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古本夜話57 異能の翻訳者 矢野目源一

西谷操が営む操書房刊行のアンリ・ド・レニエ矢野目源一『ド・ブレオ氏の色懺悔』を持っていると既述した。その矢野目の名前を久し振りに目にした。それは09年に出た長谷川郁夫の『堀口大學』河出書房新社)の中においてで、「忘れられた奇才・矢野目源一」として、河盛好蔵や佐藤塑の評価や回想を援用しながら、数ページにわたって紹介していた。
堀口大學

また長谷川は倒産した小沢書店の元経営者でもあっただけに、堀口のサロンに集った人々の中に出版者の西谷がいたことを、忘れずに「秋朱之介も来た。朱之介は本名・西谷操。(中略)昭和六年に佐藤春夫の『魔女』を制作・出版して、限定版出版に情熱を傾けていた」と書いている。長谷川は記していないが、『魔女』は西谷の以士帖印(エステル)社から刊行された。既述した秋の『書物游記』によれば、昭和六年版は読者家版六百部、翌年に特装本限定四十七部が出され、表紙画は酒井潔によっている。

矢野目と西谷の関係はともに堀口大學の門下の詩人であることから、西谷は矢野編・訳の『美貌処方書』(美容科学研究会)、仏蘭西歌謡集『恋人へおくる』(操書房)なども出版している。これらの事実は昭和初期のポルノグラフィ人脈と堀口門下の詩人たちが連鎖していたことを物語っていよう。それに西谷は秦豊吉丸木砂土)の『僕の弥次喜多』(三笠書房)や横山重の『室町時代小説集』(操書房)も刊行し、当時の出版人脈の交錯を告げているかのようだ。

さて矢野目訳の『ド・ブレオ氏の色懺悔』に戻ると、訳文の端正さに比して、これは粗末な仙花紙による出版で、昭和二十三年の時代背景をまざまざと示している。そして「海表叢書4」という表記があるが、この明細は『書物游記』の「書目一覧」にも掲載されていない。この1は堀口大學訳のボードレール悪の華抄』だが、2、3は不明である。読者のご教示を乞う。

それでも私は矢野目訳の菊判上製本を三冊所持している。それらはマルセル・シュウオップの『黄金仮面の王』(コーベブックス、一九七五年)、W・ベックフォードの『ヴァテック』(牧神社、一九七四年)、同『亜剌比亜綺譚ヴァテック』(奢灞都館、一九八八年)で、牧神社版『ヴァテック』は生田耕作補訳が加わり、奢灞都館版はその再版である。なおその後、矢野目訳『ヴァテック』『ゴシック名訳集成暴夜幻想譚』(学研M文庫)に収録され、また ゆまに書房のオンデマンド版も刊行され、新訳としては「バベルの図書館23」国書刊行会)収録の私市保彦によるものがある。

ゴシック名訳集成暴夜幻想譚 ヴァテック

『黄金仮面の王』に「解説」を寄せている種村季弘は、矢野目によるヴィヨンの特異な訳をまず示す。これは長谷川も『堀口大學』に引用している。残念ではあるが、ルビは省略する。最近になって入手した『恋人へおくる』所収の「卒塔婆小町」の一節である。

   さては優しい首すぢの 肩へ流れてすんなりと
   伸びた二の腕手の白さ 可愛い乳房と撫でられる
   むつちりとした餅肌は腰のまはりの肥り膩
   床上手とは誰が眼にも ふともも町の角屋敷
   こんもり茂つた植込に弁天様が鎮座まします

この引用の後で、種村はヴィヨン研究者の佐藤輝夫や鈴木信太郎であれば、このような訳はありえないと述べ、次のように書いている。

 ここには、実際、十五世紀の泥棒詩人ヴィヨンがいるかどうかさえ定かではない。むしろはるかに荷風や杢太郎や吉井勇がおり、その背後には江戸狭斜の巷の水影にゆらめく白い腕や三味線の爪弾きの音さえも聞こえる。いや、そういう文体以前の自己の気質をしんから楽しそうに、ほとんど原作への忠実度などお構いなしに、ありったけ文体に投入して、ほとんど翻訳における文体倫理の幾何学的形式性を軟質の江戸文化の歌舞音曲のリズムがあわや破壊してしまうのではないかと思えるほどに、あでやかな戯れに耽倚しているのである。しかし遊蕩三昧とも見えるこの趣味性の強調は、仔細に眺めるなら、みずからの気質に忠実なるままに海彼の宝玉を愛でんがための、大正人なりに伝統文化と世界への好奇心を統一しようとする方法論の一環なのである。

あまりにも見事な、種村の矢野目ヴィヨン訳に対する解説なので、省略せず、長い引用になってしまった。これは後に「黄金仮面の王」として、種村の作家論集『壷中天奇聞』青土社)に収録された。矢野目源一論として、とても優れたものだと思われるので、興味ある読者はぜひ読んでほしい。

矢野目源一は明治二十九年東京に生まれ、慶応大学仏文科を卒業し、北村初雄や熊田精華を同人とする詩誌『詩王』に属する詩人として出発し、大正九年に処女詩集『光の処女』(籾山書店)を出版している。この詩集は未見だが、種村が表題作の「光の処女」全句をやはり「解説」に引用し、西方の異教的古代への眺望から能や歌舞伎の小町伝説を踏まえたヴィヨン訳への転位を、「光の処女に反省的に照射されたマニエリスム的作法」だと指摘している。

しかし矢野目の詩人や翻訳者としての独創性は、江戸文化をほぼ壊滅させた関東大震災を契機として後退し、前述の翻訳などもその後の出版なのである。『ド・ブレオ氏の色懺悔』は大正十三年に春陽堂、『ヴァテック』も昭和七年に同じく春陽堂『黄金仮面の王』は『吸血鬼』としてやはり大正十三年に新潮社から刊行されている。そして経緯と事情は定かではないが、昭和四年に伊藤竹酔の国際文献刊行会から、媚薬や精力増強の研究書であるウイリイの『補精学』を訳するに至り、発禁処分を受けることになる。

先の三冊の訳書の著者と内容にはあえて言及しなかった。矢野目については戦後のことを、いずれもう一編書きたいと思う。

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