出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

16 『FAULKNER AT NAGANO』について

昨年、このブログでも述べておいた、前リブロの今泉正光へのインタビューが実現に至り、三月初旬に彼が住む長野を訪ねてきた。興味深い話題をつめこんだ内容のインタビュー集の編集を終えたところだ。「今泉棚」と称されたリブロ時代の、まさに当人によるオーラルヒストリーは待たれている読者も多いと聞いている。八月には読者にお届けできると思う。

そのインタビューの席上で、たまたま話がフォークナーに及び、彼が一九五五年に来日し、他ならぬこの長野に滞在してセミナーが催され、その記録が出版されていると話したところ、さすがの今泉正光もその本の存在を知らなかった。それはこの本が五六年に研究社から“FAULKNER AT NAGANO ”というタイトルで刊行されたが、七〇年代には絶版になっていたことに加え、すべてが英文であったために、研究者以外には忘れられていた一冊だったからだろう。実はこの本にはフォークナーの日本での写真四枚が収められ、そのうち三枚が長野でのもので、善光寺の鐘を背景とした一枚もある。
FAULKNER AT NAGANO

FAULKNER AT NAGANO ”はアメリカ政府の文化使節としての長野セミナーでの会談を主とし、日本での六編のインタビューなどから構成されている。事情は詳らかにしないが、編者もアメリカ人ゆえに著作権上の都合で、長い間絶版となっているのだろう。もちろんこの本の読みどころは日本人のアメリカ文学研究者たちとの会談であり、そこにはフォークナーの生真面目な人柄がうかがわれ、率直に影響を受けた作家や読書体験について語っている。ただ残念なことにゾラの名前は挙げられていないが。

だがこれらのセミナーやインタビューではなく、To the youth of Japan という一文の中で、フォークナーにとっての南北戦争が何であったのかが率直に生々しく述べられている。ゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」と彼の「ヨクナパトファ・サーガ」に共通しているのは、普仏戦争と南北戦争の敗北を背景とする戦後文学であることだと既述しておいたが、それをまさに実証する証言でもある。そしてこの一文は九五年刊行の冨山房版『フォークナー全集』 27に「日本の若者たちへ」という邦訳(藤平育子訳)で収録された。またこの巻には前述の長野セミナーの写真が冒頭に再録されている。
フォークナー全集 27 (『フォークナー全集』27)

フォークナーは「日本の若者たちへ」で次のように語り出している。

 百年前、私の国アメリカ合衆国は経済的にも文化的にも一つではなく、二つに分かれた国がお互いに激しく対立し、九十五年前どちらの側が勝っているかを試すために戦争になりました。私の側、南部はその戦争に負けました。戦争は広々とした海洋のような中立の場で戦われたのではなく、我々の家、庭、農場で戦われたのです。ちょうど沖縄とガダルカナルが、遠い太平洋上に位置している島ではなくて、本州とか北海道にあるようなものです。我々の土地も家も征服者によって侵入され、私たちが負けた後も彼らは居残りました。私たちは負けた戦争によって打ちのめされたばかりではありません。征服者は私たちの敗北と降伏の後十年も南部に滞まり、戦争が残した僅かなものまで略奪していきました。戦争の勝利者たちは、人々のコミュニティとしても、また民族のコミュニティとしても、南部を復興し再建するための、どんな努力もしませんでした。

だからこそ、南部出身のフォークナーは現在の日本の若者たちの感情を理解できると続け、その過去の「深い悲しみ」ゆえに戦争の痛みを自覚し、強くなったと述べている。人間は希望と忍耐と強靭さを備えているし、それらは戦争と大きな不幸によって強く想起される。それゆえに戦争による大きな不幸の後、南部において優れた文学の復活が起きたのであり、同じようなことが日本でも起きるだろうと言っている。このフォークナーの言葉を裏づけるように、エドマンド・ウィルソンはその百周年にあたる六一年に出版された南北戦争文学研究書『愛国の血糊』 (中村紘一訳、研究社)において、占領、及び白人と黒人の血の混交する南部状況を、一九三〇年代になってフォークナーが勇気を持って描いたと指摘している。
愛国の血糊

