ロス・マクドナルドの個人史における悲劇はさらに繰り返されていく。それはやはり リンダをめぐる事件であった。これもまた既述したように、トム・ノーランの評伝Ross Macdonald : A Biography によって、よく知られた事実となった。オイディプスが娘のアンティゴネーに手を引かれて旅立ったように、マクドナルドもリンダの失踪に遭遇し、彼女の捜索に東奔西走するに至ったのだ。
リンダは五六年の轢き逃げ事件のトラウマから回復し、カリフォルニア大学ディヴィス校に入学し、優秀な成績を収めていた。北カリフォルニアでの一年間に、父娘はともに精神科の治療を受け、それが功を奏したかのように思われた。だが「ドゥームスターズは翼を広げて待ちかまえていた」とノーランは書いている。
当初リンダは学業にいそしむ学生だったようだが、保守的なディヴィス校のキャンパス内で生活するようになって、まずは街に出て酔っ払い、門限を破って外出禁止処分、五八年になってまたも学内で酒を飲み、大学からの公式譴責処分を受けた。さらに五九年五月に寄宿舎の階段の吹き抜けでの飲酒を舎監に目撃され、懲戒委員会の審査事項に加えられてしまった。
彼女は譴責処分の後、自ら進んで精神科医の治療を受け始めていたのだが、事故による八年間の保護観察もあり、自分が退学処分になり、刑務所に入れられると考え、パニック状態に陥ってしまった。彼女の両親はそのことをほとんど知らされていなかった。医者たちの意見では、彼女が家族との間に心理的距離を保つべきだと見なされていたからだ。
リンダの逃げ出したいという欲求は募るばかりだった。五月三十日土曜日、彼女は学生ではない顔見知りの二人の男にネバダ州との境にあるカジノへのドライブに誘われ、白いスポーツカーに乗って出かけていった。ところが日曜日の朝になっても彼女は戻らなかった。大学側は両親にそれを連絡し、マクドナルドのこの件を公表しないでほしいという願いを尊重したけれど、保護観察官に報告しないわけにはいかなかった。リンダの事件担当判事は保護観察違反だとして、彼女を州全域に指名手配するように指示した。そのために新聞に報道されてしまった。
月曜日が過ぎ、火曜日になってもリンダは姿を見せず、マクドナルドは娘の捜索に自ら乗り出し、ディヴィス校へ飛んだ。そしてキャンバスでリンダの女友達から事情を聞き出す一方で、近郊の警察、精神病院とも連絡をとり、娘の写真を送る手配もした。それからリュウ・アーチャーを生み出したマクドナルドは今こそ本物の私立探偵が必要となり、警察と警備会社が推薦してくれたアーマンド・ジローラを雇った。彼は後に『縞模様の霊柩車』や『さむけ』に出てくるアーチャーの友人の探偵アーニー・ウォルターズのモデルともなった。
作家と探偵はリンダをドライブに誘った男の一人から話を聞いた。カジノで彼女は門限を気にし、帰りたがっていたが、車の持ち主はギャンブルを続け、帰ろうとしないので、自分で乗せてくれそうな車を探すと言って、カジノを出ていき、そのまま姿が見えなくなったというものだった。
ジローラは夫婦揃って探偵で、リンダの立ち回り先と考えられるホテルやレストランにあたり、湖のほとりで見つかった若い女性の全裸の遺体の確認にも赴いたが、リンダではなかった。
一週間経った土曜日になっても何の手がかりもつかめず、警察の捜査にも不満を覚え、マクドナルドは新聞社やテレビ局に電話をかけ、娘の失踪を事件として取り上げるように訴えた。大学当局との折衝も彼自身が手がけ、大学のリンダに関する「プレスリリース」も彼が書き、それを利用し、通信社も含めた六人の新聞記者のインタビューにも答え、リンダの行方不明事件は新聞の第一面に大きく報道された。
新たな情報が入ってきた。ディヴィスにいるリンダの知り合いの男が、カジノでリンダと出会った。彼女はかなり酒を飲んでいて、ディヴィスに送っていってくれないかと頼んだが、彼が断わると、別の男を探しにいったという証言だった。
六月八日の月曜日は別の情報があった。それはハリウッドのランチ・マーケットでリンダの小切手が使われていたというもので、失踪九日目にして、彼女の生存の手がかりが見つかったのだ。マクドナルドはリンダに向けてメッセージを発した。それは火曜日のカリフォルニア州とネバダ州のあらゆるマスメディアを通じて伝えられた。ノーランの評伝から、この熱情的なメッセージを要約して私訳しておく。
リンダ、これを読んだら、すぐに帰っておいで。おまえは誰も恐れることなどないのだよ。今回のことに関わった誰もがお前の無事な姿を見たがっている。(中略)私はお前が生きているとわかり、喜びと安堵のあまり声を上げて泣いてしまった。私たちはお前を最も深く愛している。それだけはわかってくれるね。おまえは恐れている、そうにちがいない。それでなければ、もっと早く家に戻っていたはずだ。私を信じておくれ。何も恐れることはない。私たちだってお前の助けが必要なのだよ。(以下略)
マクドナルドはこの一週間というもの、一睡もしていなかった。新聞のみならず、カリフォルニアのすべてのテレビとラジオがこの事件を報道していた。火曜日の午後、リンダから自宅にいるマーガレットに電話がかかってきた。リンダはネバダ州のバーから電話をしてきたのだ。家に帰りたがっているリンダ。ジローラ夫妻がただちにそこに向かった。彼女には逮捕状が出されていたので、警察に見つかれば逮捕されてしまう。そうではなく、娘は医者の手に委ねられなければならないのだ。
