップから漏れている。その代わりにその17は北一輝『支那革命外史』、18はワルシュ、工藤重雄訳『露西亜帝政没落史』、19はバーカー、山口貞孝訳『アメリカ繁栄史論』、20は大類伸編纂『小国興亡論』に差し換わっている。ただし20は『史論叢録』四冊のアンソロジーだと思われる。

 これらの巻と内容の差し換えに関して、『平凡社六十年史』『世界興亡史論』とその内容見本を挙げているだけで、『近代出版史探索Ⅱ』361の『ロシア大革命史』と同じく、他の版元の焼き直しゆえか、残念なことに何の言及もない。そのために大正十年の大鎧閣版『支那革命外史』がどうしてこの『世界興亡史論』に組み込まれたのかという事情は不明である。それでも想像できるのは9の『欧州思想史』の共訳者が一輝の弟の昤吉なので、大鎧閣の紙型流用と目される先述の内海文宏書店版の問題もあり、自らの訳書の代わりに兄の著作を組み入れるように依頼したのではないだろうか。

 (『ロシア大革命史』 第9巻『赤色テロル』)

 これで17と20の説明はつくけれど、18と19の二冊の差し換えは何に起因しているのか定かでないし、それほど必要性があったのかはタイトルや訳者名だけでは判断できない。

 そもそも大鎧閣からの北一輝の『支那革命外史』の出版にしても、大鎧閣の『解放』の創刊、これも本探索でお馴染みの社会主義者の片山潜、堺利彦、大杉栄などとの北の交流を通じてではないかと推測されるが、管見の限り、そうした証言を目にしていない。まさに大正時代の出版は謎が多いというしかないし、それは大正十二年の改造社の『日本改造法案大綱』も同様だと思われる。

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古本夜話1294 日本評論社「社会科学叢書」、石川三四郎『社会主義運動史』、大鎧閣『改訂増補西洋社会運動史』

 前回のシンクレア『資本』の表紙カバーの裏面はめずらしいことに、日本評論社の一八〇冊に及ぶ出版目録となっていて、ここで初めて目にする書籍も多く、あらためて日本評論社も全出版目録を刊行していないことを残念に思う。それだけでなく、裏表紙は「社会科学叢書」三〇冊の広告で、これもほとんど未見であり、そのままリストアップしてみる。このアカデミズム的「叢書」も左翼文献の色彩が強く、時代のトレンドと水脈を伝えていよう。
 

第1編  本位田祥男  英国経済史要
第2編  土田杏村   社会哲学
第3編  石原 謙   ギリシヤ人の哲学思想
第4編  堀 経夫   リカード派社会主義
第5編  高柳賢三   法律哲学
第6編  山川 均   社会主義サヴエート共和国同盟の現勢
第7編  波多野 鼎  社会思想史概説
第8編  高田保馬   経済学
第9編  小松堅太郎  社会学概論
第10編  高畠素之  地代思想史
第11編  上田貞次郎  株式会社論
第12編  波多野 鼎  新カント派社会主義
第13編  蝋山政道  行政学総論
第14編  小林良正  独逸経済史要
第15編  藤井 俤  各国労働党・社会党・共産党
第16編  新明正道  独逸社会学
第17編 荒木光太郎  墺太利学派経済学
第18編  小野清一郎  法律思想史概説
第19編  三谷隆正   国家哲学
第20編  山川 均  インタナシヨナルの歴史
第21編  田邉忠男 労働組合運動
第22編  土田杏村  ユートピア社会主義
第23編  藤井 俤  フアツシズム
第24編  美濃部達吉  人権宣言論外三編
第25編  アルフレツド・アモン  正統派経済学
第26編  石川三四郎  社会主義運動史
第27編  瀧本誠一  日本経済思想史
第28編  本位田祥男  協同組合論
第29編  今中次麿  政治政策学
第30編  松平斎光  フランス政治思想史
第31編  汐見三郎  財政統計
第32編  橋爪明男  英国の株式銀行

 18 25

 最後の二冊はこちらで調べ、追加している。馴染みのないタイトルの中で、26の石川三四郎『社会主義運動史』だけは記憶にあったので探してみると出てきた。B6判の裸本で、「索引」も含めて二二八ページで、これが「社会科学叢書」のフォーマットだと思われる。巻頭には「同叢書刊行の趣旨」も置かれ、「必ずしも思想の傾向を同じくするものたるを要しない。唯各々が夫々独自の立場より、学界に寄与せんとする真剣さに於て共通の連鎖につながるのみ」との言が見える。

 石川の『自叙伝』(上下、理論社)を読んでみると、「大正末期の社会情勢」という一章があり、本探索1287で挙げた「森戸事件」は「日本の思想界、評論界に激甚なるショックを与えた」が、「これがためにかえってクロポトキンの研究が熱病の如く流行した」。そこでふれておいた『クロポトキンの片影』のたちまちの重版がそれを表象しているのだろう。そして続いて「マルクスの流行となり、更に進んでサンジカリズムやギルド社会主義まで紹介されて、社会思想の弘通は一般社会にまで及ぶに至った」と述べている。

