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11 ハメット『デイン家の呪い』新訳

小鷹信光によるハメットの最後の新訳『デイン家の呪い』 (ハヤカワ文庫)が〇九年十一月に刊行された。これでハメットの五作の長編の小鷹新訳版が出揃ったことになる。とりわけこの『デイン家の呪い』は「ハヤカワポケットミステリ」に収録されていた村上啓夫訳以来、半世紀ぶりの新訳でもあり、それを機にして『ハヤカワミステリマガジン』 (一〇年一月号)が「ハメット復活」特集を組んでいる。

デイン家の呪い ハヤカワミステリマガジン10年1月号

ただ最後の翻訳といっても、『デイン家の呪い』 は一九二九年に出版されていて、ハメットにとっては『赤い収穫』 に続く第二作目の長編小説にあたる。前々回既述しているが、ハメットに関して、他の作家のように「探偵捜査を学ぼうとする小説家として出発したのではなく、小説の書き方を学ぼうとする私立探偵だった」と述べたジョー・ゴアズは、彼を主人公とする小説『ハメット』 (ハヤカワ文庫)を書き、その時代背景を一九二八年に設定している。そこでは探偵ではなく、作家としてのハメットが登場し、書きつつある『デイン家の呪い』 の改稿、アイデアやプロット変更のシーンなどが挿入されている。
ハメット

しかし『デイン家の呪い』 はハメットにとって満足のできるものではなかった。W・F・ノーランが『ダシール・ハメット伝』 で書いているように、ハメット独特の文体は生き、「純然たる娯楽としては、一風変わった幻想的メロドラマであり、意表をつく殺人事件あり、はたまたムードたっぷりのシーンありで、文句なく楽しめるアクション小説」であったとしても、作品としては複雑すぎてまとまりがなく、『赤い収穫』 『マルタの鷹』 などの完成度からすれば、停滞している感がつきまとう。コンチネンタル探偵社の「私」ですらも『赤い収穫』 とは別人のようなのだ。

赤い収穫" マルタの鷹

それゆえに新訳であっても読者にはとまどいを覚える作品で、訳者の小鷹信光『デイン家の呪い』 刊行記念とある、フォークナー研究者諏訪部浩一との対談「『ダシール・ハメット』講義」の中で、そのとまどいを隠しておらず、「本当に変わっている」と語り、次のように述べている。

 異常な話なんです。第一部は宝石泥棒と悪魔島の話、第二部はインチキ宗教の話で、怪しい神殿みたいなところに行くとおばけが出てきたり、第三部では誘拐や派手な爆発騒ぎまで起きちゃう。

小鷹のこのような言を受け、諏訪部も「あれは読んでいてわけがわからなくなりますよ(笑)」と応じている。なおすでに記しておいたように、諏訪部は『Web 英語青年』で「『マルタの鷹』講義」という注目すべき連載を始めている。だがこの二人にしても、刊行記念対談にもかかわらず、『デイン家の呪い』 についてはわずかな言及を加えるだけで、とまどいは解消されることなく、終わってしまっている。

だからここで、私が『デイン家の呪い』 に関する仮説を提出しておきたい。この「ハメット復活」特集にはやはり小鷹訳で、『デイン家の呪い』 の元型である中編「焦げた顔」が掲載されている。これは上流階級の二人の娘の失踪をめぐる「秘密宗教」の物語で、この中編が『デイン家の呪い』 へと組みこまれていったと確かに推測できる。『デイン家の呪い』 と「焦げた顔」の双方にでてくる「秘密宗教」を、小鷹は「インチキ宗教」とよんでいるが、これには少しばかり留意が必要だと思われる。

通常のアメリカ史は一九二〇年代の禁酒法、赤狩り、ギャングたちの跳梁と暗黒街について、必ずと言っていいほどふれている。だが当時アメリカの一潮流を形成していたスピリチュアリズムには言及していない。イギリスの事情に関してはジャネット・オッペンハイムの『英国心霊主義の抬頭』 (工作舎)があり、その歴史と経緯の詳細がわかるけれど、アメリカについては見取図を示した一冊がなく、容易に俯瞰できない。しかしスピリチュアリズムのみならず、心霊研究、降霊術、オカルティスム、神智学などが並んで、第一次大戦後のアメリカで大きな潮流となって、広く定着していたと考えられる。それはハメットがオプ物を寄稿していたパルプマガジン『ブラック・マスク』も同様で、W・F・ノーランの「あるパルプ雑誌の歴史―ブラック・マスクの時代」(小鷹編『ブラック・マスクの世界』所収、国書刊行会)によれば、一九二〇年四月創刊号には「探偵、ミステリー、冒険、ロマンス、降霊術の絵入り雑誌」というサブタイトルが付され、オカルト的物語も『ブラック・マスク』のメニューだったことがわかる。
英国心霊主義の抬頭

