初めてブラック・ダリアを目にしたのは、ケネス・アンガーのHollywood Babylon 2 (Dutton Adult,1984)においてだった。『ハリウッド・バビロン』 についてはこの連載の12で既述しているが、『ハリウッド・バビロン2』 (明石三世訳)も同じくリブロポートから、一九九一年に刊行されている。だが邦訳版は版型も小さくなっていたために、ブラック・ダリアの無残な写真も縮小され、原書の凶々しさも多少ではあるが、緩和されていた。この章は「ブラック・ダリアの見た悪夢」と題し、一九四五年一月十五日にハリウッド近郊で発見された若い女性の全裸死体を扱っている。この死体は腰のところで切断され、口は切り裂かれ、身体中に残酷なまでの仕打ちが加えられていた。
検視の結果、丹念に生体解剖と血抜きをされた後、バラバラ死体として、空地の草むらに放置されていたのだ。死体の指紋から彼女の身元が判明した。エリザベート・ショート、年齢二十二歳、マサチューセッツ州出身。彼女はつややかな黒髪に、いつも黒いセーターとスラックスを身につけていたことから、ブラック・ダリアと呼ばれていたのである。これがブラック・ダリア事件の簡略なスケッチで、現在に至るまで、ブラック・ダリアを殺した犯人は判明していない。ケネス・アンガーは書いている。彼女は二十世紀の宿命の女に祭り上げられたのだ。
ハリウッドは変態セックスと犯罪の感染源だ。(中略)彼女も“銀幕スターになろう”とこの町に吸い寄せられた者のひとりだ。そしてその物語は、LAの影の部分を彩り、その死の謎は、今でもこの町のトワイライトゾーンをさまよっている。
また『ブラック・ダリアの真実』 (東理夫訳、ハヤカワ文庫)を著したスティーヴ・ホデルによれば、ブラック・ダリアのバラバラ死体の写真は一般に公表されておらず、アンガーによって初めて公開されたのだという。またホデルは「ダリア殺人事件は二十世紀で最も有名な迷宮入り殺人事件」とも言っているので、十九世紀末ロンドンの切り裂きジャック事件に匹敵すると見なすこともできよう。
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このブラック・ダリア事件に取りつかれ、ジェイムズ・エルロイは『ブラック・ダリア』 を書くに至った。これは自らの「母ジニーヴァ・ヒリカー・エルロイ(一九一五―一九五八)」に「二十九年後のいま/この血塗られた書を告別の辞として捧げる」との献辞がしたためられている。彼の母は一九五八年六月二十二日にロサンゼルス郊外で死体となって発見された。遺棄された死体は衣服が乱れ、ナイロンのストッキングと木綿のひもが首に巻きついていた。彼女は犯され、殺されたのだ。ブラック・ダリア事件と同様に、ジーン・エルロイ事件も迷宮入りとなり、犯人はつかまっていない。
離婚した母と二人暮らしだったジェイムズ・エルロイは、その時 十歳だった。彼女は看護婦で、男出入りも激しく、アルコール中毒に近かった。エルロイはその自伝『わが母なる暗黒』 (文春文庫)の中で、「わたしは母を憎み、母を欲した。/そのあと、母は死んだ」と書いている。
父との貧しい暮らしの中で、エルロイは万引きして本を読み、深夜徘徊してのぞき屋となり、暴力と性を求めるようになっていた。そして十一歳の誕生日に父が贈ってくれた『ザ・バッジ』という本の中で、ブラック・ダリア事件に出会った。この本はLAの犯罪に立ち向かう白人たちのロサンゼルス市警本部(LAPD)を描いたオマージュ的ノンフィクションだった。彼はダリアの話を百回も繰り返して読み、ダリアは「妄念」や「悪夢」と化し、母の「象徴的身代わり」となるに至った。共通する性と殺人と迷宮入り事件。「わたしは孤独だった。友だちもいなかった。自分の人生はとてもまともなものではないと直感で悟っていた」。犯罪だけが幻想となり、それが「退屈な学校生活と悲惨な家庭生活」に対する保険となった。
エルロイは十七歳で高校を中退し、軍隊に入ったが、それが間違いだと悟り、除隊する。父も死んだ。ロサンゼルスに戻って暮らし、食料はスーパーマーケットで万引きしていたので、店員につかまり、LAPDに引き渡され、少年拘置所に連行された。それから六ヵ月間の保護観察を付され、拘置所を出た。一九六五年のことで、黒人たちのワッツ暴動にも遭遇した。
だが盗みは止められず、酒も加わり、その挙げ句に薬物にも走った。家賃も滞納し、アパートを追い出され、公園での野宿生活を始め、図書館に足繁く通い、ロス・マクドナルドの全作品を読んだ。雨の時期になって空き家に住みつくと、警察に襲われ、住宅侵入でまたしても拘置所暮らしを余儀なくされた。その後の五年間も同じような生活を繰り返していたが、独学で小説を書き、売り始めた。処女作は私立探偵フリッツ・ブラウンを主人公とする『レクイエム』 (浜野サトル訳、ハヤカワ文庫)で、八一年の刊行だった。三作目からはLAPDの刑事ロイド・ホピキンズを主人公とする警察小説『血まみれの月』 『ホプキンズの夜』 『自殺の丘』 (いずれも小林宏明訳、扶桑社ミステリー)を書いた。だがこれらはエルロイ固有の萌芽はあったにしても、先行するロサンゼルスを舞台としたハードボイルドや警察小説の延長線に位置づけられる作品だった。
ところがそれまで避けてきた母の殺人とブラック・ダリア事件を直接投影した八七年の『ブラック・ダリア』 から、エルロイの世界は文体も含めて激しく変貌し始める。その変貌を、彼は「狂犬と栄光」(三川基好訳、『ミステリマガジン』九六年十月号所収)と題するインタビューで、次のように告白している。
ハードボイルド小説というのは、格好ばかりつけて実は中身のない代物で、その大半はレイモンド・チャンドラーに類を発するというのがおれの持論でね。チャンドラーはとても模倣しやすい作家なんだ。彼の公式に沿って書いた作家たちがあんなに大勢いて、あんなに成功しているのはそのためだ。おれはミステリを、歴史に名を残したヤクザや一攫千金狙いの一発屋や白人の悪党や根っからの人種差別主義者や汚職警官の手に戻したかった。
エルロイは『ブラック・ダリア』 からその実践に取りかかる。ロス市警に二人の元ボクサーがいた。バッキー・ブライチャートとリー・ブランチャードで、二人は火と氷のようなタイプの異なるボクサーだった。またバッキーは父親が親独協会に所属していたころから、警察学校を放校されそうになり、日系の幼友達を密告し、収容所送りにした過去を持っていた。それに対してリーは出世コースに乗り、銀行強盗事件を解決した英雄だった。戦後を迎えていた市警は財源アップのための公債発行案に対し、市民の熱い支持と警察官の質についての好印象を得るために、二人のボクシング試合を企画した。
試合はロサンゼルスの町全体を興奮の渦へと巻きこんだ。バッキーは父親を老人ホームへ入れるために八百長試合をめざし、八回KO負けとなった。その後二人はパートナーとなり、特捜課で一緒に働き始めた。実は英雄と目されていたリーには同棲するケイという女性がいて、それは銀行強盗犯の愛人であり、また彼は少年時代に幼い妹が行方不明となり、そのトラウマに悩んでいた。バッキーとリーとケイが織りなす奇妙な三角関係のような環境の中で、物語は進められていく。
そしてブラック・ダリア事件が起こり、二人は捜査に加わることになる。そのかたわらで、リーは少年時代における妹の行方不明とブラック・ダリアの惨殺死体が重なり、捜査にのめりこみ、彼もまた失踪してしまう。その一方で、バッキーはブラック・ダリア事件の背後にあるハリウッドのポルノ映画や売春との関係、郊外の土地開発業者の汚れた人脈と家族の物語にたどり着く。またバッキーもケイにブラック・ダリアを重ねるようになり、銀行強盗事件の隠された秘密も浮上してくる。かくして現実には迷宮入りになっているブラック・ダリア事件は、エルロイの『ブラック・ダリア』 において、真相と犯人を明らかにし、とりあえずの解決を見ている。
しかしそれは一方のテーマであって、エルロイの本来の目的は、戦後の郊外のドラスチックな開発と変貌を伴う中で起きていたカリフォルニアの暗い闇の部分を描くことにあった。すなわちブラック・ダリア事件となって象徴的に表出した、一九四〇年代後半のカリフォルニア状況を描き出そうとしたのだ。前出の「狂犬と栄光」で述べているように、そのために「ミステリを、歴史に名を残したヤクザや一攫千金狙いの一発屋や白人の悪党や根っからの人種差別主義者や汚職警官の手に戻」そうとする試みであり、『ブラック・ダリア』 とは彼らが跳梁跋扈する物語を形成し、「暗黒のLA四部作」の最初の作品にふさわしい幕開けとなったのだ。しかもそれはまだハードボイルドの痕跡を揺曳させながら。
