出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話24 江戸川乱歩の『幽鬼の塔』

ずっとSM小説に関連して書いてきたが、私は残念ながら実践派でも空想派でもないので、須磨利之や濡木痴夢男のようなマニア編集者たち、及び彼らが雑誌に仕掛けた様々な変態シグナルに魅せられた多くの読者たちの心情を深く理解できているとは言い難い。それはサドやマゾッホの翻訳者にして、二人の評伝や論考を残した澁澤龍彦種村季弘も同様であろう。二人はサディストでもマゾヒストでもなかったからだ。それゆえにマニアにして実践者である須磨や濡木の『奇譚クラブ』や『裏窓』と、澁澤が手がけた『血と薔薇』には深くて越え難い距離が歴然と存在している。実際に中川彩子=藤野一友の絵画をめぐって、SM陣営に加えたい須磨たちと、シュルレアリスム画家に位置づけたい澁澤たちとの間における攻防がひそかに繰り拡げられたようだ。

それはさておき、私のような部外者にしても、藤見郁の『地底の牢獄』団鬼六『花と蛇』珠洲九の『不適応者の群れ』における地下室への監禁という共通のテーマは、小学生時代に読んだ江戸川乱歩の一作を想起させた。それはポプラ社『幽鬼の塔』である。後年になって、この作品が昭和十四年から十五年に『日の出』に連載された同名の『幽鬼の塔』(『江戸川乱歩全集』第十二巻所収、講談社)の戦後における改作少年版だと知った。だが私にとって『幽鬼の塔』とは、あくまで十代初めに読んだポプラ社版でなければならなかった。もちろん半世紀近く経っているので、読んだ本が手元にあるわけもなかったが、二十年ほど前に古本屋でポプラ社の『江戸川乱歩全集』全四十六巻の大揃いを見つけたのである。これは「少年探偵団シリーズ」の集大成で、その中に『幽鬼の塔』が入っていた。児童書ゆえに古書価格が安かったことに加えて、息子たちも読むだろうと思い、買い求めた。『幽鬼の塔』の奥付には昭和四十八年第一刷、五十五年第十三刷とあった。私が読んだのは昭和三十年代の後半だったから、カバーなどが異なっていることも考えられるが、そこまでの記憶は残っておらず、ポプラ社も社史と全出版目録が出されていないので、いまだに確かめられずにいる。
幽鬼の塔
小学生の私は『幽鬼の塔』がもたらすエロスと犯罪、殺人が行なわれる場所をまざまざと想起し、かつてないおののきを覚えたのだった。江戸川乱歩自身も「はじめに」で、「いろいろのてんで、この物語はほかのお話とは、おもむきがかわっています」と述べている。『幽鬼の塔』とはどのような物語であるのか、それをたどってみよう。

主人公は明智小五郎で、この作品においてはまだ大学を出たばかりであり、犯罪学の研究に打ちこんでいるとの設定である。彼は研究のために隅田川のU橋の大鉄骨の上に身を潜ませ、深夜の橋でかならず起きる犯罪や悪事の兆候をうかがっていた。失業者のような一人の男が黒いスーツケースをさげ、明智の下で立ち止まった。そこで男は新聞紙に包んだ中身を取り出し、空になったスーツケースを川に投げこんだ。明智は彼の挙動を怪しみ、尾行すると、深夜でも開いている鞄店に入り、バッグを求める。支払う時に男の札入れが見えたが、労働者らしき服装にもかかわらず、千円札がぎっしりつまっていた。明智は同じ鞄を買うことを思いついた。男は町をさまよった末、一軒の簡易旅館に入った。明智も続いて入り、男の隣室を頼んだ。そして明智は男が洗面所に出かけた時を狙い、隣室へ忍びこみ、バッグをすり替えた。それを開き、新聞に包まれた物を取り出した。すると滑車のついた古い木製の万力、長い麻縄、油絵具で汚れた洋画家の仕事着が出てきた。「なんという奇妙なとりあわせであろう」。バッグをすり替えられた男はそれに気づき、パニック状態になり、旅館を出て、上野公園の五重の塔に向かい、頂上の屋根から風鈴のようにぶらさがり、首吊り自殺してしまう。

これが発端であり、明智がその謎を探っていくと、二十五年前に静岡県S市で続けて起きた殺人と自殺にたどりつく。双方とも五重の塔で首を吊った状態で発見されたのだ。S中学校に一人の少女を女神と仰ぐ六人組の秘密クラブがあった。だがその崇拝の対象だった少女が何者かに森で絞殺されてしまった。少年たちは秘密クラブにしていた古い土蔵に集まり、悲嘆にくれていると、少女の霊魂がよびかけ、犯人は土地の不良青年だと告げた。六人は探偵となり、その札つきの青年の悪事を調べ上げ、復讐を誓い、土蔵に連れこみ、殺害するに至る。

一本の蠟燭に照らされた土蔵、六人の少年と大男の青年、抜き放たれた短刀、出現する血まみれの光景、五重の塔にぶらさげられた死体。それは誰かが五重の塔で首を吊り、風鈴のように揺れているという少女の生前の予言に基づくものだった。つまり橋上に現われた男はその少年のなれの果てであり、バッグの中身は他のメンバーをゆするための殺人の証拠物件だったのだ。

言うまでもなく、私がおののきを覚えたのは、この暗い土蔵の中で展開された秘儀の光景である。そこでは殺人すらも宗教儀式のようで、しかもエロスを含んでいると感じられたのだ。暗い土蔵、少女の霊魂のよびかけ、監禁と殺人、生前の予言といったコードはそのままSM小説へと転化できるファクターであり、江戸川乱歩の秘めたる資質を物語っているように思われる。

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら