出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

14 新しい大正文学の潮流


◆過去の「謎の作者佐藤吉郎と『黒流』」の記事
1 東北書房と『黒流』
2 アメリカ密入国と雄飛会
3 メキシコ上陸とローザとの出会い
4 先行する物語としての『黒流』
5 支那人と吸血鬼団
6 白人種の女の典型ロツドマン未亡人
7 カリフォルニアにおける日本人の女
8 阿片中毒となるアメリカ人女性たち
9 黒人との合流
10 ローザとハリウッド
11 メイランの出現
12『黒流』という物語の終わり
13 同時代の文学史


14 新しい大正文学の潮流

前回記したように、佐藤吉郎の『黒流』は第一次世界大戦後の新しい大正文学の潮流の中から生まれた文学作品であると考えることもできよう。それに加えて、文学年表には記さなかったが、いずれも当時の大ベストセラーを記録した大正八年の島田清次郎『地上』 、九年の賀川豊彦『死線を越えて』 の影響を確実に受けているのではないだろうか。それは作品における影響ではなく、島田や賀川といった無名の青年たちを一躍スターとならしめたベストセラー現象によるものであったと思われる。一介の青年であっても、小説を書くことによって、立身出世を遂げるという物語がこの時代に始まっていたのであり、この時代に新聞や雑誌はマスメディアへと成長し、出版業界もそれまでにないベストセラーを生み出し、大衆社会を造型しつつあった。そしてまた佐藤吉郎のような特異な体験を有する青年たちが多く存在していたはずで、その中の何人かが体験を小説化する試みに挑んだ。その一編が『黒流』として結実したと考えられる。

地上 死線を越えて

しかしそれらの文化的な時代背景をすべて考慮したとしても、『黒流』は同時代の文学作品とは異なる 逸脱した小説であると断言していい。先行する冒険小説として押川春浪の作品が挙げられるが、それは明治ナショナリズムに基盤を置く少年文学の要素が強く、デュマの『モンテ・クリスト伯』 やスティーヴンソンの『宝島』 の影響が明らかである。だが佐藤吉郎にはナショナリズムを除き、それらの因果関係があからさまに浮かび上がってこない。何よりもまずテーマは「人種戦」として設定され、それを「自序」で強く宣言している。しかもこの部分だけに「俺達」という主語が使われてもいる。

モンテ・クリスト伯 宝島

 永遠の平和は、人類の憧れである。人種戦はその前提であらう。が白色人種が如何に俺達有色人種に、侮蔑と汚辱を加へ様とも、俺達はそれに対するに、白日の下に曝されても恥しくない正義の力を頼つて行かねばならぬのだ。

そしてなおかつ「私の注意し、努力した処」として、「一般の読者諸君と共に、面白く読み続け度い! そして、最終の頁まであかずに……」と。これは現在の用語に置き換えれば、エンターテインメントとして読んでほしいと語っている。それゆえに『黒流』という作品は「人種戦」をテーマにしたエンターテインメントとして、大正十四年に提出されたことになる。前述したように、谷譲次がアメリカでの四年間の経験をもとにして「めりけんじゃっぷ」物を書き始めるのもほぼ同時期だが、それらが『テキサス無宿』 などの作品集として刊行されるのは昭和四年以降で、『黒流』のほうが先駆けであった。
テキサス無宿
同時代において、やはりアメリカ体験をベースにしてアメリカを描いた作家としての先達は谷譲次ではなく、年表に示したように大正十年に『三等船客』(「現代日本文学全集」第77巻 所収、筑摩書房)でデビューした前田河広一郎だったのではないだろうか。前田河広一郎は明治四十年にアメリカに渡り、主としてシカゴに住み、英文の短編小説を習作し、社会主義関係の雑誌に発表しながら、様々な労働に従事し、後にニューヨークに移り、邦字新聞の編集長を務めた後、大正九年に帰国し、十一年に第一創作集『三等船客』、十二年に続けて『赤い馬車』や『麺麭』などのアメリカを題材とする短編集を刊行している。しかしこれは前田河の全作品を読んでいないので断言できないが、『三等船客』などの三冊の短編集から考えると、社会主義的視点から見られたアメリカ、及びアメリカにおける日本人社会の実態と関係を主として描いている。

もちろん白人による日本人に対する人種差別もぬかりなく書きこまれているが、それらは物語の背景としてであり、『黒流』のように「人種戦」が前面に押し出されていない。だから同様にアメリカを舞台にし、日本人移民者たちを主人公にしていても、物語の位相がまったく異なっている。しかも『黒流』にあっては「人種戦」がエンターテインメント仕立てで提出されているために、吸血鬼団という名称や白人女が血を吸われて恍惚としている刺青などがキッチュ、もしくは荒唐無稽な物語装置の役目を果たし、それらの視点からすれば、白人のオリエンタリズムに基づく小説と錯覚される要素をも含んでいる。それゆえにこの『黒流』は日本ナショナリズムとアメリカのオリエンタリズムの奇妙な融合のようにも思えるし、確実に物語祖型を白色人種の小説に仰いでいるのではないだろうか。

次回へ続く。