十年間にわたって岩田準一と交わされた書簡による男色談義は、昭和十六年に南方熊楠が死去したことで終わりを告げる。岩田準一は十八年に『男色文献書志』の草稿を完成したが、彼もその刊行を見ずに二十年一月に亡くなっている。岩田も北村季吟に触発された…
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