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古本夜話68 ヂィデロ『不謹慎な宝石』とディドロ『お喋りな宝石』

続けて松村喜雄たちと乱歩の物語を描いていきたいのだが、ヴォルテールに言及してディドロを飛ばすわけにはいかないので、その前にもう一編だけ操書房の出版物にふれておくことにする。

それはデニス・ヂィデロ著、小林季雄訳『不謹慎な宝石』で、昭和二十三年に操書房から刊行されている。四六判、厚さは三センチに及び、前回の『オベリスク』と同様に、表紙にはマティス的な横たわる女性の裸体画がレイアウトされているが、中身は粗末な仙花紙で、印刷も悪く、フランス装的な外観を裏切り、ちぐはぐな印象を受ける。その時代の出版、印刷事情を否応なく露出させた一冊と見なすことができる。そのこともあってなのか、秋朱之介の『書物游記』(書肆ひやね)の「書目一覧」に掲載されていない。

この『不謹慎な宝石』にはフランス人の校注、編者による「序」が付されているだけで、訳者の解説はまったく施されていないが、昭和四年に国際文献刊行会から出版された耽奇館主人訳の同一タイトルの一冊とは異なっていると思われる。それでも作品の分量から判断して、戦後になって新たに翻訳されたものではなく、戦前にすでに翻訳がなされ、篋底に秘されていた訳稿が戦後を迎え、ようやく出版の暁を見るに至ったのではないだろうか。

ヂィデロ=ディドロの『不謹慎な宝石』の原タイトルはLes Bijoux Indiscrets 『お喋りな宝石』としても翻訳されている。ベルナール・ピヴォー他編『理想の図書館』安達正勝他訳、パピルス)の紹介を引いてみよう。

理想の図書館 Les Bijoux Indiscrets

 フランス宮廷における東洋風年代記。退屈をまぎらわすため、スルタンが、不思議な力を持った宝石をつかって御婦人たちの艶っぽい秘めごとを探り出しては楽しむ。しかし、みかけは奔放な物語であるが実はこれは、思想的、政治的野心に満ちた挑発的言辞を覆い隠す大変巧みな(また、心地のよい)手段となっている。

この紹介はいささか抽象的なので、もう少し具体的に一七四八年にディドロが著した物語の内容を説明しておこう。アフリカのコンゴー国のマンゴグル皇帝は前王を継承し、在位十年にもならないのに、貴族のセリムを重臣にすえ、いくつかの戦いに勝利を収め、各地方を平定して国を強大にした。法律を確立、改正し、様々な建物と施設を立ち上げ、学問や芸術を隆盛に導き、アカデミーまでも創設し、偉人という名声を得るに至った。そして宮殿の中で、多くの女たちから愛され、女たちは彼から征服されることを望んでいた。その望みを遂げた女にミルゾザがいた。

マンゴグルは宮廷の女たちの面白い事件を知りたいと思い、そのことをミルゾザに話すと、彼女はククファ仙人に相談するように勧めた。呼ばれた仙人は皇帝の望みをかなえるために、宝石のついた指輪を取り出した。この指輪の宝石を特定の女に向けて回すと、その女の身につけている宝石に話をさせることができるのである。この指輪を得た皇帝は宮廷の様々な女たちに三十回にわたって、その宝石にしゃべらせるように仕掛け、彼女たちの性をめぐる秘話を聞き出し、皇帝もこれまでまったく知らずにいた宮廷の女たちの真実に直面することになる。

これはもちろん『理想の図書館』の紹介にあるように、政治的にも思想的にも、寓話小説、もしくは風俗風刺小説と考えてよく、コンゴーはフランス、前王はルイ十四世、マンゴグルがルイ十五世、ミルゾザは愛人のポンパドゥール夫人、セリムはリシュリューだとされ、ディドロは『盲人書簡』や『不謹慎な宝石』などの出版によって捕われ、ヴァンセンヌの監獄に送られたという。

このような出版事情と内容ゆえに、『不謹慎な宝石』はずっとポルノグラフィ扱いされてきたのであろう。実は昭和二十六年になって、大雅洞から新庄嘉章訳『お喋りな宝石』としてもう一度出版されている。大雅洞の佐藤俊雄は操書房の西谷のパートナーであり、わずか三年後の刊行で、しかも初版限定四百部と奥付に記されているから、それなりの目的があっての再度の出版だったはずだ。そこで両書を読み比べてみると、小林訳『不謹慎な宝石』は抄訳で、第四十七章におけるポルノグラフィ的な英語、ラテン語、イタリア語、フランス語、スペイン語混合の部分、及び第五十三、四章が削除されていた。だからこちらの菊判三百六十ページの新庄訳『お喋りな宝石』は、完訳を目的として刊行されたことになる。

これらの戦後間もない『不謹慎な宝石』と『お喋りな宝石』の出版事情はともかく、この作品を読んでいくと、同書の中にも書名が挙げられているが、『千夜一夜物語』オリエンタリズム的構成や、『ガリヴァー旅行記』の風刺小説の影響を大きく受けていることが明瞭である。そしてこのふたつの物語と重なるかたちで、アンドレ・リュシュタンベルジェが浩瀚『十八世紀社会主義』(野沢協訳、法政大学出版局)の中で描いている啓蒙思想と百科全書の時代における多様な近代社会主義のどよめき、また同時代に多くの物語化を見たユートピア文学も投影されているのではないだろうか。それらのユートピア文学は岩波書店『ユートピア旅行記叢書』全十五巻に収録されている。

千夜一夜物語 ガリヴァー旅行記 ユートピア旅行記叢書

私の力量ではさらに詳細にこれらの社会主義ユートピア文学を比較し、ディドロの作品を読むことはできないが、このような十八世紀の思想と文学の見取図と配置の中から、『お喋りな宝石』も出現してきたように思われる。

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