出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話71 江戸川乱歩と「J・A・シモンズのひそかなる情熱」

前回は「シモンズ、カーペンター、ジード」だけで終わってしまったので、今回はあらためて江戸川乱歩の「J・A・シモンズのひそかなる情熱」を取り上げることにしたい。それにこの論考は乱歩にとっても異例のものであり、戦前における唯一のまとまったシモンズ論ではないだろうか。また戦後になってすらも、まとまったシモンズ像にふれられるようになったのは、都築忠七の『エドワード・カーペンター伝』(晶文社)と海野弘の『ホモセクシャルの世界史』(文春文庫)が出現してからのことで、これらの著作は乱歩の論考から半世紀以上過ぎてからのものである。
ホモセクシャルの世界史

乱歩はこの論考において、十九世紀末のイギリスの特異な文学者ジョン・アディントン・シモンズは日本で明治中期頃からすでに注目されていたはずだが、まとまった翻訳はまったく出ておらず、昭和五年に出版された田部重治訳の『ダンテとプラトーとの愛の理想』という小冊子だけではないかと始めている。

それからシモンズの詩集以外の文芸美術の史的研究の名著『ギリシャ詩人の研究』(Studies of the Greek Poets)や『イタリー文芸復興』(Renaissance in Italy)を始めとする数々の著作、伝記評論、翻訳詩集の紹介に加えて、秘密出版した同性愛弁護の著述『ギリシャ道徳の一問題』(A Problem in Greek Ethicsと『近代道徳の一問題』(A Problem in Modern Ethics)も挙げ、自分の小論はこの秘密出版の二書に深くかかわっていると乱歩は書き、さらに五種類のシモンズの伝記や研究も挙げている。

Studies of the Greek Poets Renaissance in Italy A Problem in Greek  Ethics A Problem in Modern  Ethics

そして乱歩はその伝記のうちの一冊であるホレショ・F・ブラウンの『シモンズ伝』(H・F・Brown , J・A・Symonds : A Biography、1895)によって、シモンズの生涯をたどっていく。だがこのシモンズの長文の自伝を土台にして編まれたブラウンの二巻本の伝記において、同性愛に関する事柄は故意に省略されたのではないかと推測してもいる。それでもシモンズの自伝は興味深く、乱歩は彼の不思議な夢に関する記述から、自伝の中へと入っていく。

シモンズは少年時代から夜の悪夢や美しい夢に襲われ続け、夢遊病すらも患っていた。また彼は同じ夢を繰り返し見て、そのひとつは入口のドアがひとりでに開き、一本の指が入ってきて、自分に近づいてくるという夢、もうひとつは夢の中でふと気づくと、自分のベッドの中に冷たい死体が横たわっていて、恐ろしくなって部屋から逃げ出すと、その行く先々に死体が待ち構えているという夢だった。乱歩はこの指が胎児の時に経験した父のペニス、死体の夢は母の死の記憶に基づくのかもしれないと書いている。

そしてそれらと対照的な夢にも言及し、「大きな青い眼をして、豊かに波打つ金髪が、朦朧たる光輪を発している、一人の美しい青年」がシモンズを見つめ、彼の肌にふれようとするもので、「かように睡眠中に現れた私の理想の美の幻影は、私の性格に深くも根ざしている生得の憧れを象徴していた」というシモンズの言葉を引いている。彼のこの夢の体験、及び少年時代に出会った『イーリアス』のギリシャ語の「唇と頤に薄ひげの生えそめる頃こそ、若者はこよなく美しけれ」の二行の詩句、プラトンの同性愛の言葉が散りばめられた『パイドロス』『饗宴』に読みふけったことなどが、シモンズという「私の性格に深くも根ざしている生得の憧れ」の在り処を告げていると乱歩は推理している。

イーリアス パイドロス 饗宴

そしてまたシモンズの四歳に死に別れた母への異常なまでの冷淡さと父への過度なまでの愛着に乱歩は注目し、精神分析学者フェレンツィの英訳Sex in Psycho-Analysisを援用する。フェレンツィは同性愛を二つに大別し、自己を女性の立場に置くものをSubject-homo-erotism(ママ)、自己を男性の立場に置くものをObject-homo-erotismと名づけているという。乱歩はその前者におけるフェレンツィの説明を引いている。

 彼は全くの幼児の時分から、彼自身を父と同じものではなくて、母と同じものと想像する。彼は倒錯せるエディポス・コンプレクスに陥っているのだ。彼は父に対する母の地位に自分を置き換えていたために、そして母のすべての特権を享受したために、母の死を願望する。

シモンズの母への冷淡さ、父への愛着とはこの「倒錯せるエディポス・コンプレクス」に支配されていたからではないかと乱歩は想像する。また自伝におけるシモンズ自身の女性的立場から見て、「ウルリックスのいわゆる男体女心(anima muliebrio in corpore virili inclusa)の一つの型」の「Urning」だったのではないかとも述べている。「Urning」とはドイツ語で「同性愛の男、男色家」を意味している。

乱歩の論考はこれで終わるのではない。彼はさらに『ギリシャ詩人の研究』全二巻、『イタリー文芸復興』全七巻を読み進め、これらの大著に表出しているシモンズの同性愛の揺曳、また浩瀚な著作の内容にまで踏みこみ、詳細に報告しているのだ。ここには私たちが知っている乱歩とは異なる貌がある。三人の少年たちがふれた乱歩とは、このような貌を見せる乱歩であったにちがいない。

なお英語でタイトルを示したシモンズの著作はいまだもって邦訳の目をみていない。ただその後 昭和十九年に、本連載27「北島春石と倉田啓明」のところでふれた櫻井書店から橘忠衛訳で『ダンテ』が出されている。また乱歩はこの昭和八年の論考における昭和二十九年の追記として、当時未見であったシモンズの著書詩集のほとんどを入手したこと、さらに書き継ぎたいこと、特に『ギリシャ道徳の一問題』は「詳しい註釈を入れて、全訳して見たい野心を捨てかねている」とまで書いている。だがその仕事をバックアップする編集者も出版社もなかったのだろう。残念でならない。

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら