出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

10 ローザとハリウッド

  

◆過去の「謎の作者佐藤吉郎と『黒流』」の記事
1 東北書房と『黒流』
2 アメリカ密入国と雄飛会
3 メキシコ上陸とローザとの出会い
4 先行する物語としての『黒流』
5 支那人と吸血鬼団
6 白人種の女の典型ロツドマン未亡人
7 カリフォルニアにおける日本人の女
8 阿片中毒となるアメリカ人女性たち
9 黒人との合流


10 ローザとハリウッド
第十章は「ローザ」と題され、続けてロスアンゼルスが舞台になっている。荒木たちが街を歩いていると、この街の第一の活動写真館のロスアンゼルス劇場があり、そこには黒山のように人々が並んでいた。映画の広告写真にはカルメンのような装いの女優が大きく写っていて、ローザ・アラキナ主演とあり、それはまさにローザだった。新星映画会社(ニユースターフイルムコーポレーシヨン)製作と書かれていた。それはハリウッドの第一流の会社で、そこに行けば、彼女に会えるにちがいなかった。荒木はタクシーを拾い、新星映画会社に着き、親戚を名乗って面会を申し出た。「ローザは荒木を見るや釘付けられた様に突立つた。そして見る見る中に彼女の顔は、狂喜の血汐が漲つて来た」。三年ぶりの出会いだったのだ。彼女は荒木に撮影所(スタヂオ)を案内し、そこにいた有名なデミル監督に彼を親戚のアントニオ・マクドナルドだと紹介する。これは明らかに戦後に『十戒』を遺作として残したセシル・B・デシルがモデルであり、映画会社はMGMのように思われる。

ローザは荒木を自宅に案内し、生活のこともあり、女優に応募し、スターになった経緯を語った。二人は抱擁を交わし、「ローザ!」と「彼は始めて恋人として彼女の名を呼んだ」。やはり二人は結ばれる運命にあったのだ。荒木はリイとの結婚のことを除き、すべてを話した。そしてコロラド河口地帯に大農園を設け、阿片製造するつもりで、メキシコの下カリフオルニア知事の面会を求めてきたことも伝えた。ローザは知事のアルフオンソと面識があったので、荒木を日本の男爵に仕立て、メキシコ開発と日墨両国民の親善のためと称して、土地の交渉を図ろうと提案した。ローザの紹介で知事に面会し、その夫人と令嬢への贈物攻勢も功を奏し、コロラド河口の玄屋の十年間無償使用許可の約束を得ることになった。

さらに荒木はローザに連れられ、デミル監督邸の夜会に出席する。デミルは彼を「新星映画のスター」にする意志を持ってもいた。その夜会は東部の上流階級の人々が集まっていた。荒木はデミル夫人や新進女優、ローザは新星映画会社の社長であるアイキセル及び銀行頭取や宝石商の息子たちに阿片煙草を吸わせ、中毒患者への道へと誘った。ハリウッドと東部の資本家階級の人々を阿片で征服する道を踏み出したのだ。

第六章の「夜」から第十章「ローザ」までの物語はこれまでの助走段階を経て、荒木の吸血鬼団長としての成長、それに同伴する女性遍歴、日本人及び黒人などの有色人種の同志の集結、アメリカ白人社会の征服、コロラド河口の大農場計画の追求ということになる。雄飛会員として日本を出発した荒木が阿片という悪を選択し、それを武器にして逆教養小説のように近代人としての良心の呵責に悩みながらも、悪への道を上昇していく過程を描いていると判断できよう。

さてこの物語はそれからどこに向かおうとしているのか。そのためにはもう少し『黒流』の物語をたどってみなければならない。第十一章の「飛躍」において、まず荒木はサンフランシスコに戻り、本部で大農場計画を発表し、国境に派遣する団員の人選を行なった。農場の開設が急務だったからだ。荒木たち一行は「国境の秘境」と称されているメキシカリイ(メヒカリ)に向かい、アルフオンソ知事から正式にコロラド河口地帯の十年使用許可証を得た。その夜は歓迎舞踏会が開かれ、「メキシコの名士達は、自分の国を開発に来た、此の極東帝国の紳士に対して、無限の親愛と、畏敬と感謝を払つた」。かつてこの地で、荒木たちは監獄に入れられたこともあったのに。翌朝荒木は町外れの監獄を訪れ、「感慨無量」の念に捉われた。

 荒木はその牢屋の前に立つた儘、暫らくの間は無言で考へ込んだ。牢屋の中で虱だらけになつたものも思へば昨日の様だつた。出獄した晩、此の国境から飛込んだのも、昨日の様だつた。その時には、自分でも、今の自分を想像はして居らなかつたのだ! 運命! 凡てが大きい運命の手に、収められて居る様に思はれた。

そしてまた不吉な思いにも捉われた。「何んだか、黒ずんだ運命の手が、自分の前に拡げられて居る様に感じて来た」。その「闇黒な影」を追い払おうとして、荒木は賭博場に向かった。賭博場は「メキシカリイ劇場」とあった。「なる程、劇場(テアトロ)とは考へた名前をつけたものだ! 人生を縮めて見たら、皆一つの芝居に過ぎないのだ! 勝負事に過ぎないのだ!」。荒木は大勝負に挑み、見事に勝利を収め、団員たちを集め、「女を総上げにして騒ぐ」と叫ぶ。記述されてはいないが、賭博場の背後に大規模な娼婦街があるようなのだ。在米日本人たちの酒池肉林がメキシコの国境の「秘密境」で実現するのである。

 朝なので、華客(カストマー)たちは殆んど居なかつた。未だ寝て居る女もあつたが、そんなのは、どしどし叩き起こした。其処には七八百人近い女が居た。それはまるで人種の品評会の様であつた。アメリカ人、メキシコ人、ロシア人、ドイツ人、フランス人、支那人、イタリー人、アルメニア人と云ふ風に各国の品評会であつた。

 それから酒を飲み始めた。酒が身体に廻つて来る頃になると、(判読不明のために中略)女の前に、狂人の様に走り寄る男もあつた。女と踊るものもあつた。白い肌や赤い肌、黄色い肌、黒い肌が入り乱れて出たなら、字義(レテラリイ)通りな地獄が現出したに相違なかつた。女共は強烈な酒を呷りながら乱舞した。

 動物であつたなら美しい情景であつたらう! だが人間の顔と言葉を聞かれる許りに、最も醜穢な場面になつて終つた。見様に依つては糞壺の中に蠢(うごめ)いている蛆虫(うじむし)だつた。

かつての囚人が日本貴族として帰還したのであり、それこそ「ヂヤツプ」の得意満面の場面のように描かれてもいいはずなのに、「地獄」でしかなく、この「最も醜穢な場面」が「俺に応しい享楽」として荒木は受け止め、哄笑するが、まさに「自嘲の叫び」でしかなかった。物語の中に絶えず揺曳している荒木の良心が悪を中和する機能を果たし、物語の展開を支えてきたが、そのバランスが崩れつつあることを告げているかのようだ。

その一方で荒木たちはメキシカリイを出発し、砂漠を抜け、コロラド河口に到着した。まずは十エーカーの農園の試作から始まり、その半分に罌粟の種が蒔かれた。そこでもまた悪と良心のせめぎ合いが起きてもいた。

 何んな芽でも生える処女地に、俺は種を蒔くんだ! 悪の種! 莫迦(ばか)な事を云つちやいけない! 人類更生の許(もと)を蒔く種なんだ! 只期間的には、邪悪の汚名を被せられるかも知れないが、永遠を見よ! 俺は黎明の先駆者なんだ……

次回へ続く。