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古本夜話37 岡書院の『南方随筆』

この際だから南方熊楠の『南方随筆』 にも言及しておこう。南方熊楠の著作の出版元年は大正十五年である。大正十五年二月に坂本書店から『南方閑話』、五月と十一月に岡書院から『南方随筆』 『続南方随筆』 が刊行された。この三冊の刊行を機にして、熊楠は一部の愛読者たちばかりでなく、広く知られる存在になっていったように思われる。
f:id:OdaMitsuo:20180109142259j:plain:h120(沖積舎復刻版)

以前にそれほど間を置かず、浜松の時代舎で『南方閑話』と『南方随筆』 の二冊を入手し、その感を強くした。それまでに熊楠が様々なリトルマガジンに多くの論文を寄稿し、高い評価を得ていた事実は承知しているが、やはり書物というかたちにあらためて接してみて、当時の文化状況にあっても、一年間で立て続けに三冊出版されたことはかなりインパクトがあったにちがいないと確信した。とりわけ『南方随筆』 は『南方閑話』の百八十ページ余りに対して、四百七十ページに及び、熊楠の底知れぬ学識を知らしめるに充分な厚さであった。『南方閑話』はまたの機会にゆずることにして、『南方随筆』 を入手したことで、ずっと確かめてみたかった一文を読むことができた。ここではそれを報告しよう。

岡書院の岡茂雄の『本屋風情』 (中公文庫)に『南方随筆』 出版までの経緯、及びそれにまつわる事情が記されているので、まずは参照しておく。大正十四年の暮れ頃、岡が民俗学の寄り合いで、南方熊楠のものを出したいともらしたところ、博文館の編集者時代から熊楠と親交のあった中山太郎がその交渉を引き受けると応えた。熊楠から中山宛に承諾の手紙が届いたのは同十五年の二月初めで、編集は柳田国男の出版代行者でもある岡村千秋が担当し、五月に刊行の運びになった。だがトラブルが発生する。岡はこの時点で、まだ熊楠に会っていなかった。
本屋風情

 一般の人のためにと思って、巻末に、編集者の後記というような形で、翁の概貌を中山さんに書いていただいたのだが、これが翁の激怒を買い、繰り返しお叱りをいただくことになった。

この詫びを入れるために、岡は六月に田辺に向かい、熊楠と初めて出会うのである。中山が同書に寄せたのは「私の知つている南方熊楠氏」という一文だった。ちなみにふれておくが、中山への承諾の手紙、岡への苦情の手紙はいずれも『南方熊楠全集』 (別巻1、平凡社)に収録されている。そして重版に際して、中山の一文は削除されてしまい、その後の復刻でも同様で、岡書院の初版にしか収録されなかったことになる。岡の説明によれば、代わりに熊楠の自叙伝が提案され、さらに全貌を伝えるための全集の企画へと結びついていった問題の始まりだった。
南方熊楠全集別巻1

熊楠の手紙における苦情の内容を要約してみる。「私の知つている南方熊楠氏」は「すなわち小生も中山君の一篇を小生の名を題した小説稗史と見るものに候」と熊楠は書き、息子の病勢重しとか、日本酒二升、ビール三、四本を毎日のように呑むなどの記述は間違っているので、それらを記したページは削除してほしい。その他に二箇所の訂正を頼んでいる。しかし中山は「いかなる虚言多きにせよ、堂々と中山太郎と本名を出して書きたるだけはよほど立派な根性の人」として、熊楠は中山に続編の編集を頼むようにとも書いている。だから手紙から、岡のいう「翁の激怒」はあまり感じられないし、熊楠も最後のところで「毎度申し上ぐる通り小生はこんなことは少しも介意せぬ男」との言をはさんでいる。むしろ文面に「拙生家内ことに愁うる」とか、「妻子など気が小さくいろいろと心配する」とあることから判断すれば、熊楠が妻の松枝に配慮して、この手紙を岡に出したように思えてくる。しかし問題の「私の知つている南方熊楠氏」は、岡書院の『南方随筆』 にしか収録されていないので、これまで読むことができなかったのである。

ようやく入手した『南方随筆』 の中山の三十ページほどの文を読んで、さすがの熊楠も困ったのではないかと思われる部分に突き当たった。それは夫婦喧嘩の記述である。少し長くなるが、引用しておこう。妻が実家に逃げ帰ると、熊楠は追いかけて、次のような行動に及ぶと書かれている。

 闘鶏社の拝殿に素ッ裸のまま大胡座をかき、結婚以来、微に入り細に至るまで、夫婦間の情事を漏さず書き記した日記を声高らかに読み上げる。安宅関の弁慶糞を喰へ、一茶の七番日記でも跣足で駈け出すほどの珍妙な日記だ。これを聴かされては妻女は顔から火を出さぬばかり、真赤になつて便所に隠れて耳を塞ぐ、舅も姑も開いた口が塞がらず、何事が起つたかと駈けつける町内の甲乙も、腹をかかへるやら顔の紐を解くやら大騒ぎ、両親は娘を呼び出し、「親が両手を合わせて頼むからどうぞ帰つてくれ」と宥(なだ)めたり偏(すが)したりして戻すのが常であつた。氏の戦法は斯かる事にも奇想天外から落つるものがあつた。

中山は「愉快」なことのように記しているし、岡も読者も熊楠らしい「愉快」なエピソードだと思ったかもしれないが、恐妻家の一面もあったとされる熊楠は、かなり「拙生家内ことに愁うる」立場に追いやられ、遠回しに削除を申し入れたのではないだろうか。

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