出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

出版状況クロニクル174(2022年10月1日~10月31日)

22年9月の書籍雑誌推定販売金額は1051億円で、前年比4.6%減。
書籍は635億円で、同3.7%減。
雑誌は416億円で、同6.0%減。
雑誌の内訳は月刊誌が353億円で、同5.2%減、週刊誌は62億円で、同10.5%減。
返品率は書籍が30.9%、雑誌は39.4%で、月刊誌は38.4%、週刊誌は44.7%。
書店店頭売上は大型台風の相次ぐ上陸もあり、書籍9%、ムック10%、コミックス22%といずれもマイナスとなっているが、取次POS調査によれば、総合的にも二ケタ減である。
書店状況は「液状化」しているとしかいいようがない。

*なお今回は変則的に13~15の項目は『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』に批判を寄せた根本彰のブログに対する反論を掲載した。
 最後までお楽しみあれ。
  


1.出版科学研究所による22年1月から9月までの出版物推定販売金額を示す。

 

■2022年上半期 推定販売金額
推定総販売金額書籍雑誌
(百万円)前年比(%)(百万円)前年比(%)(百万円)前年比(%)
2022年
1〜9月計
855,935▲6.8498,183▲4.3357,752▲10.0
1月85,315▲4.851,0020.934,313▲12.3
2月107,990▲10.367,725▲5.740,265▲17.0
3月143,878▲6.094,434▲2.749,444▲11.7
4月99,285▲7.554,709▲5.944,577▲9.5
5月73,400▲5.340,700▲3.132,700▲7.9
6月86,182▲10.844,071▲10.242,111▲11.4
7月74,567▲9.139,717▲6.934,851▲11.5
8月80,189▲1.142,322▲2.337,8670.2
9月105,129▲4.663,504▲3.741,625▲6.0

 前年の9月までは9179億円、前年比0.5%増で、最終的に1兆2079億円、同1.3%減であった。だが22年は8559億円、同6.8%減という事実からすれば、1兆2000億円を大幅に割りこみ、1兆1000億円前半の数字に近づいていくことが確実だ。
 ピーク時の1996年は2兆6564億円であり、定価値上げなどを考えると、3分の1近くの販売金額となってしまう。とりわけ雑誌のほうは1兆5644億円に達していたから、22年は5000億円を下回るはずで、こちらは3分の1以下になってしまうであろう。
 取次も流通業に位置づけられるし、これまでの総合取次の大洋社、栗田、大阪屋の退場はその赤字に耐えられなくなってのものに他ならない。
 流通業者の場合、赤字になるとそれは一挙に加速していくとされる。
 それにいつまで耐えられるかという正念場に差しかかっていよう。



2.丸善ジュンク堂が直営店23店を始めとする32店舗をトーハンへ帳合変更。
 返品はなされず、伝票切り替えによる。

 トーハンの「マーケットイン型販売契約」と桶川書籍流通センターによる年間364日の出荷体制、出版社倉庫とのEDI連携などによる書店の収益構造、及び出版流通改革のためとされる。
 それらはともかく、本来の目的はDNPの意向を受けての、丸善ジュンク堂、トーハン、メディアドゥとのコラボレーションのためだとも伝えられている。



3.『新文化』(10/20)が福井・敦賀市の公設書店「ちえなみき」のオープンをレポートしている。
 これは2023年度末予定の北陸新幹線の敦賀駅開業に向けた駅前開発事業の官民連携によるプロジェクトで、指定管理業者としての運営は丸善雄松堂と編集工学研究所の共同体が担う。
 売場は230坪で、古書も含め、在庫は3万冊、取次はトーハン。初期在庫費用は市が負担し、開店以後は丸善雄松堂が担い、棚の構成、選書は編集工学研究所による。

 この公設書店「ちえなみき」は同じく丸善と松岡正剛の編集工学研究所が仕掛け、失敗に終わった「松丸本舗」を想起してしまう。
 この人口6万人の敦賀市は駅の近くに平和書店、商店街には老舗の千代田書店、郊外には勝木書店などがあるが、それらへの影響は必然的で、ここでも公が民を駆逐していくことを危惧する。



4.文教堂GHDの売上高は164億8400万円、営業利益5200万円、前年比85.7%減。
 前期売上高は187億8200万円、経常利益は7500万円だった。来期売上高予想は155億7000万円。

5.精文館書店の売上高は193億100万円、営業利益5200万円、前年比12.6%減。
 営業利益は1億6600万円、同75.1%減、当期純利益は8100万円、同80.2%減。

6.三洋堂HDは愛知県江南市に中古ホビー「駿河屋」を初めて導入。
 145坪のレンタルに代わる業態。

7.CCCと三井住友フィナンシャルグループは両者の「Tポイント」と「Vポイント」を統合し、国内最大規模のポイントとなると発表。

 前回の本クロニクルのリードのところで、「八重洲ブックセンター本店の閉店が発表されたのは象徴的で、これからの取次グループ書店の行方に注視しなければならない」と書いておいた。
 4の文教堂と5の精文館は日販グループ、6の三洋堂はトーハンである。これも今回のリードに示しておいたように現在の書店売上状況からすれば、3社とも来期は赤字となることが必至だと見なせよう。
 前回もトーハンの近藤敏貴社長の24年グループ書店赤字説を引いておいたけれど、取次のグループ書店は23年にどちらも赤字に追いやられる可能性が高い。
 6の日販と「駿河屋」の関係については本クロニクル168で取り上げているので、そちらを参照されたい。
 7は日販と精文館にもリンクしていくわけだが、本当に実現するのだろうか。
odamitsuo.hatenablog.com



8.学研HDは学研プラス、学研教育みらい、学研メディカル秀潤社、学研サービスを、学研みらいを存続会社として4社を合併し、Gakkenに商標変更し、学研エデュケーショナルの一部門も移管する。

 私たちが知っている文芸書出版社としての学研は完全に終わってしまった。
 かつては『国木田独歩全集』を刊行していたし、意外に思われるかもしれないが、『世界文学全集』や『日本文学全集』も試みられていたのである。
 それらの版権などはどのように処理されているのだろうか。



9.岩波書店の『世界』前編集長が退任。

 これは前回の本クロニクルでふれた『世界』編集部内の内紛だが、11月号の編集後記にあるように、前編集長が退任することになった。
 だがそれに伴い、6、7本の連載も終わりとなってしまったようだ。雑誌の時代の終りを告げる出来事にようにも思われる。
世界 2022年11月号



