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ブルーコミックス論4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)



佐藤まさあきは一貫して犯罪にこだわってきた劇画家である。六十年安保のかたわらで、政治的テロリストとして構想された『影男』土門拳の写真集『筑豊のこどもたち』に表出する戦後の貧しさに触発され、炭鉱出身の少年が狼となって権力に立ち向かう『黒い傷痕の男』を始めとして、佐藤は自らの生活体験に基づき、「貧しさと孤独と哀しみ」を必然的に作品のテーマにすえることになった。

筑豊のこどもたち 黒い傷痕の男 上 黒い傷痕の男 下

佐藤は『劇画私史三十年』(東考社)の中で、次のように書いている。

 五才で父を喪い、十二才で母をも喪って他人の力を借りなければ生きていくことのできなかった環境のなかで見た大人達のみにくさ……少なくとも幼い目で見た世間の人々は、昨日は善人であった人が相手の状況が変わると今日は悪人に変貌していた。(中略)
 そうした私の人生観が、主人公を正義の探偵ではなく、虚無感をたたえた犯罪者にしていったのも無理からぬことであったのかもしれない。

また佐藤はそのような主人公と物語構成ゆえに、悪書追放運動の槍玉に挙げられたことも語っている。私は『影男』『黒い傷痕の男』も小学生の時に貸本屋でそれらを読み、当時の月刊漫画誌『少年』や『少年画報』に掲載された作品と異なる、粗削りの迫力にインパクトを受けたことを記憶している。この二作についての成立と内容紹介は、佐藤のもうひとつの自伝『「劇画の星」をめざして』文藝春秋)所収の「『影男』と『黒い傷痕の男』の誕生」に詳しい。
[劇画の星」をめざして

それに佐藤の作品にこめられた貧しさと犯罪のテーマは彼固有のものではなく、多くの貸本マンガに共通するもので、それらの中にはいくつも凶々しくも印象深い秀作があった。だがそれらのタイトルも著者名も思い出せない。そのようにして私たちの貸本屋時代はあわただしく過ぎていったのだ。その貸本は農村の荒物や駄菓子を商う小さな店の片隅にあり、垢ぬけない装丁や造本の貸本にいかにもふさわしい場所で、「影」や「黒」のタイトルが似つかわしかった。時代は明るいはずの高度成長期であったのに、貸本マンガばかりでなく、同じくタイトルに「黒」が付されたミステリーが全盛であり、私は次第にそれらにも魅せられていった。それらの「黒」は別に語ることにして、佐藤の『蒼き狼の咆哮』に戻らなければならない。

『蒼き狼の咆哮』は一作の長編ではなく、中編「蒼き狼の咆哮」と四作の短編からなり、いずれもが犯罪をテーマとしているが、「蒼き狼の咆哮」は佐藤の『「堕靡泥の星」の遺書』松文館)などで断わっているように、一九六八年の永山則夫による「連続ピストル射殺魔事件」をモデルにしている。
「堕靡泥の星」の遺書

蒼き狼の咆哮」は東京のホテルでガードマンが射殺された事件から始まり、続けてアベックが拳銃で撃たれた死体となって発見される。ふたつの事件は同じ銃による犯行で、同一犯人と推測された。特別捜査本部の担当刑事の露口は秋田県生まれで、雪の中で行商を営む母によって育てられていた。

露口は第三の犯行の現場に駆けつけ、警官を撃ち、自らも負傷した犯人の田島を捕える。刑事は犯人が少年であり、抵抗されずに逮捕できたことに放心の思いを感じた。この場面までで「蒼き狼の咆哮」はちょうど半分のページが割かれ、「これが露口と田島の宿命的な対決のプロローグであった」という一文が挿入されている。ここまでが犯罪を描いた前編で、それから露口による取調べを主とする後編へと入っていく。

露口は「狂獣のような奴の心中へ飛び込めるのは若いお前さんしかいない」と見なされ、田島の取調べを担当することになる。しかし二人は対立し、田島は犯行の経緯も動機も語ろうとしない。しかし田島は母親が現われたことで、恐怖にも似た動揺を示した。彼女も露口の母親と同様に、北海道で行商をし、貧しい中で田島を育ててきたのである。その姿は田島の母とまったく重なり、幼い露口と田島もオーバーラップしてしまうのだった。露口は田島の母を自分のアパートに泊め、母子であるかのように接し、彼女の身の上話を聞くに至った。行商の女手ひとつで田島を育てていく苦労、子供を思っての再婚の失敗、酒飲みで暴力をふるう義父との争いからの家出、そして息子は恐ろしい大罪を犯すに至ってしまったのだ。それを聞き、「露口はいまの老母のなかに田島の犯行動機のすべてを理解することができたように思った」。

もはや「蒼き狼の咆哮」のドラマツルギーは明らかだろう。露口と田島は刑事と犯人の立場にある。しかし露口は田島に対し、「人間対人間」の話をしようとする。露口の言葉を抽出してみよう。おそらくそれは佐藤まさあきが、「蒼き狼の咆哮」と永山則夫事件にこめたメッセージだと考えていいからだ。

 「母一人、子一人、おれとお前の育った環境はまったく同じなんだ!!……雪深い北国から都会へ出てきた……だがこの都会の冷たさはどうだ……おれとお前の人生はまったく一緒だった……だが貴様は負けたのだ、この都会に……このめまぐるしいメカニズムの動きの中に入りきることができずに」

そして田島は拳銃に力のシンボルを見出し、それによって都会を征服し、怒りと劣等感を爆発させようとしたのだと露口は続けていく、その露口の言葉に田島は号泣し、露口は刑事としての勝利感を覚える。しかし改心を示す田島を検察庁に送った露口は「心のなかにいいしれない虚脱感」と「わけのわからない淋しさ」に襲われた。やがて時が過ぎ、秋がきて、露口に刑務所での田島の病死が伝えられ、同時に彼からの手紙が届いた。そこには重くなった病気のことは書かれておらず、元気でいるとだけ記されていた。露口は「刑事(デカ)」としてだけではなく、「まったく同じ」環境を経てきた「人間」として、涙を流す。最後のページの九コマのうちの四コマが露口の涙の表情をクローズアップさせ、外の雨の風景と並んで、田島の死を悼むようにして、「蒼き狼の咆哮」は閉じられている。

もはやこの中編には『影男』『黒い傷痕の男』に表出していたアグレッシブな反逆は後退している。それはこの二作が描かれた六〇年前後に比べ、高度成長期を経て、戦後社会が貧しさを残しながら複雑に変容していったことを物語っているのだろうし、それはタイトルにこめられた「影」や「黒」から「蒼」への転位とし表われているのかもしれない。

「序」において、井上靖『蒼き狼』を挙げておいたが、いうまでもなく『蒼き狼』は鉄木真(テムジン)―成吉思汗の生涯を描いた小説である。そのタイトルは『元朝秘史』(小澤重男訳、岩波文庫)の冒頭に記された蒙古民族の祖が、蒼い狼と白い雌鹿の後輩によって生まれたという神話に起因している。つまりこの神話から考えると、この「蒼」は異種な交配によるまれびと的出生、及びロイヤルブルー、ブルーブラッドといった高位や貴族の血統を意味する「高位の色」と判断できよう。

蒼き狼 元朝秘史 上

しかし同じ狼であっても、「蒼き狼の咆哮」のその「蒼」は「高位の色」ではなく、「若さの色」に「憂鬱な色」と「病の色」を複合させたものと考えるべきだろう。六〇年代の「影」や「黒」は後退し、七〇年代がそのような「蒼」の時代に入りつつあったことを、佐藤のタイトルは問わず語りに示しているのかもしれない。

なお最後に付け加えれば、「蒼き狼の咆哮」は同じ永山事件をモデルとした、新藤兼人監督、原田大二郎主演の『裸の十九歳』(七〇年)の影響を受けていると推測される。
裸の十九歳

次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1