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7 ケータイ小説『Deep Love』

「女王」中村うさぎの欲望のみならず、郊外消費社会の成立と不可分の関係にあるケータイ小説も視野に収めておくべきだろう。それは極東の島国の郊外消費社会とケータイテクノロジーが、ミレニアムに出現させた日本でしか成立しない小説形式とベストセラー現象だと見なせるからだ。

ケータイ小説的。 恋空上 恋空下 赤い糸

『ケータイ小説的。』 原書房)を著わした速水健朗も、06、7年に相次いでミリオンセラーとなった美嘉の『恋空』 スターツ出版)、メイの『赤い糸』 ゴマブックス)を論じ、ケータイ小説とは郊外が舞台で、郊外に住む少女たちが主人公であると同時に彼女たちを主な購買層とする「新しい文学」だと指摘している。そして私の『出版業界の危機と社会構造』 『出版社と書店はいかにして消えていくか』 を援用し、ケータイ小説が地方の郊外のロードサイドにあるコンビニやTSUTAYA、郊外ショッピングモール内書店で売られ、ベストセラーになっていった事実を報告している。

Deep Love 出版業界の危機と社会構造 出版社と書店はいかにして消えていくか

しかしここではまだ舞台背景は郊外ではなく都市と異なるにしても、ケータイ小説の祖型となった『Deep Love』 を検討してみる。なぜならば、これこそがケータイ小説の始まりであるからだ。

02年から03年にかけて、スターツ出版から刊行された『Deep Love』 は第一部「アユの物語」、第二部「ホスト」、第三部「レイナの運命」、特別版「パオの物語」の四部作からなり、250万部の大ベストセラーに及んだ。それとパラレルに映画、テレビ、コミックとメディアミックス化され、ケータイ小説の祖型を定着させ、それを出版業界に認知させるきっかけとなった。
しかもその祖型化はすべてにおいて、「素人的」なファクターに彩られていた。『Deep Love』 は作者のYoshiが主宰する携帯サイトに連載したもので、女子高校生を中心とする世代に圧倒的支持を受け、ネット販売で自費出版本がすでに10万部売れていたという。第二部本に作者のYoshiの写真が掲載され、「本を読まない人達のミリオンセラー作家」のキャプションが付され、さらに次のような紹介がある。

 ケータイ小説の生みの親といわれ、その感性と惹きつける力は、鬼才とまで呼ばれる。今までの書籍の常識を根本から壊し、これまで本を読まない人たちからも絶大な支持を獲得。処女作Deep Loveは書籍250万部、コミック100万部を突破。映画化、ドラマ化され、「Deep Love現象」とまでいわれた。今、最も注目される作家の一人である。

この紹介はYoshiと「Deep Love現象」を説明しているだけで、作者に関するデータは何も示されていないが、『恋空』 などのケータイ小説のプロデューサーの伊東寿朗の『ケータイ小説活字革命論』 角川SSC新書)の証言によると、彼は元塾講師で、ケータイインターネットビジネスに転身し、「Deep Love」プロジェクトを始めたとされている。とすれば、この「ケータイ小説の生みの親」である「鬼才」は主人公や読者と想定される女子高生たちの近傍にいた人物で、さらに紹介を信じるなら、ケータイ小説が「処女作」ということになる。
ケータイ小説活字革命論

またここで言われている「書籍の常識を根本から壊し」は、従来の造本とはまったく異なる左開きの横書きをさし、これがケータイ小説のフォーマットを決定したのである。出版評論家の塩澤実信のレポートによれば、版元のスターツ出版は1983年に不動産会社の地域コミュニティ紙から始まり、87年に若い女性向け情報誌『オズ・マガジン』を創刊し、雑誌に加えて、インターネットや携帯電話をリンクさせた「メディア・コミュニケーション・ネットワーク」を企業テーマとしているようだ。したがって小説の出版は初めてであり、だからこそ『Deep Love』 の刊行に踏み切れたのだろう。

初版は5万部で、そのうち2万部をコンビニに配本したところ、80%の売れ行きを示し、即重版となり、口コミで地方から売れ始め、コンビニから書店へと伝わり、ベストセラーになっていった。それを支えた読者の中心は「これまで本を読まない人たち」である女子中、高生だったとされている。

これまで見てきたように『Deep Love』 という初めてのケータイ小説は作者、出版社、造本、コンビニでの売れ行き、「本を読まない人たち」の購読といったすべてが「素人的」なファクターに覆われ、刊行されたことになる。

