出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

7 カリフォルニアにおける日本人の女

  

◆過去の「謎の作者佐藤吉郎と『黒流』」の記事
1 東北書房と『黒流』
2 アメリカ密入国と雄飛会
3 メキシコ上陸とローザとの出会い
4 先行する物語としての『黒流』
5 支那人と吸血鬼団
6 白人種の女の典型ロツドマン未亡人


7 カリフォルニアにおける日本人の女

第七章に入ると、荒木はカリフォルニアの平野を横断する汽車の中で、罌粟(けし)の花の夢を見て、コロラド河口の一帯で罌粟栽培の啓示を得る。その大草原はメキシコ政府の許可を受ければ、借りることが可能なのだ。そして阿片を製造し、国境から運んでアメリカ人たちに売りつける計画が立案される。

一方で荒木はトンワングを通じて、ウイリアム・ラングの面識を得る。ラングはアメリカ名を持っているが、支那人結社の幹部で、闇の事業をして殺人を請け負う仕事に携わっていた。荒木が東洋人だけでなく、あらゆる有色人種から「思想上の勇者」や「力の勇者」が出ることが必要だと述べると、ラングは荒木が自分より「遠大な理想の所有者」だと言い、意気投合し、「共にやりませう。吾々の民族の為めに! そして世界の有色人種の為めに!」と答える。それに対して、荒木は目的を達成すれば、「誤れる手段を採つた事に依つて、自ら火の中へ入つて焚(やき)殺されてもいいのです」ともらすが、ラングは反論する。「それは余り青年的な感傷(センチメント」であり、「悪でもいい、強く強く進む事だ」と。おそらくこのやり取りの中に、日本人と支那人の相違をこめようとしているのではないだろうか。

ラングのいる街はウォーナッツクローヴで、そこはアスパラガスの産地でもあり、カリフォルニアの美しい日本人酌婦(ウエートレス)が集まっている場所だった。荒木と大坂は町のある日本料理屋に出かけた。数年ぶりに荒木は日本人の女を見たのだ。彼女たちにローザやロツドマン未亡人の官能性はまったくなかった。そして彼女たちは次のように表象される。

 四五人の酌婦達がどやどやとやつて来て、彼等の傍らに座つた。(中略)大坂の云ふカリフォルニア州の代表的美人達も、荒木から見ればまるで無表情な人形の様に見えて仕方が無かつた。米国婦人の豊麗な肉体やコケテツシユな表情などを見て居る彼には、何うも影の薄い女に見えて仕方が無かつた。これが懐しい母国の土から生れた異性達なんだ――斯う考へると何だか涙ぐましくもなつて来るのだつた。

憎むべき白人の女たちが「豊麗な肉体やコケテツシユな表情」を備えているのに、「懐しい母国の土から生れた異性達」は「影の薄い女」でしかないという逆説に遭遇してしまったのだ。荒木はふと「毛唐の女達と遜色があるまい」春子を思い出したが、春子は行方不明のままなのだ。酒が入り、それでも話が始まった。女たちは金ができたら日本にすぐに帰りたいと言う。大坂が日本に戻れば、カリフォルニアにいるほどもてないよと応じると、年の若い女が「いくら持てたつて斯んなヂヤツプ! ヂヤツプ! で軽蔑される国は嫌ひだわ」と話す。荒木は「全くさうだらうね。それがほんとうの叫びだね」と同意し、陽気に騒いでくれと頼んだ。荒木は「国定忠治みたいな事をして」いて、「世界を股にかけての侠客」だと大坂は説明する。年増の女が三味線に手を伸ばし、引き出す。それにつれて、大坂が「放浪の唄」を錆びた声で唄い出す。ここはカリフォルニアの小さな町なのだ。その唄には「異国流離の人々のみが持つノスタアルヂヤ」がこめられていた。

 「春は花咲くサンノゼで、夏は涼しい河下で、秋から冬はオレンヂの、ローサンゼルスで暮し度い…………」

大坂は唄の後で、お花のことを尋ねた。彼女は日本人では知らない者がいない女だった。阿片中毒にかかっているという話を聞き、二人は「腕利(うでき)きの女」お花の家を訪れた。お花は「三十七八歳にもならうと思はれる仏蘭西婦人の様な顔立ちの、かなり背の高い女」で、「泥中の蓮」のようでもあり、大阪は彼女を団員にするべきだと言う。確かに彼女は「こんな闇の女とは思はれ無い程、貴族的な美しさと気品を備へて居た」。大坂はサンフランシスコで「阿片の問屋」を始め、仲間に加わるのであれば、お花のような美人なら仕事があるし、阿片もいくらでも吸わせると話す。そして荒木が「俺達の大親分」で、その証拠として「親分の刺青」をお花に見せつける。

 荒木はワイシャツを脱ぎ終ると下着のシヤツを下から無造作にぐつと掴んで頭からすつぽり脱いで終つた。隆々と筋肉の発達して居る彼の身体を正面から見た丈けで、お花はその男性的な肉体に魅惑されて終つた様に恍惚とした。何んな刺青だらう! お花は瞬間的に乙女の様な心になつて胸を波打たせた。(中略)
 お花は暫しの間、何も言葉を発する事が出来無い程、其の凄い刺青の前に立つて、驚嘆したのであつた。

ここに至って、荒木は「男性的な肉体」と「其の凄い刺青」を備えた「ヂヤツプ」の英雄のようにエピファニーしている。このふたつは白人種に抗する日本人のメタファーであり、さらに「お花に取つては、阿片の問屋を始めたと云ふ事は、偉大な成功の様に思はれる」と記されているように、「阿片」が加わって、吸血鬼団の三位一体の象徴となるのだ。お花は言う。「阿片密売国には、全く此の上の無い応はしい刺青ですわね」と。

この後で二人は賭博場に向かった。客の大部分は日本人だったが、支那人、フィリピン人、インド人も混じっていた。そこで荒木はトラブルに巻きこまれ、遊人連中を相手に「劇的(ドラマテツク)な場面(シーン)」を展開する。荒木に助けられた木村という男はニューヨークの阿片密売人だった。またそこにはメキシコで知りあった後藤もいた。木村は「全紐育の富豪階級を中毒患者にする」ために、後藤は「白人の横暴を膺懲(ようちよう)してやる」ために、吸血鬼団に加わることになった。翌日荒木と大坂はお花、木村、後藤の三人を連れ、サンフランシスコの本部に戻った。

次回へ続く。