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古本夜話23 千草忠夫と『不適応者の群れ』

三十年ほど前に古本屋で買った本がある。貼られたラベルを見ると、今はなくなってしまった古本屋で入手したことがわかる。裸本の上下巻で、珠洲九著『不適応者の群れ』、譚奇会刊と表紙に記されていた。四百字詰千枚以上の長編小説と思われ、縛られた裸体の女たちの挿絵が収録され、タイトルとその挿絵から、明らかにアンダーグラウンド的な出版物の雰囲気があった。それが気になり、購入したのである。奥付表記は昭和四十六年三月改訂新版発行、発行所は三崎書房となっていた。

この本の存在をすっかり忘れていたのだが、北原童夢と早乙女宏美の『「奇譚クラブ」の人々』の中に、「『花と蛇』を愛したSM作家千草忠夫」という一章があり、千草について、次のような紹介がなされていた。

本業の高校教師を北陸で務めながら、九十九十郎、珠洲九、千百蘭、乾正夫といったペンネームで「裏窓」を皮切りに、七〇年代に創刊された『SMセレクト』『SMファン』『SMキング』などのSM雑誌で精力的にSM小説を書きつづけた。

千草は団鬼六『花と蛇』の熱烈な愛読者で、『奇譚クラブ』への、サディズムマゾヒズムに関する論考や小説の投稿者でもあった。六十四歳での急逝に至るまで書き続け、長編の単行本は百二十冊、短篇は三百三十冊を超えているという。その集大成として、死後に『千草忠夫選集』(KKベストセラーズ)が編まれている。団鬼六によれば、「彼は実践派ではなく、空想派であった」とされるが、この膨大な執筆量は空想マニアの倒錯的エネルギーの強度を如実に物語っていよう。『千草忠夫選集』を通読していないので、断言することは避けるが、団とは異なった感性によって、SM小説の新しい地平を切り開いたように思われる。これは私見だが、田中雅美『暴虐の夜』(光文社文庫)に始まるバイオレンス小説は、千草の影響を受けているのではないだろうか。
花と蛇
千草が『花と蛇』の熱烈な愛読者だったと前述したが、それ以前から『奇譚クラブ』に連載されていた沼正三『家畜人ヤプー』も熟読し、その特異なマゾヒズムの世界の照り返しを浴びていたと考えられる。おそらく千草は同時にSF小説の愛読者であり、SF小説パラダイムの中で、沼のマゾヒズム世界を再構成し、SFとSMを合体させた作品が『不適応者の群れ』だと見なすこともできる。その証拠として、主人公の士郎は「SF好き」との説明が付されている。

それゆえに『不適応者の群れ』は挿絵に象徴されるように、本質的にはSM小説を骨格としているのだが、その物語の文法はSF小説の定型に則っている。ストーリーを紹介しよう。地球人の士郎は自動車事故によって、異次元の世界に落ちこんでしまった。それはシティという人口三十万の都市国家で、貴族、市民、奴隷の三つの階級に分かれ、その階級は性別によって決定されている。支配階級の貴族と中産階級の市民は女性だけで占められ、労働階級はすべて男性=奴隷であり、前者が十万人に対して、後者は二十万人に及んでいる。貴族たちはシティ中央に屹立する巨大なマンションに住み、地下に設置された原子力発電所と電子頭脳を占有して権力を一手に握り、すべての労働から解放され、アミ=同性愛の相手やペット=奴隷から選ばれた愛玩男性との快楽にふけっている。だがシティ法では男女の性交は最大の破廉恥罪とされ、妊娠した場合、男女とも極刑に処せられることになっているので、ペットも奴隷も女性との「正常な性交」は許されていない。

種の保存は貴族市民を問わず、卵子の供出が義務づけられ、保育場で「種馬」の精子とかけ合わされ、人工的に受胎、生産され、そこで組織的に育てられる。このように女性は完全に妊娠と育児という重労働から解放され、電子頭脳による計画経済に充足し、高度美容術とエロチックな快楽にふけり、一方で男性はマンションの頂上アンテナから発信されるQ波により、肉体的な欲望を封じこめられ、奴隷は存在として女性に服従し、酷使されている。このシティに士郎は異次元の壁を越えて落ち、さらにシティに反逆を挑む男性たちの革命集団に加わることになり、女性と男性の闘いが始まるのである。

明らかに男性の奴隷化のテーマは『家畜人ヤプー』の影響を受け、シティなる都市国家と女性のイメージは、セックスまで管理する暗黒の未来社会を描いたザミャーチン『われら』岩波文庫)にヒントを得ているように思われる。言ってみれば、『不適応者の群れ』はこれらの二作品に加え、さらにSFのスペースオペラ的要素も取り入れた作品で、そこにSMの文法を散りばめた、まさに異種交配的な物語を形成している。SM小説家たちがミメーシスの才にたけ、時代小説やアクション小説などをSM小説に転化させる技術について前述したが、そのジャンルはSF小説にも及んでいたのである。それらはともかく、おそらくこの珠洲九の『不適応者の群れ』は『家畜人ヤプー』の別ヴァージョンを意図して書かれたのではないだろうか。

家畜人ヤプー われら
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