それならば、物語はどうなのか。4部作全部にふれる余裕はないので、第一部「アユの物語」の正編にあたる「Ayu’s Love Story」を取り上げることにする。これは4部作の物語の始まりにして原型の位置を占め、主要なキャラクターのすべてが登場している。つまり以後のケータイ小説の祖型でもあるからだ。その4章からなる第1章の「出会い」の登場人物とストーリーを紹介しよう。

「出会い」はアユの援助交際の場面から始まっている。彼女は17歳の女子高生で、渋谷で「オヤジ」相手の1回5万円の「売り」を重ねている。家にずっと帰っておらず、「ヤリ友」の健二のアパートに泊まったりしている。彼は21歳のホストで、「ヤク中」である。彼のアパートの近くの住民のおばあちゃんとアユは親しくなる。また同級生のレイナはアユの援交仲間と設定されている。

かくして主要人物が出揃って物語は展開していく。アユは公園で舌の半分が切られ、捨てられていたパオという仔犬を拾い、おばあちゃんに引き取ってくれるよう頼む。それからおばあちゃんの家に出入りするようになり、足を引きずっている小さな体のおばあちゃんが空襲で足を負傷し、妹を失い、特攻隊員の婚約者が戦死したことを知る。またそれだけでなく、おばあちゃんが捨て子を拾い、その子に婚約者と同じ義之という名前をつけて育てていたが、父親が現われて引き取られたこと、義之が生まれつきの心臓病を抱えていたので、その手術費用のためにおばあちゃんが金を貯めていたことも知り、パオと一緒におばあちゃんの家に住むようになる。

その一方で、健二は店の金を使いこみ、アユはおばあちゃんの金を盗んで渡すが、首吊り自殺してしまう。またレイナは援交相手の「オヤジ」の投身自殺を目撃した後、同級生にリンチされ、その男友達にレイプされ、後に妊娠が判明する。アユはその仕返しをする。そのために血まみれになったアユを迎えにきたおばあちゃんは彼女の「売り」を知らされて悲しみ、アユが翌朝目を覚ますと、すでに亡くなっていた。アユとパオだけのおばあちゃんの葬式の後、アユは「売り」を止めることを決意する。そこに親子らしき二人が訪れてきた。少年は15歳の義之だった。この出会いによって、2章以後が展開されていく。

このような物語が横書きの即物的な文体と会話によって進行し、従来の小説の文法はまったく無視されている。風景や心理描写はほとんどなく、ドラマツルギーも無視され、勝手な会話と出来事と事件が組み合わされ、暴走的な展開を示すのである。現代小説のみならず、ミステリ、SF、コミック、アニメに至るまで、それらは高度な物語の技術達成を示していることからすれば、『Deep Love』 は明らかに物語の後退と劣化をこれでもかというほど露呈している。小説技術から見ると、かつて「倶楽部小説」という分野があり、それらは心理、風景描写は見られず、会話と場面と事件の流れだけによって進められていくのだが、、『Deep Love』 も同様であり、小説として、少なくとも技術的には「倶楽部小説」の地平まで後退している。「倶楽部小説」は講談の系譜上にあることから考えと、『Deep Love』 も現代の「講談」、しかも女子中、高生向きの映像的「講談」といった趣があるようにも思える。なおこの部分については拙稿「倶楽部雑誌について」(『古雑誌探究』 所収)を参照されたい。

前述の塩澤も『Deep Love』 について、「冒頭からの性の記述、浅はかな人物の造型と、身勝手なストーリー展開で、文学作品に馴染んだものには、茫然自失に誘う小説」だと言っているし、大半の読者が読んだとすれば、同様の感想をもらすだろう。しかしそのような小説がなぜミリオンセラーとなり、「これまで本を読まない人たち」をも魅了したのかを物語の中に考えてみる。そのためにもう少し第2章から第4章に至るストーリーを追う。

アユは義之の手術代を稼ぐために、居酒屋でバイトを始め、義之との癒しのための沖縄旅行をともにし、警察につかまる。さらにおばあちゃんの金をだましとった義之の父にも犯され、援交も再開し、手術代を貯めようとするが、エイズにかかって死ぬ。そしてアユが義理の父と兄に犯され、母親が自殺したことが明らかになる。その後、義之は体調を回復し、レイナは女の子を産み、アユと名づけ、面識のない義之とレイナ母娘は渋谷の陸橋ですれちがい、「Ayu’s Love Story」は終わる。そして第二部「ホスト」が義之、第三部「レイナの運命」がレイナ母娘、特別編「パオの物語」が犬を主人公にして、同工異曲的に展開されていく。

