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古本夜話56 尾崎久彌と若山牧水

もう一編、尾崎久彌のことを記す。尾崎の著書に『綵房綺言』があり、これはやはり春陽堂から昭和二年に刊行されている。『綵房綺言』は「自序」の「昨日の花ハ今日の夢。二十歳の夢。三十路の夢。凡て昨日ハ今日より。美しきものぞかし。」の書き出しに示されているように、彼の他の著作と異なり、個人史、交友関係、若き時代の詩、短歌、小説なども多く収録され、江戸軟派研究に至る以前の尾崎のプロフィルを伝えている。

とりわけ「若山君と私」や「菊判の歌集」はこれまで知らなかった尾崎と若山牧水の関係、また尾崎が短歌誌『八少女(やおとめ)』や牧水の第二歌集『独り歌へる』の出版者であった事実を教えてくれる。そしてこのふたつのエッセイは明治末期のホモセクシャルな文学環境と短歌集の出版状況をリアルに浮かび上がらせている。

「若山君と私」によれば、尾崎が十九歳の夏に名古屋を訪れた牧水と出会う。牧水は大学を出て、最初の歌集『海の声』を刊行したばかりだった。「知らなかつた男の恋人」にめぐり会ったかのように、尾崎は「無暗に私は若山君を好くやうになりました。/若山君も、人にはづれて、私を好いてゐました」ゆえに、旅先から自分に若山の歌をそえた奈良の春日山の絵葉書を送ってきたと述べ、次のように書いている。

 (前略)この時からです、相知らなかつた私と若山君と初めて、一すぢの親愛の意図が結びつけられましたのは。私は、何がなしに、あの人の穏やかな同情と、底を包んだ烈しい情愛とに、しみじみ慕ひよつたのでした。いかにも恋人か何かのやうですが、いかにもそんなものでしたらう。(後略)

その後、尾崎は国学院大学に入るために上京する。それは何よりも牧水に会うことが目的だったのだ。「そんなにしてまでも私のその頃は、あの人に逢ひたかつたのです」。すぐに牧水の家を訪ね、濃厚で親密なつき合いが始まり、長く続いたようで、「一夜共にうすいふとんにからまつて寝た下宿屋の夜もある」。

しかし尾崎が卒業し、帰郷したことで、牧水と疎遠になってしまう。だが自分は牧水のことを忘れていないし、「自分の芸術の今の心持ち」も、牧水から学んだと記し、これを書いたのも、「昔の二人を諸君の前に披露して、私の昔の夢に酔ひたかつたからです」と結んでいる。

ここで本連載でふれた、ほぼ同時代における折口信夫と藤無染の関係を連想してしまうが、尾崎は折口と国学院の同窓で、友人でもあった。だが折口が藤とこの時代に死に別れたように、尾崎が『綵房綺言』を刊行したちょうど一年後の昭和三年九月に、牧水も亡くなっている。だから尾崎の「若山君と私」は牧水への最後の相聞歌のように響いてくる。

「菊判の歌集」では「私を除いては、恐らく確実に此等の事情を知つてゐる人もなからう」という出版史の事実が語られている。尾崎は明治四十一年から四十四年にかけて、「歌詠み」であり、友人たちと名古屋の熱田から短歌誌『八少女』を出していた。地方の雑誌だったが、『明星』『新声』『スバル』などとも交流ができ、牧水もその同人に加わり、名古屋を訪れることになったのである。それがきっかけにとなり、尾崎は牧水の第二歌集『独り歌へる』を八少女会から出版した。

この歌集は前例のない菊判で、制作費は四十五円、全百四十ページ、明治四十三年一月一日発行、定価は四十五銭、発行人は加藤新蔵だった。加藤は熱田の尚友堂という版元の主人で、『尾張名所図会』などの版権所有者でもあった。それゆえに売捌所は尚友堂となり、名義だけだったが、東京堂も併記されていた。だが印刷部数はわずか百六十部だった。『八少女』での広告による予約が二十、同人引き受け分五、六十、名古屋の書店で売れた分と寄贈が三十ほどで、牧水への献本は五、六部しかなかった。牧水が東京堂で売りたいというので、残本と同人分をかき集め、三、四十部送ったところ、一部減り、二部減り、売り切れてしまった。また第三歌集『別離』(東雲堂書店)に『独り歌へる』は合本として組みこまれたこともあり、最後の一冊はそのための定本となった。

さらに尾崎は牧水の『独り歌へる』に添うように、折口信夫の助言も得て、自らも処女歌集『夢を描く』を大正二年に刊行している。これも同じ菊判、百五十部で、『軟派謾筆』(春陽堂、大正十五年)巻末の「尾崎久彌著作目録一斑」によれば、発行所は名古屋の一人一篇社となっている。「菊判の歌集といふのは、此の拙著と、牧水君の『独り歌へる』と二冊だけだと思ふ」と尾崎は書きつけている。ここでも彼の牧水への思いをうかがうことができる。
古本探究"

さて私は以前に牧水の『別離』にふれ、「西村陽吉と東雲堂書店」(『古本探究』 所収、論創社)を書いている。その際に『若山牧水』(「日本文学アルバム」23、筑摩書房)で、『独り歌へる』の書影を見ているし、『若山牧水全集』(雄鶏社)第一巻所収の『独り歌へる』の解題にも目を通しているが、尾崎が語っている事実はほとんど記されていなかった。近代出版史をめぐる事実の解明は本当に難しいと実感させられる。

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