出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

出版状況クロニクル31 (2010年11月1日〜11月30日)

出版状況クロニクル31 (2010年11月1日〜11月30日)


ブックオフで、ヘーゲル『精神現象学』樫山欽四郎訳、平凡社ライブラリー)上下巻が各100円で売られていた。『精神現象学』を読む試みには何度も挫折し、この訳は河出書房版でも持っているので、入手する必要もないのだが、つい買ってしまった。

ついに本のデフレもここまできたのかという思いにかられたからだ。ヘーゲル『精神現象学』が100円で売られている国は日本だけではないだろうか。これは高度資本主義消費社会に加えて、現在の日本の出版業界の問題と、思想や哲学のデフレ現象を象徴的に物語っているような気がする。

いかなる思想や哲学書よりも、コミックの新刊のほうが高いのであり、フランチャイズによって構築されたリサイクルビジネスにあっては、古典ですらも均一100円で売られていく。『世界の名著』などの100円には見慣れていたが、平凡社版はまだ比較的新しいので、あらためて考えさせられる。

もちろん私は岡崎京子西原理恵子古谷実などのコミックにも深い哲学を覚えるが、それらはドイツ観念論にとって代わるものではない。今こそコミックとドイツ観念論は両立すべきだと思う。

しかし年の瀬も迫っての『精神現象学』の100円売りは、来年の出版業界の予兆とでもいうべき出来事かもしれない。

精神現象学 上 精神現象学 下


1.日書連の10年度版『全国書店名簿』が出され、加盟書店数が5197店になったことを伝えている。その90、09年の数も比較のために示しておく。

■日書連加盟の書店数
 1990年2009年2010年90年度比
北海道690139133▲81%
青森1565552▲67%
岩手1535453▲65%
宮城365147135▲63%
秋田1064942▲60%
山形1095754▲51%
福島2138883▲61%
茨城284132125▲56%
栃木2078179▲62%
群馬1705453▲69%
埼玉561203189▲66%
千葉428178170▲60%
東京1,401623591▲57%
神奈川685282274▲60%
新潟23910194▲61%
富山1576965▲59%
石川1487169▲53%
福井1155957▲50%
長野2049388▲57%
山梨814842▲48%
岐阜1908178▲59%
静岡494203197▲60%
愛知713241232▲68%
三重1949892▲53%
滋賀1197571▲40%
京都432213202▲53%
大阪774396373▲52%
兵庫387195187▲52%
奈良1727875▲56%
和歌山1496058▲61%
鳥取453232▲29%
島根664340▲39%
岡山1679287▲48%
広島23210291▲61%
山口1094241▲62%
徳島783837▲53%
香川725150▲31%
愛媛1266564▲49%
高知822828▲66%
福岡546279274▲50%
佐賀1065251▲52%
長崎1438375▲48%
熊本1466167▲54%
大分1305351▲61%
宮崎1165245▲61%
鹿児島209119112▲46%
沖縄874239▲55%
合計12,5565,4575,197▲59%

[90年代に比べて加盟書店数は半減し、11年には5000店を割ることは確実である。それこそこの20年間で何と多くの書店が消えていったことだろうか。

すでに50店に満たない県が9、50店台がこちらも9と、いずれの県も商店街が壊滅状態となり、それが書店数に反映されているのだろう。

それに加えて、その背景にあるのはナショナルチェーンの進出、TSUTAYAブックオフ、ゲオの複合とリサイクル店の全国展開で、この20年間に彼らが栄えて、日書連加盟店が滅ぶといった露骨な構図をこれらの数字は突きつけている。

これこそが再販委託制のもたらした現実であり、出版業界の失われた10数年と、出版物売上高の96年からの8000億円に及ぶ減少と密接に結びついているのだ]

2.1と関連するものとして、ノセ事務所の能勢仁が『新文化』(11/4)で、「消えた書店」前編として、「北海道・東北・北関東ブロック篇」を報告している。

能勢は書店史の史料として残すべき、消えた老舗書店を追跡しているので、それらを挙げてみる。

*北海道―森文化堂(函館)、本のみせ・ふるかわ(岩見沢)、山下書店(釧路)、田村書店(帯広)、維新堂(札幌)、本の店・岩本(札幌)、君島書店(?)

