2019-01-01から1年間の記事一覧
本連載946から少し飛んでしまったが、もう一度山田吉彦に戻る。山田はきだみのるの名での『道徳を否む者』の中で、「J…C…」=ジョゼフ・コットのポルトレを描いている。コットのことは本連載926でもふれているが、もう少し詳細にたどってみる。 彼は日…
本連載927に続けて、同948でも生活社にふれたこともあり、やはり生活社に関しても一編を挿入しておきたい。それは後者を書き終え、浜松の時代舎に出かけたところ、ずっと探していた生活社の一冊を見つけることができたからでもある。 その一冊とは昭和…
続けてマスペロに言及してみる。まず『世界名著大事典』(平凡社)の著者立項を挙げてみよう。 マスペロ Henri Maspero(1883-1945)フランスの中国学者。オリエント史の大家ガストン・マスペロの子。中国学者シャヴァンヌに師事。ハノイ極東学院研究員、コ…
19年8月の書籍雑誌推定販売金額は850億円で、前年比8.2%減。 書籍は414億円で、同13.6%減。 雑誌は435億円で、同2.4%減。その内訳は月刊誌が359億円で、同1.2%減、週刊誌は75億円で、同7.5%減。 書籍の大幅減は7月に大物新刊が集中したこと、前年同月が3.3%…
続けて一九三〇年前後のフランス民族学や社会学に大きな影響を与えたと推測される、トリックスター的な「パリのアメリカ人」であるW・B・シーブルックに言及してきた。 本連載935の松本信広はシーブルックがパリに現われる前に帰国している。彼の「巴里よ…
前回のシーブルックだが、真島一郎が「ヤフバ・ハベ幻想」(『文化解体の想像力』所収、人文書院)の「註」で付記しているように、一九六八年=昭和四十三年は「シーブルック元版」で、大陸書房から『アラビア遊牧民』(斎藤大助訳)と『魔法の島〈ハイチ〉…
これは別のところで書くつもりでいたけれど、マルセル・モースやその時代、及び前回の山田吉彦のモロッコ行とも密接にリンクしているので、ここに挿入しておく。 前回、フランス人類学の記念すべき始まりとしての西アフリカのダカール・ジプチ調査団の出発に…
山田吉彦もモースの弟子だから、彼のことももう少しトレースしておこう。彼は一九三九年にソルボンヌ大学を中退し、モロッコ旅行を経て、日本へと帰国する。そして二年後の昭和十八年に、マルセル・モース『太平洋民族の原始経済』の版元である日光書院から…
『民族』に関係していた松本信広たちよりも少し遅れてパリに遊学した研究者がいる。それは松平斉光だった。 彼は明治三十年生まれで、大正十年東京帝大法学部卒業後、西洋思想史を講義するかたわらで、日本政治思想を探究する試みを続けていた。しかし北畠親…
マルセル・モースのもう一人の弟子は宇野円空である。彼も『文化人類学事典』に立項されているので、まずそれを引いてみる。 うのえんくう 宇野円空 1885-1949 宗教民族学者。京都の西本願寺派の尊徳寺で生まれる。1910年に東京帝国大学文科大学哲学科を卒…
前回の赤松智城が、社会運動家の赤松克麿の兄であることにふれておいた。たまたま昭和二年に厚生閣から出された赤松克麿、赤松明子共訳のバーバラ・ドレーク 『英国婦人労働運動史』を入手しているので、ここで一編を挿入しておきたい。 著者のバーバラ・ド…
『民族』の寄稿者にはもう一人の赤松がいて、それは「古代文化民族に於けるマナの観念に就て」(第一巻第三号~第六号)を連載している赤松智城である。彼は前回の赤松秀景と異なり、『文化人類学事典』(弘文堂)に立項が見出されるので、それをまず引いて…
マルセル・モースが弟子の一人として挙げていた「赤松」とは、昭和二年頃にモースの『呪術の一般理論』を翻訳した赤松秀景だと考えられる。これは岡書院の「原始文化叢書」全七巻のうちの一冊だが、それだけでなく、全冊が未見で、いずれも稀覯本と化してい…
『民族』における「巴里(松本信広君)より『民族』同人へ」は第一巻第一号だけでなく、同第二号へと続き、第二巻第一号からは「巴里より」として、同第三号、第三巻第一号まで三回分が掲載されている。以下「巴里より」と統一する。それは大正十四年から昭…
19年7月の書籍雑誌推定販売金額は956億円で、前年比4.0%増。 書籍は481億円で、同9.6%増。 雑誌は475億円で、同1.2%減。その内訳は月刊誌が384億円で、同0.1%減、週刊誌は91億円で、同5.4%減。 返品率は書籍が39.9%、雑誌は43.0%で、月刊誌は43.4%、週刊誌は…
前回の石田幹之助『増訂 長安の春』に関して、もう一編ふれるつもりでいたが、紙幅が尽きてしまったので、今回のイントロダクションとしたい。 それは「隋唐時代に於けるイラン文化の支那流入」で、これも隋唐における支那とイラン文化の関係に言及して興味…
同じく『民族』編集委員であった石田幹之助は、岩崎久弥が購入した東洋学文献を主とするモリソン文庫を委託され、そのための財団法人東洋文庫の運営に長きにわたって携わっていた。 その石田は昭和十六年に創元社から『長安の春』 を上梓しているが、昭和四…
やはり『民族』編集委員の奥平武彦に関連する一編を挿入しておく。 佐野眞一は『旅する巨人』において、澁澤敬三が戦前の日銀時代に、マルクス経済学者の向坂逸郎や大内兵衛に対し、ひそかに経済的支援をするために、日銀の仕事をさせていたことにふれ、その…
有賀喜左衛門も『民族』の編集委員の一人であり、昭和九年の日本民族学会の設立発起人も務めていた、その翌年に日本民族学会事務局は澁澤敬三邸内のアチック・ミューゼアムに移された。彼は明治三十年長野県生まれ、二高で渋澤と同期、岡正雄は二年後輩で、…
前回、兄の岡茂雄を取り上げたこともあり、続けて弟の岡正雄にもふれておくべきだろう。 岡正雄は『民族』の編集に携わりながら、「異人その他」(第三巻第六号)を寄稿している。これは「古代経済誌研究序説草案の控へ」というサブタイトルを付した四十ペー…
『民族』は柳田国男と民族学を志向していた岡正雄の出会いをきっかけとして、大正十四年十一月に創刊され、昭和四年四月に休刊となった。休刊に至る経緯は 『柳田国男伝』の「雑誌『民族』とその時代」に詳しいが、創刊のきっかけとなった岡と柳田の不協和音…
もう一編モースに関して続けてみる。山田吉彦は『太平洋民族の原始経済』の「後書」において、講義後のモースとの交流について、次のように書いている。 火曜日には私はモース教授と同じ通りに住んでゐたので一緒に帰るように誘はれた。電車賃は何時もモース…
本連載929のデュルケム『社会学的方法の規準』の「訳者前がき」において、昭和二年に田辺寿利が関係しているフランス学会と東京社会学研究会の共催で、デュルケム十周年祭が開かれ、そこで当時東京日仏会館フランス学長のシルワ゛ン・レヰ゛、宇野円空、…
前々回の『自殺論』の訳者として、東北帝大で社会学講座を担当していた鈴木宗忠の名前を挙げておいたが、それに先立つ大正五年に、『チ氏宗教学原論』を早船慧雲と共述刊行している。これは内田老鶴圃からの出版で、手元にあるのは菊判上製四七〇余ページの…
フランス社会学などの話が続いてしまったので、ここで箸休めの一編を挿入しておきたい。それは前回宝文館にふれたことに加え、浜松の典昭堂で、戦後に宝文館から刊行された北村寿夫『笛吹童子』全三巻を入手したことによっている。 これは昭和二十九年に刊行…
19年6月の書籍雑誌推定販売金額は902億円で、前年比12.3%減。 書籍は447億円で、同15.5%減。 雑誌は454億円で、同8.9%減。その内訳は月刊誌が374億円で、同8.0%減、週刊誌は80億円で、同12.9%減。 返品率は書籍が43.4%、雑誌は44.7%で、月刊誌は44.8%、週刊…
デュルケムの『自殺論』はかつて中央公論社の『デュルケーム・ジンメル』(『世界の名著』47)に抄訳が収録されているが、昭和六十年になって、同じ訳者の宮島喬によって新たに全訳が中公文庫として刊行され、宮島自身の論稿『デュルケム 自殺論』(有斐閣新…
前回デュルケムの『宗教生活の原初形態』の他にも、戦前には彼の著作が翻訳されていたことを既述したが、それらは田辺寿利『社会学研究法』(刀江書院、昭和三年)、鈴木宗忠、飛沢謙一訳『自殺論』(宝文館、昭和七年)である。 前者の初版は未見だけれど、…
本連載926のレヴィ・ブリュル『未開社会の思惟』がエミール・デュルケムの『宗教生活の原初形態』の影響下に書かれたこと、及び同922のマルセル・モースがデュルケムの甥であることはよく知られた事実であろう。 (『未開社会の思惟』) デュルケムはド…
前回はレヴィ・ブリュルの山田吉彦訳『未開社会の思惟』を取り上げながら、そこに山田が献辞を捧げていたジョセフ・コットのほうに紙幅を多く割いてしまった。それは近代文学史や出版史において、コットが創立したアテネ・フランセが果たした役割は想像以上…