出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

ブルーコミックス論 2

 序2
これまで英語、日本語、フランス語と続けてきたので、それぞれの「青」のイメージについて、ここでラフスケッチしてみる。ミシェル・パストゥローは『ヨーロッパの色彩』(石井直志、野崎三郎訳、パピルス)において、「青」は西欧総人口の半分以上が常に好む色の筆頭に挙げられ、その主たる機能と意味に関して、「無限、遠方性、夢の色」、「誠実さ、愛情、信仰の色」、「冷たさ、涼しさ、水の色」、「王室、貴族を示す色」であると定義している。しかし青、白、赤からなるフランス国旗の起源は今も未知のままだとも述べている。このパストゥロー『ヨーロッパの色彩』の影響下に、柏木博は『色彩のヒント』平凡社新書)を書き、パストゥローと同じように、「青」から始めている。そこで柏木は日本の「青」の色の範囲が広く、浅葱などの薄い青から、紺や藍や群青などの濃い青、野菜の呼称である青物にも及び、「青」が日常生活に最も密着した色、最も好まれる色のひとつと見なし、これもまたパストゥローを範とし、その意味と機能を次のような十六に分類している。

ヨーロッパの色彩 色彩のヒント
 1 若さの色
 2 三原色のひとつの色
 3 冷たさ、涼しさ、爽やかさ、水の色
 4 高位の色
 5 影、闇、夜の色
 6 音楽のジャンル
 7 遠方性の色
 8 無の色
 9 鎮静の色
 10 憂鬱な色
 11 病の色
 12 宗教や信仰に関わる色
 13 労働の色
 14 制服の色
 15 計画の色
 16 しるし、標識、シンボルマーク、ロゴの色

この「青」についての柏木の『色彩のヒント』による十六の分類は、パストゥローの『ヨーロッパの色彩』の六つに加え、さらに日本の「青」が示す表象を多岐にわたって網羅し、尚学図書・言語研究所編『色の手帖』(新版、小学館)に掲載の四十以上に及ぶ「青系の色」と照応するイメージの一覧を形成している。
色の手帖

ただこれらのパストゥローや柏木の分類に表われているように、フランスや日本の「青」には、「わいせつな」とか「好色な」とかいった意味合いは含まれておらず、それらが英語に起源を有しているとの判断に傾いてしまう。そこでウィリアム・ギャスの『ブルーについての哲学的考察』(須山静夫、大崎ふみ子訳、論創社)を開いてみると、冒頭からブルーペンシル、青い鼻、ブルーフィルム、青色の法律、青の脚、ブルーストッキングが続けて挙げられ、三番目に「ブルーフィルム」が位置しているように、英語の「青」が「わいせつな」「好色な」イメージを強く喚起するものだと了解される。なお「ブルーペンシル」はアメリカの「編集者が校正に用いる青鉛筆」、「青い鼻」は清教徒、「青の法律」は厳格な清教徒的法律、「青い脚」と「ブルーストッキング」は同じく教養を鼻にかける女や女性文化人を意味している。

ブルーについての哲学的考察 モロイ

そのような書き出しから、ギャスは雑誌や書物の表紙やページの「ブルー」、作品や物語の中の「ブルーな姿勢、態度、ブルーな思索、ブルーな身振り」と「ブルーな言葉と絵」にふれ、ベケット『モロイ』の引用をきっかけにして、「セックスが文学にはいりこむ五つのふつうの方法」を論じていくことになる。ここでギャスは「ブルーフィルム」にこめられたイメージとはまったく異なる「ブルー」と「セックス」についての「哲学的考察」を展開し、『ヨーロッパの色彩』『色彩のヒント』とは別の、「ブルー」をめぐる思索を開陳しているといえよう。それゆえにギャスの「ブルー」は、この二冊よりもはるかに深みとイメージとメタファーを喚起させ、文学の中に表出する「ブルー」の多様性を教えてくれる。それは「ブルー」が次々と列挙されていく最初の十ページを読み始めると、「ブルー」に染まった世界の中に引きこまれ、その色彩によって風景が異化する束の間の体験を味わうことができる。その原文の冒頭を引いて、ブルーのメロディのニュアンスを示しておく。

BLUE pencils,blue noses,blue movies,laws,blue legs and stockings,the language of birds,bees,and flowers as sung by longshoremen,that lead-like look the skin has when affected by cold,confusion,sickness,fear;the rotten rum or gin they call blue ruin and the blue devils of its delirium

ギャスの『ブルーについての哲学的考察』に触発され、日本の文学に目を転じてみると、「青」にまつわる小説のタイトルが浮かび上がってくる。それらの主たるものを挙げてみよう。

石坂洋次郎『青い山脈』三島由紀夫『青の時代』井上靖『蒼き狼』永井龍『青梅雨』河野典生『群青』、五木寛之『蒼ざめた馬を見よ』井上ひさし『青葉繁れる』村上龍『限りなく透明に近いブルー』宮本輝『青が散る』等々……

青の時代 蒼き狼 青梅雨 蒼ざめた馬を見よ 青葉繁れる 限りなく透明に近いブルー 青が散る

この他にも現代文学、外国文学にまで広げていけば、まだ多くの作品を挙げられるだろう。日本文学における「青」にも言及したい誘惑に駆られるが、今回のテーマはブルーコミックス論であるので、それは断念しなければならない。

どうしてブルーコミックス論を構想したかというと、実は文学以上にコミックのタイトルに「青」が多く見受けられ、それらを見つけるたびに買っているうちに、かなりの量に達してしまったからである。しかしその「青」は半端な数ではなく、色としては圧倒的に多く、コミックにおける「青の時代」を思い浮かべてしまう。コミックにおける「青」の表象はどのような位相にあるのか。それを考えてみたいと思った。既述した三つの著作に示された「青」の多様なイメージなどを参照しながら、それらの作品を読んでいくことにしよう。

それでは、ようこそブルーコミックスの世界に。


次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」1 序 1