 そのために本探索1286の聚英閣の「新人会叢書」も企画刊行され、日本評論社の「社会科学叢書」も、そうしたトレンド上に成立したことになろう。しかし「森戸事件」からは時が流れていたし、「新人会叢書」のような原典や専門書の翻訳や研究書でなく、日本のアカデミズムによる啓蒙性を帯びた「共通の連鎖」的叢書が求められるようになったのではないだろうか。石川の言葉を借りれば、一般社会への「社会思想の弘通」を目的とするもので、それが「社会科学叢書」のラインナップにも反映されているように思える。

 そのことは石川自身も承知していたようで、『社会主義運動史』の「序」にも述べられている。まず同書が大正十五年の「社会経済体系」に収録した『社会主義運動史』の修正増補版だとの断りが入っている。これは未見だが、『全集叢書総覧新訂版』で確認すると、大正十五年にA5判、全二〇冊が刊行されているので、「社会科学叢書」よりもひと回り大きく、所謂「講座物」的構成だったと考えられる。それをバージョンアップしたのが、「社会科学叢書」版ということになるし、それはこの「叢書」に共通しているのかもしれない。『社会主義運動史』は第一章「社会主義の起原」から始まって、第十二章「ボルシェヴスムとフアシズム」に至る「百四年間に於ける社会主義運動の諸相」に関する「素描」が提出されている。しかしそうした試みにはさらに前史があって、石川もそれにふれている。

全集叢書総覧 (1983年)

 私が初めて西洋社会運動史に執筆したのは明治四十年から同四十一年にかけて巣鴨監獄在囚中のことであつた。それは大正元年に出版して禁止され、大正十年に改訂版を出して関東大震災に遭ひ、更に大正十五年に復興増補版を出したが、其間に於て、私の読書の範囲が進むに連れて着眼点が変遷してゐる。(後略)

 その最初の『西洋社会運動史』からこの『社会主義運動史』を詳細にたどってみれば、石川の「着眼点が変遷してゐる」ことも判明するだろうが、私家版で出されたという初版、大正十年の改訂版は見ていないし、大澤正道編『石川三四郎著作集』(全八巻、青土社)にしても、それらは収録されていない。ただ私の手元に「復興増補版」だけはあり、それは『改訂増補西洋社会運動史』で、昭和二年に大鎧閣から刊行されている。この版元については拙稿「天佑社と大鎧閣」(『古本探究』所収)や本探索1221などでも大阪を出自とする出版社として言及しているが、関東大震災後の東京時代に関しては詳細がつかめていない。

石川三四郎著作集 全8巻(青土社) 古本探究

 昭和円本時代の中で刊行された『改訂増補西洋社会運動史』は菊判上製、本文だけで一一五〇ページという大冊で、定価六円となっている。「第一版の序」も収録され、興味深いのだが、ここでは版元のことに限りたい。発行所は東京神田今川小路、「合資会社」大鐙閣、代表者田中孝治とある。『近代出版史探索Ⅱ』で示しておいたように、大正時代には「株式会社」で社長は久世勇三だったことからすれば、大鐙閣はすでに別の「合資会社」として田中に引き継がれたと考えるべきかもしれない。それに加えて、『解放』の発行所であったためか、奥付裏の広告にはゲーバニツツ、佐野学訳『マルクスかカントか』、福田徳三『流通経済講話』、赤松克麿『社会革命史論』などが並び、石川の著作の他にも左翼文献版元の色彩を強くしていたことがうかがわれるのである。

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古本夜話1293 シンクレア、前田河広一郎訳『資本』

 前回の『セムガ』の前田河広一郎はやはり昭和五年に、同じ日本評論社からアプトン・シンクレア『資本』を翻訳刊行している。両者が併走するかたちで出版されたことは裏表紙見返しの『日本プロレタリア傑作選集』の広告が伝えていよう。そのリストは本探索1253で示しておいた。

 

 『前田河広一郎 伊藤永之介 徳永直 壷井栄集』(『現代日本文学大系』59、筑摩書房)所収の「前田河広一郎年譜」を確認してみると、大正時代末からシンクレアの翻訳を手がけていたとわかる。それらは『ジャングル』(叢文閣、大正十三年)、『義人ジミー』(改造社、同十五年)で、おそらく『日本プロレタリア傑作選集』の企画とリンクしているのであろう『資本』が続いている。その他にも『地獄』(南宋書院、同三年)、『ボストン』(改造社、同四年)があるようだ。

現代日本文学大系 (59) (『ジャングル』) 義人ジミー (『義人ジミー」)  

 私も『近代出版史探索Ⅱ』356で木村生死訳『拝金芸術』(金星堂、昭和五年)を取り上げた際に、いずれも新潮社の早坂二郎訳『真鍮の貞操切符』(昭和四年)、富田正文訳『金が書く』(同五年)、谷譲次、早坂二郎訳『ひとわれを大工と呼ぶ 百パーセント愛国者』(第二期『世界文学全集』8、同前)が手元にあることを既述しておいた。

