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古本夜話72 乱歩、谷崎潤一郎、クラフト・エビング『変態性欲心理』

前回記したように江戸川乱歩は「J・A・シモンズのひそかなる情熱」において、シモンズの自伝に見られる女性的立場から見て、彼は「ウルリックスのいわゆる男体女心(anima muliebrio in corpore virili inclusa)の一つの型」の「Urning」だったのではないかと推測している。「Urning」とはドイツ語で「同性愛の男性、男色家」を意味すると私は補足しておいた。

このウルリックス、及び「Urning」の出典は、大正二年九月に大日本文明協会から翻訳刊行されたクラフト・エビングの『変態性欲心理』だと見なしていいだろう。大日本文明協会の出版活動については「市島春城と出版事業」(『古本探究』所収)を参照されたい。
古本探究
訳者は呉秀三門下で、東京医科大学精神病学教室に在籍する黒澤良臣だった。クラフト・エビングはドイツの精神医学者で、一八八六年に『変態性欲心理』(原題はPsychopathia sexualis なので、『性的精神病質』がふさわしいタイトルとなる)を著し、西洋の性科学の幕を切って落としたと考えられる。彼はヨーロッパ各国の裁判所において、異常性欲者の精神鑑定をする機会が多かったことから、それまで誰も試みていなかった性的倒錯者の分類と記述を行ない、『変態性欲心理』を刊行したのである。そこで彼は精神病的変態性欲を四つに分類し、その四番目にサディズム、マゾヒズム、フェティズム、同性愛をすえる。サディズムとマゾヒズムは、ここでクラフト・エビングによって造語されたと伝えられている。この邦訳タイトルによって、日本での「変態」なるタームが定着したと思われる。

そしてホモセクシャルを「先天的婦女子的男子」として、「ウールニング」とよび、次のように定義している。

 ウールニング(Urning)なる語は、ウルリックスの命名したるものにて、こは男子で男子にてありながら女子として男子に対し好愛の情を有する倒錯者を謂ふ。

これで乱歩の「Urning」使用とシモンズ解釈の出典がクラフト・エビングの『変態性欲心理』にあることが了承されたであろうが、ただ翻訳にはラテン語表記はなされていないので、乱歩は英訳も参照しているのではないかと思われる。この性科学の嚆矢である『変態性欲心理』は乱歩のホモセクシャル解釈のみならず、サディズム、マゾヒズム、フェティシズムを含めて、多くの近代文学に影響を及ぼし、また多方面に波紋をもたらしたと断言してもかまわないだろう。

そのダイレクトな反映を谷崎潤一郎に見ることができる。本連載25の「井東憲と『変態作家史』」で、井東が谷崎を変態作家の一人に挙げていたが、『変態性欲心理』の翻訳が出されたちょうど一年後の大正三年九月に、マゾヒズム小説の決定版「饒太郎」(千葉俊二編『潤一郎ラビリンス2 マゾヒズム小説集』中公文庫所収)を発表している。まずは何よりもこの小説の主人公である作家の饒太郎の告白を聞こう。少し長い引用になってしまうけれど、『変態性欲心理』がもたらした衝撃があますところなく語られ、しかも当事者ならではの見事な書評を形成しているからだ。三島由紀夫による、柳田国男の『遠野物語』のその核心をついた書評を連想させる。
潤一郎ラビリンス2 マゾヒズム小説集愛

 彼はふとした機会からクラフトエビングの著書を繙いたのである。その時の饒太郎の驚愕と喜悦と昂奮とはどのくらいであったろうか? 彼は自分と同じ人間の手になる書籍と云う物から、これ程恐ろしい、これ程力強いショックを受けたのは実にその時が始めであった。彼はペエジを繰りながら読んで行くうちに激しい身慄いが体中に瀰漫するのを禁じ得なかった。何と云う物凄い、無気味な事であろう! そうして又、何と云うなつかしい事であろう! 此の書籍の教える所に依れば、彼が今迄胸底深く隠して居た秘密な快楽を彼と同様に感じつゝある者が、世界の到る所に何千人何万人も居るのである。それ等の人々のコンフェッションや、四方の国々のprostituteの報告を読めば、彼等がどのくらい細かい点まで全然饒太郎と同じような連想に耽り、同じような矛盾に悩まされて居るかと云う事は怪しくもまざまざと曝露されて居る。若しも此の世の中に自分と同一の容貌を持ち、同一の声音を持ち、同一の服装をした人間がたとえ一人でも現われたならば、誰しも吃驚して、恐らくは竦然として卒倒しないものはないであろう。饒太郎の驚愕と恐怖とはまさに其れに近いものであった。彼は其の書の到る処に自分の影を見、呻きを聞いた。知らないうちに自分の魂がいろいろな人種に姿を換えて、世界の方々で生活して居るように感じた。

そして饒太郎は学生時代の友人から「刑状持ちの若い娘」を斡旋され、西洋のマゾヒズトたちが売春婦から得ているような「アブノルマルな歓楽」を得ようと画策する。そのお縫という娘を自宅の西洋館の中に連れこみ、彼女に告白する。「僕は性来、女に可愛がられるよりも、いじめられるのを楽しみにする人間なんだ。おまえのような若い美しい女たちに打たれたり蹴られたり欺されたりするのが、何よりもうれしい。出来るだけ残忍な、半死半生の目に遇わされて、血だらけになって、呻ったり悶えるたりさせてくれれば、世の中にこれほど有り難い事はないんだ」と。

かくしてお縫はつきつけられた札束によって、饒太郎の望む「毒婦」へと変身し、彼にマゾヒストの悦楽を味わわせるに至るのだ。そのために饒太郎は彼女に大金を蕩尽し、破滅へと追いやられていく。谷崎の「饒太郎」こそはクラフト・エビングが『変態性欲心理』で述べている「マゾヒスムス―残虐及び暴行を受けて淫好を致すもの」のうちの「受動的鞭打及びマゾヒスムス」の実践にして、小説化であったと見なすこともできる。乱歩は同書のホモセクシャルに反応したが、谷崎はマゾヒスムスに感応したのである。その意味において、乱歩と谷崎は隣人であり、この時代にクラフト・エビングの『変態性欲心理』を中心とする不可視の「変態の共同体」が形成されたように思える。これもひとつの「想像の共同体」といえるのではないだろうか。そして谷崎は十年後に「饒太郎」のマゾヒズムの集大成といえる『痴人の愛』を書き継いでいくことになる。
痴人の愛

なお『変態性欲心理』は二〇〇六年にゆまに書房から復刻が出され、十一年八月に英訳の刊行が予告されている。

変態性欲心理 Psychopathia sexualis
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