推測の話(続き)——行政・ゼネコン・設計事務所の三位一体
小田 : だが後になって、T王寺問題を調べていくうちに、市とゼネコンと設計事務所が三位一体のようなかたちで、昭和40年代の開発に取り組んでいたことがわかり、それに先代もかかわっていたはずだ。
後発ではあるけれど、私が設計事務所やゼネコンとも関係するに及んで、他ならぬ自分もまったく無縁だったといえないことに気づかされた。
A : でもあなたの場合は利権などとは関係のない純然たる民間プロジェクトだから、そこまで気にすることはないんじゃないかな。
小田 : それはそうなんだが、ひとつの点で考えるのではなく、歴史と社会という線と面で捉えるならば、同時代の同じ地域でのプロジェクトであり、共時的な出来事と見なすべきだと思ったりもしたからだ。
それにバブル崩壊以前の開発環境と社会意識のことも思い出されたので。
A : 確かにそれはいえる。今となって考えてみれば、バブル経済の只中での開発は異常だったと考えるしかない。
小田 : それは行政のほうも同様だし、必然的に地方も巻きこんで展開されていたのは自明のことで、やはり同じ社会状況下にあったのは事実だ。だからそれらも踏まえ、色々と調べてみたことになる。
それらのすべてを挙げることはできないかもしれないが、自治会にとってきわめて重要なのは、昭和52年における市街化区域と調整区域による分断で、それも薬師如来の指定文化財化とパラレルに生じている。
A : つまり高度成長期とバブル時期がつながっていたし、その過程で自治会も大いなる変貌にさらされていたわけだ。それをあなたは身をもって体感していたし、そうした意味において、市やゼネコンや先代などの近傍にあった。
小田 : それは否定できないし、そのように考えてみると、かなり謎が解けるように思うし、それをT王寺=T應寺=T応寺説と文化財指定問題に当てはめてみる。前にいったことと重なっているところもあるけれど、もう一度たどってみる。
まず『市誌』おけるT王寺の薬師如来の件はゼネコンの社長を通じて、先代へと伝えられたと推測される。なぜならば、発掘のタニマチと教育委員を兼ね、『市誌』の記述に詳しかったのはその社長に他ならないはずだ。刊行から20年後のことだし、その箇所を記憶していた人はそれほど多くないし、教育委員会の人たちにしても、その関係者にしても、「文化財専門審議委員会」の内実や答申からすれば、読んでもいないことは明白だ。
もちろん政教一致で市議会議長の先代におもねる議員や市の職員がいたにしても、そこまでのサジェッションをする人物はゼネコンの社長以外に見当たらない。ちょっと強引な推理かな。
A : いや、あながち間違っていないと思うし、いい線をついているんじゃないかな。
それが刊行時から数年後のことであればともかく、20年後のことだから、それを覚えている人物は限られているし、T王寺=T應寺=T応寺説を実証できる裏付けがなければ、そんなことを吹きこんだりしないはずだ。
小田 : そう、実証も裏付けもないのに、ひきつけたことになる。それは先代ではないけれど、自分がいうことは通るだろうという自信を持った人物でないと、あえて言い出せないと思う。そう考えてみると、ゼネコンの社長しかいないし、開発をめぐる案件で二人はコラボレーションしていたとも考えられるしね。
このゼネコンではないけれど、先代と別の建設会社の社長との親密な関係も周知のものだったし、実際に老人憩の家の建設を受け持ったのはこの会社だった。といって、こちらの社長も先代と同じく、『市誌』を読むような人物ではないし、癒着していても、そうした関係ではないので、最初から除外していい。
それに、先代は市における政教一致の実力者だったとしても、まったく文化人ではなかったので、そうした方面からサジェッションがもたらされたとは考えにくい。
A : とすれば、そのゼネコン社長からのアドバイスと考えるしかないし、深読みすれば、何らかのバーター案件だったのかもしれない。
小田 : さすがに鋭いね。あなたも開発プロジェクトでは色々と苦労しているから、そう考えるのは当然だ。だがこれらの問題は具体的な証拠もないし、実証できないので、ここら辺で止めるしかない。