『Deep Love』 の物語造型には2000年の飯島愛のベストセラー『PLATONIC SEX』 小学館文庫)が大きな影響を与えていることは明らかだろう。彼女の自伝は家出、援助交際、整形、アダルトビデオ出演、中絶などがつめこまれ、本田透『なぜケイタイ小説は売れるのか』 ソフトバンク新書)で指摘しているように、ケータイ小説の「売春」から始まる「七つの大罪」の物語祖型がすでに提出されている。それらに読者たちは傷ついた自我を見出し、共感し、読みつがれ、ケータイ小説ブームが起きたとの分析もある。

PLATONIC SEX なぜケイタイ小説は売れるのか

だがここでは『Deep Love』 の物語の求心を「疑似家族」という視点から見てみよう。アユにとって学校+社会は「タルク」、その社会を形成する中年男女の象徴ともいうべき「オヤジ」は援交相手や痴漢、「ババア」は色情狂や金の亡者でしかない。そして後に明らかになるのだが、アユの家庭はそのような社会と同様で、すでに崩壊している。だからアユは学校、社会、家庭からも孤立し、生きる意味を知らず、「愛」も「恋」も必要のない生活を送っている。

それがおばあちゃんと知り合い、パオを拾うことで、アユは変わり始める。孤立していた生活がおばあちゃんとパオとの出会いにより、疑似家族を形成するようになったからだ。おばあちゃんは死んでしまうが、その養子であった義之を知ることで、彼女はおばあちゃんの代行者としての母や姉の立場に目覚める。なぜならば、アユも義之もおばあちゃんの娘や息子でもあり、疑似家族のメンバーに他ならないからだ。身体の不自由な老人、孤立したアユ、心臓病を患う捨て子義之、舌の千切れた捨て犬パオが疑似家族を形成していく。それにレイナも加えていいだろう。そして疑似家族の物語をまっとうするために、アユは変わり始めるのだが、義之の手術代のために援交に舞い戻り、エイズにかかって死んでいく。最後に至ってアユは疑似家族に殉ずるヒロインと化してしまったかのようだ。

本田透ケータイ小説の「七つの大罪」というように、『Deep Love』 も物語のコードとして、援助交際、薬、レイプ、妊娠、自殺、エイズといった不幸な題材ばかりがつめこまれ、表面的にはそれらが物語機能として作動しているように見える。だがアユと同世代の女子高生たちが同時代の学校や社会、家庭に抱いている違和感と不信感、それらを背景にして、読者たちは疑似家族を求めようとする求心性を『Deep Love』 に発見し、読み継がれていったのではないだろうか。

しかし留意しなければならないのは、この物語がマーケットリサーチャーとも見なし得る作者のYoshiによって書かれたことだろう。この物語が多くの取材に基づくとはいえ、男の視線によって成立したことは事実であり、同時代の少女たちを囲いこむ倒錯的造型のようにも思えるからだ。近代家族から現代家族に至る過渡期をイメージさせる疑似家族問題を含んでいるとしても。

さらに付けくわえれば、この疑似家族問題はケータイ小説だけのものではない。それは同時代のミステリの分野においても顕著であり、天童荒太『永遠の仔』 幻冬舎文庫)にも次のような一節がある。「だから、彼らなりの方法で、〈想像上の家族〉を語り、現実の悲劇から一時的に対比するよう、導いてくれる」。この言葉こそは『Deep Love』 の物語を要約しているように思える。

永遠の仔 長いお別れ ロリータ

したがって『Deep Love』 は小説技術として劣化と後退を示しているにもかかわらず、現代のテーマとしての疑似家族問題を求心としているために、読まれ続けたと言えるかもしれない。だがアメリカにおいて、郊外消費社会が成立した50年代に多くのSFの秀作に加えて、チャンドラーの『長いお別れ』 (ハヤカワ文庫)やナボコフ『ロリータ』 (新潮社)も刊行されている。『長いお別れ』 『ロリータ』 はまさに郊外消費社会を舞台としていて、SFも含めてアメリカの「新しい文学」が次々に発表されていた。それに比べて出版業界の問題はあるにしても、日本ではケータイ小説が「新しい文学」であると喧伝され、ミリオンセラーとなった現象は、ミレニアムにおける日本の始まりと社会に横たわる問題を象徴していたのかもしれない。

当初の予定では『恋空』 『赤い糸』 についてもう一編書くつもりだったが、『Deep Love』 だけで力尽きてしまった。ケータイ小説と出版の関係でいえば、両者の蜜月は終わり、『赤い糸』 ゴマブックス民事再生の申請に至っている。多くのベストセラーの運命がそうであったように、ケータイ小説ゼロ年代の流行的現象と見なされ、小説のたまごっち、ルーズソックス、ガングロメイクのようなものとして忘れられていくと思われる。だが将来の出版史、文学史ケータイ小説について、どのように記述するであろうか。

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