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古本夜話28 赤本、演歌師、香具師

前回の「北島春石と倉田啓明」のところで、浅草の「春石部屋」に集まってきた人々の中に、演歌師の元祖添田啞蝉坊がいたことを記しておいたが、その息子の添田知道も「春石部屋」について書いている。それは『演歌師の生活』 (雄山閣)における演歌師の歌集赤本に言及した章で、実際に多くの書影を掲載して赤本屋を論じ、そのひとつとして春江堂も挙げられ、桜井と「春石部屋」のことも出てきたのである。「春石部屋」という二流の小説家を中心とする「一種のクラブ」、浅草と赤本屋、演歌師と並べただけで、大正時代の知られざる文学と出版環境の中に召喚されるような気がする。

また添田は、この歌集赤本がよく売れることに注目して、講談社の雑誌が新年号の付録に付け始め、それが新潮社から中央公論社まで広がり、戦後になっても踏襲され、『平凡』や『明星』が継承したと指摘している。この流れを出版業界の「赤本センス」化とよび、いつまでも抜け切らない日本の出版の底に潜む「衆愚観」に基づくとも述べている。これらの証言はとても興味深いし、表面的には無縁のようであったとしても、これもまた通底している赤本とマス雑誌の親密な関係性を物語っていよう。

添田知道は明治三十五年に東京市本所に生まれ、堺利彦の売文社に入り、社会主義者たちと交流するかたわらで、バイオリンを独学し、神田の縁日などで歌い、自由人として親子二代の演歌師人生を送り、また『演歌の明治大正史』 岩波新書)や『日本春歌考』 カッパブックス)を刊行している。そして前述の『演歌師の生活』 に続いて、演歌の舞台の背景ともいえる香具師の世界を描いた『香具師の生活』 (雄山閣)を上梓している。添田のこれらの著作によって、赤本、演歌師、香具師の世界が一直線につながるのである。
演歌の明治大正史 (『演歌の明治大正史』)

『香具師の生活』 は香具屋の神農としての由来、香具商人の歴史、香具屋の世界の掟と業態、明治から大正にかけての変遷、浅草の香具師の実態などを描き、香具師論の集大成と見なせるが、ここでは赤本に関する事柄だけに限定する。添田は昭和七年頃の浅草寿町宗吾神社縁日の香具師の露店出店百数十の例を図面で示し、絵本、赤本、講談本、月遅れ雑誌、再製雑誌などを売る五店の場所に○印をつけている。そしてこれらの商品を「ヒツジモノ」とよぶといい、次のように書いている。

 てきやのネタのなかに、ヒツジモノと総称されるものがある。ヒツジは紙の隠語。羊が紙を食うことから来ている。紙のもの、したがって印刷物をひっくるめて、こういう。
(中略)片岡呑海などの法律本がそうである。記憶術、英語会話練達集、催眠術、医薬処方、灸点法、金満と称した資産家番付、占い本、夢判断、喰合せ食療法、流行新語辞典、メンタルテスト滑稽問答、勤倹奨励と称する統計集、物の始め、諸病手当て看護法、しみ抜き法、薬草本などから、流しに使われるいろは教訓、妙薬療法いろは歌、一つとせの事件歌、心中物、事件物、いろいろとあったものである。

これには若干の説明が必要だろう。ここに出てくる片岡呑海は日本一の民衆法律家を自称する優れた大道雄弁を発揮し、香具師の中でも大ジメ師と称され、円陣に人を集め、弁舌を持って商品を売るのである。片岡の場合は法律本だが、添田が挙げているその他の本も、多くが「タンカ」(口上、説明)付きで売られていったのである。『香具師の生活』 の中にいくつもの「タンカ」の紹介があり、片岡呑海の法律書の「タンカ」の臨場感あふれるようなシーンも再現されている。

このような「タンカ」付きで香具屋が売る本を総称し、赤本、絵本、講談本、月遅れ雑誌などを合わせて、添田は「ヒツジモノ」とよんでいるわけだが、これを広義の「赤本」と考えるべきではないだろうか。添田は暦を挙げていないが、これも「ヒツジモノ」に分類できるだろう。しかしいくら「ヒツジモノ」であっても、香具師は売るだけだから、それらを書く人々と製作する出版社が必要とされる。その出版社が赤本屋であり、「ヒツジモノ」を書いた人々は北島春石に象徴される二流の小説家たちだったのではないだろうか。そのように考えてみると、赤本業界と売れなかった小説家、詩人、児童文学者たちの関係がわかるような気がする。その全貌は明らかになっておらず、見え隠れするだけだが、彼らにとって、そこが長きにわたるアジールであったと考えるべきだろう。だがこのことについては稿をあらためたい。
書店の近代

また「ヒツジモノ」の一種の「月遅れ雑誌」にも言及してみる。これは『書店の近代』 平凡社新書)でも書いておいたが、尾崎秀樹・宗武朝子編『日本の書店百年』 (青英舎)の中に「三冊で一〇銭! ポンポン船の中で本を売る」という坂東恭吾の証言がある。彼は出版業界の寅さんのような人物で、後に円本の残本販売で名をはせるのだが、元は博文館出入りの紙屑屋の上田屋で、雑誌残本を潰す代わりに潰しの倍の値で売ることを思いつき、博文館の了承を得て縁日で売ると、二時間で千冊の山が売り切れてしまった。そこで残本雑誌の販売に本格的に乗り出し、講談社なども手がけるようになり、上田屋は香具師相手の残本ネタ元締めとなったのである。この坂東の証言を追っていくと、残本雑誌から円本の販売に至るまで、特価本、ゾッキ本を含めた赤本業界と香具師の世界が提携し、その処理にあたったとわかる。したがって、香具師の世界も長きにわたって出版業界のバックヤードであり、取次や書店と異なるもうひとつの流通販売システムだったことになる。

私は今でも思い出すことができる。あれは昭和三十年代だったが、縁日の露店では月遅れ雑誌が売られていて、それを買ってもらった記憶がある。高度成長期にはまだ全国各地の縁日の露店で月遅れ雑誌が売られ、買われていたのだろう。しかしそのような露店の光景も昭和四十年代に入ると、見られなくなってしまったように思う。香具師の露店という「路傍文化」から出版物を見るならば、そこには紛れもないもうひとつの世界が顔を覗かせている。

これは推測であるが、梅原北明たちの出版人脈もこのようなもうひとつの世界とつながっていたのではないだろうか。実は添田『香具師の生活』 の中で書いているが、この本に先行すること四十年前に、『香具師奥義書』という本が出されている。著者の和田信義は添田の旧友のアナキストで、香具師仲間と全国を回った経験を持ち、同書を著わしている。そしてこの一冊は昭和四年に梅原の文芸市場社から出版されている。私の所持する一冊は昭和九年の文芸展望社版の三版だが、この出版社も赤本業界や香具師の世界が介在しているように思えてならない。
香具師奥義書』

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