10.作品社の和田肇前社長が亡くなった。享年81歳。

 和田は河出書房新社出身で、営業に長く携わり、「出版は1にカネ、2にカネ、3、4がなくて5にカネ」という身につまされる名セリフをもらしていた。
 「出版人に聞く」シリーズに登場してもらいたかったが、現役の社長でもあったことから、残念ながらそれはかなわなかった。退職後にオファーすればよかったと悔やまれる。
 和田のことは『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』でも言及し、彼がTRCとコラボし、カネになる名企画「日本の名随筆」シリーズを企画し、作品社のドル箱とならしめたのである。
 ご冥福を祈る。
日本の名随筆 (1) 花



11.栗田英彦編『「日本心霊学会」研究』(人文書院)が届いた。

「日本心霊学会」研究: 霊術団体から学術出版への道

 これは著者の一人の「神保町のオタ」から恵送されたもので、サブタイトルに「霊術団体から学術出版への道」とあるように、人文書院の立ち上がりとその出版物をたどった一冊である。
 人文書院の前身が日本心霊学会であることはほとんど知られていないと思うし、近代出版史における必携書に位置づけられよう。



12.日本古書通信社の折付桂子による『増補新版東北の古本屋』(文学通信)が出された。

増補新版 東北の古本屋  

 これは19年の自費出版『東北の古本屋』の増補版で、すばらしくヴァージョンアップされている。見やすい地図、フルカラーの大きな写真、詳細な索引も付され、東北古本屋案内であると同時に、古本屋から見た東日本大震災の記録となっている。
 それに『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』の重要な証言者である故佐藤周一の古書ふみくらも健在だと知らされ、安堵した次第だ。



13.『朝日新聞』(10/16)に『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』の、「学者芸人」サンキュータツオによる書評が掲載された。

book.asahi.com

 この書評をきっかけにして、根本彰のブログにその書評と同書への批判が出され、「自らの誤ったイメージを垂れ流すこの本を、朝日の書評に出たからという理由で選書する図書館が多数あるとしたら、恐ろしい」と書いている。また本人が「この本について図書館関係者はもっと批判していくべきだ」と発信し、フォロワーが「拡散希望」と記したことで、国会図書館大場利康(tsysoba)、京都橘大学嶋田学らを始めとする図書館関係者のSNS、及び本クロニクルにもヘイトを加えてきた「Bookness2」、「dellganov」らのリツィートが大量にばらまかれている。それらの多くは『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』を読むこともなく、自分で考えることもせず、根本の批判に便乗しているだけである。

oda-senin.blogspot.com

 それゆえに、共著者の中村文孝の了承を受け、文責は小田として、ここで反論しておく。その前に根本彰にふれておけば、東大名誉教授、慶応大学教授で、『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』で言及している図書館の「神様」の一人で、私と面識もないようによそおっているが、2002年に私と「対談」した際に、「僕の下らない本を読んで頂き有難うございます」と述べた人物である。(p214)もちろん本で名前は出していない。この「対談」は私の『図書館逍遥』(編書房、2001年)が刊行された翌年のことであり、『図書館の学校』No33に掲載されている。

図書館逍遥

 その「神様」のご託宣を傾聴してみよう。それは「彼等が図書館については単なる外部からの観察者であり、にわか勉強で補ったものをもとにした歪みがそこここに見られる」と始まっている。そして「最大の疑問は対談という形式である」として、「対談」は「その道の専門家や大家とされる人たちがやりとりするもの」だが、「この本で図書館について述べるとき両著者は専門家でも研究者でもない」と定義づけている。そのために『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』が「対談」にふさわしい「専門家」「大家」によるものでなく、中村と小田も図書館に関する「専門家」「研究者」でもないとのご託宣が下される。これでは最初から「神様」でない部外者は図書館を論じてはならないといっているようなもので、我々がずっと批判している図書館の「密教集団」性と「排他的なセクショナリズム」を露呈させている。

 まず「対談」という形式だが、21年11月に行なわれた2人の「対談」をベースにして、22年6月に至るまでの、双方の語り下ろしに近い加筆修正、それに資料を加えたものである。根本が印象づけようとしている素人の「内輪の勉強会の議事録」などではないし、我々にとっての「対談」は「にわか勉強」を補う手段でもない。中村との「対談」は3冊目であり、私は「出版人に聞く」シリーズで22冊「対談」を手がけ、その意図もはっきり述べている。(p80)それに我々が図書館の「専門家」「研究者」でないことは承知の上で、出版社・取次・書店という近代出版流通システムに最も通じた「専門家」として、「出版流通インフラとしての図書館の問題」に言及しているのだ。(p286)

 それが出版業界に関する知識不足のためにまったく読み取れず、「この本」も「著者の矜持や編集倫理のようなものが失われ、内容は何であれ売れればよいとするもの」の「列に連なる」とされる。タイトルにしても、それに由来するゴダールなどの「諧謔の妙のようなものが欠けているが故に不快な後味しか残さない」ということになる。

 ようするに根本は『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』の著者たち、出版者と編集、対談とその内容、書評、タイトルも含めて、すべてが気に入らない思いを滲ませ、不快だと告白しているのだ。これは「基本的な疑問点」の指摘、「批評」するといっておきながら、ヘイト告白でしかないことを浮かび上がらせている。

 それに続いて「散見される誤り」が列挙されているのだが、その引用と批判も恣意的で思いこみと誤読に基づいている。最初の16ページのところの引用にしても占領下の問題はすべてが解明されたとは言い難く、通史としては許容の範囲ではないか。そうではなく、本当に「戦後史のいろは」として実証できるのであれば、「一次資料」を示した上でなされるべきだろう。肝心なのはその後に続く「そして50年に全国学校図書館協議会が創立され、53年に学校図書館法が成立し、すべての学校に図書室が設置されてゆく」という一文なのである。

 139ページの長尾真に関しても、我々はわざわざカギカッコを付し、「専門職の資格を持つライブラリアン」と見なせる人物として挙げているのである。それはその前に「国会図書館の蔵書デジタル化とインターネット配信を推進した」との断わりを付した上での彼の位置づけであり、ここでも部外者としての長尾に対する図書館界の偏見がうかがえる。

 141ページの「JLAが官のイメージであるのに対し、図問研は民間という気がする」の件は、現実的な組織構図をいっているのではなく、ヒアリングした元図書館員が図問研に属し、現場の図書館員だったことに対し、JLA(日本図書館協会)は官ではないかという「イメージ」を示しているのである。それは私の図書館大会の見聞に基づいているし、その前後の140ページから143ページを読んでもらえれば、わかるだろう。

 199ページの「小中高や大学図書館の選書が既刊書がほとんどというのはどういうデータに基づくのだろうか」という指摘は、根本が『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』を拾い読みしかしていない事実を明らかにしていよう。それはTRC(図書館流通センター)の尾下千秋の著書の「図書館別 対象資料・購入担当者・購入方法」のデータで、196ページにそのまま表を一ページ転載し、その際に「既刊書」をゴチック表記にしている。それすらも見ていないし、読んでもいないのだ。

 さらに220ページの小学校の元校長たちが「図書館情報大学などの司書補の講習を受けている」に対して、根本は「時代認識が20世紀末で止まっている」と指摘しているが、これは前ページで「90年代」の話と断わって語っている事実を捨象している。

 それからこれは最後のところだが、22ページで「石井桃子『子ども図書館』が岩波書店や福音館の児童書・絵本を重視し、コミックや永岡書店の児童書はだめとすることを批判する」と書かれていると指摘する。だがこれも根本による手前勝手な要約である。私は「石井桃子たちとの理念とは逆で」「JLAの影響力のほうが問題だ」(210ページ)と補足説明しているし、それは「子ども図書館を起源とする図書館の児童書とその関係者である読み聞かせボランティアなどに関しての神話化と特権化」によって生じたものだという認識を示しているのであり、誤読している。

 そして「全体的な構図に対する批判」に至る。そこで『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』の眼目である書籍販売冊数と貸出冊数の逆転にようやくふれている。それに関して「実はこの論議は図書館界と出版業界の間で昔からある」として、書協とJLAによる『公立図書館貸出実態調査2003報告書』が示されている。しかしそれは20年前のものであり、現在の状況に対応していない。

 私が268ページから271ページにおいて、コメントしているように、それは年度版『出版指標年報』(出版科学研究所)と『日本の図書館 統計と名簿』をずっとトレースしていて、『出版状況クロニクルⅣ』の2013年のところで初めて指摘したものだ。271ページに1999年から2019年にかけての「書店数、図書館数、個人貸出総数と書籍販売部数」の推移を一ページ図表で示しておいたとおりである。

出版指標年報 (2022年版)(『出版指標年表』) 日本の図書館 2021: 統計と名簿 ( 『日本の図書館 統計と名簿』) 出版状況クロニクル〈4〉2012.1~2015.12

 ところが根本はそのページを示しながらも、その一ページ図表に言及しない。それを指摘したサンキュータツオの「書評」は「新聞記事の要約」「元の本の著者らの発言」として片づけ、次のように書いている

こうした言説はよく耳にする。インパクトがあるけれどもこうした耳になじみやすい主張は疑ってみた方がよい。そもそも書籍販売数と図書館の個人貸出数を比較することに意味があるのか。これだと、書籍販売数の減少は図書館の個人貸出が増えたから生じたと言っているように聞こえるが、その因果関係は十分に実証されていない。統計学で相関関係が因果関係を説明するわけでないと言われるが、これも現象面で対応しているように見えることも内実は証明されていないのだ。出たばかりの本を図書館が大量の複本を置いて貸し出ししていれば話しは別だが、今は複本の上限を限定していることが多いし、資料購入費自体が減っているから、図書館が貸し出している資料の多くは旧刊本に属する。

 前述したように、「こうした言説はよく耳にする」ものではなく、私だけが注視し、ブログや『出版状況クロニクル』で発信してきたのである。しかも271ページの図表は「書籍販売冊数」と「個人貸出総数」だけでなく、書店数とその減少、図書館の増加の推移も示され、それらの「因果関係」は明らかなのではないか。それに「図書館が貸し出している資料の多くは旧刊本に属する」といっているが、それは書籍販売数も同様であることを無視しているというか、まったく知らないのだ。

 その挙句に我々が「左翼思想」と「自らの『教養』についての捻れたルサンチマン」の持ち主で、図書館批判は「書店、取次、出版社、(ここでの言及はほとんどないが)、著者の経済的行為に影響している」と書きつけるのである。これらの根本の「批判」を要約すれば、我々は図書館の部外者でしかない一介の出版社や書店の人間で、自分たちのような大学教授の肩書ある「研究者」「専門家」ではないのだから、図書館に言及することは認めないといっているに等しい。
 それだけでなく、「著者の経済的行為」とは図書館で我々の本も認められないし、売れないということを言外に意味しているのだろう。「自らの『教養』についての捻じれたルサンチマン」というのは、根本が自分を丸山真男に擬していないのであれば、我々のコミックへの言及をさしていると思われる。

 根本のいうように、それだけは当たっているが、我々は確かに出版社、取次、書店の側に立ち、図書館を批判している。そして図書館のイメージを確立せずに増殖し、それがもたらした書店減少、及び地方自治体において図書館だけが残り、書店がなくなってしまった現実との相関関係を問題にもしている。それこそ根本の主張は我々のような「研究者」「専門家」でない、そのような本質的な批判は認めたくないということに尽きるであろう。

 その問題を直視することなく、根本はこのような恣意的な読み方による『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』に関する批判を重ねた上で、「ルサンチマンを隠しながら図書館をこんな形で批判するのは情けない態度に映る」と結んでいる。この言葉は「神様」が茶化された「ルサンチマンを隠しながら『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』をこんな形で批判するのは情けない態度に映る」と変え、そのまま根本にお返ししよう。


14.ブログ「古本虫がさまよう」が「僕が図書館について知っている二、三の呆れた事柄」を発信している。

kesutora.blog103.fc2.com

 それによれば、千代田区立図書館は『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』を貸出禁止、禁帯出にしているようだ。私のところの市立図書館も選書し、入荷したものの、郷土資料に分類し、一般の目にふれないような処理をしている。
 おそらく多くの図書館で、そのような処置がとられるか、もしくは選書不可となっているのではないだろうか。

 13で見たように、図書館関係者たちがこぞって批判し、「根本先生」の尻馬に乗って、「朝日の書評に出たからという理由で選書する図書館が多数あるとしたら恐ろしい」を拡散しようとしている。これは実質的に「検閲」に他ならないし、図書館に入れるなといっているに等しい。現代の「焚書坑儒」ではないか。
 これは『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』でふれた1950年代から60年代にかけての「悪書追放運動」を想起させる。(p97~105)
 それは明らかに「付録」として巻末に収録した「図書館の自由に関する宣言」に抵触しているけれど、「捻くれたルサンチマン」を有するとされた我々にとっては当然のことで、図書館が貸出したくない本の筆頭に位置づけられたのは「名誉」と見なすべきかもしれない]



15.一読者から根本の批判ブログを読んで、次のような一文が送られてきた。
 了承を得て、そのまま転載する。

~~~~~
ここで取り上げられている細部の事実誤認については、門外漢としては、よくわからない。しかし、ブログの著者根本は、大筋では、批判しているというよりも、賛成しているようにも聞こえる。

貸出とは無料で財を使用する仕組みのことである。市場経済中心の社会で無料で財が提供されることの意味を突き詰める必要があったのにそれがなされなかった。だから、今の図書館は一つの像を結ばない。一方では有名な建築家が設計した建物で専門的な司書によるサービスを受けられる図書館が話題になるが、他方、貸出サービス中心でそれを非正規職員が担当する図書館も少なくない。(ただし、ここでは職員の身分や待遇の問題と資格の有無とを混同しないことだ。資格をもたず事務作業のみを担当する職員がいてもいいことは否定しない。)それは1970年代以降のJLAの図書館政策がもたらしたものであることは否定できないだろう。

つまるところ、根本と、『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』のあいだの意見の相違は、「図書館が自らの存在意義を再定義し損ねた部分」をどのように評価するのかという点に集約されるはずである。『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』はその点においてきわめて批判的だが、根本は、わるく言えば現状追認的、よく言えばプラグマティックな図書館観を取る。

おしゃれで新刊雑誌や書籍をお茶を飲みながら読める図書館が増殖するという「本の生態系の変容」」が現れたなら、それは別に否定すべきことでも何でもない。つまり、本の生態系の変容はすでに多様な図書館を生み出した。そして他方では紙の本の読み手がどんどん高齢化してくなかで、図書館と出版界はその存在を互いに認めつつ役割分担を図りながら「本の生態系」の維持なり保護なりを図る視点でまとまりつつある。著者らの議論はこれまで図書館と出版の関係者が積み上げてきた議論を20年前のものに戻すものである。

「今の図書館は一つの像を結ばない」ことを、『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』は理念的、構造的な問題として捉えるが、根本はそこに実際的な問題があることを認めつつも、現状を現状として、抗うことなく受け入れる。

とはいえ、『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』が試みるのは、現状を批判するために、何かしらの図書館の理念を提示してみせることではないだろう。むしろ、そのような理念型としての「図書館」の定義を曖昧にしたまま、オポチュニズム的に図書館を運営してきたという歴史的構造の問題——図書館の歴史的使命の問題、と言ってみてもいい——を指摘することが、『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』の試みだろう。そのような理念と構造を問題として捉えない人間にしてみれば、中村と小田が指摘した現状にたいして、根本が「なぜ戦慄するのかよくわからなかった」という感想を口にするのはむしろ当然である。

『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』に「ルサンチマン」があるのかどうか。小田光雄の『書店の近代』にたいして、郊外型書店にたいするルサンチマンと町の書店にたいする憧憬があると論じるなら、まだわからなくもない。小田と中村に現在の大型書店にたいするルサンチマンがないのかということになれば、「あるのではないか?」と疑ってみないほうが穿った見方になるだろう。

書店の近代―本が輝いていた時代 (平凡社新書)

とはいえ、根本が差し向ける、『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』のふたりは捻れた教養主義者であり、図書館の現状が見えていないという批判は妥当だろうか。

そういう彼らは、石井桃子『子どもの図書館』が岩波書店や福音館の児童書・絵本を重視し、コミックや永岡書店の児童書はだめとすることを批判する(22ページ)

この引用をどう読むと、中村と小田の捻れたルサンチマンの現れと解釈できるのかはよくわからないが、『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』がこの箇所でクローズアップしようとしているのは、石井のコミックにたいする敵意そのものというよりも、石井のそのような態度が図書館の選書方針に引き継がれたのではないか、その結果として、良書主義にもとづく図書館の神格化が起こったのではないか、という点である。彼らが批判しているのは、図書館の良書主義によって教養を押し付けるという行為でこそあれ、そのように押し付けられることで身につけた教養そのものではないように思う。「石井らの家庭文庫運動から公共図書館運動に引き継がれた」ものとしての「子ども時代の読書体験の重要性」に批判的でこそあれ、子ども時代の読書体験の重要性自体を批判しているのではないように思う。このような教養主義を捻じれたルサンチマンと解釈するには、彼らが図書館にたいして狂おしいほどの愛を抱いていた(にもかかわらず、図書館に拒否され、裏切られた)と仮定してみなければならない。

だが、その仮定は当てはまらないように思う。中村と小田の図書館への思いは、せいぜい失望や幻滅にとどまるように思われる。根本がいうように、中村と小田は、結局は、「出版関係者」であって、図書館界隈の人間ではない。ふたりに図書館にたいする個人的な思い入れは大いにあるだろう。しかし、そのような思い入れは、あくまで個人的なものにとどまるし、たとえ個人的なもの以上であるとしても、それは出版人としてのものであろう。

彼らが図書館にたいして何かしらのルサンチマンを持ちえるとしたら、それは個々の図書館にたいするものでもなければ、図書館そのものにたいしてでもなく、今あるような図書館モデルを作り上げてしまった近代出版システムにたいしてであろうし、おそらくそれは、ルサンチマンというよりも、出版人としてそのようなプロセスの共犯者であったかもしれないという後悔や自責の念というべき感情ではないか。だからこそ彼らは、「出版関係者」として、近代日本における出版から流通のなかのひとつの結節点としての図書館にたいして、「本の生態系」という観点から、構造的な批判を加えることを、自らの仕事として引き受けたのではないか。

根本が捉えそこねているのは、まさにその点である。『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』の批判対象が、個別の図書館でも、個別の図書館政策でもないという点、単に経済的なものでも、単に行政的なものでも、単に社会的なものでもないという点である。

『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』が取り上げる対象が場当たりだという批判は、事実レベルでは正しく(それはそのとおりである)、分析レベルでは的外れである(小田と中村は、本の生態系としての図書館の問題を、見取り図のかたちで浮上させるために、あえてそのような分析方法を選んだのではないか)。

本書は全体として「図書館」を批判しているのだが、その図書館の実体を曖昧にしたままに議論しているように見える。ときには日図協の図書館政策だったり、図書館を設置している自治体(ないし教育委員会)の政策だったり、個別の図書館の運営方針だったりする。さらには図書館を支援するビジネス企業も批判の対象になっている。また、全体的には1970年代の「郊外の誕生」以降の大衆消費社会を問題にしているようにも見える。だが、彼らが出版流通関係者の立場をとるときに図書館との対比が明確になるので、批判の中心は図書館が購入する資料の質と量、およびそれが利用者に無料で貸し出されていること、そしてその結果書店、取次、出版社、(ここでの言及はほとんどないが)著者の経済行為に影響していることにあるようだ。

だから、以上の一節は、『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』が問題にしているのが、個々の具体的な問題ではなく、それらの個別事例を成立せしめた歴史的構造の問題、行政的なものと社会的なものと経済的なもののせめぎ合いの問題であることを、根本がとらえきれていないことを露呈しているのではないか。少なくとも、彼らの批判を「著書の経済行為」に還元するのは、あまりにも穿った見方ではないか。

『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』にたいする図書館関係者からの反論は、現在における図書館の「理想」と「現実」をめぐる議論から始められるべきではなかったか。「社会人や職業人に対して生涯学習や独学の機会を提供する役割、地域の文化的資料を集め後世に残すアーカイブ機能、地域住民の多様化に合わせた社会福祉や多文化的なサービスなどの重要な機能」を含めて、21世紀における図書館という装置/空間をいまあらたに定義しなおすという理念的で構造的な仕事こそ、図書館関係者が担うべきものであるように思われる。それはつまり、21世紀における図書館の使命を、たんに足し算的なもの、たんに総花的なものではなく、図書館というプロジェクトとしてわたしたちに指し示すという仕事である。しかしながら、上記の一節は最後にさらりと言及されるにすぎない。

『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』が「捻くれたルサンチマン」を内包しているかどうかはわからない。しかし、そのように著者たちを断罪することで『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』を批判することは、それこそ、根本の内に潜んでいるのかもしれない思い——神格的なものとしての図書館がますます変容していく現在にたいする忸怩たる思い、さまざまな機能を背負い込むことでますます定義困難なものとなっていく複数的な図書館の在り方にたいする曰く言い難い思い——を、『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』の著者たちにひそかに投影する行為になるのではあるまいか。
~~~~~


16.『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』は11月上旬に重版出来。
 論創社HP「本を読む」〈81〉は〈『ガロ』臨時増刊号「池上遼一特集」と「地球儀」〉

ronso.co.jp

古本夜話1327 加藤シヅエ『ある女性政治家の半生』とマーガレット・サンガー『性教育は斯く実施せよ』

 前回、加藤シヅエ『ある女性政治家の半生』に関して、石本静枝時代をラフスケッチしただけなので、表記を加藤に代え、もう一編続けたい。

 加藤シヅエ―ある女性政治家の半生 (人間の記録) (日本図書センター復刻)

 加藤は大正九年に渡米し、ニューヨークでバラードスクールに籍を置き、速記タイプライターなどを主とする秘書学の勉強を始めた。その一方で、マーガレット・サンガーのバースコントロール運動を知り、親交のあったアグネス・スメドレーを通じて、サンガーという「生涯の師との出合い」が実現したのである。それは何よりも、加藤の三池炭鉱体験に起因し、彼女の言葉を引けば、「私の頭の中には、三池炭鉱の、あの子だくさんの家庭の有様が浮かび上がり」「この方法を炭鉱のお母さんたちに教えて上げたい」と思ったからだ。サンガーは彼女にいうのだった。「自分の性生活をコントロールする方法を知らなくては、女性は自分自身を解放することはできません」と。

 本探索1289の『エマ・ゴールドマン自伝』においても、この時代の産児制限闘争でのエマとマーガレットとの共闘、及びその離反が語られているし、アグネス・スメドレーに関しても、後述するつもりでいる。そのようなニューヨークのフェミニズムと産児制限闘争の場に加藤も立ち合っていたことになる。

エマ・ゴールドマン自伝〈上〉 エマ・ゴールドマン自伝〈下〉

 大正十年に帰国すると、加藤はサンガーの産児制限の共鳴者として日本のジャーナリズムでも知られ、翌年には改造社がバートランド・ラッセル、アインシュタインに続いて、サンガーを日本に招くことになった。「産めよ殖やせよ」の「富国強兵」の時代にあって、産児制限を唱えるサンガーの来日は報道合戦を引き起こし、ビザや講演などの問題も生じたが、加藤たちの世話によって、無事に乗り切られた。

 この来日と加藤のことはエレン・チェスラー『マーガレット・サンガー』(早川敦子監訳、日本評論社、平成十五年)でも言及され、サンガーの言として、「私の訪日を通して、産児制限についての関心が高まった様子には本当に驚きました」「まる一週間にわたってこの問題についての見出し、一面記事、論説がこの国の各紙の紙面をにぎわしたのです」が引かれている。また同書には特別寄稿「加藤タキ 母、加藤シヅエを語る」も収録され、昭和二十九年のサンガー再来日の時の三人を含んだ集合写真も掲載されていることを付記しておこう。

マーガレット・サンガー―嵐を駆けぬけた女性

 その後加藤は産児制限相談所を開設し、講演活動に携わる一方で、サンガーの『文明の中枢』も翻訳刊行しているようだが、これは未見である。だがチェスラーの評伝には来日時にすでに翻訳が出され、読まれていたと記されている。実は最近、浜松の時代舎で、サンガーの『性教育は斯く実施せよ』を入手している。これは大正十三年に烏山朝夢訳として朝香屋書店からの刊行である。朝香屋は『近代出版史探索』17で伊藤竹酔が梅原北明訳『デカメロン』を出版し、イタリア大使館も利用したプロパガンダで評判になったことを既述しておいた。また同58で、サンガーと並ぶ英国の産児制限運動家のマリー・ストープス『結婚愛』も朝香屋から出されていることにも言及している。

 ただサンガーの『性教育は斯く実施せよ』の奥付発行者は伊藤ではなく、大柴四郎であり、彼は『出版人物事典』に立項されているので、それを引いてみる。

出版人物事典―明治-平成物故出版人

大柴四郎 おおしば・しろう 一八五六~一九二九(安政三~昭四)朝香屋創業者。大分県生れ。一八八三年(明一六)上京、東京稗史出版社につとめた後、八六年(明治一九)神田鍛冶町に朝香屋を創業、はじめは三遊亭円朝の口述講談本などを出版したが、翌年から医学書の出版を専門とした。九二年(明治二五)、一専門分野の団体として最も早くできた医書組合の初代組長をつとめたほか、東京書籍出版営業組合協議員を経て、一九一〇年(明治四三)から一五年(大正四)まで東京書籍商組合組長をつとめた。また日本書籍株式会社取締役、東京書籍株式会社常務取締役などもつとめた。朝香屋は昭和初期閉店した模様。

ここに見られる朝香屋と大柴のプロフィルからすれば、大柴は近代出版業界の重鎮と見なすべきだろう。それに対して初版発禁のストープスの『結婚愛』やサンガー『性教育は斯く実施せよ』はそぐわないし、朝香屋二代目としての伊藤竹酔のセクソロジーやポルノグラフィー文献の出版企画の系譜上に成立したと判断すべきだろう。しかも訳者の烏山は「文部当局に感謝の辞」を掲げ、教育者は同書を読むことで、性的知識に熟通すべしという文部省声明を発しているとの断わりを入れている。

 この烏山は同じくサンガー『処女愛』(文省社、大正十四年)の訳者の矢口達ではないかと当初は思っていたけれど、このようなパフォーマンス的仕掛けからすれば、梅原北明だと考えるしかない。この時期に昭和艶本時代は用意され始めていたのである。

 

 また最後になってしまったが、石本静枝が再婚する加藤勘十とは、彼女に足尾銅山での講演を依頼したことで初めて出会っている。彼は大正九年に結成された全日本鉱夫総連合会の書記を務めていた。その事実からすれば、加藤は本探索1288の田口運蔵、同1298の片山潜、近藤栄蔵、同1303の永岡鶴蔵たちともつながっていたことになり、当時の社会主義運動における炭鉱と鉱夫の重要性をあらためて教示してくれる。それは『近代出版史探索Ⅵ』1180などのゾラの『ジェルミナール』の翻訳とも密接にリンクしていたのである。

ジェルミナール


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古本夜話1326 石本恵吉、大同洋行、エリゼ・ルクリユの蔵書

 エリゼ・ルクリユ『地人論』の訳者の序には当時の石川三四郎の人脈が記され、この翻訳をめぐって吉江喬松、山下悦夫、芹澤幸治郎(ママ)、古川時雄の好意と助力を得たとされる。吉江は『近代出版史探索』189などで既述しておいたように、フランス文学者で、前回のルクリユの立項のある『世界文芸大辞典』の企画編集者、芹澤は拙稿「椎名其二と『パリの日本料理店』」(『古本屋散策』所収)というパリにおけるモデル小説を書いているので、石川ともパリ時代に知り合っていたのだろう。古川は本探索1321でふれておいたが、望月百合子の同志にして夫で、ともに仏英塾や共学社古書部フランス書房を営んでいた。山下悦夫は不明だけれど、春秋社の編集者ではないだろうか。

 この時代に石川の近傍にいた人物として、『ディナミック』に寄稿している、これも『近代出版史探索Ⅵ』1050などの生田春月、及び中西悟堂も挙げられるが、彼らは『地人論』の翻訳出版に直接かかわっていなかったので、ここでは挙げられていないと推察される。しかしその代わりに、ルクリユの死後に関係の深い石本恵吉の存在が語られている。

 私はブルッセル新大学内に於けるルクリユの遺物たる地理学院図書館の図書全部六万巻を日本に持つて来た。石本恵吉氏の志望と出費とによって、この貴重な記念物を日本に移すことになり、五十余屯の大きな荷物は深川の倉庫まで運ばれたのであるが、不幸にして、それはかの大震災に際して烏有に帰して了つた。

 ここで関東大震災において、エリゼ・ルクリユの地理学六万冊が「烏有に帰して了つた」ことを知るのである。かつて私も「地震と図書館」(『図書館逍遥』所収)書き、内田魯庵がいうところの「典籍の廃墟」「永遠に償はれない文化的大損失」(『内田魯庵全集』第八巻所収、ゆまに書房)に言及している。関東大震災は多くの図書館を炎上させ、膨大な貴重文献を消失させてしまったのであり、とりわけ東京帝大図書館はその「典籍の廃墟」を象徴するものだった。

図書館逍遥  

 主なものを挙げれば、『近代出版史探索Ⅲ』514などの言語、宗教、神話学のマックス・ミュラー文庫、法律、政治、経済学のデルンブルヒ文庫、エンゲル文庫、ヨセフ・コーラー文庫、ギリシア歴史、ラテン古文学のオードリー遺書、満州朝鮮地理書の白山墨水文庫などの八万冊に加えて、世界に一冊しかない満文、蒙文、西蔵文『一切蔵経』、幕府の『評定所記録』『寺社奉行記録』、足利時代から江戸時代にかけての切支丹文献などで、魯庵は「世界の大文庫の全滅」とまでいっている。おそらくルクリユの遺物の蔵書も帝大図書館に収まるはずだったので、いずれにしても関東大震災による被害は免れなかったであろう。

 それでは蔵書を買い上げ、日本へと運ばせた石本恵吉とはどのような人物なのか。幸いにして『日本アナキズム運動人名事典』に立項を見出せるので、それを引いてみる。

日本アナキズム運動人名事典

 石本恵吉 いしもと・けいきち 1887(明20)12-1951(昭26)東京市小石川区高田町(現・文京区関口)に生れる。父新六は男爵、陸軍中将。一高を経て東京大学工学部採鉱冶金学科に入学。一高時代の同級に岩波茂雄がいる。14年卒業、三井鉱山に入社。同年広田静枝(のち加藤シヅエ)と結婚し、三池炭鉱へ赴任。18年病気になり帰京。外遊して労働問題、思想問題に見聞を広める。21年頃三井鉱山を退社、洋書輸入の大同洋行を創業する。超一流の書籍のみ取り扱うという営業方針で、石川三四郎を介しブリュッセル新自由大学にあるエルゼ・ルクリュの蔵書6万巻を1万円で輸入する。また狩野亨吉所蔵の『自然真営道』などを7000円前後で購入し東大図書館に納める。商売というより不遇な学者を援助する文化事業のつもりだったらしい。だがこれらの書籍は関東大震災で烏有に帰し、大同洋行もその後まもなく解散したようだ。30年頃新天地を求めて満州に渡る。36年静枝と離婚。長男新は論理学者。

 この立項が石川三四郎の『自叙伝』(理論社)によっていることは明白であり、それを反復するよりも、静枝夫人は後に加藤勘十と再婚し、加藤シヅエとして『ある女性政治家の半生』(PHP研究所、昭和五十六年復刻、日本図書センター)を著しているので、そちらのほうを確認してみる。

 加藤シヅエ―ある女性政治家の半生 (人間の記録) (日本図書センター)

 静枝の父は東京帝大出の工学士で、英米との貿易に携わり、母は麻布の東洋英和を卒業し、弟は鶴見祐輔であった。彼女は大正三年に女子学習院を終え、石本と結婚する。彼は軍人の家系にもかかわらず、人道主義的な考えの持ち主で、鶴見と同じ新渡戸稲造の門下生の一人でもあり、内村鑑三や山室軍平の感化も受けていたので、彼女はその縁談を承諾したのである。そして石本は三井鉱山の技師として三池炭鉱に赴任し、静枝は夫ともども炭鉱の労働問題と貧乏人の子だくさんの見本のような生活を目の当たりにして三年間を過ごした。だが石本は健康を害し、帰京して療養することになる。

 彼女の証言によれば、石本は健康を回復すると、大正デモクラシーの盛り上がる中にあって革命思想に傾き、二人でアメリカに行くことを提案し、それを実行し、自らはマーガレット・サンガーに出会い、生涯の師として仰ぐことになる。しかしその一方で、石本の事業は様々な連帯保証なども含め、失敗続きで、財産の散財といった状況となり、静枝も精神的に消耗し始める。それに続いて、石本は国策に乗じるようになり、国士気取りの友人たちとの交流も盛んとなり、「満州に理想郷を作りに行く」といい、大陸へと向かってしまう。そこで彼女は離婚を決意するに至るのである。

 これらの彼女の記述から、ダイレクトな証言はないけれど、洋書輸入や超一流の書籍のみを扱う大同洋行の事業が失敗に終わったことを了解するのである。


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古本夜話1325 エリゼ・ルクリユ『地人論』

 前回、石川三四郎が千歳村で「土民生活」を始め、望月百合子とともに共学社として『ディナミック』を創刊したのはルクリユの影響が大きかったのではないかと指摘しておいた。そして当時、石川がルクリユの『地人論』を翻訳していたことも。

 それは昭和五年に『地人論(第一巻人祖論)』(以下『地人論』)として、春秋社から刊行されている。菊判函入、上製三三四ページ、多くの図版を配した一冊で、幸いにして手元にある。巻頭のルクリユのポルトレは『ディナミック』第五号の特集に掲げられたものと同じであり、『地人論』の原書からとられていたとわかる。あらためて同書に目を通すと、この第一巻は「人類の起原」「地的環境論」「労働論」「晩熟の民族」「家族、階級、部落」「歴史の分割とリヅム」の六章で構成され、全六冊のうちの第一編「人祖論」の全訳であると述べられている。

 したがって『地人論』全訳は邦訳十二冊の分量が必要となり、そのために石川にしても出版は不可能だと認識していたはずである。それをふまえて石川もフランスでの改訂縮約版の編集も進んでいることを記し、同版による以後の翻訳への意思を表明している。

 それにしても十九世紀から二十世紀前半にかけて、欧米で刊行された社会科学書の多くが大部の大冊で、日本の翻訳出版史において縮約版しか刊行されてこなかった。その典型に本探索1225の石川訳のコント『実証哲学』が挙げられるし、『近代出版史探索』76のハヴロック・エリス『性の心理』『同Ⅴ』913のフレイザー『金枝篇』にも見ることができる。だが近年『性の心理』『金枝篇』は全訳版が刊行され、版元の未知谷や国書刊行会の営為をたたえるしかないのだが、『地人論』は春秋社のこの一冊だけで終わってしまったのである。

 性の心理 第1巻 羞恥心の進化 (『性の心理』未知谷)金枝篇―呪術と宗教の研究〈1〉呪術と王の起源〈上〉 (『金枝篇』国書刊行会)

 それゆえに章の明細はたどれないけれど、第二巻以後の内容を示しておく。それらは第二巻「古代史」、第三巻「近代史」、第四巻「現代史」で、これに改訂版ではその後四半世紀の世界の変遷と動向も加えられ、石川も「若し出版者が私の全訳を出すことを承諾して下されば、勿論この改訂増補の分も加へる積りである」と付記している。しかし残念ながら、『地人論』はこの一冊だけしか刊行されなかったのである。このような大著は全訳がないこともあるけれど、本探索1314のヘーゲル『歴史哲学』よりもチャート化が難しいように思われる。それでもルクリユは「著者の序」で、『地人論』のプランに関して語っている。

 それは土壌だの、気候だの、総て歴史の出来事が成就された全環境の状況が展示され、『人』と『地』との協調が表明せられ、民衆の行動が大地の進化との調和的因果関係に於て説明されるやうなプランである。
 本書は、即ち今私が読者に提供するところのそれなのだ。

 もちろん石川は自らいうごとく「このルクリユ家に居ること七年間」という関係もあり、その親交を通じて、ルクリユの研究や思想に馴染み、「十九世紀の世界の最大人物の一人」との認識のもとに、没後二十五年、生誕百年祭りを記念して、この翻訳出版を実現させたことになる。それならば、日本での当時のルクリユはどのように位置づけされていたのか。それを『世界文芸大辞典』から引いてみる。付された名前、著書名、原語は省略する。

 ルクリュ(ママ)(1830-1905)フランス地理学者、無政府主義者。サント・フォワ・ラ・グランドに生れトゥールーにて没す。『世界地理』(1875-94)、『地人論』等の著で以つて知られる。ブリュッセルの大学で長らく教鞭を取つた。無政府主義者としての活躍も注目に値し、第一インターナショナル、パリ・コミュンヌ等に関係し、一時捕はれて極刑を宣せられたが、各国の学者の釈放運動による危うく救はれた。そのオネジム・ルクリュ(1837-1916)はオルテに生れ、パリにて没し、彼も亦地理学者として知られてゐる。『大地鳥瞰』(1877)『宇宙の最も美しき王国』(1899)等の著があり、ピトレスクで多彩な筆致は彼の著者の魅力の一つである。

 これを補足すれば、ルクリユの二人の甥のポールとジャックもアナキストとしてよく知られ、何れも石川との親交があったとされる。

 この中央公論社の『同辞典』は拙稿「『世界文芸大辞典』の価値」(『古本屋散策』所収)でふれておいたように、昭和十二年の刊行であり、同五年の『地人論』の出版から七年を閲していたことになるが、この立項にしても、石川による翻訳出版がなかったならば、難しかったかもしれない。それに石川は『古事記神話の新研究』(三徳社、大正十年)は『地人論』から地理学を学んだ賜物と称しているが、彼の他にルクリユのアナキズムはともかく、地理学の影響を受けた者が多かったとは思えない。

 ただこれはいずれ調べてみるつもりだが、フランスの新しい歴史学をめざすアナール派のリュシアン・フェーヴルの『大地と人類の進化』(飯塚浩二訳、岩波文庫)やブローデルの『地中海』(浜名優美訳、藤原書店)との相関関係で、ルクリユの地理学的業績はアナール派へと継承されたとも考えられる。だがブローデルなどと異なり、もはやルクリユのことは誰も語っていないように思える。

大地と人類の進化 上巻―歴史への地理学的序論 (岩波文庫 青 451-1)  〈普及版〉 地中海 I 〔環境の役割〕 (〈普及版〉 地中海(全5分冊))


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古本夜話1324 共学社と『ディナミック』

 本探索1321で、昭和二年に石川三四郎が世田谷の千歳村で土民生活の実践としての共学社を発足させ、それに望月百合子がパートナーとして加わったことを既述しておいた。

 その共学社から昭和四年に二人の編集で、月刊紙といっていい『ディナミック』が創刊されている。たまたま最近、アナキズム文献を主とするりぶる・りべろの古書目録で『ディナミック』全五十九号のうちの五十二冊を見つけ、入手したので、ここで続けて書いておきたい。初めて目にしたからだ。

 ディナミック ―石川三四郎個人紙 完全復刻 (『ディナミック』復刻版、黒色戦線社)

 『ディナミック』はA4判四ページの創刊号から始まり、昭和九年の最後の第五十九号は表裏二ページとなっている。例外は第五号で、エリゼ・ルクリエ特集という八ページ仕立てである。いずれも発行編輯兼印刷人は石川で、発行所は千歳村の共学社である。この「リー、フレット」の編輯助手を名乗っているのは望月入りで、タイトルの『ディナミック』はコントのタームDynamique Sociale(社会力学)からとられ、それは石川による巻頭言というべき「解放の力学」に顕著に表出している。

 その石川の言によれば、「今はディナミックの時代」で、小さな機械の建立と運転に際しても力学の知識と練習が必要なように、「況や大きな生きた社会を改造し、それを構成する数多き人類が解放されやうといふには、各自が綜合的社会力学の知識を以て其れを実行」しなければならない。そのための「綜合的社会力学の知識」を啓蒙普及しようとするのが『ディナミック』の創刊のひとつの目的だったと見なせよう。石川とコントの関係は本探索1225で見たばかりだ。

 この力学思想は昭和初期の日本社会のトレンドとしての文化モダニズム、プロレタリア文学などの影響もうかがえる。だが創刊後、ただ5にその特集が組まれていることから推測されるように、エリゼ・ルクリユの「綜合的社会力学」的思想に多くを負っていることは確実だし、石川はもちろんのこと、望月にしても、フランスでルクリユ一家の近傍にいたはずで、二人ともフランスからの帰朝者だったことに留意すべきだろう。

 号と話は飛んでしまうけれど、石川は最終号に「回顧五年」をよせ、この五年間の出来事として、騒がしい社会運動に対し、保守反動のうねりが起きたとして、満州事変、五・一五事件を挙げている。それらにまつわる盲動、策動は社会不安を伴い、深刻さを増すばかりで、「世を挙げて凶夢に悶えてゐるとしか思はれない」「激動の五箇年」だったと述べている。確かにそれは『ディナミック』を通読していくと伝わってくるものだ。石川の証言を聞いてみよう。

 今から十二年前、ヨーロッパから帰つて来て、最初に私の唱へたことは「土に還れ」といふことであつた。はでやかな社会運動の盛んななかに「土民生活」の提唱なぞを敢へてしたことは些さか突飛であつたかも知れない。だが併し農村問題のやかましい今日から見ると、それは可なり先見を誇つてもよい思想であつた。(中略)
 私が此地に来て、二反の土地も小作して半農生活を始めたのは、こゝを中心にして広い農村的共学組織を設ける為であつた。我々は今日の資本主義社会に於ては、産を共にすることは容易ではない。せめて学問知識だけでも共にしようといふ意味で私は共学社の名称を採用した。

 農村への回帰をテーマとする『近代出版史探索』141の島木健作『生活の探求』はまだ書かれていなかったけれど、石川は大正十四年に下中弥三郎たちと農民自治会の創立に加わり、昭和二年に下中の平凡社からは『同Ⅱ』242の権藤成卿『自治民範』が刊行されていた。したがって「土に還れ」、「土民生活」はアナキストだけでなく、ナショナリスト、後にコミュニストも含んだ時代のトレンドを形成していくのである。

 

 それに加えて、石川が共学社としてめざしたのは音楽家、画家、諸々の語学者も来訪し、独立自治のかたちで半農生活を営み、毎週一回一堂に会して、共学、共楽、共同的研究も行なうことだった。そうした生活は全国の同志たちにも伝わっていくことを予想したが、好事魔多しで、それはまったく実現に至らなかったとされる。そのために『ディナミック』の創刊が構想されたのである。その助走段階として、石川の共学社パンフレットとして、『土の権威』『土民芸術論』なども出版されていたことにも注目しよう。

 ただ『ディナミック』は「土民生活」を表現するには至らず、石川の科学的哲学的研究に終始し、そのコアは先述のコントだけでなく、『近代出版史探索』74のエドワード・カーペンター、とりわけエリゼ・ルクリユの『地人論』に基づく宇宙観的歴史論であった。石川は『ディナミック』を刊行するともに、その『地人論』の翻訳にも携わっていたのである。


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