青森県―今泉書店(弘前)、岡田書店(青森)、祖父尼書店(黒石)

岩手県―第一書店(盛岡)、誠山房(花巻)

秋田県―三浦書店(秋田)、ブックス太郎と花子(湯沢)、又久書店(大館)

宮城県―高山書店(仙台)、八重洲書房(仙台)

山形県―堀青山堂(酒田)

福島県―東北書房(郡山)

茨城県―ツルヤブックセンター(水戸)、白石書店(土浦)

*栃木県―玉藻書店(今市)、大塚書店(栃木)、うちやま集英堂(宇都宮)

群馬県学陽書房(高崎)、サカモト書店(前橋)

お能勢は、消えてはいないが、北海道500万人に親しまれ、愛されていたクリスチャンの経営者の営む冨貴堂の現在の凋落の姿を悲しんでいる。

[あらためて消えた老舗書店を挙げてみると、これらの半分以上に新刊DMを送っていたことを思い出した。地域に密着し、人文書を販売するそれらの書店がこのようになくなってしまったことも、書籍売上高の減少とパラレルだとよくわかる。

しかしこれらの老舗書店が戦後の再販委託制、及び日書連と取次によるカルテル的出店規制によって、守られてきたこと、そして90年代以後は、再販委託制を逆用した取次とナショナルチェーン、複合チェーンのジョイントによる全国的出店ラッシュと競合し、あえなく退場せざるをえなかった事実を浮かび上がらせている。

おそらく戦後の読者の多くがこれらの老舗書店で本に出会い、本と読書がもたらす深い世界の入口に立ったにちがいない。それに記憶に残る本とは、どの書店で買われたかということまでインプットされているからである。だがもはやそんな時代も終わってしまったことを、消えた書店リストは告げているのだろう。能勢ではないが、私も悲しく思う。

そしてまたこれらの書店の廃業は、経営者や書店員にどのようなダメージと影響を及ぼしたのであろうか。八重洲書房の谷口和雄のその後の消息はまったく伝えられていない]

3.別冊宝島の一冊として、緊急出版『電子書籍の正体』が出された。

電子書籍の正体

[従来のA4判と異なるA5判、しかもわずか96ページのもので、内容も『朝日新聞』の全五段広告に値しない。目玉の宮部みゆきインタビューにしても、『朝日新聞』が既報済みで、目新しさはない。それに宝島社は、ヘッドコピーの「本屋のない町で私たちは幸せだろうか?」と、「宝島社は、電子書籍に反対です」のコンセプトを伝えようとしているのだろう。そして多くがそのヘッドコピーに反応しているようだが、それこそ、これは本クロニクル30のリードに範を求められるのではないだろうか。もう一度先月のリードを掲載しておくので、比べてほしい。

今年は例年になく、各地に出かける機会が多かった。そして今さらながらに、21世紀に入っての巨大な郊外ショッピングセンターの出現によって、ただでさえ衰退していた地方の商店街が壊滅的な打撃を受け、ところによっては廃墟寸前にまで追いやられている姿を目撃した。

寺山修司が「書を捨てよ、町へ出よう」と言ったのは1960年代後半だった。それから半世紀近くが過ぎ、もはや捨てるべき書もなければ、出るべき町もなくなってしまった。

郊外消費社会の悲惨な状況を描いた奥田英朗の『無理』(文芸春秋)に「こういう競争をして、いったい誰がしあわせになるのよ。わけがわかんねえ」というセリフがあった。本に限って言っても、郊外ショッピングセンターの出現によって、読者も書店員も幸せになったものがいるだろうか。

何も言及されないが、多くの出版社だけでなく、大手新聞社も揃って本クロニクルにアクセスしている]

4.村上龍が『歌うクジラ』(講談社)の電子版を担当したグリオと共同で、電子書籍制作・販売会社「G2010」を設立。村上の『限りなく透明に近いブルー』などの他に、よしもとばななの書き下ろしエッセイ、瀬戸内寂聴の未発表小説を刊行し、初年度売上1億円を目指す。作家が出版社とではなく、IT企業とタイアップし、電子書籍化に踏み切ったことになる。

歌うクジラ上 歌うクジラ下 限りなく透明に近いブルー

『歌うクジラ』を紙の本で読んだ。この作品は村上のこれまでの作品のアマルガムの印象が強く、長期連載もあってか、コアが結実せず散漫に終わってしまい、秀作とは言い難い読後感が残った。

電子書籍版は紙の半額の1500円で、1万ダウンロードを超え、制作実費150万円の回収後は、売上の40%が村上の収入になるとされている。

彼はコンテンツに音楽や映像をつける電子書籍化は興奮する体験だったと語っているが、読者にしてみれば、会話も地の文に置かれ、説明的な文章も多々混じるこの小説を、音楽や映像が添えられているにしても、読了することはかなり根気のいる体験だったのではないだろうか。
「G2010」は電子書籍版『歌うクジラ』への多様な書評を公開すべきではないだろうか]

