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古本夜話69 松村喜雄『乱歩おじさん』と『江戸川乱歩殺人原稿』

前々回、花咲一男=花崎清太郎の回想記『雑魚のととじまり』は未入手だと記したが、松村喜雄が花咲の回想を自らの書き下ろし長編ミステリー『江戸川乱歩殺人原稿』青樹社、一九九〇年)の中に色濃く反映させていると思われる。なぜならば、この作品は江戸川乱歩のエッセイ「探偵小説の鬼」における「私の親戚の少年」で、「丁度その蒐集狂時代の探偵小説マニア」、すなわち松村に関する言及をエピグラフとし、「在りし日をなつかしみ、石川一郎/花崎清太郎/松村喜雄江戸川乱歩の諸氏に捧ぐ。」という献辞が掲げられているからだ。自らも含めた四人への献辞は昭和十年前後において、四人が師と弟子の蜜月の関係にあった時代に対するノスタルジアとオマージュを意味していよう。

『江戸川乱歩殺人原稿』そのものも乱歩の作品に忠実で、E・C・ベントリーの『トレント最後の事件』(大久保康雄訳、創元推理文庫)を念頭において、乱歩が本格的な探偵小説を志向し、昭和九年に『中央公論』に発表した「石榴」をふまえ、書かれている。まさに「石榴」は彼らの蜜月関係の只中に執筆され、松村は『乱歩おじさん』晶文社)の中で、初期短編を除けば、「石榴」「陰獣」と並ぶ乱歩の二大傑作とよんでいる。そしてまた登場人物の一人は「石榴」の主要人物と同姓同名である。それゆえにこの作品は、乱歩と友人たちの思い出をベースとする松村のミステリーの集大成といえるかもしれない。

トレント最後の事件 悪魔の紋章・石榴

『江戸川乱歩殺人原稿』のストーリーを紹介しよう。昭和八年頃、兜町の東京株式取引所に勤める四人の探偵小説好きの少年たちが乱歩を訪ね、弟子となった。だが乱歩は年上の友人のように接していた。松村は乱歩との関係を次のように描いている。

 訪れる日は何時間も、ときには夜遅くまで探偵小説の話に熱が入り、倦むことがなかった。話題は探偵小説だけに限らず、一般の文学、哲学の域にまで踏みこむことがあった。このとき、乱歩は四十歳、語る言葉は自信満々だった。
 終戦の社交に献身的な、探偵小説の興隆に必死の肩をいからせた、探偵小説の大御所ではなかった。
 涙香、鷗外、潤一郎から、南方熊楠ギリシャ・ローマの古典、モンテーニュ、ジイド、ラディゲ、ブールジェに至るまで、日、英、米、仏の探偵小説から、文学、哲学、映画、民族学、科学、宗教、ときにはルイス・スペンスの『エンサイクロペエチア・オツカルチズム』『国訳大蔵経』に及ぶ広範囲な感想が、尽きることなく書棚から本をとりあげ説明し、えんえんと長時間に及んだ。乱歩は若い四人にとって正に師であり、彼らは弟子であった。

これらは松村の『乱歩おじさん』における既述とほぼ同様だが、『江戸川乱歩殺人原稿』では二つの異なる事柄が加えられている。それは三人の少年が四人になったこと、乱歩が言及する作家にブールジェが添えられたことだろう。ブールジェはフランスの作家である。新たに加えられたもう一人の少年は明らかにフィクションだが、ブールジェの場合は『乱歩おじさん』、及び引用されている『雑魚のととじまり』に書かれていないにしても、乱歩は『探偵小説四十年』の中で実際に言及している。『江戸川乱歩殺人原稿』はその構成からいって、「石榴」にブールジェの『弟子』を組み合わせることによって成立しているので、松村が独自に『弟子』をここに登場させたとは思えない。やはり乱歩経由で知ったと考えるほうが妥当だろう。本文でも紹介されているように、ブールジェの『弟子』は、昭和初期円本時代の新潮社の第二期『世界文学全集』2山内義雄訳で収録され、戦後になって同訳は河出書房の同じく第二期『世界文学全集』19でも刊行されている。
探偵小説四十年

さてストーリー紹介が中断してしまったが、話を戻そう。プロローグにおいて、七十歳の衆議院議員で、次期総裁と目されるかつての少年の一人が、やはり同年の若き日の友人で、今は推理小説家として重鎮の座におさまっている男から、分厚い原稿のコピーを受け取る。二人は政治家と推理小説家として社会に認められていたが、互いに消息を知るだけで、もはや四十年以上会っていなかった。

その届けられた原稿用紙の表紙には「『弟子』 江戸川乱歩」と万年筆で書かれていた。タイトルはブールジェの小説と同じなのだ。それは紛れもなく、かつて目にしたことのある乱歩自身のものだった。

送ってきた推理小説家の解題によれば、原稿入手ソースは語れないし、乱歩の作品の中に『弟子』なる題名の小説は見当たらない。だが筆跡は乱歩のもので、清書もされている。そしてこの『弟子』が書かれた時期に、自分も含めた四人の少年たちは乱歩の周辺にいたのである。そして推理小説家は結論を下し、次のように述べる。

 まぎれもなく大乱歩の未発表の原稿である。正に今、この原稿が発見されたのは奇跡としかいいようがない。どこにこの原稿が保存されていたのか、それはこの『弟子』に語られている小説と無関係ではない。それにしても、乱歩はいつ、いかなる意図をもってこの小説を書いたのか。
 登場する人物の何人かは実在する人物であるが、仮名となっているので、だれがどの人物に当てはまるのか、特定するのが甚だしく困難である。
 この小説のなかで、一人の若い女が殺される。いや、自殺として処理されているが、殺害されたと推定されている。
 実在の人物と仮名の登場人物がいかに組み会わされるのか。五十年前の事件だから、もちろん時効が成立しているのだが、真犯人摘発の手掛かりが、この小説に提出されている。

そして推理小説家は乱歩の『弟子』を発表し、真犯人の指摘を宣言する。
この後で、推理小説推理小説として、本文の二段組みと異なる一段組みで、プロローグに続く章が乱歩の『弟子』にあてられ、全文が掲載され、『江戸川乱歩殺人原稿』は文字通り始まっていくのである。これはミステリーでもあり、これ以上の言及はとどめる。この作品は絶版にしても、まだ入手は難しくないと思われるので、興味ある読者はぜひ一読されたい。

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