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古本夜話82 大槻憲二と『フロイド精神分析学全集』

江戸川乱歩の「J・A・シモンズのひそかなる情熱」が『精神分析』に連載されたことは既述した。『精神分析』は昭和六年に東京精神分析学研究所から創刊された雑誌で、乱歩はその昭和八年の第一号から第六号にかけて、前述の論考を寄稿したのである。

その経緯と事情について、乱歩の『探偵小説四十年』の昭和八年度の章が「精神分析研究会」と題され、一月の「主な仕事」として、「大槻憲二氏の精神分析研究会に加わり毎月の例会に出席、機関紙『精神分析』にも執筆す」とある。『乱歩の時代』(「別冊太陽」)に『精神分析』創刊号、及び神田万世橋駅前のアメリカン・ベーカリーにおける例会と二十余名のメンバーの写真が掲載され、乱歩の姿もある。

探偵小説四十年 乱歩の時代

そして本文において、その前史を次のように語っている。フロイト精神分析学が新心理学として、評判になり始めたのは大正末期で、邦訳書が出るのを乱歩は待っていた。

 数年後の昭和四年末から、殆んど同時に二つの邦訳フロイト全集が出始めた。一つはアルスの「フロイト精神分析大系」十二巻で、この方は(中略)安田徳太郎博士、当時東北帝大の心理学にフロイトを取り入れていた丸井清泰博士、新関良三、茅野蕭々、正木不如丘の諸博士が訳者となっていた。もうひとつは春陽堂の「フロイト精神分析全集」十巻で、この方は大槻憲二氏が大部分を訳し、以前からフロイトに興味を示していた長谷川誠也氏(天渓、明治文壇評論界の大家、森下さんの前の博文館総編集長)も一枚加わり、矢部八重吉(この人は分析療法もやっていた)、対島(ママ)完治の諸氏が一二冊ずつ訳していた。私は両方とも購入して愛読した。(中略)日本でも新感覚派の文士諸君は、フロイトを愛読したらしく思われる。

まず乱歩の書誌的な事実誤認を修正しておこう。双方とも表記は「フロイト」ではなく「フロイド」で、アルス版は十五巻予定のうち十四巻までが出されたが、最後の巻が未刊となり、十二巻で完結したわけではない。また春陽堂版の正確なタイトルは『フロイド精神分析学全集』であり、こちらは確かに十巻で完結している。

私はアルス版は第九巻『洒落の精神分析』(正木不如丘訳)、春陽堂版も第一巻『夢の註釈』(大槻憲二訳)と、いずれも一冊ずつしか持っていないが、後者を『春陽堂書店発行図書総目録(1879年〜1988年)』で確認すると、六冊が大槻訳、一冊が彼と長谷川共訳であり、乱歩がいうように、「大槻憲二氏が大部分を訳し」ていたことになる。

だがあらためて大槻訳『夢の註釈』を読んでみると、これは戦後になって『夢判断』高橋義孝・菊盛英夫訳、『フロイド選集』11、12、日本教文社)上下巻として全訳されることになるのだが、その半分にも充たない抄訳であることがわかる。しかも大槻が「訳者序文」で断わっているように、同書の英訳者A・A・ブリルが著わしたダイジェスト版『夢の心理』(Dream Psychology)の邦訳が最初の四章を占め、第五章は『夢判断』の下巻の「夢の作業」からの抽出、第六章から十一章が「夢過程の心理学」の比較的まとまった翻訳と見なせる。しかし日本教文社版と比較すると、「夢過程の心理学」も抄訳というよりも、ダイジェスト版に近く、この『夢の註釈』自体が原書を参照しながらも、『夢の心理』の邦訳に近いものではないかという印象がつきまとう。

夢判断 上 夢判断 下

だから春陽堂版に限っていえば、そのような英語圏におけるフロイト解釈が色濃く持ちこまれたのではないだろうか。それは大槻訳が六巻を占めていることからもうかがわれる。しかし乱歩のシモンズに関する「夢判断」も、この『夢の註釈』から導き出されたものであり、専門の研究者はともかく、文学者たちはこのようなフロイトを受容したと思われる。

さてここで『フロイド精神分析学全集』の実質的発行元と見なせる東京精神分析学研究所は昭和三年に大槻、矢部八重吉、長谷川誠也たちによって創設され、六年に『精神分析』が創刊されると同時に精神分析研究会も始められたようだ。乱歩の証言によれば、そのメンバーの文筆関係者は前述の三人の他に、劇作家の松井松翁親子、ヴァン・ダインの訳者の田内長太郎、元博文館社員長谷川浩三、文芸評論家で翻訳家の加藤朝鳥、評論家で英文学者の宮島新三郎、それにあの中山太郎高橋鉄もいたという。

また乱歩は精神分析研究会に参加した理由について、「精神分析には同性愛が非常に大きな題目として取扱われていたからである。会員の中にも同性愛研究に興味を持っている人が二三ならずいたからである」と書いている。

これまで[古本夜話]でずっと書いてきたように、大正末期から昭和初期円本時代にかけて、様々な性科学書が出版され、いくつかのその種の全集が編まれた。それらとパラレルにフロイドも研究され始め、アルスの『フロイド精神分析大系』春陽堂『フロイド精神分析学全集』の出現を見るに至ったのであり、大槻たちの『精神分析』も創刊された。

大槻憲二の没後の昭和五十九年に刊行された『民俗文化の精神分析』(堺屋図書)所収の「略譜」などを参照すると、彼は農民文学会に属する文芸評論家、ウィリアム・モリスの研究者として出発し、フロイトの直弟子で心理学者矢部八重吉、早稲田大学精神分析学の講義を持っていた長谷川誠也などの導きで、精神分析の世界に入り、民俗学にも接近していたとわかる。それゆえに同書に「解題」を寄せている小田晋は大槻を、「昭和初期の我が国の精神分析および民俗学の揺籃時代」における「両者の境界領域の開拓者」と位置づけている。

また大槻は日本で初めての『精神分析心理学辞典』岩崎書店、昭和二十七年)の編著者でもあるにもかかわらず、『精神医学事典』(弘文堂、昭和五十年)には大槻の名前も、『精神分析』もその辞典もまったく言及されていない。ここでもアカデミズムによる、在野の先駆者の無視と排除の力学が働いているのだろう。

以前にも大槻へのささやかな一文を試みたことがあった。その時、親切な読者から安齋順子の「日本への精神分析の導入における大槻憲二の役割」、及び川端康雄の「ウィリアム・モリス研究者としての大槻憲二」なる論考を恵送されたことがあった。前者は『精神分析』の協力者たちと大槻の関係、後者はモリス研究者としての大槻の位置づけで、新たなる大槻研究の萌芽を感じさせてくれた。その後も大槻の研究は進んでいるのだろうか。

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