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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

6 白人種の女の典型ロツドマン未亡人

  

◆過去の「謎の作者佐藤吉郎と『黒流』」の記事
1 東北書房と『黒流』
2 アメリカ密入国と雄飛会
3 メキシコ上陸とローザとの出会い
4 先行する物語としての『黒流』
5 支那人と吸血鬼団


6 白人種の女の典型ロツドマン未亡人

「夜」の舞台はサンフランシスコ最大の富豪ロツドマン家から始まる。数年前に夫のロツドマンは亡くなったが、未亡人は大遺産が残され、彼女が一切の主権を握っていた。その夜は盛大な仮装舞踏会が開かれることになっていた。彼女の身体と心理は次のように描かれている。

 豊満な肉体、滴るような乳房、それらは皆未亡人の輝かしい生活力を象徴して居るかの様であつた。未亡人はうつとりとした気分になつて風呂の中に両肢を思ひ切り延ばし仰向けになり乍ら、真白な天井を眺めて居るのであつた。(中略)
  そしてタオルで静かに乳房から腹部の当たりを擦り出した。彼女は擦り乍ら、今夜も集つて来るであらう痩犬の様な男達の一人一人を想ひ出した。自分の容色の前に、自分の財産の前には何んな事でも平気で偽るであらう男達の事を想ひ出した。汚物を踏んで靴先きを出してそれを嘗めろ!と云つても平気で嘗める男達の事を想ひ出した。何んな享楽でも出来得る妾だ!誰が一人の男の占有物となつて堪るものか! 未亡人は斯う思つて嘲りの色を顔に浮べた。

ロツドマン未亡人は横暴な白人種の女の典型のように登場してきている。大遺産に加えて「豊満な肉体、滴るような乳房」が強調され、彼女が物語の最初のスケープゴートであることを暗示しているかのようだ。支那貴族として荒木は二人の団員を連れ、舞踏会にやってきていた。そして三人は踊りに狂っている仮装の男女の姿に見入っていた。阿片を利用した白人種と吸血鬼団の戦いが始まろうとしているのだ。

 三人の頭の中には、一様に一度誘惑にかかつたならば、まるで奴隷のようになつて、自分達の前へ来るだらう若い娘達の事を考へて居るのだつた。今自分達を人種の違つた事を以つて蔑視して居る様に見えてる人達を、却つて憐れまねばならなかつた。

袁(エン)と名乗り、支那服をまとった荒木はやはり「異国情緒的(エキゾーテイツク)な支那婦人」になりすましている未亡人から、「媚びるような目」で「支那の王子様(プリンス)」と呼ばれ、ダンスを申しこまれ、会衆の見守る中で踊り、舞台で龍をめぐる寸劇を演じた後、彼女の絢爛を極める自室に招かれる。ここぞとばかり、タバコを愛用する彼女に支那の珍しい煙草だと言って、阿片入りの煙草を勧める。彼女は三本目を吸い終わる頃になって、陶酔状態に陥った。

 荒木は自分の前に何等の抵抗力も無く酔はされて居る美しい未亡人を見て強い勝利の念に打たれた。他の女があらゆる男達に媚態(コケツト)を示し乍ら、容易に許さない豊満な肉体も、今自分が欲するのなら何うにでも自由に出来るのだ! 彼女の生活を孔雀の羽の様に飾つて居る千万の富も、此の前には何の光も無いのだ! 荒木の口元に漂ふて居る笑みは、此の凡てを征服し得た勝利者の笑みだつた。

この場面において、『黒流』の物語の核心が表出していると言えよう。日本人、及び有色人種の統合する吸血鬼団長として、荒木は東洋的立派な風采と阿片を武器とし、白人種の美しい未亡人の「豊満な肉体」と「千万の富」を「征服し得た勝利者」にたどり着いたのだ。かくして勝利の宣言がなされる。「可愛い女よ! もうお前は地上唯一の……そして最極の悦楽を知つたのだ。それと共に滅びの門へのマラソン競争に参加したのだ」。ここで荒木は団体の名称にふさわしい白人女の血を吸う吸血鬼になったのだ。

次回へ続く。