出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

ブルーコミックス論3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)



この「ブルーコミックス論」を始めるにあたって、青林堂の「現代漫画家自選シリーズ」の川本コオ『ブルーセックス』をまず取り上げるのは、あえて意図したことでもないし、牽強付会でもない。この連載を考えた時、最初に浮かんだコミックが『ブルーセックス』に他ならず、その黄色い表紙に描かれた少女のまだ稚い裸体と、「紺藍」の『ブルーセックス』というタイトルであった。

そしてその版元がこれも「青」を含んだ青林堂であることにあらためて気づき、作品の「ブルー」と出版社の「青」のコレスポンダンスを今さらながら実感してしまう。今回ばかりでなく、これから言及する次回もその次も青林堂のコミックであることも偶然ではないように思う。それに私たちの世代にとって、「現代漫画家自選シリーズ」は、ベストセラーは生み出さなかったにしても、雑誌『ガロ』とともに、青林堂のコミックの時代を物語る重要な叢書でもあったのだ。

川本コオの『ブルーセックス』は「忘れな橋」から始まる十編で構成されている。これらの短編は子供や少年の目を通して描かれた、ジェンダーを否応なく露出していく少女の姿、言ってみれば、「男の子」から見られた「女の子」の原初的イメージであろう。それらの少女や「女の子」のプロフィルを抽出してみよう。左記は作品名である。

「忘れな橋」/隣村のメカケの家の子、由美。誰も遊んでくれないので、遊んでやるといえば、ズロースを脱いで見せてくれる。「忘れな橋の上から見たそれは悲しい風景だった」。
「すっぱい季節」/瀬戸内海の小さな島の小学校で出会ったトモッペ。島の子供たちは南北にわかれ、城を作って戦争状態にある。北の城の大将は「おっかない女(おなご)」トモッペ。捕虜遊びの中で流された「トモッペの血が何を意味するものか小学生の私にはわからなかった」。
「少女のいる風景」/父の営む産婦人科に診察にきたのは転校少女の勝美だった。その秘密を誰にもしゃべらないかわりに、服を脱ぐように要求する。「ふたりの秘密さ!」

これらの三編はタイトルの『ブルーセックス』を表象し、「ブルー」が「わいせつな」といった意味ではなく、「稚さの色」として、まだ成熟するに至っていない過渡期を描いている。それは少年と少女も同様であり、両者が同じくまだ「ブルーセックス」の揺曳段階に置かれていることを告げていよう。そして少年がいつもそれを懐かしく思い出すことによって、これらの物語が成立することをも示している。

しかしこの短編集は少女たちと対照的な成熟した女たちを召喚してもいる。それは「記念写真」の新興住宅地の人妻、「少女のいる風景」の看護婦、「ふらいんぐ・おふ」のバーのホステスとして登場してくる。

とりわけ「ふらいんぐ・おふ」は少女ならぬ少年の「ブルーセックス」のひとつのかたちを浮かび上がらせている。少年は原っぱで飛行機を飛ばしていて、町外れの古い借家に住む一人の女と知り合いになる。彼女も子供の頃にそれを飛ばして遊んだ記憶があり、自ら少年の飛行機の羽根の角度を変え、飛ばしてみると、信じられないほど高く飛んだ。

それから少年は彼女と二人で毎日飛行機を飛ばした。そうしているうちに少年は彼女の男の存在を知り、「ブルーセックス」と異なる二人の性行為を目撃する。少年は彼女を殴る男を見たり、「ダメな男」という彼女の言葉を聞き、「彼女はかわいそうな女」で、男が「悪い奴」で、彼女を飛ばせない重い鎖だと考え、男を刺殺し、原っぱの「僕の足元の土の中」に埋める。そして少年は最後に呟く。「でも彼女は結局飛べやしないんだ/だから彼女は僕の女になるしかないのさ」と。

この言葉は何を意味しているのだろうか。殺される前日に、男が女に語りかけているセリフに留意しなければならない。それは「ほうなつかしいな/覚えているだろう。小さい頃よく一緒に飛ばしたなァ」というものだ。でもこの言葉は飛行機を飛ばしている少年の耳に伝わっていないと思われる。

そして彼女の、飛行機を「作るのがうまく」、それは「信じられないくらい高く飛んでいくの」という回想は、その男が「小さい頃(中略)いちばん仲良しだったケンちゃん」であることを告げている。とすれば、少年の最後の呟きである「彼女は僕の女になるしかないのさ」は、「ブルーセックス」の段階にあった少年が成長するに及んで、同じように飛行機を飛ばしていた「ケンちゃん」の軌跡をたどるようになることを暗示しているのではないだろうか。少年が「ケンちゃん」を刺殺したことはそのような大人たちの通俗的な物語を消滅させてしまうことであり、少年は「ブルーセックス」の位相において、彼女を「僕の女」にしなければならないのだ。それがこの『ブルーセックス』の棹尾を飾る「ふらいんぐ・おふ」にこめられたメタファーのように思われる。

この『ブルーセックス』の他に、川本コオの作品として、滝沢解の原作を得た、『ブルーセックス』とまったく異なるコミックノワールとでも称ぶべき『猛毒商売』が記憶に残っている。そこには「ふらいんぐ・おふ」に描かれたキャラクターが、物語を変え、出現しているように見えたからだ。機会があれば、また『猛毒商売』にもふれてみよう。

なお最後にふれておけば、近年復刻された白土三平『忍者武芸帳』小学館)を読んだ。これはいうまでもなく、青林堂を始める以前の長井勝一が三洋社名義で刊行したものだが、印刷のインクが「青」なのだ。当時の貸本マンガはそれが主流であったのかもしれない。そういえば、フランス近世の行商人が売っていたのは「青本」とよばれる挿絵入りの叢書であったことも思い出される。「青本」に関しては拙著『ヨーロッパ 本と書店の物語』平凡社新書)を参照されたい。

忍者武芸帳 ヨーロッパ 本と書店の物語

次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1