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古本夜話78 田山花袋とゾラの英訳

性の「告白」という視点から見れば、田山花袋『蒲団』とエリスの『性の心理』は関連しているのではないかとの仮説を提出しておいたが、ここでは花袋の『東京の三十年』岩波文庫)に描かれている洋書の流入状況についての証言を確認してみよう。エリスについての記述は見られないにしても、ゾラの英訳状況はその問題とつながっているように思われるからだ。

蒲団 東京の三十年

『東京の三十年』は大正六年に花袋が編集者として勤める博文館から刊行され、「その時分は、東京は泥濘(でいねい)の都会、土蔵造の家並の都会、参議の箱馬車の都会、橋の袂(たもと)に露店の多く出る都会であった。考えてみても夢のような気がする」という文章で始まっている。この花袋の回想記はドーデの『巴里の三十年』を範とした彼の文学的自叙伝であると同時に、明治から大正にかけての文化史、文学史となっていて、数ある類書の中でも白眉であり、花袋の多くの著作中でも最も長く読み継がれている作品だといえよう。それだけに近代文学史の資料としてもよく参照され、山田風太郎『幻燈辻馬車』ちくま文庫)の中に花袋を登場させ、私も「書店の小僧としての田山花袋」(『書店の近代』所収、平凡社新書)を書いている。

幻燈辻馬車 書店の近代

花袋の回想によれば、明治三十年代、つまり二十世紀を迎える前後に、ロシア、フランス、ドイツなどのヨーロッパ文学や思想の洋書が丸善に次々と入荷してきたようだ。「十九世紀の欧州大陸の膨湃とした思潮は、丸善の二階を透して、この極東の一孤島にも絶えず微かに波打ちつつあった」と花袋は書いている。そして彼は柳田国男とともに丸善で洋書を漁り、モーパッサンの短編集シリーズ十二冊を注文して買い、「頁(ページ)を切るのもまどろこしいような気がして、それに読耽(よみふけ)った」とも述べている。花袋がこれらの短編集によって「深い驚異」に打たれたように、様々な青年たちもそれぞれツルゲーネフトルストイイプセンニーチェたちの作品に「深い驚異」を覚えたのだ。

だが花袋の記述からすると、十九世紀ヨーロッパ文学の中で、最も早く流入してきたのはゾラであった。しかも「ルーゴン=マッカール叢書」の大半が入ってきたようで、それはひとえにゾラの英訳がイギリスとアメリカで次々と刊行されたことによっていると思われ、同時代における日本での英訳からのゾラの作品の翻訳出版も、その事実と見合っている。明治二十年代初めに花袋は友人のところで、ゾラの英訳を初めて見た時のことを次のように書いている。

 エミイル・ゾラの小説、その時分はかれの全盛期で、英訳になったかれの本などはまだ日本では何処にも見られなかった。それをN君は三四冊持っていた。“Conquest of Plassan”や“Nana”や“L'Assommoir”などがあった。N君はそれを私に示して、「今、フランスでこの人の作が流行(はや)っているんだ。しかし、ひどいんだからな。君なんか読んでは、却(かえ)って害になるような作品だからな。もう少し経ってから貸してやるよ」(後略)

ちなみに“Nana”はいうまでもないが、“Conquest of Plassan”は『プラッサンの征服』、“L'Assommoir”は『居酒屋』である。それから数年後に花袋は神保町の古本屋で『プラッサンの征服』を見つけ、無理をして購入したが、「その時分にはゾラの小説はまだよくわからなかった。何(ど)うしてこれが面白いんだろうと思った」。明治二十四年に花袋は尾崎紅葉を初めて訪ね、紅葉は西鶴近松のことを話していたが、次第に外国文学の話になり、棚にあった一冊の洋書を取り出した。それはゾラの“Abbe Mouret's Trannsgression”、『ムーレ神父のあやまち』だった。そして紅葉が「評判の作家だそうだが、成(なる)ほど細かい、実に書くことが細かい、一間の中を三頁も四頁も書いている。日本文学にはとても見ることができないもの」で、心理描写の細かさを学ぶべきだと言ったので、花袋も『プラッサンの征服』のことを話した。紅葉もゾラを読んでいたのであり、彼がゾラを常にその傍ら離さず、写実は西鶴からゾラへと移り、紅葉の『多情多恨』岩波文庫)がその達成であると花袋は記している。

ナナ プラッサンの征服 居酒屋 ムーレ神父のあやまち 多情多恨

花袋の斎藤緑雨との関係もゾラが仲立ちであり、これはどの作品なのかを確認していないが、ゾラの小説の翻案を緑雨と合作に仕立て、北海道の新聞に掲載したという。その他にも田山花袋フロベールゴンクールやドーデの洋書のエピソードを語っている。そして花袋が入手し読んだ洋書は、柳田国男国木田独歩島崎藤村正宗白鳥も借りて読み、さらなる波紋を生じさせたように思われる。『蒲団』と同様に「告白」をテーマとする藤村の『破戒』は、花袋から借りたドストエフスキーの英訳『罪と罰』の影響を明らかに受けている。
破戒

しかしそれらの英訳がどのような訳者と出版社によるものなのかはわからない。それでもかろうじて昭和三十四年刊行の『田山花袋』(「日本文学アルバム」24、筑摩書房)の中に、その二冊の書影が残されている。一冊はゾラの“The Ladies'Paradise”、もう一冊はフロベールの“The Candidate”である。前者はシカゴのレアード・アンド・リー社の『ボヌール・デ・ダム百貨店』、後者はオハイオの聖ドムスタン協会版だが、英語訳の『志願者』がフロベールのどの作品にあたるのかがわからない。しかしこれらのいずれもがアメリカの出版社であることは、ヨーロッパ文学の日本への流入がアメリカにおける翻訳出版によっていた事実を示唆しているのかもしれない。
ボヌール・デ・ダム百貨店

またゾラの日本での翻訳とパラレルに、大正時代にはエリスの『性の心理』の抄訳として既述しておいたように、『性的心理大観』(矢口達訳編、天祐社)、『愛と苦痛』(鷲尾浩訳、冬夏社)などが刊行され始めていた。そしてエリスはゾラを参照していたのである。これは少し時代が飛んでしまうが、花袋が古本屋で買い求めた『プラッサンの征服』の初訳が刊行されたのは、それから一世紀以上も過ぎた二〇〇六年であり、訳者は他ならぬ私ということになる。

そして最後に付け加えておけば、『プラッサンの征服』と花袋の『重右衛門の最後』の放火の場面は類似しているので、それは花袋におけるゾラの影響を明らかに示しているように思われる。

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