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古本夜話47 文芸市場社復刻版『我楽多文庫』

数回前にプロレタリア文学と文芸市場社が表裏一体の関係にあったのではないかと書いておいたが、その出版物から見ると硯友社まで含まれていて、文芸市場社の周辺には以前に言及した北島春石のような硯友社系統の作家たちも存在していたと思われる。

ポルノグラフィ以外の文芸市場社の書物は、既述した和田信義の『香具師奥義書』にしても、梅原北明『近世社会大驚異全史』 や、片岡昇の『カメラ社会相』にしても、版を変えて刊行されたり、戦後になって復刻されたりしているのだが、『我楽多文庫』復刻版についてはほとんど言及もされず、再版にも至っていない。昭和六十年になって、ゆまに書房からようやく同じ『我楽多文庫〈活字公売本〉』が刊行されたが、四六判の縮小版であり、印象がまったく異なっている。そうした意味で、文芸市場社版は近代文学資料として貴重なものであり続けている。私もこの復刻版を参照して、『我楽多文庫』の出版、流通、販売の推移をたどり、「近代文学近代出版流通システム」(『古雑誌探究』 所収)という一文を草している。
 古雑誌探究

その文芸市場社復刻版『我楽多文庫』は明治二十一年五月から二十二年二月に出された第三期の公売の時代の十六冊、四六倍版、同じ判型の薄緑の帙入りで、私はこれを二十年近く前に浜松の時代舎で購入している。確か古書価は一万円だったと思う。

帙を開くと、その裏側に「編集兼発行者」梅原北明の名前で、「我楽多文庫複製の理由」が昭和二年五月一日の日付で掲載されている。その最初の部分を引用してみる。

 硯友社の文芸運動は明治文芸史上到底見脱すことの出来ない一重要項目であります。而して今日この硯友社の消息一切を知るには彼等の機関誌の「我楽多文庫」に俟つより方法がないので御座います。が該誌は当時発行僅か百五十部より印刷されず而も其れが日本全国に飛び散らかつて四十年も経過した今日、何処をどう探し廻つたところで今頃滅多に見付かるしろものではありません。よしんば現物が発見されたところで一揃ひ安くて二十円お客次第では三十円から四十円までの馬鹿々々しい高値を呼んでいます。

それゆえに復刻したのであり、五百部限りで永久に絶版とするとも書いている。定価は五円で、同年にやはり刊行され始めた日本評論社『明治文化全集』 が平均六百ページの菊大判特製の一冊が三円であることからすれば、かなり高価だったとわかる。

そして「複製讃助者」として元硯友社の丸岡九華、巖谷小波江見水蔭に加えて、木村毅斎藤昌三、本間久雄が名を連ねていることから推測するに、木村たちも『明治文化全集』 の編集や解題、資料収集に関係し、そのことで『我楽多文庫』の収集もなされたのではないだろうか。しかしようやく収集した『我楽多文庫』もこの全集の「文芸芸術篇」や「雑誌篇」に収録できなかったことから、文芸市場社に持ちこまれ、復刻に至ったのではないだろうか。『明治文化全集』 明治文化研究会の人々の収集がベースとなっている。この『我楽多文庫』復刻だけでなく、大正十三年に吉野作造たちによって発足した明治文化研究会の人々が発掘、収集した資料は様々な出版企画へと飛び火していったように思われる。尾佐竹猛と『近代犯罪科学全集』の関係はすでに書いておいたとおりだ。

そしてこの復刻には丸岡九華の「硯友社と我楽多文庫の由来」という別冊がついている。これは『早稲田文学』の大正十四年六月号に発表された「硯友社文学運動の追憶」の転載であり、それは十川信介『明治文学回想集』 岩波文庫)の下巻に、「硯友社の文学運動」として、その続きも含め、収録されている。
 明治文学回想集

尾崎紅葉や山田美妙や石橋思案などと硯友社を創立した丸岡の回想は、近代文学の誕生とともに立ち上がっていた近代出版流通システムと交差し、『我楽多文庫』そのものが近代雑誌メディアとしての変遷を経ていたとわかる。『我楽多文庫』の第一期は明治十八年五月から十九年五月にかけての八冊で、これは筆写回覧本だった。この筆写回覧本は文芸評論家の勝本清一郎が所持していると伝えてられていたが、現在はどこにあるのだろうか。第二期は活版印刷非売本で、十九年十一月から二十一年二月にかけてである。こちらは昭和六十年に『我楽多文庫〈活版非売本〉』として、ゆまに書房から復刻されている。前述したように第三期が文芸市場社版であるのだが、第四期は『文庫』と改題され、発売元も硯友社から吉岡書籍店へと代わっている。

その事情について、丸岡は「紅葉思案を初め自分らは一切取次の老爺を信じて印刷物の発送より集金の事までをも託したるに、この爺利益を何時か我物にして、印刷所同益社への支払金は毎月滞りとなり積り積って、弐百余円となり」、老爺は姿をくらましてしまい、このために紅葉は数年印刷所への借金のために苦しめられたという。そのために『我楽多文庫』は廃刊となり、『文庫』と改題し、吉岡書籍店を大売捌所とする手段を取らざるをえなくなったのである。おそらく印刷所への返済のために吉岡書籍店からの借入金が生じたことによっているのだろう。『我楽多文庫』の第一、二期は同人誌であり、あくまで出版だったが、第三期の公売の時代に入って出版業となった。明治二十年代の近代文学近代出版流通システムの誕生に伴い、出版は出版業へと転化した。そして『我楽多文庫』に起きたような出版業にまつわる様々な事件が至るところで発生したにちがいない。

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