出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話134 厚生閣『日本現代文章講座』と春山行夫

少し飛んでしまったが、厚生閣と春山行夫についてのもう一編を書いてみる。これは古本屋で見つけるまで知らないでいたし、それまでこのシリーズに関するまとまった文章を目にしたことがなかった。それは『日本現代文章講座』全八巻で、昭和九年に厚生閣から刊行されている。

『日本現代文章講座』は顧問を島崎藤村徳富蘇峰、佐々木信綱、五十嵐力、下村海南とし、奥付表記に従えば、編輯者を前本一男として、所謂「講座物」の毎月一冊、一円五十銭の予約出版形式で、四月から十一月にかけて出されている。「項目整然三百・文壇学壇二百名家担当」は羊頭狗肉ではなく、「項目」も「担当」も示された数字をさらに上回るように思われる。そして菊判四百ページを超えるヴォリュームは「文章講座」というよりも、『詩と詩論』の執筆者や関係者たちをベースとするパラダイムをさらに広げ、大衆文学やプロレタリア文学からジャーナリズムの現在までも包含し、当時の出版や文芸状況に関する目配りのよい見取図となっているのではないだろうか。

例えば多くは挙げられないが、川端康成「文章制作の精神と方法」、小林秀雄「文章鑑賞の精神と方法」(いずれも第二巻)、滝口修造「シュル・レアリストの文章」、堀辰雄「マルセル・プルウストの文章」(いずれも第八巻)、萩原朔太郎「現代詩の構成と技術」(第五巻)、横光利一「散文の精神」、三木清「哲学思潮と文章」(いずれも第三巻)、稲垣足穂「象徴的表現」、井伏鱒二「記述的表現」(いずれも第四巻)などから、ジャーナリストの小汀利得「経済論の構成」、倉本長治「広告文の表現と指導」(いずれも第六巻)、さらには林芙美子「心境と風俗」(第一巻)、窪川稲子「工場と文章制作」(第七巻)といった女性作家たちも配置し、これだけのメンバーが一堂に会した「講座物」は画期的な企画だったように思われる。またそれぞれの寄稿は啓蒙的なタイトルになっているが、力がこもっていて読ませるものも多い。しかしここに発表されただけで、各人の全集に収録されていないものもかなりあるのではないだろうか。

しかもそれが大手出版社ではなく、厚生閣のような小出版社によって実現したわけだから、後に厚生閣の雑誌の『月刊文章』に携わることになるにしても、奥付にある編輯者前本一男がこれだけ多彩にして、フルキャスト的な『日本現代文章講座』の企画編集のすべてを仕切ったとは考えられない。顧問の島崎藤村徳富蘇峰、佐々木信綱、五十嵐力、下村海南にしても、その記載は外箱にあるだけで、島崎、徳富の文章は収録されておらず、佐々木、五十嵐、下村は寄稿しているが、柱となるものではなく、顧問も名義的なものであり、実質的に春山行夫が企画編集で重要な役割を果たしていたと見なしていいだろう。

これも拙稿「春山行夫と『詩と詩論』」(『古雑誌探究』)にも引用しているが、あらためて春山の「私の『セルパン』時代」(林達夫他編『第一書房長谷川巳之吉』日本エディタースクール出版部)を確認してみた。すると春山は昭和三年に厚生閣に入り、『詩と詩論』(後半六冊は『文学』と改題)通巻二十冊、八年六月刊行を最後に退社している。そしてその年末に第一書房から『ジョイス中心の文学運動』を出版し、文筆活動に入るつもりでいたが、九年十二月に長谷川巳之吉から『セルパン』の編集を頼まれ、十年一月号から彼の六年間にわたる『セルパン』時代が始まっている。
古雑誌探究

前述したように『日本現代文章講座』の奥付刊行は昭和九年四月から十一月であるので、春山が厚生閣を退社して、約一年後に出されたことになる。しかしこれだけの執筆陣と内容を揃え、八ヵ月で完結に持ちこむためには準備期間、執筆依頼、原稿整理などを考えると、刊行までに少なくとも一年以上が必要なことは自明であろう。それらのことから推察すれば、この『日本現代文章講座』は厚生閣在社中の春山によって、『詩と詩論』の啓蒙ヴァージョン的な「講座物」として企画され、それを置土産にして退社に至ったのではないだろうか。前本一男はこの企画のために春山にスカウトされた編集者で、ほぼ目途が立ったところで、春山から前本に引き継がれたとも考えられる。したがって『日本現代文章講座』の企画編集の中心にいたのは春山であり、この「講座物」と『詩と詩論』の表裏一体の関係を推測してしまう。

実際に『日本現代文章講座』の菊判並製のシンプルな装丁は、フランス装的『詩と詩論』をそのまま彷彿させるし、春山も寄稿者の中では最多に属する四編を書いている。それを以下に示す。

 1 「批判力の把握と伸張」(第二巻)
 2 「文章とスタイル」(第三巻)
 3 「文芸批評の構成と技術」(第五巻)
 4 「現代造語法」(第六巻)

いずれも興味深いが、とりわけ力作なのは3で、これは正面切った小林秀雄批判となっていて、昭和四年八月号の『改造』の「懸賞文芸評論」において、第一席の宮本顕治の「敗北の文学」、第二席の小林の「様々なる意匠」に続き、春山が第三席になったと伝えられているが、それを反映しているのかもしれない。そのレジュメ「超現実主義の詩論」が『改造』の同年十月号に掲載されているのだが、入手できず、まだ読むにいたっていない。

これらの春山の文章の他にも、先に書いたように、この『講座』には読ませるものが多いが、つい読みふけってしまった一編に佐藤一英の「詩歌修辞法」(第六巻)がある。佐藤は名古屋で春山たちと詩誌『青騎士』を創刊し、後に『詩と詩論』の寄稿者ともなる詩人で、現在の詩に関して「修辞学時代」と呼び、現代散文詩における修辞の系譜を、三富朽葉の「夜! /夜はわが前に映像の文(ふみ)を展(の)べた」に始まる「爍けた鍵」を最初に置く。そして吉田一穂「秋」、春山行夫「『一年』より」、折戸彫夫「出発」、逸見猶吉「凶行」へと至り、象徴主義に基づく朽葉の修辞が与えた影響をたどり、朽葉が近代詩歌史上に重要な詩人で、「現代散文詩の生みの親のやうな位置にある」ことを知らしめている。

私はこの佐藤の一文を読んで、吉本隆明『戦後詩史論』(大和書房のち思潮社)の中に「修辞的な現在」という一章を設けていたことを思い出した。そういえば、吉本が通った私塾の教師今氏乙治は、かつて三富朽葉の周辺にいた詩人だったのではないだろうか。
古雑誌探究

ただ私の春山企画編集の推論において残念なのは、所持する『講座』に月報が欠けていることである。それゆえにおそらく記されているであろう編集や進行の状態を確認していない。お持ちの読者のご教示を乞う。

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら