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ブルーコミックス論8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)

青青(あお)の時代 第1巻 青青(あお)の時代 第2巻表紙画(=漫画文庫第1巻) 青青(あお)の時代 第3巻 青青(あお)の時代 第4巻


山岸涼子『青青(あお)の時代』は英語タイトルとして、The Blue Era も添えられているが、全四巻に及ぶ物語の中に、ダイレクトな「青」への言及や「青」にまつわるエピソードは何も記されていない。
それでもあえてその痕跡や手がかりをたどろうとすれば、第二巻から四巻の表紙カバーの日女子(ヒミコ)像、及び鮪(シビ)の身体に施された「刺青」に秘められた「青」の気配をかすかに感じることができる。しかしそれは登場人物を彩るささやかな記号以上の機能を果たしてはおらず、象徴的な位置を占めてはいない。
したがって、この物語のために提出された『青青の時代』というタイトルには英語表記も含めて、ギリシャ神話のゼウスの色が「青」であるように、神話のメタファーとしての「青」、神話の時代としての「青」を表象していると考えてしかるべきだろう。

それならば、『青青の時代』とはどのような物語であるのだろうか。古代の南の島へ渡ってきた ばばさまとその孫娘の壱与(イヨ)がいる。ばばさまは気狂(きぐる)いで、『おもろさうし』にある謡を時々呟いたりしている。二人はどこかで戦(いくさ)に巻きこまれ、島から出征した男に助けられ、この島へとやってきたのであり、それは ばばさまが謡う「夢」のような記憶の中に包まれていた。壱与は死者の葬送などを役目とするクロヲトコの鮪(シビ)に助けられ、厳しく、身寄りのない島での生活を送っていた。
おもろさうし

その島に大和(ヤマタイ)の伊都国の王子が訪ねてきた。彼の名前は狗智(クチ)といい、伊都国王の第四子で、照日女(ティラヒルメ)と七、八歳の少女を探しにきたのだった。彼は島を探索して二人を見つけ、伊都国に向かう船へと誘った。壱与の勧めによって、シビもともに島を出た。そして物語は伊都へと移り、本格的に展開されていく。それらの登場人物たちをリストップしてみよう。

壱与(イヨ)/ばばさまの孫
日女(ヒルメ)/ばばさま、聞こえさまの姉
日女子(ヒミコ)/聞こえさま、大和(ヤマタイ)が承認した唯一の巫女王
鮪(シビ)/南の島のクロヲトコ
天日男(アマヒルオ)/大和の大国伊都の国王
狗智(クチ)/天日男の第四王子
天日子(アマヒルス)/同じく第一王子
兄日子(エヒコ)/同じく第二王子
弟日子(オトヒコ)/同じく第三王子

壱与たちが伊都に戻ると、ほぼ同じくして王の天日男が身罷ってしまう。そして第一王子の天日子が日女子の後盾を得て、次なる王の地位に就こうとする。しかし他の三人の王子たちと後継者争いとなり、それは日女子の権謀術数、日女の死による日蝕、壱与の熱湯に手を入れても火傷もしない盟神探湯の奇跡などを引き起こしていく。そして他国の侵略と戦の中で、女王から男王へと権力が移っていく、すなわちシャーマンの時代から政治と軍事の時代へと変容していく歴史が描かれていく。それは血生臭い戦や後継者争いが前面に押し出されているにしても、ヒロインたる壱与の繊細な心的現象に寄り添って展開され、神話を彷彿させる。『青青の時代』の意味を浮き彫りにしているかのようだ。そして石原道博編訳『魏志倭人伝』岩波文庫)に示された卑弥呼とその後継者壱与の伝説が、『日出処の天子』において、まったく新しい聖徳太子を造型した山岸涼子ならではの物語手法によって、新たな生命を吹きこまれたことになる。おそらくその物語の淵源は『魏志倭人伝』の次のような部分に求められているのだろう。

魏志倭人伝 日出処の天子

 その国、本また男子を以て王となし、住まること七、八十年。倭国乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち共に一女を立てて王となす。名づけて卑弥呼という。鬼道に事(つか)え、能く衆を惑わす。年已に長大なるも、夫婿なく、男弟あり、佐けて国を治む。王となりしより以来、見るある者少なく、婢千人を以て自ら侍せしむ。ただ男一人あり、飲食を給し、辞を伝え居処に出入す。宮室・楼観・城柵・厳かに設け、常に人あり、兵を持して守衛す。

そして『魏志倭人伝』卑弥呼の死後、「男王を立てしも、国中服せず。更々(こもごも)相誅殺し、当時千余人を殺す。また卑弥呼の宗女壱与十三なるを立てて王となし、国中遂に定まる」とも述べている。『魏志倭人伝』においては『青青の時代』と異なり、女王は卑弥呼から壱与へと引き継がれていったことになる。

そのような壱与像に対して、山岸は卑弥呼に姉がいて、その孫がいたこと、姉妹がそれぞれ特異なシャーマンであったこと、その妹の卑弥呼が姉を策略で陥れたこと、祖母と孫がともに暴行されたトラウマを抱いていること、壱与の母が娼婦であったことなどを物語の中に織りこみ、山岸版『魏志倭人伝』を描いたと考えていいだろう。

そして物語は日女子=卑弥呼のラインからではなく、追放と流浪の宿命を帯びた気狂いのばばさまと壱与の位相から構築され、追求されていく。それゆえに『青青の時代』から浮かび上がってくるのは、政治や戦から俯瞰された古代史というよりも、あくまで女性の側からの幻視された古代史だと見なすことができる。そのような力業を『青青の時代』において、山岸は軽やかに達成してしまったように思われる。

しかし残念なことに、『魏志倭人伝』を通読しても、そこから「青」のイメージと手がかりは伝わってこない。あまり複雑に考えずに、『青青の時代』が ばばさまと壱与が海からやってきたことを示すように、波と海岸と海の風景から始まり、また同じ海を経て帰っていく場面で終わることからして、壱与の出自が海を象徴する「青」で、海の無限の広がりと神秘を、タイトルが示していると考えてもいいかもしれない。

若山牧水の処女歌集『海の声』の一首を引いて、『青青の時代』についての一文を閉じよう。

 空の日に浸みかも響く青々と
 海鳴るあはれ青き海鳴る

次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1