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古本夜話63 平井功『孟夏飛霜』と近代文明社

平井功は一冊の詩集と四冊の『游牧記』を残し、「古逸叢書」刊行計画の挫折の後、急速にマルクス主義へと向かい、昭和七年に淀橋署に検挙され、留置場で背負いこんだ病にかかり、急死してしまった。享年二十六歳だった。

日夏耿之介はその平井を追悼し、「かくまでに才の高い智の鋭い情の強い礼儀の正しい勇敢な少年にはかつて逢つた事がなかつた」と賞賛し、「後生特志の愛詩家愛書家が今に輩出して、やがてチャタトンのやうにランボオのやうに李長吉のやうに、観賞し研究し考証せられる日が早晩来まいものでもあるまい」と記している。

その平井の一冊の詩集とは、大正十一年に近代文明社から自費出版した『孟夏飛霜』で、彼はまだ十六歳だった。もちろんこの詩集は入手していないし、日夏の引用紹介で十五章に及ぶ詩の断片を読んでいるだけだが、その早熟な才能は誰の目にも明らかであったろう。私の好みから、『孟夏飛霜』ではなく、『パンテオン』掲載の二十二歳の時の「落葉」をここに引用して、彼の「晩年」の成熟を浮かび上がらせよう。

 このうすらつめたい しかし明るい午さがり
 古い写経から抜け落ちた一葉のやうに
 またひとつ枝を檇(はな)れて病葉(わくらは)がゆつたりと落ちて来る
 犬よ、お前とわたくしとの隔をはつきり説き示すかのやうに
 今は失はれた遐い教をそこはかとなくおもひ偲ばすやうに

このような独自の詩の気配から、詩壇の「光れる一王座を占めることは、最早時日の問題だと吾々には思はれた」と日夏は述べてもいる。

私は平井功に関する記述を、これまで何度も参照してきた、日夏の『全集』八巻所収の「三人の少年詩人」における証言に負ってきているが、それでも平井の『孟夏飛霜』の広告は見ている。それは近代文明社からその翌年に出された田山花袋『近代の小説』の巻末広告においてだった。
日夏耿之介全集

そこには日夏耿之介序、最上純之介著『孟夏飛霜』、「大判100頁四号活字組/全部木炭紙刷美装/定価二円五十銭」とあり、次のような宣伝惹句が掲載されていた。

 齢十五を越したばかりの年少天才詩人の処女詩集である。「逸材の世を恣まにするこゝに臻りて夫れ美なる哉。雨か風か嵐か、あゝゆく雲をして行かしめよ。」と、日夏氏をして讃嘆せしめたるものである。限定版のことであるから、万一再版するとしても同装の書は再び手に入れ難い。詩の愛好者に切に劉覧を乞ふ。

これを見て、注文した読者が何人かいただろうか。いたと信じたい。私も実物を手にし、ページを繰ってみたいと思う。だがその機会が得られるだろうか。

さてここで平井功から少し離れ、版元の近代文明社にふれておきたい。発行者の瀬戸義直と近代文明社の関係は近代出版史にも近代文学史にも散見できないからだ。ただ瀬戸は出版史には出てこないが、『日本近代文学大事典』には立項されている。それによれば、明治二十二年長野県生まれの翻訳家であり、大正二年に早大英文科を卒業し、『聖盃』(後に『仮面』)の編集に携わり、メレジコフスキーの『ドストエーフスキー論』などを訳し、海外文芸の研究に貢献したとされ、大正十三年に亡くなっている。『聖盃』は大正元年十二月創刊で、八号から『仮面』と改題し、四年六月までに二十九冊が刊行された。これは教育出版センターから復刻が出されている。
日本近代文学大事典

『聖盃』の発行所は中興館で、この出版社は長野県出身の矢島一三によって、明治四十四年に創業され、同郷の吉江喬松や窪田空穂などの著作を出版していた。この事実から類推すると、中興館は長野県と早稲田人脈が中心となってスタートしたのだろう。それゆえに瀬戸が編集発行人を務める『聖盃』の発行所を引き受けたと考えられる。

あらためて同事典の『聖盃』の解題を読むと、日夏耿之介、矢口達、西條八十、瀬戸といった主に早稲田系文学者を同人とする雑誌で、各国の新しい文学の作品の紹介、及び研究、評論が多く、大正期の文芸雑誌の代表的なひとつとされている。特筆すべきはこの『聖盃』において、日夏が詩人としての位置を確立し、西條が独自の流行歌の基盤を醸成し、長谷川潔も版画家としての試作を発表し、また愛蘭土文学会が設けられたことである。これらは未見だが、瀬戸も『ドストエフスキイ』『露西亜文学印象記』(いずれも中興館)を出している。

おそらく瀬戸は東京社の『婦人画報』の記者などを経た後、大正十年頃に近代文明社を創業したにちがいない。その出版活動の全貌は明らかでないが、『近代の小説』の巻末広告から判断すると、最上の詩集の他に山宮充編『日本近代詩書綜覧』や水谷まさるの抒情詩集『青みゆく月』などの十冊ほどが掲載されている。『近代の小説』刊行の翌年の大正十三年に瀬戸が亡くなっているので、これらが大半の出版物であったかもしれない。

近代文明社と『聖盃』のことを書いてきたのはポルノグラフィ出版も、これらの人脈を背景にしていると思えるからだ。矢口達が国際文献刊行会の『世界奇書異聞類聚』やストープスの『結婚愛』の訳者だったことを想起されたい。日夏門下が『性科学全集』に加わっていたことはすでに書いたとおりだ。そして西谷操=秋朱之介は平井功の「南柯叢書」や『游牧記』と併走していたのである。また矢野目源一の例に見るように、近代詩運動とポルノグラフィ出版は結びつき、その後もそれは続けられていくのである。

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