またD・ジョンソンが『ダシール・ハメットの生涯』 の中で、ハメットが文体や小説作法の概念をヘンリー・ジェームズから学んだと述べ、『マルタの鷹』 のプロットのヒントを彼の『鳩の翼』 から得たと指摘しているが、そのジェームズの『ボストンの人々』 もまた十九世紀末のアメリカの女性解放運動とスピリチュアリズムや降霊術との関係を描いたものである。だからハメットも『デイン家の呪い』 の中にそれらを意図的に取りこんだように思われ、「神殿」という第二部を、単なる「インチキ宗教の話」として片づけられないような気がする。

鳩の翼

訳書の本文人名註解、及び原文を参照していくと、この「宗教結社」=the cult と「聖杯神殿」=the Temple of the Holy Grace は、十九世紀末にアメリカでロシア出身のH・P・ブラヴァツキーが創設し、ジドゥ・クリシュナムルティに引き継がれた神智学協会をモデルにしているように思われる。それを暗示するように、「神殿」にはロシア煙草への言及がある。この複雑な人脈と近代オカルトムーブメントの動向は、荒俣宏編『世界神秘学事典』 (平河出版社)の「神智学」の項目などを参照してもらうしかないが、二〇年代のカリフォルニアにおいても、ハリウッドを中心に深く根を降ろしていたようなのだ。

それをハメットはハルドマン夫妻が主宰する「聖杯神殿」に見立て、その宗教的からくりとメカニズムを浮かび上がらせようとしたのではないだろうか。そしてまたハメットもピンカートン探偵社時代に、同じようなカルト絡みの事件に関係していたことにも起因しているのかもしれない。だがハードボイルドを通じて、カルトを描くことは成功に至らず、ハメットにしてみれば、「バカバカしい話…見かけ倒し」という結果に終わってしまったのではないだろうか。

それからもうひとつ『デイン家の呪い』 のファクターにふれておくと、このフランスを出自とする謎めいたデイン家の人々は、ゾラのルーゴン=マッカール一族を想起させるのである。デイン家の人々と「ルーゴン=マッカール叢書」のメンバーとの相似については例を挙げていけば、とめどなくなってしまうので、ここでは『赤い収穫』 でふれた『ジェルミナール』 だけに限定する。
ジェルミナール

『デイン家の呪い』 のゲイブリエルは奇妙なヒロインと称すべき存在で、しかも一家の呪いを一身に背負っているように描かれている。「風変わりな娘で、人づき合いが悪い。おまけに、けもののような耳をして」、「突き出た顎、極端なほど白い滑らかな肌、顔の造作の中で大きめなのは茶色がかった緑色の瞳」だけで、「額、口、歯は異様なほど小さい」とされる。このような彼女の容姿に対する言及は何度も繰り返され、自らの口から「退化」なる言葉すらももれている。

このようなゲイブリエルの描写は『ジェルミナール』 の少年炭坑夫ジャンランの容姿と酷似している。彼はルーゴン=マッカール家のメンバーではなく、女性でもないが、代々の炭鉱暮らしのために「退化」した存在と見なされ、「彼はひどく小さくて手足は細長く、(中略)緑色の目をくぼませ、生気のない猿のような顔に大きな耳を拡げ」ていた。ジャンランも同様の描写が繰り返されている。

ゲイブリエルが十九世紀末の「退化」を伴う「宿命の女」といったイメージから造型されているにしても、それを担った作家の一人がゾラであり、それにゲイブリエルとジャンランの共通性を加えると、ハメットに対するゾラの影響を思い浮かべてしまうのである。そして最後に犯人が「私」の友人の「作家」であり、その「作家」がデイン家の一族の一人だと判明し、デイン家の呪われた血による犯罪というクロージングを迎えている。これはルーゴン=マッカール一族を創造したゾラを想定しているのではないだろうか。

このようにスピリチュアリズムや神智学とゾラを介在させて、『デイン家の呪い』 を読むと、その物語風景はハードボイルドの地平とは異なるものとして顕現してくるように思われる。

なおハメットに大きな影響を与えたヘンリー・ジェームズはゾラの愛読者だった。

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ゾラからハードボイルドへ4 ダシール・ハメット『赤い収穫』
ゾラからハードボイルドへ3 『ジェルミナール』をめぐって
ゾラからハードボイルドへ2 『ナナ』とパサージュ
ゾラからハードボイルドへ1 「ルーゴン=マッカール叢書」