私はそこにロス・マクドナルドの投影を見出してしまう。エルロイが野宿生活の中で図書館に通い、マクドナルドの全作品を読んだことは既述した。彼はマクドナルドが亡くなった翌年に刊行した『血まみれの月』 において、「ケネス・ミラー(一九一五年―一九八三年)の思い出に」という献辞を掲げている。また『ホワイト・ジャズ』 のエピグラフにはマクドナルドの一文、「要するに、わたしには生まれた土地があり、そこの言葉から離れられないということだ」が引かれている。それらに加えて、『ブラック・ダリア』 はバッキーの一人称単数のナラティブで語られ、謎の解明に至るプロットと犯人の実像はマクドナルドの作品を想起させる。
しかも『ブラック・ダリア』 の始まりが一九四七年であり、「暗黒のLA四部作」は五〇年代、それに続く「アンダーワールドUSA三部作」は六〇年代を舞台としている。これらの長編、及び自伝の原書刊行年と訳者を記しておく。
1 | 『ブラック・ダリア』 | (吉野美恵子訳、1987) |
2 | 『ビッグ・ノーウェア』 | (二宮馨訳、1988) |
3 | 『LAコンフィデンシャル』 | (小林宏明訳、1990) |
4 | 『ホワイト・ジャズ』 | (佐々田雅子訳、1992) |
5 | 『アメリカン・タブロイド』 | (田村義進訳、1995) |
6 | 『わが母なる暗黒』 | (佐々田雅子訳、1996) |
7 | 『アメリカン・デス・トリップ』 | (田村義進訳、2001) |
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なおこれらに続く「アンダーワールドUSA三部作」の最後のBlood's A Rover は09年に原書が刊行され、年末には同じく文芸春秋から刊行予定になっている。
マクドナルドの「リュウ・アーチャーシリーズ」は、ブラック・ダリア事件の二年後の一九四九年に『動く標的』 から始まっている。エルロイの母が殺された五八年には『運命』 、父が死んだ六五年には『ドルの向こう側』 が出されている。エルロイは四八年のロサンゼルス生まれだから、マクドナルドの「リュウ・アーチャーシリーズ」とパラレルに成長してきたことになる。そして二人には共通するファクターがあった。それは「過去」に対するオブセッションで、マクドナルドにおいては「父の不在」、エルロイにあっては「母の不在」ということになり、マクドナルドには「娘の失踪」もまたトラウマとして付け加えられ、『ウイチャリー家の女』 などへと投影されていった。そのこともあり、マクドナルドの物語世界は登場人物たちの内面と家族の悲劇へと向かい、ロサンゼルス社会は前面に押し出されていなかった。
それに対して、エルロイの「母の不在」は迷宮入り殺人事件に起因するがゆえに、マクドナルドよりもインパクトは激しく、「母の不在」をもたらしたロサンゼルスの戦後社会の構造に対し、アグレッシブに挑み、「リュウ・アーチャーシリーズ」の静謐な世界を突き抜ける試みとして、「暗黒のLA四部作」は出現したように思えてくる。マクドナルドが描かなかったロサンゼルスのアンダーグラウンドを激しく露出するために。そしてそれは六〇年代を背景とする『アメリカン・タブロイド』 に移行するに至って、アメリカ全体に拡がっていく。同書の序文はその宣言と読まれるべきだろう。
エルロイはそれを「アメリカが清らかだったことはかつて一度もない」と始め、ケネディをめぐる神話について「ようやく墓をあばく時がきた」と続け、次のように結んでいる。
幻想を打ち砕き、排水溝から星までの新しい神話をつくりあげる時がきた。時代を裏で支えた悪党どもと、彼らがそのために支払った代価を語る時がきた。
悪党どもに幸いあれ。
まさにアメリカ人自身による「叛アメリカ史」(船戸与一)が容赦なく紡ぎ出されていく。「アンダーワールドUSA三部作」のウォーターゲイト事件にまで至るとされる最終作の邦訳が待たれる。おそらくそれで終わることはない。エルロイの「叛アメリカ史」はどの時代まで続いていくのだろうか。
また『アメリカン・タブロイド』 の後に書かれた『わが母なる暗黒』 も、マクドナルドが書かなかった「娘の失踪」の記録に相当し、マクドナルド自身が私立探偵を雇い、実際に捜査に当たったことを範にしているように思える。エルロイも同じように退職刑事を雇い、母の殺人事件を追っていく。「過去」への旅は自らに出会い、父や母の実像と直面することだった。「わたしは母の死を知ったように母の生を知らなければならなかった」。そうしてこれまでわかっていなかった母の少女時代から父との結婚に至る事実が次々と明らかにされていく。エルロイはそのことを通じて、母の人生を追体験し、また母の人生をさらに深く追跡し続けることで、「あなたをますます深く愛するようになった」と書きつけている。
最後になってしまったけれど、エルロイの「暗黒のLA四部作」と「アンダーワールドUSA三部作」は、やはりゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」を想起させずにはおかない。両者とも架空、実在人物の人物再現法を採用し、前者は郊外の宅地開発、ディズニーランドや野球スタジアムの建設、高速道路の敷設などが複雑に絡み、また隠れたる主人公で、白人の差別主義者、汚職警官の象徴的な存在であるダドリー・スミスが目論む「囲い込み計画」を背景としている。「囲い込み計画」とはロサンゼルスのサウスサイドにポルノや麻薬の売買、売春、賭博などを「囲い込み」、警察が犯罪組織をコントロールする計画で、後に「賭博地区制」や「賭博認可地区」として具体化していく。これらを背景としてハリウッドも含んでケネディ一家が暗躍し、「アンダーワールドUSA三部作」のこれも象徴的人物としてのジョン・ケネディが一族の代表として召喚されるのである。
これらの見取図は「ルーゴン=マッカール叢書」の第二帝政の構造と類似している。ロサンゼルスの土地開発はオスマンのパリ改造計画、ケネディがナポレオン三世、普仏戦争はベトナム戦争、パリ・コミューンは公民権運動を始めとする一連の反体制ムーヴメントに相当しているのではないだろうか。だからこそ、エルロイはかつてアメリカ犯罪小説界のトルストイになると豪語したようだが、ゾラになると宣言したほうがふさわしかったように思えてくる。さらにまた「暗黒のLA四部作」と「アンダーワールドUSA三部作」に通底する基調トーンは、「権威の名のもとに悪事を働く白人ども」に対しての「われ弾劾す」であり、それもまたゾラがドレフュス事件に加担した政府高官たちの実名と事件の経緯を明らかにする際に、発した言葉だった。
エルロイのふたつの連作によって、ハードボイルドは新たに構築され、異化され、新たな生命の息吹を得て疾走するに至ったのだ。
エルロイに幸いあれ。
◆過去の「ゾラからハードボイルドへ」の記事 |
ゾラからハードボイルドへ25 スウェーデン社会と「マルティン・ベックシリーズ」 |
ゾラからハードボイルドへ24 ロス・マクドナルドと藤沢周平『消えた女』 |
ゾラからハードボイルドへ23 マクドナルドと結城昌治『暗い落日』 |
ゾラからハードボイルドへ22 リンダ失踪事件とマクドナルド『縞模様の霊柩車』 |
ゾラからハードボイルドへ21 オイディプス伝説とマクドナルド『運命』 |
ゾラからハードボイルドへ20 ケネス・ミラーと『三つの道』 |
ゾラからハードボイルドへ19 ロス・マクドナルドにおけるアメリカ社会と家族の物語 |
ゾラからハードボイルドへ18 カミュ『異邦人』 |
ゾラからハードボイルドへ17 ジェームズ・ケイン『郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす』 |
ゾラからハードボイルドへ16 『FAULKNER AT NAGANO』について |
ゾラからハードボイルドへ15フォークナー『サンクチュアリ』 |
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ゾラからハードボイルドへ13 レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』 |
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ゾラからハードボイルドへ1 「ルーゴン=マッカール叢書」 |