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古本夜話43 澤田順次郎の『神秘なる同性愛』

江戸川乱歩も『男色文献書志』の「序」で述べているが、岩田準一がこの本を「後岩つつじ」と命名していたことからわかるように、北村季吟の『岩つつじ』に強く感化され、文献渉猟の道へと歩み出したのである。
伊勢物語

それは『伊勢物語』 から始まり、昭和十八年刊行の河竹繁俊『歌舞伎史の研究』 まで、千冊近くに及び、その六百番台からは明治以後に刊行された出版物で占められている。そしてこれは私も以前に指摘しているが、その「凡例」で、徳川期の初中葉と同様に「大正の中葉から昭和の初葉数年にわたって、この種の文献の豊かであったことは一つには世の流行であった」と岩田は記している。おそらく岩田や乱歩の同性愛文献の収集も、「世の流行」を背景としていたことは想像に難くない。またそれゆえにこそ文献も発掘されたのであろう。

岩田の『男色文献書志』をずっと追っていくと、山崎俊夫や倉田啓明の作品も見え、山崎の『童貞』は大正五年小川四方堂出版で、「稀有の小説集」とあるし、今春聴(東光)の「稚児」も挙がっている。春聴は今の僧侶名で、「稚児」の初出が『日本評論』の昭和十一年三月号だったことがわかる。そこには「叡山の美童をめぐる恋愛に取材したる物語の中に、恵心僧都選述と称する『弘児聖教秘伝』の一書を紹介せり」とある。その他にも手持ちの本が何冊かあるので、少しばかり紹介してみよう。

七百番台の一冊に澤田順次郎の『神秘なる同性愛』があり、大正九年六月の天下堂書房版で、二冊本とされている。私の手許にあるのは大正十二年七月の第五版、上下巻合本、発行所は共益社出版部である。大正から昭和初期にかけて、「この種の文献の豊かであった」にしても、ダイレクトに書名に「同性愛」という言葉を採用し、単行本として刊行したことはめずらしいように思われる。それに「変態」は流行語として使われていたようだが、「同性愛」はまだ社会に浸透していない言葉だったのではないだろうか。だから専門的論文は多くあっても、『男色文献書志』にも単行本は守田有秋の『同性愛の研究』しかないし、こちらは昭和六年の人生創造社刊なので、宗教絡みの研究的性格が強く、版は重ねていないと思われる。人生創造社は宗教文学の石丸悟平の出版社で、『人生創造』という個人雑誌を刊行していた。これは余談だが、この雑誌の売れ行きにヒントを得て、菊池寛が『文芸春秋』の編集企画に応用したと言われている。

『神秘なる同性愛』の著者の澤田順次郎は羽太鋭治や田中香涯と並んで、それこそ大正から昭和初期にかけてのセクソロジストで、それぞれ自らの性雑誌を主宰し、多くの著書を刊行したことでも共通している。彼らは高橋鉄の先駆的な存在のようにも思われる。だから彼らによって「この種の文献の豊かであった」ことが招来されたとも言えるだろう。『男色文献書志』において、羽太は澤田との共著『変態性欲論』(春陽堂)が挙げられているだけだが、田中の論文は「男性間における同性愛」などの十七編の論文が収録され、群を抜いて多い。だが田中のことはまたの機会にゆずり、ここでは澤田の著書に限りたい。羽太と田中は医者でもあったのだが、澤田の詳しい経歴は不明で、坪井正五郎を通じて人類学や博物学を学び、師範学校や中学で博物学の教師をしていたと伝えられている。

この時代におけるヨーロッパの性科学者の影響を受けた三人のセクソロジストの同性愛に関する見解もそれに準じていて、『神秘なる同性愛』にもそれを見ることができる。澤田はその「序」に書いている。

 併し広く生物界の上より、生殖に異性の必要なることを観れば、異性愛は自然にして、同性愛は不自然なこと、衆目の一致するところである。(中略)医学上より言へば、同性愛は脳の異常より来たる、精神病的感情であるが為めに、異性愛よりも強烈にして、其の感情は極めて偏傾し易くある。(中略)されば同性愛は、常に性の研究として必要なるのみならず、又教育及び法医学上の問題として、(中略)必ず研究すべきものと信ず。

そして澤田は明らかにクラフト=エビングやアルバート・モルに依拠し、同性愛の発生と発達、その起源と歴史と地理的分布、原因と原理、先天性、及び後天性同性愛、身体的半陰陽に基づく同性愛、倒錯的同性愛について論じている。さらにこれらもほとんどクラフト=エビングやモルから援用したと考えられる世界各国各地の豊富な例を引いて述べ、その防止や治療法に至り、次のように結論づけている。

 其の実同性愛は、甚はだ憂ふべき一種の伝染病にして、其の蔓延するところの、社会を破壊することは、彼の亡国病なる花柳病、酒精中毒及び肺結核に似て居る。
 されば男性愛(男色)を、武士道と関係あるものとして、それを奨励したる古武士に倣ひて、今尚、之れを唱導する者あるは、殆ど爛熳たる花に向けて、糞尿を灑ぐと一般、醜陋の極みである。

このような抑圧的同性愛イデオロギーの下で、山崎俊夫たちの作品が書かれ、岩田や乱歩の研究が始まり、それに南方熊楠が賛同し、稲垣足穂も加わり、男色のパラダイムチェンジの試みが画されたのだとあらためてわかる。

岩田の研究は乱歩や遺族たちの支援によって甦ったが、そこで博捜された多くの男色文献が埋もれたままで放置されている。おそらくそれらを研究して再評価するためには、日本のミシェル・フーコーが生まれなければならないだろう。

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