だがフォークナーのこの日本での「真摯なメッセージ」について、佐伯彰一は『日米関係のなかの文学』 (文芸春秋)の中で、「当時の日本で全く反響をよばず」、「日本の若者」どころか、自分を除いて、アメリカ文学研究者や匿名コラムからも、「完全に黙殺されてしまった」と書いている。しかし『FAULKNER AT NAGANO』の邦訳版は出版されなかったし、『フォークナー全集』 27の「日本の若者たちへ」が最初の邦訳だとすれば、彼の「真摯なメッセージ」は日本においてほとんど伝わっていなかったのではないだろうか。

ここでフォークナーのいう敗戦後に出現する日本の優れた文学問題に絡んで、その数年前の五二年に中村光夫が提出した「占領下の文学」(『文学の回帰』 筑摩書房)を思い出してしまう。彼は同時代の戦後文学について、それが「急場の需要に応ずるために生産された文学」、「いずれも古い文学の再生品」だと見なし、次のように指摘している。

 敗戦によって我が国の社会が経た変革が、かりに真の意味での人間観の更新に伴う革命であったとしても、それが文学の形をとるためには、一九四〇年代の後半に生れた子供たちが少なくとも二十歳になるまで待たねばならぬ筈です。
 例えば占領軍の行ったもっとも大きな施策である農地改革と、婦人の政治、社会生活への参加が文学にどういう影響を及ぼしたと云えば、現在までのところそれはほとんど零だといってもよいのです。

中村の言にある「占領軍の行ったもっとも大きな施策である農地改革」に象徴されるように、また私見によれば、太平洋戦争とはアメリカという工業、消費社会と、日本という農耕社会の戦いだったのであり、敗戦と占領は前者による後者の征服を意味し、日本の産業構造が当時のアメリカにまったく同化した八〇年代に、真の占領が完成したのだ。かつての田畑の中に出現した郊外消費社会こそはその事実を物語る風景だった。

フォークナーが体験した南北戦争も、農業を中心とする南部と、諸工業を基盤にすえる北部との内乱であり、それは彼がいみじくも言っているように、「我々の家、庭、農場で戦われ」、「我々の土地も家も征服者によって侵入され、私たちが負けた後も彼らは居残りました」。何と日本の敗戦と占領に酷似していることだろうか。フォークナーは敗者の体験を持つアメリカ人として、南北戦争における敗戦と占領を日本にオーバーラップさせ、同様な事態が戦後日本社会に起きている現実だと直感していたのだろう。

それに中村光夫の言を重ねれば、「団塊の世代」を中心とする「占領下に生まれた子供たち」(オキュパイドジャパン・ベイビーズ)が成人した七〇年代以降に出現するのが真の意味での戦後文学であり、敗北の文学と見なせるのではないだろうか。私はそれを村上龍の『限りなく透明に近いブルー』 (講談社文庫)を始めとする郊外文学に表出していると捉え、「郊外文学の発生」(『〈郊外〉の誕生と死』 所収、青弓社)を書いている。そしてこれらの郊外文学の総体が、優れているかどうかは別にしても、日本における「ルーゴン=マッカール叢書」やフォークナーの「ヨクナパトファ・サーガ」ではないかと考えるに至ったのである。それをさらに確認するためにも、郊外のトータルな地図を示した新たな「郊外文学論」を書く必要があると思われる。

限りなく透明に近いブルー 〈郊外〉の誕生と死
◆過去の「ゾラからハードボイルドへ」の記事
ゾラからハードボイルドへ15フォークナー『サンクチュアリ』
ゾラからハードボイルドへ14 フォークナーと「ヨクナパトファ・サーガ」
ゾラからハードボイルドへ13 レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』
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ゾラからハードボイルドへ11 ハメット『デイン家の呪い』新訳』
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ゾラからハードボイルドへ3 『ジェルミナール』をめぐって
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ゾラからハードボイルドへ1 「ルーゴン=マッカール叢書」