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古本夜話70 江戸川乱歩と中央公論社『世界文芸大辞典』

松村喜雄『乱歩おじさん』晶文社)の中で、彼ら三人の少年が乱歩の弟子になった頃、乱歩が古代ギリシャの古典に興味を持ち、とりわけ同性愛文献に関心が深く、希英、羅英の対訳本を買いこむ一方で、ジョン・アディントン・シモンズの著作を耽読し、「J・A・シモンズのひそかなる情熱」や「シモンズ、カーペンター、ジード」といった論考を発表したと記している。前者は東京精神分析学研究所の『精神分析』、後者は中央公論社『世界文芸大辞典』の付録「世界文芸」に掲載されたもので、特に後者について、乱歩がいかに情熱をこめて書いたかを、松村は聞かされたという。この二つの論考は乱歩の第三随筆集『幻影の城主』に収録され、昭和二十一年に京都のかもめ書房から刊行されたが、後に昭和五十四年版『江戸川乱歩全集』講談社)の同タイトルの第十七巻、及び紀田順一郎『江戸川乱歩随筆選』ちくま文庫)に入っている。
江戸川乱歩随筆選
その前に述べておくと、この昭和十一年から翌年にかけて、中央公論社から出された吉江喬松責任編輯『世界文芸大辞典』全七巻は、内容の豊饒さと鮮明な世界文学の見取図のみならず、ケルト模様の装丁と造本、多岐にわたる作家とテーマの取捨選択、魅力的な挿絵、写真、書影を配置した斬新なレイアウトが相俟って、日本の海外文学辞典の模範だと思われる。またそのセンスと目配りのよさから、このような辞典にしては意外な組み合わせに映る江戸川乱歩に、「サイモンヅ(ママ)、カーペンター、ジード」といった原稿を依頼したのだろう。『世界文芸大辞典』は2004年に日本図書センターから復刻されている。

世界文芸大辞典 第一巻

まずはこの辞典で、サイモンズを引いてみる。この時代には後のシモンズではなく、サイモンズと称ばれていたことを辞典も示し、その写真も掲載されている。

 サイモンズJohn Addington Symonds(1840-1893)イギリスの文芸史家、作家。オックスフォードにてコーニントンConington、ジャウェットJowettに影響される。一八七八年後は健康を害して端西のダーヴォ―ス・ブラックに滞在して多くの作を残したが、ローマに旅行して肺炎に斃れた。古代・中世の文化に造詣深くこの時代の詩の翻訳がある他、自ら詩作もした。(後略)

これは英文学者の田部重治によるもので、略した部分は主要著書の原題である。これらはは乱歩も挙げているからだ。

さてこのようなサイモンズに対して、乱歩はどのような言及をしているのか。ここからは『幻影の城主』の中のシモンズとの現代表記によって、話を進めることにする。

乱歩は「シモンズ、カーペンター、ジード」において、近年のフランス文壇のプルーストやジードなどは最も明瞭な同性愛的な精神の所有者であり、それを知らずして彼らの文学はほとんど理解できないと始め、次のように記している。

 これは何も近年のフランスに限ったことではなく、古代ギリシャからルネッサンスを通じて近代に至るまで、この精神を知らずしては完全に理解できない文学美術の大作家はほとんど数えきれないほどである。ごく近いどころで云えば、ホイットマン、ウォルター・ペーター、J・A・シモンズ、リチャード・バートンエドワード・カーペンター、オスカー・ワイルドなどが最も著しい人々で、この一連の人々は直接間接精神上の交流があり、これらの人々のうち情熱の最も烈しかった作家はJ・A・シモンズとエドワード・カーペンターとアンドレ・ジードの三人で、三人はそれぞれ同性愛精神の弁護―というよりはむしろ讃美の、真面目な著述を出版している。

そして乱歩は彼らが三人三様の出版形式で、「同性愛禁遏のはなはだしいキリスト教国」において、そのような著作を刊行したことを評価し、カーペンターの社会変革と同性愛精神が有機的に結びついた三つの著作、ジードの最初は匿名私家版での同性愛弁護の著作『コリドン』(伊吹武彦訳、『アンドレ・ジイド全集』第三巻所収、建設社)、シモンズの同性愛精神が根底に流れているギリシャ、イタリア研究や翻訳の数々、やはり私家版無署名の同性愛弁護の二冊の著述に言及している。

カーペンターもシモンズのそれらの著作は現在に至るまで未邦訳であるが、乱歩の語るところによれば、シモンズの同性愛弁護の二冊は彼の晩年から死後にかけて、イギリスやオランダで無断復刻され、それらはイギリスの古本屋で、一ポンド半から二ポンドで入手できたようだ。おそらく乱歩もそのルートで購入したのだろう。

そしてまたシモンズがカーペンターやジードに与えた影響は大きく、両者の著書にはシモンズの夥しい引用があり、三人は思想的にもつながっていると、乱歩は指摘している。

昭和十一年当時において、同性愛の視点から世界文学と思想を捉え、このような見取図を提出したことは画期的なことだったのではないだろうか。しかも『世界文芸大辞典』という公式の場において。

この事実は江戸川乱歩が紛れもなく、岩田準一の男色研究と併走していたことを示している。これらの他にも『幻影の城主』に収録された「もずく塚」「ホイットマンの話」「槐多『二少年図』」などの一連の文章もそれらを証明していよう。

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