 人われを大工と呼ぶ &百パーセント愛国者 シンクレーア著 ; 谷讓次, 早坂二郎譯 新潮社世界文学全集第2期第8巻

 それから『金が書く』の巻末広告には、同じく早坂訳『現代人の生活戦術』も見えている。また『近代出版史探索』21の佐々木孝丸の盟友佐野碩訳『プリンス・ハアゲン』(金星堂、同二年)、本探索1285の小池四郎訳『人は何故貧乏するか?』(春秋社、同二年)、同1217などの堺利彦訳『スパイ』(共生閣、同三年)、高津正道他訳『オイル!』(平凡社、同五年)などを考えれば、シンクレアの翻訳は昭和初期に集中して刊行されていたことになる。まさにシンクレア翻訳は真っ盛りを迎えていたといっていいかもしれない。
の訳者の高津正道であった。

石油!

 中田幸子は「ジャック・ロンドン・アプトン・シンクレアと日本人」のサブタイトルを付した『父祖たちの神々』(国書刊行会、平成三年)において、「シンクレア時代の開幕」という一章を設けている。それによれば、先述の翻訳にはもれているけれど、大正十四年に堺利彦が『石炭王』(白揚社)を刊行したことが日本のシンクレア流行の開幕を告げるものだったようだ。

父祖たちの神々―ジャック・ロンドン、アプトン・シンクレアと日本人

 これは本探索1217の『堺利彦全集』に収録されていないので未見だが、中田によれば、堺はその序で、『石炭王』『近代出版史探索Ⅵ』1180のゾラ『ジェルミナール』に続く「アメリカのジェルミナール」として紹介している。この『石炭王』はアメリカ史上最大の争議とされるコロランドの炭鉱争議を描いたもので、その『石炭王』から『資本』に至る翻訳を通じて、最も照応したのはこれも本探索1271などの青野季吉で、それに『文芸戦線』陣営もバックアップした。平田は昭和初期の『文芸戦線』だけでなく、『新潮』や『プロレタリア芸術』などに見られるシンクレアブームにふれ、「つまり一部の人々の間では、シンクレアは、その思想のみならず文学という点でも、手本と考えられていたのである」と指摘している。

 昭和初期の日本のプロレタリア文学の時代において、シンクレアの策本の文学的完成度と価値はともかくとしても、そのテーマゆえに時代の要請に見合う作家として歓迎される現象をもたらしたと考えられる。原題のMountain Cityだが、『資本』と邦訳されたのも象徴的である。この作品を簡略に紹介すれば、ひとりの貧しい牧場少年がサトウキビ農地に移って農場で働くようになり、第一次世界大戦で砂糖不足が生じたことで、牧場とは異なる利益を得るのだが、労働者のままでは限界があると悟る。そこで奨学金を得て、マウンテンシティ大学へと進み、金になる企画やセールスを試み、地元の富豪を訪問したりして、土地売買、税法、投資、株式市場などの資本のメカニズムを学び、富豪の娘と結婚し、金融資本家への道をたどっていくのである。やはりシンクレアの翻訳者早坂二郎は前田河がこの作品をシンクレアの『資本論』と見立てたと書いているようだが、それは『資本』の前田河の「序」にもうかがわれるので、それを引いてみる。

 日本の読者が、例えば、このシンクレーアの近作を読むに当つて、最も要慎しなければならぬことは、この種の機会的な政治的イデオロギーと文学との結びつきに関してである。この一篇の主題(テーマ)となっていゐるものは、如何にアメリカの近代資本主義が構成されて行くかといふからくりの経済的政治的暴露である。だが、作家シンクレーアは、決してそれを、通り一遍の、愚かにも露骨な統計表の転載や、独りよがりのルンペン労働的な罵倒をもつてしてゐるわけではない。そこには、小説といふものの独有性である総合力が働いてゐて、実際、私達が日常眼に見、耳に聞いて、大部分はわかるずじまひにしてしまふ世界が、鏡面に映する活きた姿となつて現はれてゐるのだ。単的に、これだけが光つてゐるといふものが実在の世の中に在り得ないやうに、雑然として各種の人や物や組織が、そこに織り成されてゐるのである。

 これは前田河によるシンクレアの『文学的資本論』解説と呼んでいいのかもしれない。また先の早坂は前田河と並ぶもう一人のシンクレアの翻訳者だといっていいが、『日本近代文学大事典』『近代日本社会運動史人物大事典』にも立項されていない。かろうじて『近代出版史探索Ⅳ』776の神谷敏夫『最新日本著作者辞典』に見出される。それによれば、東京帝大法学部出身で、朝日新聞記者をしていたとある。新人会に属していたようだ。また彼は「改造社版世界大衆文学全集総内容」(『古本探究』所収)で示しておいたが、ユーゴー『九十三年』の訳者で、口絵写真にそのポルトレが掲載されていることを付記しておく。

(日本図書センター復刻)


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