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古本夜話22 団鬼六の『花と蛇』初版

しばらく間があいてしまったが、再び戦後に戻る。藤見郁の『地底の牢獄』が、当時の日活のアクション映画や島田一男などの同じくアクション小説の模倣だと記した。だが北原童夢と早乙女宏美の『「奇譚クラブ」の人々』によれば、藤見=濡木痴夢男はその他にも数十のペンネームを使い分け、「時代物、現代物、スリラー、SF、随筆、サド物、マゾ物、切腹物」などを書き、また女性名で告白手記、さらにコラージュや挿絵も寄せていて、そのコラージュや挿絵が同書に収録されている。それらを見ると、濡木がミメーシスの才能に恵まれ、たちどころに小説でも挿絵でも自家薬籠中の物として作品を仕上げてしまう技量の持ち主だとわかる。

奇譚クラブ』は須磨利之が昭和二十八年に去った後、あたかも交代するかのように濡木の寄稿が始まり、編集長の吉田稔の協力要請を受け、写真資料も提供し、三十年の復刊第一号の半分近くは彼が書いたという。翌年には沼正三『家畜人ヤプー』、三十三年には花巻京太郎=団鬼六の投稿があり、それが『花と蛇』の連載へとつながっていく。したがって濡木は『奇譚クラブ』の正式な編集長ではなかったが、多彩な才能を発揮して誌面を活性化させ、沼正三団鬼六などの新しい作者を召喚する役割を果たしたように思われる。とりわけ団は濡木のミメーシス的な作品群に啓発され、所謂「SM小説」を書き始めたのではないだろうか。

家畜人ヤプー 花と蛇 大穴

団鬼六は本名の黒岩松次郎で、五月書房から昭和三十二年に短編集『宿命の壁』、長編小説『大穴』を刊行している。前者は未見であるが、『団鬼六・暗黒文学の世界』三一書房)収録の短編「お化けの街」は『宿命の壁』の中の一編だと思われる。また後者は角川春樹事務所から復刻されているが、初版時にはかなりの売れ行きを示し、松竹で映画化されてもいる。「お化けの街」や『大穴』を読むと、団が織田作之助武田麟太郎と同様に、井原西鶴の影響を受けた市井小説家と見なすことができる。

しかし『花と蛇』はそれらに示された文体と物語を解体した後に出現した世界だと考えていいだろう。それゆえに『花と蛇』も紋切型で、通俗的なストーリーの上に組み立てられている。財界の大立者である遠山は妻に先立たれ、娘ほどに年が違う絶世の美女と再婚する。彼女は静子という名前で、清楚な和服がよく似合い、それでいて全身から艶めかしさが漂い、その容姿は次のように描写されている。

たしかに、静子夫人は、稀に見る美女なのだ。彫りの深い端正な面立で、二重瞼の大きな眼、高貴な感じの鼻すじ、頬から頸にかけての皮膚の艶々しさは妖しいばかりの美しさである。

つまり静子は高貴さと富と美を体現する令夫人、和服姿が象徴する純日本的女性として設定され、いわば聖なる女性像である。その静子に対して、不良少女と化した義理の娘の桂子がいる。桂子は葉桜団というズベ公グループの首領格だったが、仲間を裏切ったことで、私刑にかけられる事態に追いこまれた。それから逃れるために百万円を必要とする電話が桂子から静子にかかってきた。静子は金を持参し、指定された日本橋三越前に赴くが、葉桜団のメンバーによって身代金ごと誘拐され、郊外の田圃の中にある藁葺き屋根と土壁の無人の百姓屋に連れこまれる。そこが葉桜団の隠れ家だった。家の中は陰気で薄暗く、土間の隅には埃まみれの農機具が散らばり、煤けた障子を開けると、八畳ほどの座敷があった。その畳の下が地下室となり、床板を外し、梯子を通じて降りられるようになっていた。

静子は閑静な美しい住宅街の豪壮な洋館から、田舎の陰気で土俗的な百姓屋へと拉致されたのである。物語のトポスの移動が暗示するように、静子は果てしなく続く陰惨な体験を引き受けることになる。まずは縛り上げられ、全裸にされてしまう。ズベ公たちが言う。「毎日、ぜいたくなもんばかり喰っているから、さぞかし、いい体をしているんだろうね。ゆっくり観賞してやるよ」。この言葉は図らずも、当時のSM小説が階級闘争の色彩を帯びていたことも伝えている。

『花と蛇』のストーリーを紹介するときりがないので、ここで『花と蛇』の初版について記しておきたい。手元にある『花と蛇』〈一〉は「SM耽美文学」12として、神田保雄を発行者とする耽美館から刊行され、発行所は芳賀書店になっている。団鬼六のまとまった「単行本一覧」が『団鬼六・暗黒文学の世界』に収録されている。だがこれは昭和五十年代までの最も詳細な団の「単行本一覧」にもかかわらず、刊行年の記載がない。『花と蛇』全十巻は芳賀書店とあるだけだが、これが耽美館版をさしているのであろう。しかし『芳賀書店の歩み』にもこれらのことは書かれていない。あらためてこの百冊近いリストを見ると、それらのほとんどが桃園書房、笠倉出版社、東京三世社から刊行されている。これらの出版社名は団鬼六の物語の変遷を伝えている。『花と蛇』が角川文庫化され、表通りに引き出される前史は、これらの裏通りに属する出版社に支えられていたことになる。しかしその一角である桃園書房も倒産に至り、出版不況はこのような分野にも例外なく訪れているのだ。

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