それゆえにマクドナルドたちは秘密裡にリンダをネバダ州からサンタ・バーバラまで運ぶ必要があった。木曜日に彼女はUCLAのメディカルセンターに入院し、精神科の治療を受けることになり、マクドナルドは記者会見に応じ、リンダが「ある種の精神障害」に陥り、極度の鬱状態にあり、新聞で自分の失踪が事件になっていることを知り、電話連絡してきたと語り、また彼女の一週間の記憶は定かではないと説明した。これ以上長くなっていけないので、リンダの証言は省略する。
このリンダ失踪事件によって、マクドナルドは健康を著しく損ね、入院もしなければならなかった。それと同時に彼とリンダの医療費のこともあり、経済状態がまたしても苦しくなってしまった。この九月に『ファーガソン事件』を完成したが、続けて作品を書き、金を稼がねばという状態に追いやられた。そしてリンダ失踪事件をくぐり抜けた体験を背景にして、『ウィチャリー家の女』『縞模様の霊柩車』『さむけ』というハードボイルドの新たな傑作へと結実させていったのである。これらの小笠原豊樹による名訳の三作はいずれも娘の失踪をテーマとしているが、ここでは『縞模様の霊柩車』を取り上げてみたい。この作品は『ウィチャリー家の女』や『さむけ』に比べて、論じられることが少ないが、マクドナルドの固有のテーマとミステリがバランスよくまとまったハードボイルドとして成立していると思われる。
『縞模様の霊柩車』は一人の女がアーチャーの事務所のドアの前で待っている場面から始まる。彼女は知性的だったが、悲しみと苦しみの影があった。アーチャーは話のきっかけとして、「なべて此の門を入る者、望みを棄てよ」という『神曲』の一節を語りかけた。女は少し赤くなったが、落ちついたようで、ダンテねと応じた。そのイゾベルという女性は義理の娘ハリエットの結婚をめぐる問題で訪ねてきたのだ。夫のブラックウェル大佐がアーチャーに、娘の結婚相手の調査を依頼していたからだ。ハリエットの結婚相手は無名の画家で、二人はメキシコで出会っていたが、画家は身元不明だった。大佐は先妻が家から出ていった後、母親を兼ね、自分で思春期の娘を育て、再婚したのは数年前だった。もはや説明を付け加える必要がないほど、ブラックウェルの家庭がオイディプス・コンプレックスとエレクトラ・コンプレックス状況にあることが了解されるだろう。
アーチャーが謎の青年画家の調査をメキシコまで進めていくと、彼の周辺で起きたふたつの殺人事件に突き当たる。そして画家が妻を殺した容疑に問われている事実をつかむ。その一方でハリエットは失踪していた。またブラックウェルが彼女をどう育てたのかを実母の口から聞くに至る。彼は病的な執着をこめて、ハリエットの読書、遊び、友達、日記などを管理し、射撃、山登り、ポロも教え、彼女を女か男かわからない「自分に絶対の忠誠をちかう愛玩物」のように育てたのだと。アーチャーはイゾベルに言う。殺された二人はイゾベルの知り合いでもあったのだ。「過去は、現在を開く鍵です」。そして証拠をたどっていくと、犯人はブラックウェルに他ならず、アーチャーは別荘にいる彼を訪ねる。様々な殺人をめぐる問答の末に、彼は娘も殺したと告白し、拳銃自殺をとげる。イゾベルとアーチャーは言葉を交わす。
「こんな恐ろしいことは、ギリシャ劇のなかでだけ起こるのかと思っていました」
「恐ろしいことは過ぎ去ります。悲劇というのは病気のようなもので、やがては過ぎ去ります。ギリシャ劇のなかの恐怖でさえ、とうの昔に過ぎ去ったことなのです」
だがここで「悲劇」は終わらない。ハリエットは生きていて、その姿を画家の元愛人に目撃されたのだ。アーチャーはメキシコの小さな村を訪ねていく。教会の前に女乞食がいて、ハリエットはその中にいた。彼女はふたつの殺人を犯したことを告白する。ブラックウェルは娘の犯した殺人を知り、それを自分が犯したかのようによそおい、自殺したのだ。アーチャーは言う。「あなたを護ろうと全力をつくしたのです。お父様は、あなたを愛していたのですよ、ハリエット」。この言葉は少し後で、もう一度繰り返され、クロージングの場面を迎える。
ハリエットは頭を振り、さらに激しくふるえはじめた。わたしは娘の肩を抱きかかえ、戸口の方へ歩き出した。ドアをあけると、まっかな日没だった。(中略)
わたしたちが通りすぎるとき、女乞食が手を差し出した。わたしはもういちど金を恵んでやった。だが、ハリエットに恵んでやれるものは、何一つ持ちあわせがない。わたしたちは刻々と変る日没の光を浴びながら、水の涸れた河床のような道を歩き出した。
これこそリンダとマクドナルドの二人の姿に他ならないだろう。この後も「リュウ・アーチャー・シリーズ」は一九七六年の『ブルー・ハンマー』まで八作が書き継がれていく。だがその先に待ち受けていた「運命」=Doomstersをマクドナルドもリンダもまだ知らない。
なお引用文は小笠原豊樹訳を使用した。
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