5.河出書房新社が既刊書籍157点を時限再販とする「河出書房新社創業125周年記念謝恩価格セール」を実施。対象は『澁澤龍彦全集』『須賀敦子全集』を含む人文、思想、歴史、美術書など1万部。定価の2割の報奨金が支払われるので、書店の粗利は40%強となる。

澁澤龍彦全集 須賀敦子全集

6.柴田書店が創業60周年記念事業と再販制度の弾力運用として、絶版、品切の料理専門書を復刻し、丸善、ジュンク堂、波屋書房の3書店限定で販売。

復刻点数は10点で、各600冊。書店マージンが45%になるように報奨金を支払う。

7.ポプラ社はポプラ社小説大賞受賞作の齋藤智裕(水嶋ヒロ)の『KAGEROU』を初の責任販売銘柄として発売。ポプラ社の取次への出し正味は65%、取次から書店へは74%で、書店マージンは平均22%より高い26%。書店からの返品は10%が許容数。完全注文制、全国の書店に対する満数出荷を原則とする。初版30万部を予定。

[5、6、7は再販委託制に対する出版社からの弾力運用の試みである。だが恒常的なものとするためには、まだまだ前途多難だとしても、このような試みを続け、小さな道筋をつけることしか、中堅書籍出版社の選択肢として残されていないようにも思える]

8.創文社のPR誌『創文』が12月号で終刊。

[大手出版社のPR誌と異なり、トマス・アクィナスの『神学大全』『ハイデッガー全集』などの専門書の出版社の刊行であり、常備店でしか入手できないものだったので、PR誌の中でもあまり馴染みがなかったと思われる。

だが『創文』はほぼ半世紀前の1962年に「完全注文買切制」に移行する際の広報誌として創刊され、出版社のPR誌としては先駆けであった。

インターネットの普及により、「紙媒体としての小誌の持つ使命・役割は果たしえたと考え、ここに小誌の幕を降ろすこと」にし、本年度から「ホームページの充実」をはかると、10月号の「創文通信」は伝えている。

なお創文社については創業者の久保井理津男の『一出版人が歩いた道』が社史も兼ね、また戦前の弘文堂史、学術書史にもなっている。この本についてはあらためて言及したい]
ハイデッガー全集

9.青蛙房(せいあぼう)の創業者岡本経一が亡くなった。享年101歳だった。

[偶然ではあるが、岡本経一についてずっと書いているところだった。岡本は岡本綺堂の門弟から養子となり、綺堂の関係していた戯曲誌『舞台』の編集を手伝い、三上於莵吉のサイレン社に入り、大東出版社に移る。

そして戦後磯部同光社の雑誌『実話と講談』の編集に携わり、青蛙房の創業に至っている。青蛙房の出版物は綺堂の著作を中心にして、江戸や明治大正の史書、随筆、芸能、演劇、事典など多岐にわたっているが、このような岡本の環境と編集者史から企画されたものであることが、社史代わりの『私のあとがき帖』を読むとよくわかる。「青蛙選書」に代表される菊判箱入の端正な造本も、それらの企画に対する思い入れと愛着の投影だったのだ。

岡本の死によって、日本の出版業界は最も古い出版人を失ったことになる。このようにしてひとつの出版の時代も終わっていくのだろうか]
私のあとがき帖

10.「国民読書年」ということで、各地で様々なイベントが開かれ、「国民読書年宣言」なるものも出され、それは国会決議の「文字・活字は、人類が生み出した文明の根源をなす崇高な資産であり、これを受け継ぎ、発展させて、心豊かな国民生活を活力あふれる社会の実現に資することは、われわれの重要な責務である」に基づき、「国民が読書を通じて、言葉の力や他者を思いやる心、瑞々しい感性や創造力を培うこと」をめざし、まずは絵本から始め、この国の「知的な未来」へつなげるとしている。

[このような官制プロパガンダと連動して、出版文化産業事業団の読書推進事業やその他の同種の取次や出版社による活動があり、それに公共図書館もつながっているのだろう。

しかし官によって進められていくこのような読書推進運動の担い手たちが、本や読書に通じているかといえば、それははなはだ疑問である。国会決議や宣言にある本と読書に対するタテマエ的視点からは、本や読書の光と闇、善と悪、多様性、複雑にして奇怪な特質といったものは排除されてしまう。日本の近代出版史にしても、タテマエ的視点からは捉えられない雑多性、多面性を孕んで進んできたのである。

例えば、わずか半世紀前までは漫画は俗悪出版物と見なされ、学校に持ちこむことも読むこともよくないとされていた。それが今では日本の出版業界の一大分野を占め、世界に誇るカルチャーにまで至った。しかし当時の本や読書に対するタテマエ的視点に漫画は入っていなかったのだ。だから本と読書に関する官制プロパガンダとタテマエ的視点は、かならずそれらについての陥穽を内包してシステム化されていく。そうした歴史的事実を忘れてはならない]

11.公正取引委員会は08年から休止状態となっていた著作物再販協議会を正式に廃止し、「新聞」と「書籍・雑誌」と「音楽用CD」の3業種別に、それぞれの業界現状をヒアリングする形式へと転換。

[著作物再販協議会は01年に著作物再販制度の存続が決まって以来、その弾力的運用の取り組みのために公取委が設置した会だが、政府の行政刷新会議によって、2年間の活動実績がないために廃止が決まったとされる。

それはともかく、このような動きと同時に、公取委は従来の「書籍・雑誌」の再販制廃止の主張を取り下げ、もはやこの問題にタッチしない方針を固めたと伝えられている。

1990年代に公取委は「書籍・雑誌」の再販制廃止の方向で進んでいたが、拙著『出版社と書店はいかにして消えていくか』を読み、出版業界の危機の中で再販制を外したら、出版業界そのものがどうなるかわからず、公取委に責任が及ぶので、01年の存続が決められたとも聞いている。そしてさらなる危機と電子書籍元年を迎えた中において、公取委にしてみれば、もはや賞味期限切れの問題になってしまったのだろう]


出版社と書店はいかにして消えていくか
(初版 1999年/ぱる出版)
出版社と書店はいかにして消えていくか
(新版 2008年/論創社)

12.TSUTAYAチェーンの運営会社カルチュア・コンビニエンス・クラブなどのグループ4社が国税局の税の調査を受け、3年間で16億円の申告もれを指摘され、重加算税を含め、追徴税額は5億円。

[本クロニクル24でふれておいたが、カルチュア・コンビニエンス・クラブの株価は今年に入って低迷し、様々なアナウンスメントを発しても、ずっと300円台半ばを前後している。ところがこの報道と相まって株価は上昇し、400円を超え、まだ上昇気味である。株式市場のメカニズムとはこうしたものなのだろうか。

それから株式欄は相変わらず、CCCとなっているが、CCCはカルチュア・コンビニエンス・クラブに吸収されたので、後者が正式なTSUTAYAの運営会社となり、まぎらわしいことこの上ない。

そしてまたメイン事業のDVDレンタルの行方はどうなるのか。今月もゲオは50円レンタルを実施していた]

13.『出版月報』11月号が「『電子雑誌』最前線」特集を組んでいる。

それによれば、電子雑誌は次の4つに分類される。

 1 電子ジャーナル
 2 電子コミック誌
 3 紙媒体を電子化したもの
 4 電子オリジナルの雑誌
この特集は3と4の600誌に及ぶ主要なものの一覧を掲載し、主たる電子雑誌、出版社301社、それらを扱う電子書店・プラットフォームまで取り上げている。

[相変わらず毎日のように電子書籍報道は伝えられ、12月にはソニーから新たな電子端末「リーダー」が発売されるので、さらにかまびすしくなるだろう。
しかしハードはともかく、ソフトに関しては断片的で、まとまった紹介がなされていない。これは「電子雑誌」の現在についての、初めてのまとまったレポートではないだろうか。
デバイスの普及で、ますます電子雑誌は進化していくが、「本当の読者(ユーザー)」はどこにいるのかを忘れてはならないと結ばれている。これはまさに電子書籍も同じであり、その視点を絶えず明らかにするために、このようなソフト情報特集も重要だと考えられる]

14.塩澤実信著『戦後出版史―昭和の雑誌・作家・編集者』が論創社から12月中旬に刊行される。

[これは私が編んだ一冊で、塩澤の数多くの出版に関する著作から、戦後の重要な出版シーンを抽出し、集大成したものである。
かねてから私はすべてが引用からなる本を出してみたいと思っていたが、初めてそれが実現したことになる。リーダブルで面白く、しかも戦後出版史を凝縮した一冊をめざして編まれた。戦後という用語ももはやリアルな言葉でなくなってしまった現在であるからこそ、ぜひ読んでほしいと思う]

戦後出版史―昭和の雑誌・作家・編集者

以下次号に続く。


 

◆バックナンバー
出版状況クロニクル30(2010年10月1日〜10月31日)
出版状況クロニクル29(2010年9月1日〜9月30日)
出版状況クロニクル28(2010年8月1日〜8月31日)
出版状況クロニクル27(2010年7月1日〜7月31日)
出版状況クロニクル26(2010年6月1日〜6月30日)
出版状況クロニクル25(2010年5月1日〜5月31日)
出版状況クロニクル24(2010年3月26日〜4月30日)
出版状況クロニクル23(2010年2月26日〜3月25日)